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中東情勢
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アイマス関連の記事を書くブログさんで、こんなものを見まして。 そろそろ他の人のニコマス史ってのが見てみたい気がするね。 こう客観的にニコマスはこうなってきました……というのではなくて、「俺の見てきた史実はこうだったんだ!」という主観ばりばりなやつ。MAD作成者側でも、所謂見る専でもそれぞれ見てきたフィールドってのが違うと思うんだよねぇ。そこら辺のところをみんなが書いてくれないかなぁ、となんとも他力本願な願望を抱いているわけです。 http://d.hatena.ne.jp/raydive+nicovideo/20111030/1319988655 振り返るほど昔という気がしないし、現在進行形で作ったり見たりしてて、そういうことを書くタイミングがなかったのだけれど。今回はちょっと書いてみようと思いました。 2007年:黎明期から発展期 アイマスってゲーセンではちらっと見せてもらって「うわ、こ
昭和の日に、昭和のアニメの曲をメドレーで楽しむというもの。まあともかく見ればどんなものかわかるはずです。 さて、これほど大好評の理由はなんでしょう。 作りがうまいとか、選曲が良いとか、技術的要素もあるでしょう。 それは副次的な効果があります。「これ、面白いぜ」と紹介される効果が。ですが、まずは見てもらうことが肝心。 このメドレーが投稿される前に、いくつかの動画で、宣伝が行われていたことが効いたと思います。 中でも、これと これ この2つの動画が呼び水になったと思うのです。この2つの宣伝動画には、本編にも共通する要素があります。 前者の動画の内容がすでにおっさんほいほいでありながら、おっさんへの挑戦的な内容であり、アイマスよりも懐かしのアニメ自体への興味をうまくふくらませています。この動画は、個人的に見るだけでなく、複数人で見たり、友人への話題にも適しています。友人へ動画を見せるとき、(動画
はてなブックマーク - アイマスについていけない。悔しい http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090331163908 ちょっと気になったのが、この部分。 そもそも元の物がどうなっているのかとか何をどうやって作っているのかを理解していないので 技術的なことはさておき、勘違いされてることもあるかと思う。アイマスは、「好きな曲のCDを入れればそれに合わせて踊ってくれる」という機能はない。ないので作ってる。 ニコマスの代表でありアイマスMADの根源である、PV系MADについて書こうと思う。 アイドルマスターは、ゲームを進めていくと、ステージでアイドルを歌わせ躍らせることができる。 さらに進めると、そのステージでカメラの切り替えが可能になる。デュオやトリオなら、誰が歌うのか、フレーズごとに指示もできる。こういう、コンストラク
『GMさん、教えてください』 No.081〜085【マスタリング……祭のあと】がきていました。 さっそく書きますー。 『GMさん、教えてください』 No.081〜085【マスタリング……祭のあと】 | Kaleidoscope Fragments 【17. マスタリング……祭のあと】 081. セッション後、シナリオや敵データを記した紙、ファイルなどはどうしていますか。 セッション中のメモなどを一緒にして保存しています。キャラクターシートも一緒に。 082. そういった過去の資料で、今、手元に引っ張り出せる一番古いものの内容はどんなですか。今の自分から見て、どう思いますか。 高校のときにやった初めてのGM、D&Dのやつがあります。 うーん、今もあまり変わらないですね。見せ場のシーンになりそうなところも、プレイヤーがびびっちゃうとスルーせざる終えないとか、弱点も同じく変わらないですね。でも、
2008年12月31日9:15から、年越しで0:30まで、アニメソングをかけまくるという番組でした。 公式サイトはこちら→http://www.nhk.or.jp/zanmai/archive/081231.html 私はほとんどをリアルタイムで聴いたのですが、ふと思ったことが。 『これ、リストにニコマスでの動画も併記したら面白いかな』 と、いうわけで、twitterにその動画のURLをはりつつみんなで楽しんだのでした。 調べてみて驚きました。以前よりニコマスを見ていたので、いろんな曲にダンスを合わせる試みがあることは知っていましたが、これほどに多彩な曲があるとは。そのほとんどが、悪ふざけやギャグを廃した真面目なPV風ということに、MADとはいえ軽々しい気持ちでなく真剣なもの、情熱や思い入れがあるものだと、改めて感じました。 普段は埋もれているPたち。しかし、こうしたたくさんの人によって支
祭り終了からすでに2日。その間に書かれた感想、論考記事は、はてなを中心とした、いつもの人たち。また、祭りに参加したPたちである。 さて、「24時間アイマスTV」で検索してみると、これ以外の記事が見当たらない。 著作権問題の関連で触れたくないのか。はたまた、まだ動画を見るのに夢中で、記事を書くどころではないのか。 ともかく、我々参加者は『すごいことをやったぜ!』と誇りに思っているが、外の人にとっては全く何も起きていないも同然のようだ。ポケットの中の祭り。 24時間アイマスTVは、ニコニコ動画というサイトの中でのお祭り。これは、どこかのMMORPGにて、大規模な期間限定イベントで盛り上がったのと同じようなものだ。 その中でしか通じない。 この空気の差を!我々はオタクと呼ばれるが、これほどの祭りに熱中しているのは、理由がある。 なぜニコマスコミュニティはこんなに無駄なバイタリティを、そして結束力
24時間アイマスTV!〜みんなまとめてアイドルマスター〜 無事、終わりました!動画の方もちょっとした手違いがあったようですが、誤差範囲内でしょう! ラジオも反省会まで、30時間に及ぶリレーができました! この巨大な祭りに関する分析については、後日、ゆっくりかきます。 今は、参加した皆様、見ていただいた皆様、そして何より祭り主催の天然Pとスタッフの方たちにありがとう! 私が参加したのは、15日の朝のアニメ枠です。 【愛m@s24】中継動画 14 - ニコニコ動画 あずさスイートホーム【愛m@s24】 by お祭り@天然 アイドルマスター/動画 - ニコニコ動画 これです。チーズスイートホームのパロディでOPと本編を手書きでがんばりました。 友Pいわく「魔の8時台」とのこと、どうですか? このアニメ枠の他の動画。 【愛m@s24】【仮面チハヤー】第72話【特番】 - ニコニコ動画 【愛m@s2
今回はこちら↓の記事から。 RPG日本がgoogleからいけない件 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む 座布団さん、タイトルがなんかわかりにくいですよw RPG日本というサイトでの論考記事、『自由に遊ぶ。これについてのお話です。 http://www.rpgjapan.com/kagami/rpg/rpg_2/ 「自由に遊ぶ」というテーマであるにも関わらず、その自由にというのがはっきりしないですね。 後半に「自由に遊ぶ目的とは」などとありますが、それはとりようによっては「自己満足」という批判も出そうです。もうちょっとその辺りの説明が欲しいところです。 一応、↓を見ると、その思想的なものがわかるかもしれません。 あなたのRPGは、自由か平等か - 卓上RPGを考える ある目的をもってゲームを遊ぶには、やはり参加者との兼ね合いがあるというのは、TRPGに限ったことではありませんね。途中
今回はシナリオクラフトをセッションで利用したケースと、シナリオの概要をプレイ前に知らせることに関するものです。論考というよりちょっと「こんなことを思った」程度です。 この前、オンセでアリアンロッドをしたときに、ダブルクロスのシナリオクラフトを流用した遊び方を体験しました。 ・通常のセッションよりもストーリー性が強くなったような気がした。 ある程度、先を読んで行動するのですが、本筋から離れないようにこじつけようとする意識が働いて、よりストーリー性が強くなったような気がしました。 ・アドリブの要素が強く、それも楽しかった。 こじつけもそうですが、ストーリーの中での行動とか、このシチュエーションだからこその行動とか、そういうのが制限でもあり通常のセッションではあまりない楽しみでしょう。 シナリオがどうなるかはGMも予想できないことで、GMが行う苦労をPLも分け合って楽しみに変えていけるという、新
たとえば、ダンジョンである部屋に着いた時、「扉を調べる」「聞き耳をたてる」「本棚を調べる」などと、コンピュータゲームのコマンドのようなことを言ってたりしませんか? まあそれでゲームが進むならいいのですが、大抵はそれらを一通りやり終わってから、「さて、どうしよう」となってしまうんじゃないですか? プレイヤーの行動宣言の仕方についてのお話です。 自動的に入手する情報は限られている まず、マスターがその状況を教えてくれますが、それは「キャラクターが、自発的に行動しなくとも分かる範囲のこと」であると思います。 キャラクターが自発的に動く、つまり「○○を調べる」ということを宣言しないとわからないことは、最初に伝えられないのです。 逆にいうと、「自発的に行動しないと、手に入らない情報がある」と言えます。 コマンド、その前に話し合い さて、自発的に行動しましょう、といっても「扉を調べる」「本棚を調べる」
TRPGの論考記事は結構たくさんあるけど、まとめられてないから、読み捨てられていくようだ。 実践に有用な記事やアイデアもあるのに、それはもったいないな。 たとえば、こんどGMをすることになった。あの記事を参考にしたいな、と振り返るとき、その記事がどこにあったか判らなくなると、これは困るね。 それとも、読み捨てられていくという前提で書きつづけることが必要なのかなぁ。論考サイトみたいなのは、一般プレイヤーは読まないんだよね。堅苦しいし、それに実践とはかけ離れた部分で揉めたり。自由の定義なんかより、明日のセッションのために役立つものが必要とされていると思うんだけどね。 書く側として「過去ログ読め」といいたいわけじゃないよ。でもね、過去にいいこと書いてたブログがあって、その記事とほぼ同じネタの記事があとから書かれて有名になってたり(ブックマークが100とか)だとちょっと嫌な感じするよ。 読者の周期
今回の記事はゲームシナリオに限らず、小説やアニメ等の物語のシナリオ作成のためのステップと考えてよいと思います。 1.出来事を決める 戦士が怪物を倒した。 これだけじゃわからないことがある。 2.詳細について質問を羅列 戦士はどんな人物か。怪物退治は仕事なのか。怪物に因縁があるのか。怪物退治の理由・動機は。 怪物とは何か。怪物はなぜ倒されたのか。怪物は何かしたのか。怪物が世間に露見しているのか。怪物は脅威なのか。 怪物を倒すまでの経緯は。怪物に勝てたのは何故か。怪物を倒したことの価値は。 怪物を倒したことで戦士が得るものは。 ※ここからもう滅茶苦茶。忙しい、時間ないのでメモがさらに混沌としていく。ついて来られるか? 3.質問に対して回答を羅列 ・戦士はどんな人物か。 名前、職業、人相、性格、声 ・怪物退治は仕事なのか。 少なくとも戦士と言っているので、仕事の線が強いか。 ・怪物に因縁があるの
ちょっと忙しくて目を離していた間に、TRPGにおける自由についての論議が溢れています。 TRPG関連での自由について、私の思うところ・考えを整理して簡略して書いておきます。 ・行動の自由という幻想(無目的) GTAが世のゲーマーに受けた理由が、「自由度が高い」とのことをよく聞きます。箱庭の中で何でも好きに行動できる。目的も自分で決めて町中を隅々まで堪能しよう。そういうゲームだといいます。でも、チンピラが子供みたいに自分の能力や環境との接点を確かめたくていたずらをしているような、そんな知育過程の低いところの遊びです。しかし、大体の人は、悪ふざけはある程度で飽きて、本来の任務を遂行する方が面白いと気付くでしょう。 GTAとよく比較で引き合いに出されるのが侍-SAMURAI-(PS2)です。侍の場合、目的がある程度絞り込まれています。主人公の登場時のイベントで、自身立場がやや正義漢の色が強いとわ
アニメを原作にゲームを作るというのはとっても難易度が高い仕事です。 私もかつてはゲーム企画の仕事をしてました。あるとき、少女向け玩具のキャラクターを元にゲームを考えてくれと言われたことがありました。当時は「これ無理だよ」とありきたりなミニゲームを提示したのでした。しかし、今は「もっといろいろできるじゃないか?」と思うわけで、あの頃の自分は青かったと反省しています。 さて、表題の「らきすた」をゲームにする、しかもTRPGにするということですが、らきすたを分解してゲームにできるか考えてみます。 らきすたとは何か? ・女子高校生のエピソードそのもの ・キャラクターの性格表現そのもの ・おたく女子とその周辺の人のかけあい ・実写EDは要らない こうして見ると、要素の少ないものだとわかります。もともと4コマなので、そりゃまぁ仕方ないです。 一方で、ゲームとは何か、TRPGにおけるゲーム要素に取り込む
GMが状況を説明します。 「君たちは○○の村にある小さな宿にいる。」 ここからゲームがスタート。よくあることですね。 だが、ここで雑談に入って、ゲームがなかなか進まないこともあります。 原因はGMの説明不足にもあるのですが、行動宣言の的確さがないことにもあります。 TRPGはストーリー娯楽の一つとして、キャラクターの立場・性格等を考慮して行動宣言するものですが、その進行手順について解説したルールがほとんどないということが不思議だと思います。これが説明されないならば、TRPGはいつまでたっても「理解」されないのではないでしょうか? 今回は、行動宣言について書きます。 TRPGのルールブックには、たいてい次のような書き方でゲームの進行例が説明されていますね。 GM(ゲームマスター):キミたちはゴブリンがいるという洞窟の入り口に着いた。 戦士:じゃあ、誰か様子をさぐってくれ。俺は周囲に警戒するぞ
ある理由により、人狼BBSをいくつか見学しました。ログを読んで思ったこと、気付いたことをいくつか。 ・『推理と話し合いのゲーム』と思っていたが実際は『信頼と口車のゲーム』だった 議論が下手で、アイデアや推理を話す人の「粗探し」に終始しがち。人狼として疑わしいわけでなく、「嫌悪感」「挙動不信」で吊り候補にされてしまう。人狼からすればそれを利用して村人の自滅を待つだけ。 ・議論の際、意見に対しての発言が「粗探し」か「賛成」のいずれか。 「粗探し」のことは前述。「賛成」は吊り投票に委ねられればいいのに。民主主義は多数決とは違う。多数の側の提案を中心に決まるが、小数の意見に考慮・配慮した例外や条件を組み込んでいくものだ。一人の推理や提案に対し、メリット・デメリットの評価が出ない。出るのは不満や不安のみ。 アナログゲームに不慣れな人が多いのかなとも思ったのですが、それは関係ないかな。ポイントはやはり
最初からやる気がない、乗り気でない記者。 記者の主張が、「バーチャルでなく現実のほうがいい」というもの。ものの良し悪しと好き嫌いの違いを混同してしまっている例かもしれない。 最後は綺麗にまとめてあるのですが、あまりにも「偏見を助長しかねないシーン」の多いこと。 記者は、このゲームの実プレイを横で見ていたのだが、何が楽しいのかわからなかったそうだ。 ゲームの参加者に質問をしているが、「ごっこ遊びの何が面白いの?」という色眼鏡的ニュアンスが窺い知れる。 「このゲームに参加して、体験してほしい」という提案に対して「私は何かを演じたいとは思わない」とは、論外なことではないか? たとえば、うまいラーメンが人気というのを取材する場合、そのラーメンを食べるべきではないだろうか? ラーメンを食べもせず、客にインタビューしたり、食べているのを横で見ているだけで、そのラーメンのうまさがどれほど解るのだろうか?
断っておきますが、「らき☆すた」の話題ではないですよ。 ・努力は最低限であったほうが「有利」と思う? 学園祭とか文化祭とか呼び名は違うけれど、学校行事で何か「クラスで出し物」をするというもの。誰も意見が無くて結局たいしたものが行われない。 友達にゲームのアイデアを話したときに、「○○ってのがあるから」と別のゲームで十分と言われたり、「いや、それは無理」とか「俺はそこまで興味ない」とか、宗教の勧誘みたいな断られ方とか、なんだか素っ気無い反応だったことはないだろうか? TRPGに誘っても、中々参加してくれる人がいない。(麻雀にはほいほい付いていくくせに) そういう時期もあるだろう。 ・もの作りということ TRPGの準備で、シナリオ作成というのがついてまわる。D&D以来ずっと「公式シナリオ」があるにも関わらず。プレイヤーに合わせたシナリオにするほうが、遊びやすいというのか。シナリオ作りの手間がそ
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20070114/p1 Aの魔法陣について。行動の柔軟性を重視したシステムだという見かたですね。 どうも他のいろいろなサイトやブログでの感想は「よりゲーム的になった」とか「簡素になった」とか、旧来のシステムから差し引き部分を書いていることが多いです。 じゃあ、それでつまらなくなったか、というとそうではなく、今までのシステムではできなかったことが出来るようになったといえます。「行動の柔軟性」が高いという点が、その『できるようになったこと』です。 追記: この記事では、TRPGのもつ行動の柔軟性について、Aの魔法陣を引き合いに出して、書きました。 『TRPG的、行動の柔軟性』というものは、 「A.ひとつのものを多様に使い道を思いつけること」がまずそうでしょう。紅茶さんのとこでも書かれてますが、制限された条件下でも発想力があれば
シナリオのほとんどが人間同士のいざこざである昨今、旧来のシティーアドベンチャーと呼ばれるタイプのプレイに終始しがちです。 この記事では、『どこに行って何をすると、どんなことがわかる(何が手に入る)』、というこの一連のプレイをアドベンチャーパートと呼びます。 このアドベンチャーパートはいくつかの問題をかかえています。 ★問題とは ・冗長、作業的 ファンタジーであれば、「酒場に行って情報を聞く」「ギルドに行って訊く」「教会に行って〜」「村長に会って〜」という定番行動の宣言でシナリオが進むような場合が多く、事件の核心に関わるまでに時間を要してしまうものです。現代ものが多い最近のシステムでは、酒場やギルドに代わる同様な組織・施設が当てはめられることでしょう。 ・プレイヤーに依存 例えば情報収集でも、プレイヤーが考えなくてはならず、プレイヤーの情報収集能力に依存してしまうのです。 推理小説が好きな人
「」 「場合によっては説得され、治療で元に戻る場合もある」では、なぜいけないのか 説得や治療のルールが、「無いに等しい」というゲームがほとんどだからではないでしょうか。戦闘のルールばかりが詳しく書かれて、TRPGの「ストーリー」と「ゲーム」の、「ゲーム」の部分でバリエーションを作るとして、ルールにほとんど書かれていない「説得」「治療」は選択肢に入りにくいと思います。 ★★★★★ 追記: 現実に「知性のある怪物」に出会ったことがある人はいないし、学校でも習わない。説得するだけの技量がプレイヤーにあるかどうか、それを期待するのは危険であると思います。推理ものシナリオをTRPGやると失敗しやすいのと同様、プレイヤーの手腕・性格傾向を知っておく必要があるのではないでしょうか。 また、ルールがない行動でも解決を期待するシナリオは、ある傾向の人の一言で崩壊する危険性があります。「戦闘で倒しちゃえば勝ち
D&D以来、RPGにはダンジョンが付き物ですが、ストーリー重視のプレイをするにはいくつかの問題があります。 まず、シミュレーションゲーム的な難易度が発生します。そして、地図に関する作業がプレイの進行を遅らせます。戦闘やトラップ等の難易度はいくらでも変えられるでしょう。しかし、ダンジョンの広大さや迷宮としての構造などをうまく調整することはできません。前半で時間を使いすぎたなと思っても、地図を省略したり5階建てと言った塔が急に3階建てになったりするわけにはいきません。 それを解決できるかもしれないアイデアを紹介します。 ダンジョンはそれ自体が目標であり、立ちふさがる困難である。 ダンジョン全体を巨大なモンスターのような扱いをすることで、ダンジョンとの戦いを表現するという手法です。 TRPGの行動判定というのは、「1回の判定で解決」と「複数回の判定、段階をふんだ判定」という2つにわけることができ
TRPGでは、何か行動をしたときに、特に成功か失敗かがストーリーを沸けるような重要な行動のときに、サイコロ等による成功判定を行います。 この判定において、目標値に到達しなければ、行動は失敗に終わる、というのが一般的な判定処理の解決です。 今回は、そおの判定にちょっと工夫を提案したいと思います。 能力値による結果の違い 能力値が高い者と低い者が、同時に同じ行動判定を行って、どちらも成功したとします。 さて、能力値の高い方は、平均的なダイス目で成功したとします。同様に、能力値の低い方は、6ゾロとかクリティカルとか、奇跡的なダイス目により成功したとします。 この、二者の成功は、同じものなのでしょうか? 私はこう考えます。 成功したとき ・能力値が高い者の成功・・・単なる成功だけでなく、熟練からくる、手応え、些細な違い、詳細な事柄、行動の後始末、なども付加してよい 知識系の判定なら、詳細にわたる情
これは一体なんの騒ぎだ?! この間は、12個に増やすとか言ってたのが、今度は減らす? なぜ、一体どういう理由で、今、この時期に、太陽系の数を見直すのか? まてよ、まさか・・・!そう、あの男の予言!あれを回避するために、惑星の数を変える必要があったんだよ! フッ・・・7年・・・か。思えば人類の歴史から見れば、7年なんて、ほんの誤差に過ぎないということだったのだろう。(この記事の後半の反応は、ブログ管理人にゃあの妄想&フィクションです) 8月24日追記: ちゃぱぱ・・・本当に冥王星除外されてしまったー。 暑いです。暑くて眠れません。 暑いので、ジュースをよく飲みます。水分補給は大切です。 でも、アイスコーヒーはいけません。カフェインで目が冴えてしまいます。 自業自得ですが、辛いです。 セカイ系とは、自分と身の回り←→社会←→世界という関係のうち、社会を排除しているストーリー形式のこと、という認
行ってきました。今回は、前回の議題やキーワードを引き継いだり意識したりしながらの発表となり、いよいよアカデミックになってきたなという感じです。 では、私なりに今回の発表の分析をしてみます。 プレイヤーキャラクターとプレイヤー体験 茂内氏 ・NHK特集にて、チンパンジーがパックマンをプレイするのを見せていた。 チンパンジーがそれをゲームとして理解していたかどうかわからないが、動かせるのがどれか、何をすると変化するのか、それを認識しているらしい。 ※ここで茂内氏、「チンパンジーがパックマンに感情移入している」と言ったが、感情とは別であり、チンパンジーはそれを「手足のような自分の支配化のもの」として認識していたものと思われる。 学習能力、知能があればゲームはできる、ということか。猫にはできないのか?(できたらいいなー) ・プレイヤーキャラクター(PC)とは ゲーム内世界のプレイヤーの化身。操作の
ふぅむ。私も忙しくて、あまりゲームやってません。でも、件の書き込みの中には、ゲームできないことを自慢するかのようなものがあり、気になります。 自慢をする人がいますが、事実とは関係なく周りの意見にテキトーに合わせて言うという人もいます。それが複合すると、事実が見えにくくなってしまいます。巨大掲示板ではよくあることですが、その外では自重してほしいものです。 ほら、中学生の「悪事自慢」のような。本来なら恥ずかしいと思うことであるのに、それを自慢するという行為。それをいい歳の大人が言ってるかと思うと、情けないやら、呆れるやら。 ファンタジー世界を舞台にしたゲームがたくさんありますが、RPGでは特に多いですね。 そのファンタジー世界、ゲームごとに違う世界設定になっていますが、共通するものもあります。エルフやドワーフといった人間型の種族のことです。この、エルフやドワーフという種族を詳しく説明したゲーム
ソードワールドRPGしかできないんじゃないか。他のシステムで遊ぶにしても、昔のクトゥルフとかD&D(赤箱)とか、ロードス島コンパニオンとか、以前やっていたものしかできなくなるんじゃないか。もう、新しいシステムを遊ぶのは無理なんじゃないか。 30代以上の大人ゲーマーの皆さんは、いかがでしょうか? ・ゲームに限らず、一緒に遊ぶことが少なくなった ・アニメのネタ話が通じにくくなった ・ゲームの新作の話題が出ない ・久しぶりに集まっても、ゲームするより飲み会やカラオケになってしまう ・カラオケでも唄う曲がバラバラ。いまいちのれない。 ・「今の若いもんは・・・」とか言い出す このようなこと、ありませんか? 大人になると、いろいろ忙しくなるもので、友達ともなかなか会えなくなっていきます。 仕事が忙しい、恋人との時間が欲しい、家庭の時間が欲しい、アマチュア活動からプロ志向の活動へ、生活環境の事情、その他
ゲームの世界はゲームに必要なルールを基本として構成しています。それは、競技としてのゲームが基本だからで、観賞娯楽のゲームや暇つぶしのゲームでは、演出等ルールとは別のものが含まれてきます。 演出のためにルールが増えると、競技としてのゲームには、影響がでます。ゴルフゲームで、ボールの軌道がゲームの肝になりますが、そこにリアリティをつけると、難しくなってしまいます。 例えば、風のゆらぎが自然的に変るとか、湿度のせいでボールの飛びが変るとか、ゴルフをプレイするキャラクターの体調によってショットの正確さが変るとか、偶然虫が飛んできて集中を乱されるとか、地震が起きるとか、テロの影響で観客が少なくなるとか、世界情勢によってキャラクターの自国のことが心配になりショットに影響があるとか、それこそきりがないですね。 ゲームの基本の競技性を犠牲にしてまでリアリティを付加するのはいかがなものか、とも思います。 プ
『今週末、みんな集まるからTRPGやろうぜ』ってことになったら、どうする? あと2日しかない。そう、それでどうやってシナリオを作るか、ということも含めて、「いいシナリオとは?」という話を。 今回は何がいい?戦闘のあるゲームにするかい?じゃあ、ファンタジーで戦闘のあるゲームにするね。 まず、TRPGのどんなことが面白かったか、そのときのことを思い出してください。 どんなことが起きましたか?・・・魔法の暴発?クリティカルヒット?逆にファンブル? それは、誰がどんな行動をしたからでしょうか? それは、なぜそんなことをしたのでしょう。 いろいろ思い出すといいです。できれば、今度参加するメンバーがいたときのこと、どんなことがあったでしょうか。 さて、準備運動はOK。TRPGってどんなものか思い出せましたか?そんなの知ってるって?いや、笑い事じゃない!冗談ではなくTRPGってどんなものか、言葉で説明す
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