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災害への備え
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マルコ・ベロッキオ監督『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』が8月9日(金)より公開となる。1978年のイタリア元首相誘拐暗殺事件を、犯人グループの一人、被害者の妻、ローマ法皇など関係者の多角的な視点から、ときに幻想やあからさまな虚構をも交え、虚実の境界を曖昧にしながら描いていく大作だ。 評論家の柴崎祐二は、本作の「虚構」について、単に幻惑的な演出であるのみならず、歴史的事件を物語として扱うことについての内省的な問いになっているのではないかと指摘する。連載「その選曲が、映画をつくる」第17回。 ※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。 イタリア元首相誘拐事件を「外」から多面的に描く 1978年3月16日、午前9時2分、ローマ市中心部のマリオ・ファーニ通り。元首相でキリスト教民主党党首のアルド・モーロが、何者かによって誘拐された。 当時のイタリア社会で
なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。 今回の「マミー」にも推薦コメントを寄せた。いくつか送り、どれか使ってくださいと担当者に委ねたところ、採用されたのは、「多くの人が『その話はもうやめてくれ』と逃げる。なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。各人の後ろめたさが渦となりながら問いかけてくる」だった。この「逃げる」については後述する。 その他に送っていたコメントの一つがこれだ。「何をどこから見ても死角が生じる。ならば、死角を確認する。探る。この事件は死角が放置されている。なぜそのままなのか」。私たちは、ホースで水を撒いた林眞須美を知っている。そして、その林がカレー鍋にヒ素を入れたことを知っている。知っている? 本当に? どこかの監視カメラ(防犯カメラ)に彼女の姿が映り込んでいたわけではない。林がカレー鍋にヒ素を入れた裏付けとなっているのは「目撃証言」と「科学鑑定」。この
和歌山毒物カレー事件を多角的に検証したドキュメンタリー映画『マミー』が公開された。映画では、犯人と目された林眞須美が、夫・林健治とともに犯した保険金詐欺事件との関係が読み解かれ、確定死刑囚の息子として生きてきた林浩次(仮名)は、母の無実を信じるようになった胸中を打ち明ける。私たちは「あの事件」の何を知り、何を知らないのか。ライターの武田砂鉄がレビュー。 ポップに消費されるように仕向けられた、和歌山毒物カレー事件 映画の推薦コメントを書いたり、こうしてレビューしたりする時には、基本的に「観て欲しい」との気持ちを込める。でも、記事を読んでくれても大半の人は観ない。この記事だってそうだろう。これを読んだところで観ない。別の映画を選ぶかもしれないし、これだけ暑いんだから、家でじっとしているかもしれない。無理はさせられない。 映画の中でもドキュメンタリー映画のコメントを書く機会が多いが、コメントをい
36歳の女性が13歳の少年と不倫関係となり逮捕、獄中出産し出所後に結婚—— 実際にあった衝撃的な事件をモチーフに、『ベルベット・ゴールドマイン』『エデンより彼方に』『キャロル』などで社会的な題材を巧みに扱ってきたトッド・ヘインズ監督がメガホンを取り、ナタリー・ポートマンとジュリアン・ムーアが共演した映画『メイ・ディセンバー ゆれる真実』が、7月12日(金)に公開となる。 音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二は、本作の特異な音楽使用や、作中にも登場するキーワード「認識論的相対主義」に着目。本作から垣間見える製作陣の誠実さと批評性を読み解く。連載「その選曲が、映画をつくる」第16回。 ※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。 象徴的な、「feel seen」という慣用句 「I want you to feel seen」。本作『メイ・ディセンバー ゆれる真
セゾンカルチャー、サウンドデザイン、ASMRとヒューゴ・ズッカレリ ―この前お話したとき、『Ethereal Essence』は細野晴臣さんの『COINCIDENTAL MUSIC』(1985年)みたいなものだっていうことをおっしゃったじゃないですか。そうやっていろんな発注仕事が新たな自分の音の作り方を開いてくれる側面があると思うんですよね。 小山田:そうですね。そういうものはオーダーに対してどういうアプローチができるかって、普段あんま開けない引き出しを開けるきっかけになるので、自分としても「こういうこともできるんだな」「こういうの面白いな」って発見のきっかけになる。自分の作品は自分でお題を考えなきゃいけないんで、誰か考えてくれる人いたら考えてほしいんですけど(笑)。 細野晴臣が手がけたCM音源を収録したアルバム『COINCIDENTAL MUSIC』収録曲。同曲はPARCOのCM曲 ―2
小山田圭吾と環境音楽、アンビエントハウス、ニューエイジリバイバル ―これまではアンビエントをどういうものだと認識していました? 小山田:まずはブライアン・イーノですよね。 ―『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)、原点ですね。最初に耳にされたのはいつですか。 小山田:イーノの『Ambient 1: Music for Airports』を聴いたのは20代半ばぐらいだったんですけど。 ―今回の『Ethereal Essence』では、いわゆる「環境音楽」を意識されたんですか? 小山田:吉村弘さんは『Kankyō Ongaku』で知って聴いていました。 『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』(2019年)に収録された吉村弘の楽曲、オリジナルアルバム
まだ見ぬピークの先へ。人生も半ばを過ぎ、YMOの3人にいま思うこと ―この前、高橋幸宏さんのお話をしたとき(※)、Sketch Showの存在はYellow Magic Orchestraの3人がまた再結集するきっかけになったとおっしゃっていましたよね。当時、アンビエント的なもの、エレクトロニカ的なものに世代を超えて共演できる器というような側面があったんでしょうか? 小山田:Sketch Showがきっかけで僕もあの3人の仲間に入れてもらえて。僕も含めていいのかわかんないけど、あのころ特定の人たちが共有できるような何かがあの音楽にはあったんだと思いますね。坂本さんもあの2人と合流するのも、そもそも細野さんと幸宏さんが一緒にバンドやるのも結構久しぶりで。 ※『高橋幸宏: 音楽粋人の全貌』(2024年、河出書房新社)のインタビューのこと Sketch Show『tronika』(2003年)に
近年のCorneliusのアンビエント的楽曲を収めた作品集『Ethereal Essence』。そのリリースのアナウンスに触れた際、意外な驚きがあった。 アンビエントポップを意識したアルバム『夢中夢 -Dream In Dream』(2023年)や、『AMBIENT KYOTO 2023』への参加、あるいは近年のアンビエントリバイバルの背景を考えれば自然な成り行きとも思えるけれど、Corneliusはアンビエントに対して慎重な距離感を保っていたようにも感じていた。 本稿では、Cornelius=小山田圭吾がどのようにアンビエントミュージックに親しみ、その音楽性に取り込んできたかについて話を訊いている。そしてそれは同時に、ミニマルミュージックを通過した独自のサウンドデザインの美学を紐解くことにもつながっている。インタビューは旧知の間柄で、『STUDIO VOICE』の元編集長・松村正人を聞き
キッチンの一角に佇む折坂悠太の姿をとらえたアルバムジャケット。暮らしのワンシーンを切り取ったその写真からも伝わるように、コロナ禍のヒリヒリとした空気をまとった前作『心理』(2021年)から一転、ひさびさの新作『呪文』には穏やかで心地のいい風が吹いている。 昨年末に先行リリースされた“人人”(BS-TBSドラマ『天狗の台所』主題歌)で示されていたように、収録曲の半数には静かな歌の風景がゆったりと広がっている。その一方で、“凪”や“努努”にはsenoo ricky(Dr)、宮田あずみ(Cb)、山内弘太(Gt)を中心とする骨太なバンドのグルーヴが渦巻く。ラストを飾るのは希望に満ち溢れた“ハチス”。いずれの楽曲からも現在の折坂の好調ぶりが伝わってくる。 多様な歌の数々をまとめているのは、『呪文』という意味深なタイトルだ。2023年に音楽活動10周年を迎え、新たな10年へと歩み出した折坂が綴る生活の
『アバウト・シュミット』『サイドウェイ』『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』のアレクサンダー・ペイン監督による最新作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』が、6月21日(金)より公開となる。 美術や衣装から撮影手法、音楽まで、徹底して「1970年代らしさ」を演出した本作。しかし、そこには単なるヴィテージ風のシミュレーションにとどまらない、歴史や過去を通じて現在を考えることへの「信念」が見て取れると、評論家の柴崎祐二は指摘する。 ある作中人物が好きだったアーティストとして、1930〜1940年代に活躍したクラリネット奏者アーティ・ショウの名前が挙げられる、その意味とは。連載「その選曲が、映画をつくる」第15回。 ※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。 1970年代の寄宿学校を舞台にしたヒューマンドラマ 細部へのこだわりと、品の良いリアリズム。ドラ
音楽家・北村蕗の頭の中にはどんなイマジナリーが広がっているのだろうか。2023年に『FUJI ROCK FESTIVAL』「ROOKIE A G-GO」に出演、2024年も「GYPSY AVALON」への出演決定が話題を呼んでいる現在21歳の北村は、これまで童謡、クラシック、ジャズ、フューチャーソウルといった幅広い音楽を吸収し、それをピアノ弾き語りや同期を用いたエレクトロニックセットなど、多彩な表現方法でアウトプット。新作EP『500mm』ではダンスミュージックをコンセプトに掲げ、トラックメイカーとしても非凡な才能を見せつつ、さらにはそこにシンガーソングライターとしての個性も加わって、実にオリジナルな作品に着地している。歌も楽器演奏もトラックメイクも並列に行い、アートワークも自ら手掛けるマルチぶりは非常に現代的だが、やはりそのすべての源泉になっているのはイメージの海。現在も好奇心に突き動か
2020年5月。社会に閉塞感が立ち込め、人とのつながりや拠りどころが絶たれていったコロナ禍に亡くなった、1人の女性がいた。 プロデューサーが目にした1つの新聞記事をきっかけに、監督を務めた入江悠がその思いに共鳴したことからつくられた映画『あんのこと』は、実在したある女性の人生に基づいている。 個人では抱えきれない問題に「自己責任」を求める風潮や、弱い立場に置かれた人ほど不十分なシステムの影響を受けやすいこと、苦境にあえぐ人々がいるなかで勇ましく空虚な「希望」が掲げられること――。『あんのこと』は、そのような現在の社会のいびつさや、人が抱え持つ複雑さを、コロナ禍を背景に、香川杏(河合優実)という女性の人生に寄り添いながら描いている。 今回、監督の入江悠と、ライターの高橋ユキの対談を実施。薬物更生者のための自助グループをつくり、杏を支援しながらも、自助グループの参加者に性加害を行っていた、多々
「ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)はどんなアーティストなのか」という問いを投げられたとしたら、僕はうまく答えられる気がしない。言うまでもなくノラは“Don’t Know Why”の人ではあるのだが、それは最初期だけの話。その後、発表された作品群を聴いてみると、似たようなものがほとんどない。それぞれがその音楽性だけでなく、サウンドの質感なども含めて、いちいち異なっている。そのうえ、そこに傾向があるようにも思えない。プロデューサーやコラボレーターだって様々な人が起用されていて、その共演者に合わせて、大胆に変化もしている。それはノラのソロ作にも言えるし、The Little WilliesやPuss N Bootsなどのプロジェクトでも同様だ。おそらくノラは常に「そのときの自分」を表現してきた。それはまるでその時期のスナップショットのようなものにも思える。 しかも、そのときどきのノラの
文化関係者にとっても試練の季節となったコロナ禍を経た現在。他方、それ以前から山積みとなっていた高齢化や福祉の不足、地域コミュニティの衰退などの社会的課題は、さらにその切実さ、複雑さを深めている。こうした時代に求められる、文化の姿とは何か? 今回はそんな問いを、地域のなかでしなやかに活動する2人のプレイヤーが話し合った。 1人目は、日本各地で盆踊りを現代的にアレンジした祝祭の場をオーガナイズし、2023年には地元の東京・墨田でイベント『すみゆめ踊行列』も成功に導いたスタディストの岸野雄一。そしてもう1人は、長崎県長崎市で「長崎市北公民館」「長崎市チトセピアホール」「長崎市市民活動センター ランタナ」という3つの公共施設の指定管理者を務め、行政的には異分野とされるこれらの施設の連携を模索してきた出口亮太。2人は過去にも、公共施設の新しい使い方や、公共空間と文化の関係について対談を重ねてきた旧知
奇跡だ、と何度もうれしそうに、ミュージシャンの石橋英子は口にした。自身のライブパフォーマンスと共に上映する映像を、映画監督・濱口竜介にオファー。『GIFT』として企画が立ち上がっていくなかで、映画『悪は存在しない』も成立──その「奇跡」的なプロセスには、カルチャーを形作る私たちへの問いかけも潜んでいるように見える。『GIFT』と『悪は存在しない』に登場する、樹々の奥に潜む野生の鹿のごとく。 声や音もつき、石橋が音楽を手がけた映画『悪は存在しない』は「第80回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞」を受賞し、待望の全国公開を4月26日に控えている。『GIFT』もまた国内外で上演され、サイレント映画と拮抗する石橋の圧巻の演奏が、オーディエンスを未体験のゾーンへと導いて反響を呼んでいる。次々と変容していく、そのプロセスの最中に、石橋に話を聞いた。 失われた風景への思いがきっかけ。濱口竜介監督との「旅」を決
© Universal Pictures. All Rights Reserved. © Universal Pictures. All Rights Reserved. 観客が観たのは、死滅した「もうひとつの現実」 「連鎖反応(チェインリアクション)」は『オッペンハイマー』においても中盤に象徴的に登場するキーワードであり、彼はプルトニウムの核分裂を利用した核爆弾実用化のための「トリニティ実験」を前に、無限に連鎖する核分裂反応が世界そのものを燃やし尽くす可能性を危惧し、その恐怖についてアインシュタインと語り合う。 このシーンは映画のラストで視点を変えてリフレインされ、憑かれたような表情で語られるオッペンハイマーの最後の台詞(「(我々は)それをしたんだ」)に直接つながっている。 『TENET テネット』で示唆されていたビジョンを踏まえたとき、ノーランが前半のクライマックスとして「トリニティ実
「これはカントリーのアルバムではない、ビヨンセのアルバムだ」(ビヨンセInstagramより) 過去10年間自らの作品を通じて黒人音楽の伝統を追跡し、その位置を確立してきたビヨンセ。3部作となるシリーズの1作目『RENAISSANCE』では、ハウスやダンスサウンドに傾倒し、ダンスホール、ブラックネスとクィアへの賛辞を描いた。 続編となる今作『COWBOY CARTER』は、カントリーミュージックを出発点として、その周辺のナッシュビルサウンド、クラシックロック、現代のラップ、そしてR&Bまでもを探求しながら、文化的な「アメリカらしさ」を問いかける作品となった。なぜビヨンセは今、カントリーを選んだのだろう。そして、「ビヨンセのアルバムだ」という言葉の意味とは? カントリーミュージックとは そもそもカントリーミュージックとは、1920年代、北米の南北に聳えるアパラチア山脈の南方にて生活していたイ
© Universal Pictures. All Rights Reserved. © Universal Pictures. All Rights Reserved. 近年、映画『オッペンハイマー』以上に賛否両論の度を越して醜聞と賛辞が噴出した作品はなかっただろう。 本作はクリストファー・ノーラン監督に、自身初『アカデミー賞』作品賞受賞の栄誉をもたらした。しかし一方で、現代の価値観に則って言い逃れし難い批判も存在しているのもまた事実だ。その一部はここでも紹介しているが、本作は政治的には必ずしも正しい作品ではないかもしれない。しかしその先で、映画監督としてクリストファー・ノーランが世界に対して描き出そうとしたものがたしかにあった。それは一体何だったのだろうか。ライター/マンガ研究家の小田切博が論じる。 ※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。 あらすじ
3月29日(金)より全国公開される映画『オッペンハイマー』(原題:Oppenheimer)を一足先に鑑賞した各界の著名人ら22名によるコメントが公開された。 同作は、第二次世界大戦下、原子爆弾を開発したアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの栄光と没落の生涯を実話にもとづき描いた物語。クリストファー・ノーランが監督、キリアン・マーフィーが主演を務め、日本時間3月11日(月)に発表された『第96回アカデミー賞』では最多となる7部門を受賞した。 コメントは日本版予告のナレーションを担当した俳優・渡辺謙のほか、白石和彌、樋口真嗣、原田眞人、森達也といった多くの映画監督が寄稿。『ゴジラ-1.0』で監督を務めた山崎貴はコメントに加え、クリストファー・ノーランとのアカデミー賞受賞監督同士による対談映像も公開されている。 このほかにも計算機科学者の落合陽一、物理学者の橋本幸士、『この世界の片隅に』
柴田聡子が、7枚目となるアルバム『Your Favorite Things』をリリースした。前作『ぼちぼち銀河』から表面化してきたダンスミュージック〜R&B的な志向が、ライブでも演奏をともにする岡田拓郎との共同プロデュースによってより一層鮮やかに開花し、柴田のキャリアにおける新たな転換点というべき作品となった。その一方で、繊細なサウンドメイクにもさらに磨きがかかり、一個のアルバム作品としての完成度もかつてないレベルに達している。 また、彼女の歌唱にもこれまでにない細やかなニュアンスが宿っている上、そこに乗せられる言葉の機微も一段と切れ味を増し、一人のシンガーソングライターとして新たな「ゾーン」に突入したことを告げている。 そんな柴田の才能をかねてより高く評価し、シャムキャッツとして活動していた時代から度々共演を重ねてきたのが、夏目知幸だ。彼もまた、ソロプロジェクトSummer Eyeのデビ
毎週月曜~木曜夜10時45分から放送中のテレビドラマ『作りたい女と食べたい女』(NHK)。2022年11月~12月にかけてシーズン1が放送され、2024年1月からはシーズン2が放送されている。原作のゆざきさかおみによるマンガ『作りたい女と食べたい女』(KADOKAWA)、通称「つくたべ」は、『このマンガがすごい!2022』オンナ編で第2位に選ばれ、シリーズ累計発行部数は80万部を突破する人気作。ドラマ化が決定した当時から話題となった。 その人気の理由は、主人公の「作りたい女」こと野本ユキと「食べたい女」こと春日十々子の微笑ましい日常と美味しそうなごはんの数々もさることながら、女性が生きていく中でのモヤモヤを丁寧に掬い上げている点も大きいだろう。野本さんと春日さんの関係だけでなく、仕事先の人や親戚との関係など様々な人間関係の難しさに一つひとつ向き合っていく姿勢に勇気をもらい、励まされる読者も
等身大な日本を扱い、きわどい題材にも踏み込む『龍が如く』シリーズ 『龍が如く8』をプレイして「ひさしぶりに日本製RPGらしいRPGをたっぷり遊んだ」と嬉しくなった。クリアまでの時間は90時間超。仕事と生活に追われる社会人としては危険なボリュームだが、その蕩尽も惜しくない。小学生のとき、ジョブ(ナイトや白魔道士などの職業)やアビリティ(職業固有の能力)を習得するために夢中になって遊んだ『ファイナルファンタジーⅤ』を思い出す。 2005年から続く長寿シリーズである『龍が如く』は、しかし『FF』や『ドラクエ』とはまったく違う世界観のゲームだ。主な舞台になるのは歌舞伎町そっくりの繁華街・神室町や、横浜伊勢崎町そっくりの異人町など。メインの主人公は「堂島の龍」と呼ばれる元極道・桐生一馬で、彼がかつて属した広域指定暴力団・東城会を中心に、全国のヤクザや中国系・韓国系マフィアらとの血で血を洗う抗争がシリ
1956年創業の老舗ジャズ喫茶「ダウンビート」が、いま注目を集めている。レトロ趣味による再評価ではなく、現在進行形の場として熱気を帯びているのだという。 音楽評論家・柳樂光隆がその魅力に迫る。連載「グッド・ミュージックに出会う場所」第6回。 ジャズの街・横浜で約70年営業を続ける老舗 ここ数年、友人から「ダウンビート」を勧められることが何度もあった。ダウンビートは横浜にある老舗のジャズ喫茶で、僕は随分前に行ったことがあった。でも、そのころとはずいぶん様子が変わっているようだった。今のダウンビートは特別なんだ、と友人たちが口をそろえて語っていた。そこまで言うんだったらと横浜まで足を運んだ。 横浜はジャズの街とも言われていて、昔からいくつものジャズ喫茶やジャズバー、ジャズクラブがある場所だった。戦後、1940年代半ばから1950年代の横浜には、市内や横須賀のアメリカ軍施設で働く軍人が暮らしてい
リアルタイムで買い足され続けてきたコレクション なぜ、こんな老舗が今、注目されているのか。その答えは今、オーナーとして店を運営している吉久修平さんの存在にあった。今年で創業から68年目のダウンビートは、1990年代までは初代のオーナーの安保隼人さんが経営していた。安保さんが亡くなった際、存続のために長年の常連客だった田中公平さんが引き継いだ。その後、2代目の田中さんが店を手放すことにした際、今のオーナーの吉久さんが手を挙げた。30代で若きオーナーになった3代目の吉久さんもまた、学生時代からダウンビートに通っていた常連客だった。つまり、ダウンビートはその雰囲気や選曲の傾向などを知り尽くしている常連によって守り続けられているジャズ喫茶なのだ。 3代目オーナーの吉久修平さん。 3人のオーナーにより長い歴史を持つ店の雰囲気が守られてきたことは、行けばすぐにわかるだろう。それはタイムスリップしたよう
曽我部恵一主宰のROSE RECORDSが設立から20年目を迎えた。ソロとサニーデイ・サービスのリリースを軸としつつ、ランタンパレードや奇妙礼太郎所属のアニメーションズ、MOROHAなど良質なアーティストを世に送り出し、あくまでDIY精神を貫くその姿勢は、インディペンデントレーベルの鑑と言える。またカフェバー兼レコードショップの「CITY COUNTRY CITY」、コロナ禍以降は「カレーの店・八月」を運営するなど、下北沢に軸足を置き、街とともに歩んできたことも特筆すべきだ。 この20年で、音楽を取り巻く環境は大きく様変わりした。2005年にiTunes Music Storeが日本でもスタートし、その後にYouTubeやTwitter、スマートフォンが登場。インターネット黎明期からSNSの時代へと突入し、音楽の器はCDからストリーミングへと移行した。そんなドラスティックな変化を駆け抜けた
© 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved. © 2022 SAVING THE WORLD LLC. All Rights Reserved. 音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、映画の中のポップミュージックを読み解く連載「その選曲が、映画をつくる」。第10回は、ジェシー・アイゼンバーグ初監督作『僕らの世界が交わるまで』を取り上げる。 動画配信による小遣い稼ぎに余念がない高校生の息子と、「意識の高い」母親のすれ違いを描いた本作では、息子が劇中で歌う自作曲の存在が大きな役割を担っている。自身も映画劇中歌の制作ディレクションを担当した経験があるという柴崎に、本作の音楽を論じてもらった。 ※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。 対照的な母と息子が、コミカルに奔走する 『ソーシャルネットワーク』や『
「光」を歌い、「環世界」をつなぐ音楽 本作に流れる音楽を再び聴いてみよう。すると、一つ気づくことがある。それは、夕暮れやうっすらと差し込む朝日、気だるい午後の太陽、夜明けの光など、日の光について歌った曲が複数使われているということだ。映画の幕開けにかかるThe Animals “House of the Rising Sun”をはじめ、オーティス・レディング “(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”、The Kinks “Sunny Afternoon”、ニーナ・シモン “Feeling Good”といった曲たちが、それぞれの仕方で日の光の機微を歌っていることと、映画本編において木漏れ日や朝日、夕日のモチーフが再三にわたって映し出されるのは、単なる偶然ではないだろう。日の光が風に揺れる木立に差す、そのときだけに現れる彩。あるいはまた、日の光が作る影の重なり合いと
『文學界』での連載を書籍化した、柴田聡子初となるエッセイ集『きれぎれのダイアリー 2017〜2023』(文藝春秋)。シャネルの9色のアイシャドウから自立心に思いを馳せたことや、独立洗面台のある理想の家について。ひさしぶりの飲酒をきっかけに考えた才能というもののありよう、ビキニで海岸に行った日のこと、手持ちの服をすべて捨てて生まれ変わりを夢見ること、なぜか引っ越しの手伝いに呼ばれないこと。およそ7年にわたる日々の中での、さまざまな発見や世界への手触りが、軽やかに綴られている。 音楽家であるとともに、詩人であり、近年は小説や絵本の文章の執筆も行なうなど、文筆家としての印象も強い柴田だが、エッセイの執筆には、音楽をつくることとは違う難しさがあったと話す。日頃から日記をつけることを習慣にしているという柴田が、どのような姿勢でこのエッセイに取り組んだのかを聞いた。 「面白くないと意味がない」と、さく
ヴィム・ヴェンダース監督の最新作『PERFECT DAYS』が12月22日(金)より公開となる。東京を舞台に、清掃員の男性の日常を描いた本作は、主演の役所広司が『カンヌ国際映画祭』で最優秀男優賞を受賞するなど、すでに高い評価を集めている。 ヴェンダース作品における音楽の使われ方に、以前から並々ならぬ思いを持っていたという音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、本作の魅力を解説する。連載「その選曲が、映画をつくる」、第9回。 ※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。 ヴィム・ヴェンダース作品における音楽 ある時期まで、私にとってヴィム・ヴェンダースの映画を観るという行為は、「ヴィム・ヴェンダースが選び、采配した珠玉の音楽を聴く」という体験を併せ持つものとして、大きな意味を持っていた。その初期作品、たとえば『ゴールキーパーの不安』『都会のアリス』『アメリカ
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