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大谷翔平
mmcompany.hatenablog.com
私が先祖をたどるのは特定の人物や政治家をおとしめる目的ではなく、ただ単に昭和初期の歴史が好きだからです。 とくに来栖三郎に興味をもつ人は少なく、本によっては「栗栖」なんて漢字を間違えているものもあります。 もともと興味をもったのは星野仙一がらみです。が、その人脈をひろげていくと面白くって、時間がたつのをつい忘れてしまいます。 吉田茂が来栖のことを「盟友」と呼んだ書簡が残っています。 鳩山一郎と同じ頃、来栖が脳溢血でリハビリ中だったとき、吉田は永田町の自宅にはしょっちゅう来て、助言を求めました。軽井沢駅前の「油や」には来栖の姉が嫁いでいて、何度か吉田からの電話を取り次いだそうです。 なので、星野監督の妻が赤ちゃんのとき、吉田茂に抱っこされている写真を見たこともあります。今だったら写メしたのに。 さて、吉田と来栖ら親米英グループは外務省時代から、自動車産業をめぐって、岸信介グループと対立しつづ
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