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大谷翔平
lacondizioneoperaia.hateblo.jp
ネタバレ注意 ●シン・エヴァ観てきたのでとにかく思いついたことを全部書いていく。いやー凄かった。良かった。不満も大量に大量にあるけれど、面白かった。観れてよかったよ。 ●本当は一昨日のレイトで観る予定で、チケットもすでにネットで買ってたんだけど、労働のせいでパーになってしまった。弊社は今すぐチケット代を弁償しろ。◯ね。◯ね。 ●ということで昨日の15時からのチケットでリベンジ。本当は昨日も疲れてて、もう観るの来週でいいかなとも思ってたんだけど、敬愛するペンクロフ先生が昨日シン・エヴァの感想記事をアップされたので*1、これはもう宿命だと思って観てきました。観ないで読むわけにはいかんからね。いやー良かったよ。ありがとうペンクロフ先生。 ●観に行った映画館は県下でも有数のシネコンで、3月8日以来、朝から晩までエラい数のスクリーンがシン・エヴァを上映し続けている。扉を開けるとそれはもうバカでかいシ
For where two or three are gathered in my name, I am there among them. Matthew 18:20*1 本論は今年の一月末に発表した「リラダン伯爵の夢の果て――のらきゃっと小論」の続編である。先の記事において筆者は次のことを論じた。すなわち、男性の恋愛とは畢竟は自らの内なる理想の女性に向けられた自己愛的なものであり、それを電脳空間に再現したものこそ「のらきゃっと」である、と。今なおこの考察はある程度の妥当性を有するだろう。しかし他方で、今読み返すと、余りにも自己完結的な側面ばかりが取り上げられ、彼女の持つもう一つの側面が全く考慮されていないことに気付かされたのである。その側面とはすなわち、のらきゃっとの存立における関係の重要性である。この側面がいかに重大であるかを、筆者はこの激動の二ヶ月間で学んだ。以下では自分自身の経験
この記事では、『未来のイヴ』の作者として名高い19世紀のフランスの詩人オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵の恋愛論を検討し、それが21世紀において、バーチャルYouTuberのらきゃっとの登場により達成されたことを論じたい。 1. リラダンの恋愛論 まず、主として仏文学者の平山規義*1と木元豊*2の研究に依拠しつつ、リラダンの抱いていた特異な恋愛観について確認してゆこう。木元はその恋愛観を、「男性が恋するのは現実の女性でなく、彼の欲望によって理想化された女性である」 *3と要約し、それが明示されている例として、次の二箇所を指摘している。まず、1862年に弱冠24歳のリラダンが発表した長編小説『イシス』の一節を引こう。稀代の美貌と卓越した知性を兼ね備え、女神イシスの再来とも謳われているチュリヤ・ファブリヤナ伯爵夫人の台詞である。 先づ第一に起ることは、その少年がおのれの眼でおのれの流儀で
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