サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
maxm.hatenablog.com
こんにちは、ウルカ。 こんにちは、こんな年の瀬にこの記事を読んでいる奇態なあなた。 約1年間、うぉぉぉぉと更新を繰り返してきたこのブログですが、取り敢えず本日をもって、最後の更新とします。 初めてブログというものをやってみましたが、文章で何かを表現することの面白さに少しだけ触れられたような気がします。 これは今後の俺の人生にとって絢爛なパーティクルとなり、頭上よりパラパラと降り注ぐ事はもはや疑念の余地もないでしょう。 年明け1週目か2週目あたりに再開するつもりもあったりしますが、音沙汰がない場合は、デュビアの祟りでのたれ死んだか、ミクシィ(←まだあるのかね?)とか他のフィールドへ迷いこんだと考えてください。 まあそもそも、平山タンバリンもウルカも実在などしなかったのかもしれません。 昨今の人工知能は本当に優秀ですから。 それでも、もし、街で発光するタンバリンを腰にさげ、黄金色のオオトカゲを
こんばんはウルカ。 いきつけのカフェがある。 日当たりの良い場所にアウトサイドスペースがあって、暑くも寒くも雨も風もない時季には俺にとって絶好のアイデア湧く湧くプレイスとなる。 ラップトップを持ちこんで、だらだらと過ごすのが好きだね。 仕事用に、そうじゃ無い用に、プチプチとアイデアが湧いてくる。 目の前には、まあまあ人通りのある露地と、味のある街路樹があって、よく鳥が遊びにくるのがとても良い。 暫くこの街を離れていた俺は、久しぶりにこのカフェを訪れた。 さすがに今日は寒いから、アウトサイドスペースにはダウンジャケットを着込んだアウトサイダーな欧米人くらいしか座っていないな。 店のドアを開けると、なんだか雰囲気が変わっている。 俺はやけに暑かったり、いやに寒かったり、どうにも雨だったり、否応なしに強風だっりする時によく座るインサイドスペースのお気に入りのテーブルが空いている事を確認すると、ダ
こんばんはウルカ。 ガリガリ君・レーズンバターサンド味を食べた事があるか? あれはもはやガリガリ君自体の割合は数パーセントであり、隠し味程度にしか残っていない。 それなのに、最終的には間違いなくガリガリ君という存在で完結しており、見事にレーズンバターサンド味を従えている。 数や量では決して敵わないものが、この世には存在する。 それは概念という物体であり、質的評価という現象であり、寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ、という戯言である。 アンドロイドが夢をみるのかどうかは知らんし、オオトカゲに情けがあるのかどうかは依然としてわからんが、人間はこの寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ、という戯言に縋って生きている。 時にこの寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ、という戯言は、倫理や秩序として社会のルールとなり、宗教の神として崇められ、母親として甘えられ、アクセサリーとして指にまかれ、小石として右足に蹴られる。
こんばんはウルカ。 今昼は、ローラー・スケートをかついで公園へ行ってきたよ。 俺が最近愛用しているローラー・スケートは、ローラーが縦に四つ並んでいるような平成的仕様ではなくて、自動車のように四角に一つずつ配置されている昭和的仕様のやつだ。 白と変なグリーンと紫の配色でなかなかイカしている。 公園内にあるインライン・スケート場につく。 そこは真夏のビーチのように身動きが取れないほどの混雑ぶりで、皆はただ茫然と水に浸かる海水浴客のように、飛ぶことを忘れた鳥のように、本来のスベるという目的を完全に見失って、様々なタイプのローラーの付いた靴や板の上に乗ってその場に佇み、あんぐりと大口をあけておる。 これが令和のやり方かと俺もあんぐりと口をあけてみたが、なにをしとんねん。ということで、さっさと引きあげ、カレー酢ライスという変な昼食を食べた。カレーに酢飯とはおかしな時代になったものだ。そういえば、鍋に
こんにちはウルカ。 覗き見防止フィルムというものがある。 スマートフォンなどに貼って、正面から画面を見る本人以外は何が映し出されているのか見え難くするものである。 俺は以前電車内でババアに執拗にスマートフォンの画面を覗き込まれて以来、この覗き見防止フィルムを貼っている。 このように他人のプライバシーを覗き見ることを生業としている者へのシールドとしての活躍は勿論のこと、スマートフォンを、プライバシーを、公共の場で発光させる側としてのマナーでもあると思う。 スマートフォンの画面は発光しており、チラチラと動画などを再生していると、いやでも目がいっていまう。 意図せず他人のプライバシーを覗き見してしまったような、もらい事故的罪悪感に苛まれるのは不快だよな。 これは、目のやり場に困るような露出の多い服装の女性と居合わせた時に似ている。 公共の場で卑猥を見せたい、それを見て困ったような殿方の表情をみて
こんばんはウルカ。 もう12月だね。 今年の2月から始めたこのブログもちょうど300記事となったよ。 過去を振り返らないことで有名な俺ではあるが、せっかくなので見返してみよう。 一筆書きのような記事ばかりで、鮮度が落ちると、いや落ちなくても、しょうもないものばかりだな! まあ、いいや。 自分の中でちょと気に入ったものを選んでみよう。 あれ、意外に多いな... 今日のニュース マクドナルドの“クリスマスラテ”、「写真」と『実物』の落差に思わず 現在地球上に生存する15の大型の鳥 犬?オオカミ?シベリアの永久凍土で発見された1万8000年前の動物の子どもの謎 そうだ、男ならロシアへ行こう。女性の数が男性よりも圧倒的に多いロシア、その理由とは 花嫁への結納品『Tバックを履いたブタ』を荷台に乗せたトラックが目撃される 人の心を読んで、今見ている映像が何かを再現する人工知能が誕生 ウルカは休食
こんばんはウルカ。 夜が明ける。 雄大な山々が脈々とつらなっている。 険しい山頂付近は、雪と氷でラムネ色に凍てついている。 ヒラヤマ山脈。 僕が立っているこの山も標高5000メートル級である。 カトマンジゥの町より入山して7日目、なんとか良い位置にこぎつけた。 前から数えて128番手か。 僕は列に並んでいる。 僕の前に、後ろに、勇敢な者々が、脈々とつらなっている。 勇者、魔法使い、商人、遊び人、おでん屋の親父、賢者、魔人、ダンピール、学生、狩人、ニート、キャバ嬢、歌手、サラリーマン、YouTuber、芸者、レスラーなど。 本日発売のブレインステーションの人気タイトル、ドラゴン・コマンドー16・初回限定パッケージを購入する為に世界中から集った、つらなりし者達である。 初回限定パッケージには、人気キャラのリリーがプリントされたマグカップが付属する。 正直、そんなマグカップなど、どうでも良い。
こんばんはウルカ。 雨上がりの街は靄で白くふやけていて、銭湯の脱衣所のようだ。 のぼせたビルの窓から洩れる灯は、普段よりも少しだけ赤い。 僕は速足で歩いている。 走ったり、自転車に乗れば、もっと速く移動することができる。 自動車や、飛行機に乗れば、もっと速く移動することができる。 でも、僕は速足で歩くことを選択した。 上をみたらきりがないからね。 クッションの良い自慢のスニーカーが、光沢色のアスファルトを蹶る。 僕は靄で白くふやけた街を歩きながら服を脱ぎ、全裸になる。 服といっても、もちろん比喩である。 心に着ている服を一枚ずつ脱いで、裸の心になるということである。 そもそも、はなから身体には一枚も服など着ていない。 身につけているものといえば、自慢の白いスニーカーと、紫色の靴下だけである。 心に服を着て、身体にまで服を着たんじゃあ、着膨れしてしまうし、暑苦しいじゃないか。 本当は白いスニ
こんにちはウルカ。 オオトカゲも良いけど、ゾウガメのことも書いてよ。 といったようなメッセージをいただいたので、今日はグリーンイグアナのプッチンプリンの事を書いてみよう。 グリーンイグアナのプッチンプリンは、数年前よりうちに居候している。 うち来たときには体長10センチメートルほどの明緑色のちっせえトカゲだったのだけど、今では1メートルを超えるでっけえ明緑色のイグアナとなった。 最終的には180センチメートル程になるそうだ。 その容姿は翼こそないが西洋の竜そのもので、姪っ子などはマジで口から炎を吐くと信じている。 イグアナ族は爬虫類の中でワニ族に次いで2番目に知能が高いと言われており、部屋に放していると猫と同居している感覚に近い。 犬ほど近くなく、フェレットほど遠くない距離感。 最近ではよく俺の肩や頭に止まってじっとテレビを観ている。 トイレも覚える。 イグアナ族のコミュニケーション方法は
こんにちはウルカ。 オオトカゲの食性は、大多数が肉食である。 中には草食性のイグアナや、フィリピンの秘島で発見された体長が2メートルを超えるのに体重は10キロにも満たないフルーツを主食とするオオトカゲもあるが、コガネオオトカゲであるウルカはゴリゴリの肉食であり、サニーレタスなどはうまく消化する事が出来ない。 飼育下のオオトカゲは総じて肥満傾向にあるそうだ。 これは運度不足と、自然下ではなかなかありつけないような産まれたての仔マウス、ウズラ、ヒヨコちゃんなど、高栄養な食事をガンガン与えられているのが原因だといわれている。 爬虫類女子!ベッドで一緒に寝ています!などとインスタグラムに写真をあげている場合ではない。 ここのところ休食日が多いウルカだけど、肉付きはどちらかというと良い方で、野生個体と比べたらまだ少しポッチャリなのかもしれない。 それでも日に2、3回は食事やら酒を飲んで喜んでいる人間
こんにちはウルカ。 紅葉の季節だね! 木の葉は、死が近づくと紅くなる。 それから完全に戦力外となると、見放され、枝から切り離される。 枝から切り離された木の葉は地面に落ち、微生物や虫や動物や雨や風や光にバラバラにされ、自分を切り離した木を支える土となる。 どれだけの木が、戦力外だと見放した葉が自分を支える土となって、やっぱり戦力として活躍している事に気がついているのだろう。 口笛を吹きながら自転車に乗っていると、一枚のコウモリがひらひらと落ちてきた。 冬が近いな。 木から戦力外と判断されたコウモリが切り離されている。 コウモリの木の葉は、死が近づくとコウモリとなる。 枝から離れたコウモリは地面に落ち、しばらくすると天に向かって舞い上がる。 空中で群れを成して黝い影をつくり、雨を撥じく傘となる。 コウモリ傘は、ゆったりと宙にとどまる。 雨が降ると人々はゆったりと宙にとどまっているコウモリ傘を
こんばんはウルカ。 クラマは、古くから人間の移動手段として、住居として、家畜として、ペットとして、友人として、奴隷として、ビジネスパートナーとして、寄り添うように共存してきた。 クラマは、種により様々であるが50年から80年ほど生きる。 中には300年以上生きる種もある。 クラマは、総じて単為生殖の卵生であり、直径1.5mほどの卵から孵化すると、すぐに時速70km以上の速さで移動する事が可能である。 現在の地球環境ではクラマの卵を自然孵化させることは不可能であり、専門の施設と技術を持ったブリーダーが全国に点在している。 対人間、クラマ同士のコミュニケーションは光、または闇を振動させることでおこなう。 知能は非常に高く、知能指数は人間の8倍とも言われている。 感情は無く、醜美、善悪という概念ももたない。 人間がこの、光または闇の振動を利用したコミュニケーション、通称モルクを修得し、クラマを運
おはようウルカ。 随分前に、といっても数ヶ月程度だと思うけど、このブログにパタパタ時計を買った話を書いた。 遡って調べるのが面倒だけど、遡ろう。 これから書く事に関わるからな。 おう、おう、遡ってきましたよ。 パタパタ時計を買ったのは今年の5月26日だった。 あれからもう半年か… このパタパタ時計は、セイコーというメーカーの1980年代に製造されたデッドストックだそうだ。 まあ、数千円で買ったので、高い買物ではなかったのだと思う。 寝室で使っており、1分進む毎に、スサッ…って、ほんとうに幽かな音がする。 これがなんとも気にいっている。 時計の音はチクタクだけではないのだな。 さておき、このパタパタ時計、約半年の間、1分も時間がズレていない。 電波のおかげで常に正確な時間を表示するスマートフォンと数秒程度の差をキープしている。 凄い精度ではないか! 半年間もこんなに時間がズレないなんて! 電
こんばんはウルカ。 クモハ289ー303に乗っている。 バッグから丸めたナイロン製の上着を取り出して羽織る。 雲が、大陸のように空にある。 雲色の大陸を太陽が半ば透過するように照らしている。 太陽は、雲よりも随分と小さいものだと思っていたけれど、反対で、雲など比べ物にならないほどに太陽は大きいらしい。 遠くに見えるあの親指くらいの樹木が、本当は見上げるほどに高いのと同じことなのだそうだ。 この足元の陸とあの雲では、どちらが大きいのだろう。 本当はとても大きなものも、遠く離れれば小さくなる。 それは目に見える大きさだけでは無くて、音も、匂いも、温度も、優しさも、悪意も、哀しみも、愉快も、痙攣も、病も、狂気も、過去も、行く末も。 距離は大きさや強さを調節してくれる。 なのに、このタブレット端末の中にある情報や、人いきれは、どれも同じ距離で、目の前に在るか、全く無しかのどちらかだ。 タブレット端
こんばんはウルカ。 タクシーが、雨粒で不透明になったフロントウィンドウをワイパーで拭っている。 扇状に雨粒を拭われたフロントウィンドウは、車内の湿度でやっぱり不透明のままで、 タクシーは半ば投げやりにウィンカーを灯したり消したりしている。 後部座席には、サイドウィンドウを貫通しようとする街の明かりを、髪の長い人影が遮っている。 乗客がいるのだろう。 私という主観は同時には一つしか存在しないので、雨粒や湿度で不透明になったタクシーの車内を感じるには、交差点でウィンカーを灯したり消したりしているタクシーに駆け寄り、ドアを開け、乗り込む、または後部座席に乗っている髪の長い乗客の身体を借りる必要がある。 拭われていないサイドウィンドウの雨粒と、白い湿度のフィルターは、街の灯りをどんなに綺麗に滲ませていることだろうか。 私は、とてもそれを感じたいと思った。 交差点でウィンカーを灯したり消したりしてい
こんにちはウルカ。 大きな街の駅が近づくと、何台もの列車が行き交うことができるように、線路の数が増える。 線路と線路の間に、小さな公園ほどの広さの草叢があるのがみえる。 その草叢には人の背丈ほどの草が鬱蒼と茂っており、なぜ手入れをされないのか不思議なほどである。 列車の走行に影響したりしないのだろうか。 私は上り列車の車窓から、なんの気無しに線路と線路の間にある草叢をみている。 職場に着いたらやらなければならない事の数を数える。 ランダムに、草がゆれている。 草は風でゆれることで種を飛ばして生命をつなげるそうだ。 全ての物事には意味があり、繋がっている。 ふと、草叢のなかで人影がみえた。 見間違いだろうか。 保線作業員? いや、私がみた人影は、上半身裸でねじり鉢巻をまいていた。 保線作業員ではないだろう。 人々がコートを着たり、マフラーを巻く季節に上半身裸とは不自然である。 いや、それ以前
こんばんはウルカ。 ロシア製のラーダ・ニーヴァというクルマがある。 俺は今日初めて実物をみたのだけど、形、サイズ感ともに凄く良いね。 本国ではプーチン氏も愛用しているとかいないとか。 信号待ちで隣になったラーダ・ニーヴァは白色で、左ハンドルの運転席には、拘りと蘊蓄がウザそうな顔つきの女が拘りぬいたであろう、ビンテージであろう帽子をかぶって座っている。 カーオーディオから流れる音楽はきっと下北沢あたりの雑貨屋風なのであろう。 俺のクルマよりもひとまわり小ぶりなラーダ・ニーヴァは、弱ったサイレンのような音を終始発している。 仕様なのか不具合なのかは分からんが、いつパッタリとエンジンが止まって、うんともすんともいわなくなるかわかりませんよ感が鈍いオーラとなって滲みでている。 これがまた堪らなくいい。 危ういと感じる緊張感を極力排除しようと努力してきた昨今の工業製品にはない魅力だね。 マニュアル・
こんばんはウルカ。 部屋の隅に座っている。 白い部屋で、僕の周りには文字ばかりが敷き詰められている。 文字は当たり前のように真っ黒。 白い部屋にあいた意味を持つ穴。 こんなことなら、ソックスを履いて来るべきだったな。 僕は「凍えそうにしているつまさき」という文字を見てそんなことを思った。 つまさきは本当に本当に凍えそうで、それは見ているだけで腹立たしく不甲斐ない気持ちになった。 メリーゴーランドを思わせる、「メリーゴーランド」という文字は、真っ黒なのにとても煌びやかで、ぐいぐいと恐ろしいスピードで廻る。 僕は「メリーゴーランド」に乗っているはずの子供たちのことが心配になったけれど、僕の想像する子供たちはどれも塑像だったので、スピードも遠心力もちっとも気にしていない様子だった。 僕が想像したり感じたりすることは僕の中、あるいは別の所で文字に変換され、別の部屋に書き込まれる仕組みだと聞いた。
こんにちはウルカ。 なあ、平山ちゃん、最近、何か欲しいものとか、やりたい事とか、ある? ああ? あるよそりゃあ、手っ取り早く金だろ、休みだろ、旅行へ行きたいし、うーん、いまなら、南米かアイスランドかなぁ、でも結局東南アジアが落ち着くんだよな、ははは! 良い感じの平家一軒家だろ、最新のライカレンズも使ってみたいな。 洒落た服やら靴も欲しいね。 それと、昔バイトしていた居酒屋がさあ、旨い松茸の土瓶蒸しを出す店でさ、あれ、また食いたいな。 あの店、もう潰れちゃったんだけど。 あとドラゴンとかティーカップ・アフリカゾウとかトイ・シロクマとかいたら飼ってみたいね。 中国大陸のどっかに実在する気がしてるんだけど。 あはは!平山ちゃん、欲望まみれだね! おお、なんだよタケ、そういうオメエはなんか欲しいもん、あんの? ん?まさか、俺もお前も来月誕生日だからプレゼント交換とかしようとしてる? 面倒クセーやつ
こんにちはウルカ。 女店員がカラーボールを投げる。 大人用ポッピングで逃げる犯人は、高々と跳び上がって、女店員の投げたカラーボールを簡単にかわす。 犯人は空中でくるりと1回転すると、ドシャリドシャリと大人用ポッピングを弾ませて、あっという間に遠く小さくなってゆく。 私は、任せなさいと女店員に言うと、大人用ジャングルジムにのぼる。 大人用ジャングルジムは大人用なので32メートルの高さがある。 私はシャツをまくり上げると、大人用変身ベルトのスイッチをいれる。 大人用変身ベルトは大人用なので本当に変身する。 私はヒーローに変身すると、とうっ!と大人用ジャングルジムからダイヴする。 私は空中でヒーロー飛行バージョンに形態を変えると、犯人の逃げた方向へとかっ飛ぶ。 余談だが、この大人用変身ベルトは、ガチでレアだ。 世界中の大人達が血眼になって欲しがっている。 定価十九万八千円のこの大人用変身ベルトは
こんにちはウルカ。 自転車に乗った学生が、太陽の光と風と排ガスを浴びながら、立ちこぎで坂を登っている。 高校生だろうか、激流に逆らう鮭のように生命力が滾っている。 俺は反対に川下へ車道をくだっている。 アクセルから足を離して、重力にまかせる。 ギアを3速に入れると、やわらかく、エンジン・ブレーキが作用した。 世界の道が全て下り坂であれば、エネルギー消費は随分効率的だよな。 鮭も決死の思いで川を遡らなくていいかもしれん。 下り坂という言葉のイメージもなんとなく良くなり、努力の概念も少し変わるかもな。 電力会社も下り力発電なんてエコなシステムに変わるだろう。 問題は下り坂をどうやってループさせるかだよな。 下ったからには上らなければならないスキー場のような状態では意味がない。 下り坂の始まりと終わりがシームレスにつながっていてほしい。 ずっと下り坂。 世界中のトリックアートの名手や、偉い学者先
こんにちはウルカ。 暖かいビーフカレーライスを食べた。 昭和の時代に一斉を風靡したであろう、日本の味。 オーガニックな多種類のスパイスの香りなど皆無だ。 しかし、コクと旨味はたっぷりで、日本の米に良くあう。 このときよ、終わらないでくれと思わせてくれるのは、良い小説とビーフカレーライス。 今日のニュース 帽子の裏側に仕込んでこっそりハゲ治療にハゲめるデバイスが開発される チェンマイ アジアで最も安全な都市に選出、東京は13位 ウルカはデュビアを2匹
こんばんはウルカ。 もう、じゅうじか。 うかうかしていると明日が始まっちまうな。 明日が始まってしまうまえに、持ち物が持つ者の話をしておこう。 硝子を運ぶ錆びたトラックが、慎重に振動している。 歩道では、アルペジオ専門のギターリストが、奏でては街の騒音にかき消されている。 ビルとビルの谷間に広場があって、街路樹たちの麓にベンチがいくつか並んでいる。 木洩れ日は涼しげな午後を演出していて、ベンチで休む人々はみな黒いシルエットで匿名者になりきっている。 俺は広場の端にあるベンチに居場所をみつけると、湯船に浸かる時のように、じんわりと腰をおろした。 ラガービールの缶以外の持ち物は、スマートフォンと腕時計くらいか。 服や靴を持ち物というのであれば、あと数点ふえるけど。 隣のベンチには、髪の毛を異常にセットアップした男が派手な柄のハンケチでアブラをぬぐっている。 風が、サラサラとふいているが、男の髪
おはようウルカ。 動物は隠れる事が好きだよな。 好きというよりも、酸素や水と同じ様に生きる上で必要な要素なのだろう。 隠れる事によって、雨、雪、雹、風、陽光、寒さ、暑さ、外敵、から身を守る。 更に人間はプライバシーや財産や1人の時間を守るためにドアに鍵をかけ、カーテンを吊す。 その点、植物は同じ生物だけど、逃げ隠れしないね。 雨、雪、雹、風、陽光、寒さ、暑さ、外敵も全て受け入れている。 動物達の隠れ場となり、食料となる。 プライバシーや財産や1人の時間も分け与える。 なんて寛大なんだ! 列車の窓から薄暗くなった街を見ている。 人間の隠れ場が森を邪魔するように群立している。 それでも木々は今日も全てを受け入れ、与え続ける。 俺は列車を降りると少し歩いて、岸壁にできた小さな穴ぐらのような人工の隠れ場に入る。 それから皆がそうするように、明かりを灯す。 穴ぐらの窓から薄暗くなった街を見る。 群立
こんばんはウルカ。 今日はえらく忙しかったので、こんな時間になってしまったよ。 今日が終わってしまう前に、カナリアの話でもしようか。 カナリアが囀っている。 朝露が草を湿らせて生命を強調している。 カナリアは、海を越えた遠い国々ではその美しい容姿と官能的な歌声で、ペットとして人気があるそうだ。 この土地でのカナリアといえば、怪鳥として恐れられている。 あれをペットとして可愛がるなど到底信じる事が出来ない。 確かに小鳥の時期は可愛らしい姿をしており、囀りの音彩は上等な笛のようだ。 しかし成鳥となったカナリアは、ゾウの悲鳴のような鳴き声で、硫酸を吐き、人を喰らう。 おそらく海を越えた遠い国々では、小鳥の時期のカナリアのみを愛でて、あとは殺してしまうか、気候があわずに成鳥となる前に命を落としてしまうのではないだろうか。 この土地では深い雪に覆われる冬以外、カナリアが活発な時季は外に出る事が出来な
こんにちはウルカ。 線路に遺棄された自転車が雨に濡れている。 空調がギリギリと音を立てている。 子供達はブンブンと夏を振りまわして、夏が消耗してなくなってしまう事を恐れない。 腕時計を見る。 深いグリーンのサブ・マリーナーは、かつて恋人から贈られたものだ。 よく使い、よく傷のついた硬質のステンレスは、鞣革のように滑らかで。 時刻は午前。 時間は朝、昼、夕、夜、深夜、夜明けの6つくらいで十分だ。 時針も分針も秒針もいらない。 朝、昼、夕、夜、深夜、夜明けで文字盤の色が変わる機械式腕時計が欲しいな。 列車の進行方向とは逆方向に座席と座席の間の通路を走る。 これは地球の自転とは逆方向に移動する事によく似ている。 大きな流れのなかで小さな飛沫があがっただけだ。 何も変わらないけれど、飛沫にとっては飛沫をあげる意義は大きいのだろう。 一昨年の冬、こんなことがあった。 9月4日 突然といえば突然だけど
おはようウルカ。 暴風雨の朝、全ての窓を開けてカーテンを狂っようにはためかせる。 雨を浴びたテレビがバチバチと調子が悪そうに青い天気図を映し出している。 雨風が暴れる部屋のソファに座ってトマトジュースを飲んでいると、スマートフォンが発光して着信を知らせた。 はい。 おれだ、マズイことになった、これから来られるか? お前、だれだよ。 おれだよ、おれ、会えばわかる。 通話は一方的に切れた。 電話の主に心当たりはない。 今年で89歳。 1度も結婚をしなかったオレには、身寄りも友人も1人として生き残ってはいなかった。 間違い電話か… 飲みかけのトマトジュースのグラスを台所に向かって放り投げると、グラスが割れる音がした。 吹き荒れる暴風雨の中では、グラスが割れる音などこれっぽっちも主張が無いな。 そんな事を考えていると、またスマートフォンが光った。 はい。 おれだ、今どこだ? だからお前だれだよ。
おはようウルカ。 カルカッタの安宿でベッドに座っている。 南京虫がうろつくマットレスは、中綿が死にかけていて湿気を吸う体力も残っていない。 明るい青色に塗られた鉄格子型の窓は、歪な長方形をしている。 魔都と呼ばれるこの都市は、巨大なドブ川に逆さ向きで浸かっているような、幾らもがいても出口のない、暗い、闇が、いく層にも重なって、無尽蔵に堕ち続ける、屍骸や汚物を足場にして人間がのたうって、欲や、灰や、情や、廻をひろう。 沢山拾い集めた其々は、結局どれもヘドロとなって、身体に纏わりつくから、身動きが余計に苦しくなる。 息を止めれば悪臭や汚染を吸いこまずにすむけれど、結局呼吸しなければ息の根が止まってしまう。 以前は鮮やかな彩りだったボロ布に身を包んだ女の乞食が、自らの赤ん坊の手足を切断し、見せ物乞いの材料にしている。 旅行者たちは、屑篭にゴミを捨てるのと全く同じモーションで、乞食たちの掲げる器へ
おはようウルカ。 暁美さんは603号室に住んでいる。 オルガンみたいなイメージの服をきている。 低温火傷のような色のスカートは引き摺るほど長くて、ベロアとフェルトの中間のような素材は重厚な光沢がある。 エレベーターですれ違うといつも僅かにガソリンの匂いがした。 執念深くブリーチした髪は真っ白で、太く三つ編みにした束を首にぐるぐると巻きつけている。 長くて頑丈そうなヒールのついたブーツは足を踏み出す度にドシャリドシャリとコンクリートの床を削るように蹴るので、近所の婦人たちは顔を曇らせた。 左手の髑髏のネイルはシルバーを一度溶かしてまた固めたもので、タバコや焚き火の煙で燻されている。 暁美さんは肋骨が折れている。 肋骨にはギブスを巻くことができないので、傍目には何事も無かったように肋骨が折れている。 暁美さんは自分を陸ガメの生まれ変わりだと信じていて、次はイヌワシやオオカミに生まれ変わるのだと
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『オオトカゲに情けはあるのか』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く