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大谷翔平
momochiki.hatenadiary.org
「操る⇔操られる 人間の思考の穴」 人間が主体的な生き物だと説明されれば、あなたは納得できるだろう。 人はモノローグな生き物だ。全てを自分に関連付けて考え、全てを自分のなかで解釈する。所詮会話の相手の言ったことも自分で解釈しているのだから、その返答も結局「自己」にに対してで、それなら結局のところ、会話なんて全て「自己 対 自己」で、本当の意味での他者なんて、存在しない、 ということになる。他者は、頭の中に入っては、吐き出され、入っては、吐き出される。 そう、今日の映画は、「マルコビッチの穴」。ずいぶん前に映画館で見たのだが、その真意を測りかねていた映画である。 主人公グレイク(ジョン・キューザック)は人形使い。が、生活に困り、あるビルの7と1/2階でファイル整理の仕事をすることにする。ある日、彼は会社の壁に不思議な穴を発見する。その穴に入ると、俳優マルコビッチ(ご本人)の中に入り、自分の意
「ガタカ」 (1) SFとしてドラマとして ずいぶん前の映画でありながら、語られる機会の多い作品である。かつて映画館で見たものの出来の悪いSFであるという印象があったため、もう一度見直してみようと思い立った。 今回の鑑賞の結果、これは、秀逸なアイデアの、出来の悪いSFで、そして、非常にきちんとした命題を抱えたよくできた人間ドラマであるという結論に達した。今日はその三つの側面からこの映画を考えてみたいと思う。今日は全般的に紹介というより批評になるから、この作品を見た人向きである。(ねた、ばれます。ばれてまっせ) まず、この映画が秀逸なアイデアであることに異論を唱える人はまずいないであろう。ガタカでは、社会は遺伝子操作の方法をすっかり会得し、ほとんどの子供たちは、マイナス要因を極力まで排除されたエリートとして生まれる。街角には、体の一部や唾液もって行けば、安い金で遺伝子情報を解読してくれるスタ
(批評のためにネタバレしています) ドッグヴィルには、さまざまな人間が住んでいる。 自説を証明したいとやっきになっている自称思想家のトムや、リンゴ農園をやっている元都会人の男とその妻の子沢山一家、村で唯一の黒人とその肢体不自由な娘、家を持たない運送業者など。 村人のために、かくまってもらうためではあるものの、親身になって尽くすグレースは、最初は彼らに感謝され、まさに彼女の名前Grace=神の恩寵通りの存在として受け止められて、村人の間に一見なじんだように見える。 が、彼女の捜索を警察までが始めたことから、かくまうことで自分がリスクを負っていると感じた村人たちは、その恐怖心、その法に対する罪の意識を、彼女にぶつけることで払拭しようとし始める。 リンゴ農場主は、今までいなかった話し相手と、欲望の対象として。黒人にはそれまでいなかった自分以下の存在として。運送業者には、遠くまで通わずにすむ売春婦
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