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nittagoro.hatenablog.com
mixiでまとめた方がいらっしゃったので、転載します。 (以下、転載) 【重要】都条例「非実在青少年」の規制について 2010年03月07日14:38 すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、2月24日に、東京都青少年健全育成条例の改正案が出され、その中に、「非実在青少年」(つまり実写でなく、マンガ・アニメ・ゲームに出てくる青少年)への規制が盛り込まれています。 これは、 「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」と規定されており、つまり設定が18才以上になっていても、「18歳以下に見えれば」ダメ、ということです。 つまり、国の方で何度も改正(改悪)が話題に上りながらも、反対が多く先に進まないでいる「児童ポルノ法」における、「単純所持規制」(=とくに売買する意思を持っていなくとも、「児童
すっかり観なくなっていたから打ち切りもしょうがないなと思っていたんですが、「最近BODYが出てるよ!!」と聞いたので観てみる。 結論。「卒業パーティー」という設定のネタ大会になっていて、ものすごく面白かった。 出演者にさあ、「次につなげよう」っていう意志がなんとなく見えたし。 ペナルティが新しいネタ持ってきてたり、テツandトモもテレビで初めて観るネタだったし。 あと、東京ダイナマイトはすごいね。ハートが強いっていうかさあ……。タカトシの「欧米か!」は、確かに鉄板だし、オーソドックスであるがゆえに後世への影響もすごいんだろうけど、 東京ダイナマイトは東京ダイナマイトで、一生食えるパターンをもう持ってるよね(あのフィットネスの機械のことじゃなくて)。 BODYはHGにちょっと食われてたが、まあしょうがない。これからもしれっとした顔でああいうことをやればいい。 小島よしおをきちんと初めて観る。
とうとう限界を感じてきました。 ワンパターンに陥っている。 たとえば、 ワンパターンに陥っている、 マリリン・モンローはノー・リターン、 チョリソー仮面は仮面チョリソー、 おまえのかあちゃんポメラニアン、 みたいにダラダラ続けるというやつね。 これやってるといくらでも書けるけど、 最近パターンを読まれている気がする……。 うんっ!? うっ ううう ううううう…… ぐえっ ごびゃっ どへっ ぎゃっ ぎゃおおおおお ぎゃおおおおおおお…… あー、なんかお腹痛かった、一瞬。 (↑こうやって、「急にお腹が痛くなる」というのは、ワンパターンを脱却するために今私が考えた新機軸。) しかし、これがどこまで通用するか……。 こち亀を何巻まで持っているか……。 あなたは友人・恋人に待たされたら何時間まで待てますか? 1時間待てる人:趣味、セックス 2時間待てる人:仕事、セックス 3時間待てる人;仕事と趣味、
07年にほとんど封印されている「オバケのQ太郎」「新オバケのQ太郎」を求めて(小心者の杖日記) 「熱血!!コロコロ伝説」というマンガ本で限定的復刻をしたことはみなさんご存じだと思います。 自分にとって「オバQ」は、もう人生の原点的存在なので、事情はどうあれ喜ばしいことです。 熱血!! コロコロ伝説 vol.1 1977-1978 (ワンダーライフスペシャル コロコロ30周年シリーズ) 出版社/メーカー: 小学館発売日: 2007/05/25メディア: ムック クリック: 12回この商品を含むブログ (65件) を見る 「ドラえもん」も確かにものすごく面白い作品なんですが、のび太が競争社会(のヒナ型の子供社会)のシビアさにさらされているというところが、「オバQ」とは決定的に違うと思うんですよね。 のび太のマヌケさというのはそのままオバQのそれに対応すると思うんですが、オバQにおいて「マヌケさ
・その1 やっぱり自分には、「当人にとってどうなのか」っていう視点でのアイドル論って、書けないんですよね。 辻〜藤本の件は、それを再認識したことどもではありました。 「藤本にそれほどリーダーとしてやっていく気があったのか」とか、「藤本は渡りに船とやめてったんじゃないか」とかの予想もネット上で読んだけど、 そんなこと、藤本本人でなければわかりませんもん。 ただ、私が藤本に非常に近しくなおかつ意見の言える人間で、彼女が庄司との関係発覚以前に「脱退したいんだけど……」と言っていたとしたら(あまりにありえない仮定だがそれはそれとして)、 「ぜったいやめない方がいい。モーニング娘。はハロプロにとっての支柱だから、それはあなたにとっても支柱ってことで、あなたは自分で自分の支柱を支えているってことだから」 というふうに言うだろうね。 もっとぶっちゃけて言うと、藤本美貴が、ソロとかGAMだけで人気を維持で
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070509/T 最初はどうでもよかったんですが、数日経って気になって「検索ちゃん」の品川発言を観ましたよ。 まあ、品川ならこういうだろうな、っていう想像どおり。 土田も想像どおり。 太田も想像どおりでした(笑)。 でもどうなの? この切り取った部分だけだと、太田は「かみさんにだけは否定してほしくない」というのがあるということであって、批評されたり批判されたりすることは否定していないのでは?(違うのかな。よくわかんない) リンクされた岡田さんの日記(2003年3月10日)、「アニメ評論はアニメの発展のためにあるのではなく、それそのものが作品である(大意)」というのは、 文芸評論では当たり前のことなんだけれども、サブ・カルチャーの分野ではなかなか勇気がないと言えないことではある。 というのは、サブ・カルチャーにおける「評論」とい
「モー娘。」ファンの必見記事(「はなさんのポリログ」) activeエレンさん経由で知った記事。 この「『モー娘。』ファンの必見記事」というエントリ、いったい何が言いたいのかよくわからなかったのだが、 その後の同じ「はなさんのポリログ」での記事、ネット社会を再び考えるでは、いつの間にか「モーニング娘。」そのものに関してよりもそれによる「炎上」の方に比重が置かれていた。 このことから考えるに、「はなさんのポリログ」は別に何かことさら娘。について言いたいことがないのだな、と判断した。 そもそも、日本語の表記上間違っていることを歌詞やコピーの上でやることは、「モーニング娘。」に始まったことではないから、それで論立てして何か言おうってのは安易と言わざるを得ない。そんな安易なこと書いたら「炎上」のタネつくってるようなもんですよ。 次に、「モーニング娘。の歌と踊りはヘタか」という問題だが、これは案外む
ここ数年、「萌え」という概念絶賛も、あるいは全否定も両方オタク方面から聞こえてくるんですが、 今期、珍しく思い立ってアニメの新番組をいちおう設定だけでもぜんぶチェックしてみたんですよ。 そうしたら、「男の子が主人公」の作品は確実に増えてますよね。印象だけど。 設定も、SF、ファンタジー仕立てのものが多い気がしてて、これは揺り戻しなんじゃないかなと思ってます。 もう、ここ5年くらい「女の子が主人公の萌えアニメ」が多くて多くて、アニメを毎週観る習慣が自分はなくなってしまったんですが、 今期は少なくとも企画としては理解できるものが少なくない。 「あずまんが大王」とか「まりみて」とか以降、「女の子がたくさん集まってワイワイやって、その中には男の子の存在すら必要ない」ってのがものすごく増えたけど、さすがに揺り戻しが来るんじゃないかとは思ってますね。あくまで予想にすぎませんが。 911からもさすがに数
http://www.helloproject.com/newslist/kago_0703261829.html ・第1部 「事務所の管理が甘かった」という意見もあるけど、そんなの内情がわからない以上、知りようがない。 「加護がファンを裏切った」という意見もあるが、それだってあらゆるアイドルが裏で何をやっているかわからない以上、加護ちゃんだけを断罪するわけにはいかないだろう。 自分がこの件について心配なのは、 「あー、やっぱり『アイドル』っていうイメージはダメなんだね、世の中に『いらない』ものなんだね」と世間が思うということだ。 どういうことかというと、 大塚英志だったかササキバラ・ゴウだったか忘れたが、かつてのアイドル・岡田有希子の自殺について、 「生身の女の子に『アイドル』というイメージを押しつけすぎたからではないか」と、「アイドルというイメージを押しつける人たち」を批判していた記憶
「野性爆弾」のロッシーが、「生きている」、「家族だ」と言い張っているふくろうのぬいぐるみ「ホウホウ」を強烈にアピール、 またロッシーの考えたゲームやクイズなどを次々と披露する、ロッシーメインの約40分間。 すごいな!! この番組はもう伝説の領域だろ!! 正式名称忘れたが、「くまたたっきーん」だっけ? あれすごい。成人男性の思いつく発想じゃないな。真の意味で少年の心を持ってないと思いつかないだろう、あれは。 追記: 正式名称は「くまタタキーン」、それを紳士っぽくやるのが「紳士でもハジけて見たいねん!NAW」だとわかりました。ネットってすばらしい。 それにしても「紳士でもハジけて見たいねん!NAW」はすごすぎた。もちろん芸能界の内情など知るよしもないが、吉本は巨大であるだけに内外から嫌われている部分もあるだろう。しかし、HG、増谷キートン、椿鬼奴、ムーディ勝山、そしてテレビ番組「やりすぎコージ
「男と女の友情はあるか」といった、大学の夏合宿の夜にビール飲みながら話すようなことではありません。 「男と男」、あるいは「女と女」の話である。 自分は、やおいとかボーイズラブに恩も怨みもない人間である(っつうか、恩や怨みのある人間の方が少ないとは思うが……)。 ここはいくら強調しても強調したりない。 だがほんの一点、砂粒くらいの違和感がある。 それは、それらが、「友情」というものを解体して、ドロドロに溶かして別のものに変形させているという印象があるからではないかと思った。 もしも、やおい的視点がすべての「友情」っぽい行動を「やおい」と観るのなら、それは「友情」を否定するのではないにしても、少なくとも「友情を友情ではない、別のものとしてみる」ということではあるだろう。 それに、実はずっとひっかかりがあった。もちろん繰り返すがひっかかりがあるからやめろとか、そういう話ではない。 「友情」そのも
私は、広義のサブカルチャー論は一種の大衆論だと捉えている。たとえば「オタク論」は、オタクを零落した知識人ととらえるか、底上げされた大衆ととらえるかでも観点が変わってくる。あるいは広義のサブカルチャー論には「受け手のあり方」も関わってくるため、やはり「受け手=大衆」は問題になってくる。 自分は生業以外にはそんなことばかり考えている。そんなことばかり考えていると、だんだん頭がおかしくなってくる。 たとえば「オトナ帝国の逆襲」や「Mr,インクレディブル」は、落としどころが「家族の大切さ」である。この二作を観る人たちはたいてい感動する。しかし、そういう人たち(私も含む)が独身で子なしだったりしてもいいのだろうか? もちろん、「自分が子供の頃の記憶」を検索して感動するというのはアリだと思うが、「家族の大切さ」に感動する自分に家族がいない、というのは、それは何というかこう、正しいことなのかね? そうい
仕事帰りに中華料理屋に入ったら店の中のテレビで、たぶん「太田総理」だと思うけど、お受験とか学校教育についての議論をやってた。 わー、そうとわかってればこの店入らなかったのに。メシの不味さが10倍に膨れ上がるよ。 いや太田の立場は面白いと思ってるんですよ。太田、世間的には「なにヒダリっぽいこと言ってんだ」で済まされてるかもしれないけど、たぶん太田は現時点での「正論」は、ゆるぎなく保守的で反動的な言説だと知っていて、あえて逆の立場を言っていると思う。 まあ保守とか反動とかの基準もむずかしいというか最近は一概には言えないんだが、 たとえば「ゴーマニズム宣言」が、ずいぶん前の話になるがなんだかんだいって西部すすむにすり寄っていったことや、ある程度信用に足る知識人のほとんどが山本夏彦大好きっコであることを考えると、太田的立場というのは極端に弱体化していて、その逆の立場の方が強い説得力を持っているので
下のエントリでは「鳥坂センパイ」なるものを多少擁護した文章になったと思うんだけど、実体験を書いてみます。 人間、理論と実践では矛盾するという意味で。 下の文章では、私は「鳥坂センパイみたいな人も許してやりなよ」的なニュアンスで書きました。 でも現実はどうだったかというと、 私、学生時代一時期マン研にいたんだけど、 GWに合宿に行ったんですよ。 それで、ビックリしたのはOBが4、5人来てたっていうこと。 実は私、それに対してすっごいムカついてまして、 知らねーんだよ、そんなやつら!! 顔も名前も知らない。だってお互いの自己紹介の場があるわけじゃないし。 なんかさあ、カッコつけてクルマ(マイカー)で、遅れて来るじゃんこいつら。 それで夜中は飲み会でもOBだけで盛り上がって、朝飯もいちばん遅くて来て食うのさ。 なんだおまえら。描いたマンガ見せろよ!! 笑ったのは、当時のCMでくわっこいいキャリア
・あらすじ 玉ねぎ夫は52歳、独身、子なし、負け犬。土手で勝手にうさぎを育てていたところを逮捕され、暗闇指令(長門裕之)によって、札付きの問題児のいる学園に教師として赴任することを命じられる。 ・登場人物 ・玉ねぎ夫 つむじがふたつあるため、頭の上の部分の髪の毛がとんがってしまうので「玉ねぎ」というあだ名が付いた、実在の人物をモデルにした男。教師になる前は、公園で寝ていた。 31人の女子生徒たち 1 ブタ山豚美 養豚部所属。体重200キロ、趣味は大相撲観戦。「太っている」と言われるとレイトショーの待合室で口ゲンカする。 2 綾小路きみ香 ポエム部所属。家は戦後の混乱期に盗んだ金で富を築いた大金持ち。かじったパンをすぐ捨てることで有名。「にんげんだもの」のパクリ風のものを収集するのが趣味。 3 ナンシー・バッケンビッチ 謎のオーストラリア人。バスト100センチ。英会話部所属。日本語字幕のない
http://d.hatena.ne.jp/REDDEVILS/20061121/p2 ひと言つけ加えさせていただくなら、とんねるずが人気絶頂となる80年代後半は、よくも悪くもマスコミ業に対する憧れをマスコミが煽るだけ煽った時期でもあります。 まあ、その前には青島幸男とかもいたけど、放送作家がクローズアップされた時期でもあり、コピーライターがたいへんにもてはやされた時期でもある。あとスタイリストとか。 それらは「裏方」とされていて、それまでは表面に出てこない人たちだった。 そういうものも含めての「ギョーカイ」であり、やや突き放した言い方をするとそれに積極的に「価値付け」を行ったと言えます。 その辺は、秋元康の戦略でもあったんでしょう。 そして、とんねるずのギャグが嫌われる場合、それは「楽屋オチかどうか」ではなくて「ギョーカイ」というものに価値を置いたギャグだから、ということは言えますね。
http://d.hatena.ne.jp/hurricanemixer/20061122/1164145491 もう出かけないといけないのに、読んでしまったので私も思うところを書きまーす。 数年前やっていた「働くおっさん人形」は、好きでわりと観てました。 働くおっさん人形 [DVD] 出版社/メーカー: よしもとミュージックエンタテインメント発売日: 2003/08/06メディア: DVD購入: 2人 クリック: 124回この商品を含むブログ (43件) を見る 何が好きだったかっていうのはちょっと言語化できないんだけれども……早朝にやっていた「だれが観ているんだろう」みたいな形式の番組だったから、番組全体の謎具合(このおっさんたちは何者なのか? など)が、いい塩梅に自分を笑わせてくれていたのだと思う。 ところが、「働くおっさん劇場」は、自分にはかなり辛い。 かなりはっきりカミングアウト
それともうひとつは、世代的なものがあるのだ。 下のテキストの続き(下から読んでね)。 なんかものわかりの良さそうな親や教師が言いそうな「個性を大事に」とか「個性を豊かに」という文脈における「個性」が容認されたのはいつか、というと、 私の乏しい知識では60年代後半からということになる。 広義のヒッピー文化というか60年代文化と結びついていたと思う。 80年代に入ってからもあいかわらず「個性尊重」という概念は強固に生きていたけど、 それと同時にその反動も出てくる。 「個性というのはだれにでもあるもんではない」とか、「社会的に使える個性というのは少ない」とか言ったふうに言われていて、 山本夏彦大好きっコとかはこの論調を支持するし、 今は右とか左とか単純に分けられないけど、でも「個性尊重」というお気楽スローガンに対するカウンターとしては右にも左にもある程度定着した感はある。 で、60年代後半から9
ここの続き。 「企業中心社会」について。 企業が巨大化するにしたがって、それ自体が一個の生物のようになり、自身の保持のために人間を疎外していく、という考え方に、私は基本的には賛成だけれども、じゃあまるで前近代的な奴隷のように企業戦士が不幸だったか、というと、そこは疑問があります。 むしろ、仕事上の快楽があまりにも伝えられてこなかったというか、日本人って「仕事の楽しみ」を人に伝える能力が基本的にぜんぜん無い、あるいはあったけどどこかで失われてしまったんですよ。 それを一気に盛り返したのが「プロジェクトX」だったわけでしょう。 まあ、「男は仕事のことをペラペラしゃべるもんじゃない」という日本人の気質みたいなものがあるのかもしれないし、 もっと意地悪い言い方をすると、日本人って基本的に自分にとって「いいこと」はあまり言わないんだよね。 「貧農史観を見直す」という本は、「かつての日本の農村は、白土
http://d.hatena.ne.jp/nizukakotaro/20060823 「オタクが死んで非モテが残った。」というエントリをフォローするとすれば、簡単に言って、 「モテなくて誇りすらもない、だから絶望」ってコトでしょ。 だから、それはいくら何でも悲観しすぎなのでは……と思ったんですよ。 それと、オタクを三つの世代に分けることに関しての批判ですが、 勝手にカテゴライズされて面白くない、っていう気持ちはわかるけど、 そもそも、「オタクの第一世代はその前の世代とどう違うのか?」、「オタク0世代って何か?」 っていうのを考えて、批判の根拠にした方がよい。 「第一世代」というくくり自体が幻想かもしれないワケだから。 (私はそうは思ってませんが。) それと、「モテないからオタク趣味に走る人間がいるかいないか」ですが、 私の周囲には死ぬほどたくさんいましたよ(笑)。 だけど、それは若い衆に
(本編) サブタイトル「あれ、神が、神が見えた!!」 もぐたん「今日は、『グベゲオグアトリンチョ』のお話だよ!」 実写部分。 おねえさんが、テレビが付いていない状態で一心不乱にファミコンをしている。 おねえさん「おかしいわね、なかなかクリアできないわ〜」 もぐたん「お姉さん、どうしたの?」 おねえさん「あっ、もぐたん。ファミコンがクリヤできないのよ〜」 もぐたん「そういうときは、腕に思いっきり包丁を刺すといいんだよ!」 おねえさん(無視して)「それじゃあ、蒸気機関車のはじめてを見に」 もぐたん「(呪文)」 アニメ部分。 おねえさん「あれえ、もぐたん、ここはどこー?」 もぐたん「ここは50億年前の宇宙だよ?」 おねえさん「じゃあ、何もないわね」 もぐたん「あら、こんなところに牛肉が! 牛肉ー」 牛肉「やあ、みんな」 おねえさん「こんなところでなにしてるの?」 牛肉「チンチロリンさ。しかもサイ
下の追記。 ひどい文章ですいません。読みとりようによっては、私が「70年代後半から80年代初頭こそ特別」って思っていると読めるかもしれないけど、 世代的な特権性を振りかざすつもりは毛頭無くて、 当然ですが70年代の前には60年代があって、その前には50年代がある。 その「流れ」を知りたいと思っているだけです。 http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060816/p2 20年くらい前、確か眠田先生の4コママンガだったと思うけど、学生服を着て馬みたいな動物が、人間の女の子にチヤホヤされてる同じ学生服を着た馬みたいなやつを見て「同じろばなのに何であいつばっかり……」みたいなことを言うと、そのチヤホヤされてる馬みたいなやつ(ろば)が、 「まだわからないのかい。きみは『らば』なんだよ」 って言われて「そうだったのかー!!」って落ち込むみたいな、そういうマンガがありまし
於:新宿ルミネ。 テレビで面白いからといって、その芸人の単独ライブが面白いという保証はどこにもないということを、実際にライブに行ったりツタヤでDVDを借りてみたりして実感しているのだけれど、 この友近のライブははっきりと推せる。これは良かった。 (まあ、私がもともと友近が好きっていうこともあるんですけどね。) 客層が謎で、中年以上の人や男性が多かった。ライブで客が入らない場合、家族や親戚に頼んで見に来てもらったりするので不思議な客層になっている場合もあるが、友近の知名度の場合それはあり得ないだろうし……この客層のお客さんたちが実際にチケットを買ってルミネに足を運んだとしたらすばらしいことだと思いますよ。 満員で立ち見も出ましたからね。 ゲストはなだぎ武とハリセンボン。プラン9はとにかく女子に人気ありますな。ハリセンボンは、友近の方から「一度一緒にやりたい」とオファーしたというすばらしい話。
今日はイライラしているので更新量が多いです。 三国シェフ書類送検へ…従業員に傷害容疑 ミクシィのニュースにはコメントがつけられるようになってるんだけど、このニュースに関するコメント20数件のうち20件近くが、「こんなことは料理界では当たり前。わざわざニュースにすることもない」っていう意見だった。 けっこうびっくりしたけどね。みんなそれでいいの? その前にこのミクニって人について。 当然、高くてこの人の料理なんて食べたことないけど、今から20年近く前、「気鋭の料理人」みたいな感じでテレビに出ていたのを観たことがある。 それがもう厨房ン中がすごいんだよ。従業員自身には手は出してなかったけど、そこら辺の壁に蹴り入れて怒鳴りつけたりしてさあ。 それと、料理に詳しい人は当たり前かと思っているかもしれないけど、料理が冷めないように皿も温めるんだよね。 で、料理を運ぶ係りの人は、皿の熱で薬指と小指が火ぶ
ブログを巡回していて驚くのは「サッカーに興味ねえ、なんだあんなものァどーだこーだ」と書いているところが多いということだ。 いやまァ、自分が興味がないのに職場で、家庭で、あるいは飲みの席で、W杯だからってサッカー、サッカー、って話題にされて不愉快なことはわかりますよ。 「みんなも盛り上がっているから、おまえも盛り上がれ」って言われてムッとするのもわかる。 しかしですね、そういうことって他にもたくさんあるでしょ? 私はもっとずっとふだんからルサンチマンを抱えているので、サッカーでどーでこーで言われるのはそのワンオブゼムでしかないですよ。 W杯だからって、わざわざ拒否の文脈で書くことなんて、何もない。 (まあ、無理矢理話を合わせなくていい環境に、私が今現在いるから、っていうのはありますけどね。) 私、ずっと前勤めていた会社では、得意先の人とか出入りの業者とか、「どこの高校の出身かぜんぶ覚えろ」っ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=356546 http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060406/mng_____thatu___000.shtml ほおほお。いろんなものが出てきますね世の中。 まあ、私が常々言っていることはいつも同じ! ・「晩年」のナンシー関は、センスが微妙にズレ始めていた。 ・ナンシー関は、けっきょく「テレビ」という枠を守ったし、超えられなかった(「信仰の現場」をナンシー関の良心として持ち出すことは半分は正しいが、あれがあれ1冊で終わったことはナンシー関の限界をも表していた)。 ・ブロガーは(商業誌のコラムニストもそうだけど)、ナンシー関を模倣するのではなく、超えることを目指せ。 何度も何度も書いているが、何か事件が起こったときに「もしもナンシー関が生きていたら」的なことを言う人がいるが、 そ
http://d.hatena.ne.jp/matuoka/20060612#1150162355 http://d.hatena.ne.jp/matuoka/20060608#c エヴァとヤンキーマンガの関係、というのはものすごく面白い視点。 妙な言い方だけど、パチンコでエヴァンゲリオンが存在することすらも、これで説明できるかもしれないと思う。 ヤンキーマンガの「壊れたキャラクター」の説明のときにエヴァの影響を考えること、うーむ、私にはそういう視点が欠けてるのかなと少し反省してしまいました。 以下は、私が考えた点。 ものごとを一般化してついつまんなくしてしまうクセのある私としては、 「もしもエヴァが無くても、『壊れたキャラ』は登場しただろう」ということはひとつ、仮説として思う。 もうホントにね、こんなテキスト書くヒマがあったら読み返せよ自分、と思いつつまだ検証してないんですが、田中宏の「
自分で書いていて思ったのだが、自分は「萌え」よりも80年代の「アニメ絵」にこだわりがあるんですよ。 正確には70年代後半から80年代くらいに(マンガの中に)だんだんと出来てきた画風ですよね。 それは自分としてはいくら強調してもしたりない出来事だったように思います。 まあ、「それほどでもねえじゃん」、「コップの中の嵐じゃん」っていう人がいてもぜんぜんおかしくないとは思いますけどね。 ジジイの繰り言と思われてもいいので(あるいは上の世代から勘違いを指摘されてもいいので)、この辺の事情について書いてみますけど。 けっきょく、「少年、青年マンガでセクシャルな女性を描くにはどうしたらいいか」という問題があって、 いちおう記憶だけで書くと手塚〜石森、永井豪、藤子ラインが(やや乱暴に言えば)あって、 他にプレイメイトとか、プレイボーイに載ってるセクシーガールのイラストなんかを起源とするのもあって、 後は
http://d.hatena.ne.jp/a666666/20050805/1123213400 もともとは「おたく」、「お宅」が先だったような。 だって、主婦が「お宅はどうざます?」みたいに言うのを青年がマネしている奇妙さ、が指摘されたわけで。それが80年代半ばの話。 書籍で言えば、 別冊宝島「おたくの本」が1989年。 宅八郎の「イカす! おたく天国」が1991年。 浅羽通明「天使の王国−『おたく』の倫理のために」も1991年。 おたくに批判的な内容である中島梓の「コミニュケーション不全症候群」が出たのも1991年。 どうもこの本では「おタク」となってたらしいが確認できず。 荷宮和子「おたく少女の経済学」が1995年。 「オタク」というカタカナ表記を意識的に使ったのはオタキング岡田斗司夫氏だと思う。 氏の「オタク学入門」が出たのが1996年。 「オタクアミーゴス!」が出たのが1997
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