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大谷翔平
napdan325.hatenablog.jp
45.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(27) 「ねえクマさん、ちょっといい」 午前の授業が終了して帰り支度をするクマにヒナコはそう切り出した。クマは返事はせず顔だけ彼女の方に向ける。 「あのう、7組の藤森君って知ってる」 「あー、うん、確か同じ中学だったけど、よく知らないし、親しくもない。あいつがどうかしたの」 「うん、えーっと、何でか判らないけど、こないだから家に何度もしつこく電話してきたり、学校でも廊下ですれ違ったら話しかけてくるの」 「ふうん、あの男とは話した事ないし、別に目立ってもいなかったから良く分からないけど、人畜無害なタイプの人間だと思ってたけどね。でも普通に考えて、そういう事をするのはアナタに気があるからでしょ。で、何ていってるの、奴は」 「今度、映画に行こうとか、食べ物は何が好きとか」 「で、アナタはどうなの」 「はっきり言って迷惑なの。なんかフニ
43.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(25) 10月に入ると校内の雰囲気はいよいよ文化祭一色に染まり、各クラスとも連日夜まで残って準備に追われていた。通常クラブ活動は、午後の3限目の授業が終了する16時から18時までが原則であり、それ以降学内にいる場合はその時間、人数、用件を所定の用紙に記入、担任の認印を取った上で学校へ届けを提出する必要があった。 初日に行われる世田谷区民会館の舞台に立つヒナコさんグループのメンバーは、=そんな事が許されるのか定かではないが=クラスの出し物には一切関わっておらず、放課後は自分達の練習を繰り返していたが、その届を出した事は一度も無く、それでも咎められる事はなかった。 尤もそれは彼等がこれまで学校での行動で、何ら問題を起こしていないという事もあったからだが、校内で喫煙している生徒など掃いて捨てる程いたにも拘らず、彼等が停学処分や厳重注意
42.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(24) 「そろそろ」クマはそう切り出すと皆の顔を見ながら続けた。「演目を全て決めないと間に合わなくなると思うんだけど」、アグリー、ヒナコ、ムーの三人は夫々頷く。 1974年9月、新学期は既に始まっている。世田谷区民会館の本番まであとひと月半、もうそれ程時間は残っていなかった。 「それで整理すると、決まっているのは、アグリーの『観覧車』。それからヒナコの『さようなら通り過ぎる夏よ』と『秋祭り』。そしてムーの『ぎやまんの箱』と『ゆりかご』。以上五曲だけど、これでいいよね」 「そうだね、後二、三曲いるって事か」アグリーが答えるとヒナコがそれに続けた。 「あとはクマさんのじゃない」 「うん、それで考えたんだけど、僕の『君に捧げる歌』とアグリーの『君への賛歌』をメドレーにして一曲にしたらどうかと思うんだ」 三人は黙ってクマの顔を見た。 「
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