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ノーベル賞
kongozan.wordpress.com
水争いをめぐる水越峠の国境画定紛争は、元禄14年(1701)に京都奉行所が大和側勝訴の裁定を下し、大和と河内の国境が画定されてそれが現在の府県境へとなっています。 ※下図にて緑色の線で府県境を図示 越口から北(葛城山方向)を見た写真に国境線(現在は府県境)を赤い線でを示してみると、京都奉行所は実に絶妙な位置に国境線を確定していることがわかりますね。 では、河内側を流れている水をどのようにして大和側に流しているのか、見てみましょう。 道路の右側は急峻な谷筋がはじまっているので、写真左側にある川の流れを右側へ付け替えることが可能な位置にあります。 次に反対(南を向いた方向)から見た写真に、国境線(現在は府県境)を赤い線で示します。 また大阪側と奈良側への川筋を水色の線で示しました。 これを見ると、道路が分水嶺となっていることがわかります。 なを、この道路部分は、近畿の登山 :近畿登山研究会編,
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