サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
negorosenki.hatenablog.com
明が残した記録に、非常に興味深い内容のものがある。前回の記事で、薩摩からの船が捕まった話を紹介したが、その1か月後の48年4月に別の密貿易業者・方三橋という男の船が、同じように双嶼付近で明軍に捕まっているのだ。 その記録によると、押収したこの船の荷には「小型仏郎機4・5座、鳥嘴銃4・5箇あり」、つまり大砲と火縄銃がそれぞれ4~5丁あったとはっきりと記されてある。そしてこの船の乗員であった陳端という男は、明の取り調べに対して、これらの火器はなんと「ポルトガル人が日本にやってきた際に、戦って奪い取ったものである」と述べているのだ。 この「火縄銃が奪われた戦い」とは、いつどこで行われた戦いなのだろうか。実はポルトガル、日本側双方にヒントとなる記録が残っている。まずはポルトガル側の記録から。 ペロ・ディエスというガリシア人がいる。彼は1544年に中国人のジャンクに乗ってマレー半島から双嶼を経由して
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『negorosenki.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く