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motoheros.hatenablog.com
1 死 死のモチーフは、ごく初期からしばしば登場している。 僕らはいつの日か 死ぬからこそ生きるのさ ラララララ 輪廻を巡る (「怪獣ギター」1989年) 死にもの狂いのカゲロウを見ていた 時間のリボンに ハサミを入れた ひとりじゃ生きてけない (「死にもの狂いのカゲロウを見ていた」1990年) どうせパチンとひび割れて みんな夢のように消え去って ずっと深い闇が広がっていくんだよ (「ビー玉」1991年) 時の淀み 行く手を知り 明日になればこの幻も終わる (「胸に咲いた黄色い花」1991年) 明日になれば僕らもこの世界も 消え失せているのかもしれないしね (「海ねこ」1992年) ここには、生命の終わりである死をみすえて現在の生を静かにながめる視線、それもややニヒリスティックな視線がある。この視線は楽曲中にさりげなくはさみこまれ、豊かな像を想起させるやわらかな詩の世界に、快とも不快とも
(Photo by 高橋宣之氏) イメージの海へ スピッツの楽曲がつつましくふり撒いている魅惑のもっともおおきなものは、並外れてゆたかなイメージを喚び起こすちからにあるといえる。古いわらべうたにも似た親しみやすい旋律にのせてうたわれる詩は、草野マサムネのはかない声とともにその香気をつよめ、わたしたちを無限のイメージの海へとさそう。かれらの作品のなかで、わたしたちはそれぞれ自分史の厚みに応じた多様な像に出あい、他人と共有しようとしてもかならずどこかがこぼれ落ちてしまうような私的な感情のゆれに気がつく。 じしんの詩作にかんして草野氏はこのように語っている。 まあ、歌詞については、いかようにでも解釈できるような使い方をしているんですけども…(中略)何と表現したらいいかなぁ…だから、歌詞全体に、誰もが「そうだな」と思わせるような純一した意味を持たせることに、僕としてはそれほど意義を感じていないとい
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