サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
okirakubiyori.hatenablog.com
最後の診察だった。国立病院の外来最後の日。 2011年に救急車で運ばれICUで今晩が勝負ですと言われてから4ヶ月、入院した。 退院できないかもしれない。 退院しても完治は難しい。 いろいろな自分の身体の生まれ持った癖、疾患を知る。何をどう説明されてもそれが自分ごととは思えず、気持ちも理解もついていかないままだった。 ただ、どうしてこんなことになったんだ。自分を責め、惨めになり、落ち込み、希望も意欲もなくして消えてしまいたい日々が続いた。 投げやりになって薬をちゃんと飲まない時期もあった。 精神科に通った時期もあった。 でも、今、私は生きている。 家事をして、家族に「いってらっしゃい」と手を振る。「おかえり」と声をかける。 洗濯物を干すために階段を上がる。 家族に自分の作ったものを出す。 喧嘩もする。一緒にご飯を食べてテレビを観る。かんぱーいと、やる。 おはよう、おやすみ。 ここにいること。
大きな自分用の机が欲しい。 パソコンを置いてタブレットや携帯を置いて、読みかけの本、ノートやなんかを置いてもまだたっぷりスペースがあって、そこにお盆を持ってきてお昼を食べる余裕のあるくらいの。食べ終わったお盆をぐいっと端に寄せ、読みかけの本をまた開く。足元には電気ヒーター。立ち上げっぱなしのパソコン。思いつくまま気が散るままに任せぼんやり過ごす自分の場所。 キッチンで配膳用に使っていたミニテーブルをつなげて悦にいってた時もあったが、有り合わせの二つの机は高さも色も違う。引き出しもない。不安定で結局元通りの小さな無印の折りたたみデスクだけに落ち着いた。 この狭さも基地感があっていいが、ひとつやっては片付け、またひとつ広げなくてはならない。不思議なものでその些細なワンクッションが億劫で手を伸ばさない。 頭でパッと思いつくあれこれ。 やりかけの刺繍。塗り絵。友人に手紙。読みかけの本。 これらを全
中年長男は今朝早く英語のテストに出かけて行った。 昨夜遅くまで義兄と食事をして帰宅したのは10時過ぎだった。その前の晩、真新しい分厚い英語の本を側に置き、スマホをいじっていたと次男が嬉しそうに言いつける。 「あいつ、あれで勉強してるって言い張るからな」 納戸と机の下には開けてもいない教材セットの箱が二つ、ある。 「TOEICを舐めとんのか」 自分は毎日お気楽にドラマ三昧のくせに絡むと 「CDは車の中で聴いてたもーん」 お前は天才かっ。 私が倒れたとき、身も心も疲れ果てていたが、入院中は不思議と食事が全部食べられた。残さず食べても気持ち悪くもならない。それが嬉しくてなんとかこれを継続させたいと見舞いに来ていた夫に頼んだことがある。 退院したら毎週でなくていいから、時々一緒に定食屋に行ってご飯を食べてほしい。 するとこの男はこう言ったのだった。 「うーん、2年待って。週末、は英語の勉強したい。
夕方、時刻は5時を過ぎた。 ああ、始まったな。 遠いどこかで盛り上がってるんだろうなあ。 配信チケットを買おうと試みたが、アクセスの集中で手に入らなかった。勝手に盛り上がり、勝手に撃沈したくせに置いてけぼりになったような寂しさを感じる。 まあそれほど熱狂的なファンでもないんだから、やめとけってことだと自分に言い聞かせる。 それでも未練がましくYouTubeで作品名を検索し、過去のアンコール場面を眺め、気分だけでも味わおうとする。 数週間前の演目が終わったばかりの興奮、役者達のチームワークの良さ、観客達の熱、そして舞台のハイライトが繰り返し映し出される。 冷静になれば宣伝になるよう編集されているのだから、そりゃもう魅了を凝縮した数分の動画なわけである。 まんまとそれにやられた。 時刻は5時半。一週間は配信しているから理屈から言えば今からでもチケットは買えるはずだ。 今日じゃなくても、いい。や
夕飯前、30分だけと決めて第二の沼と化している整理棚を仕分けした。 今は息子の部屋となっているが、彼が生まれる前、この家に越してきた当初は婚礼ダンスが置いてあるだけの部屋だった。 窓と箪笥の間に50センチほどのスペースができたのでそこにプラスチック製の引き出しを重ねた棚を入れた。 そこに自分のお気に入りの便箋だの、もらった年賀状だのを放り込んでいたがほぼ、空っぽだった。 息子が幼稚園になるとこの部屋に彼専用のベッドが入る。スカスカだった引き出しには学校やサッカークラブの役員のファイル、住所録、CDROM、文房具、現像されてきた写真などを入れた。 とにかく大事なものを突っ込む場所として便利に使っていたが、やがて学校役員のお役目もなくなり、息子が思春期になると同時にこの部屋への出入りもしなくなった。 季節の入れ替えや背広を出したりで入る時もあるが、長居をするのを遠慮してすぐ退出する。この引き出
本を読んでいたら「けして裕福ではないが、戻ってもいいかもなと思える日々だ」という文章があった。 私のそんな時期はいつだったろう。 今もけして裕福ではないが。 結婚してすぐの頃、日吉の駅から歩いて30秒のアパートに住んだ。 駅前の商店街には本屋も文房具屋も、ちょっとおしゃれな喫茶店も、蕎麦屋も古本屋も古着屋も八百屋も居酒屋もカラオケ屋もファストフード、小さくなんでも揃っていた。 出張と聞くと「お母さんたちに言わないでよ」と言いその日を満喫した。夫が家にいないと知ると「こっちに来なさい」と言われるからだ。一人暮らしをせずに結婚した私はこの疑似一人暮らしを楽しんだ。 夜、夫から電話で「ごめん、今日遅くなる、飲み会が入った」と連絡が入るともう、何してやろうと、夕方からウキウキ出かける。 まず本屋で立ち読みをし、それから古本屋も覗き、雑貨屋、文房具屋とふらふらしてまた本屋。夜になり仕事帰りの人や学生
金曜の晩、玄関の戸が空き息子が帰ってきた。 9時半。今日は早い。そして静かだ。おかえりと声をかける。 ・・・・・・・・・・・。 あ、これは。。機嫌が悪いか疲れているか、傷つくことがあったのか。 いずれにしても何かあったときのアレだ。 即、風呂を沸かし 「お疲れさん。お風呂、沸かしてるから、あったまりなさいね。んじゃ、おやすみ」 と二階に上がった。こういうときは離れるのが一番だ。 夜中、様子を見に降りていくと食事には手付かずのままテーブルの前で眠りこけていた。 よっぽどだな。 朝、ラジオ体操の帰りに餡パンとバームクーヘンを買う。何かあるとすぐ食欲にくるが、これは食べるのだ。受験の時からそうなのだ。 これと昨夜のトマのスープを置いておいた。 「やらかした」 朝食をとりながらポツポツ言う。 「ほう。やらかしましたか」 「やらかした。もう終わりだ」 聞けば先輩の指示通りやったことが後から問題になり
歯医者の予約が入っていたので午前中のうちにトマトのスープと、レンジで拵えるお手軽チーズハンバーグを作って出かけた。 天気も良く風も少ない。 こんな日は二子玉川の大きな本屋に寄り道したり、大井町線のどこか知らない駅でふらりと降りてみたりするのにピッタリだ。 夫も息子も出社していてこの三拍子が揃うのはそうそうないことなのに。 頭の芯がまだ痺れている感じがする。今日は大人しく帰ろう。 帰宅した午後、ぐだぐだ昼寝して海外ドラマを観る。 陽の当たる小さなリビングに一人寝転ぶ。目を閉じたり起きてドラマの続きを観たり。 洗濯物を取り込んで二階で夕焼けを眺めてまた降りる。 またドラマ。 幸せだ。 いろいろあるし、あったけど、間違いなく幸せだ。 街ですれ違う美しく若々しいランナー。 カフェのかわいいはつらつとした女の子。戸田恵梨香だって北川景子だって。 素敵だなあ。いいなあと、憧れる。 いろんな人を見るとみ
昨日、足を切って快適にした机を移動させた。 もとあった窓際の配置は、天気のいい日は抜群の陽当たりで、あらかた家事の落ち着いた午後3時ごろ、ここでまったり本を読んだり動画を観たり、お盆ごと運んできて遅い昼ご飯を食べるのがお気に入りだった。 しかし、陽が落ちるのがはやくなってきた。4時にもなると窓からの寒気でここは急に冷え込む。 それでも自分の机周りから離れたくなくて、足をモジモジさせ、ブランケットを羽織り粘る。 日向を取るか、暖房を取るか。 暖房。 冬本番を迎えるにあたり基地の大移動を行ったのだった。 一つを動かすと部屋のバランスが変わる。本棚、カーペットの位置、テレビ、テーブル。 全体の微調整と、ついでに台所の整理棚の移動、2階の鏡台の移動、妙なスイッチが入ってしまい一日中動いていた。 その流れでコンビニで払い込みをし、グラタンと、里芋のコロッケ、味噌汁を作り、やれやれと、遅い遅い昼ご飯を
朝、散歩の帰り道、向こうから何か、強そうなオーラを放って歩いてくるおばさん二人組がやってきた。 胸をぐいっと張り、狭い歩道の真ん中を並んでズンズン進んで来る。 その勢いに思わず道を開けるべく端に寄った。 「だからそうなのよっ」 声も大きい。空いている方の片手を振り回しなにやら喋っている。 二人が胸を張って見えたのは揃ってショッピングカートを引いているからだった。 通過していくその横顔が近所に住む母の従姉妹によく似てる。じっとしていない人だからそうかもしれないと凝視した。 やはりそうだ。 そしてその真横で胸を張ってしゃべっているのは、なんと我が母親。 すげえな・・・。 土曜日の朝8時。のんびり長閑な周囲を蹴散らしこの二人はいったいどこへ行くのだろう。 その後ろ姿をまじまじ眺め見送った。 あれがうちの母か。 昼前、窓際で陽にあたりながら本を読んでいると母が帰ってきた。 「もう勘弁して欲しいわよ
ラジオを聴いていて一人、憤る。 朝のラジオ番組のパーソナリティが脳の手術をしてしばらく休み復帰した。 彼の軽妙で暖かくちょっと繊細で、でも剽軽でテンポのいい話し方とその声が好きで、結婚した当初からずっと聴いている。 私のようなリスナーはたくさんいて、彼が番組を移るたび、それを追いかけるようについてくる。 次第に彼の番組には不思議な家族感のような空気感が生まれ、それを感じるのがまた、心地よいのだ。 兄貴のようなパーソナリティのところに集う常連のリスナー達の近況を聴くのは親戚の集まりに参加して隅っこで大人の話を聞いているようで落ち着く。 その彼が入院となった。みな、励まし、こっちはいいからゆっくり休めと言い、頑張れと送り出し、そして祈った。 彼は思ったより早く戻ってきた。 心配で嬉しくて、でも心配で。少しづつ声がつよく、勢いがでてくると安心する。そして後からどっと疲れが出ないかと余計なお世話の
朝の公園は意識高い系の若者だけ、なんてことはなく、普通のおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんたちが走っている。 それが、早いのだ。 普段着の延長のようなTシャツにジャージでも、足元はごっつい本格的なスニーカーである。それが「本物だ」と思わせる。 どう見てもはるかに歳上の先輩たちが、シャッシャッシャッと、筋肉が盛り上がっている脹ら脛を蹴り上げ駆け抜けていく。 歩いて広場まで辿り着き体操するのがやっとの私は、あこがれ、同時に軽く落ち込む。 この年齢で、こんな筋力のないことで私の老後はどうなっちゃうんだ。 つい最近まで自分は別枠だと開き直っていたくせに、ちょっとラジオ体操デビューしただけで彼らみたいになれたらと思ったりする。 家の中では休んだりしながらも問題なくこなせるようになったが、ハイキングとか、街歩きとか、やはり今は無理だ。 ICUから生還し、対面で家族に行ってらっしゃいと言ったり、
最近、激しいものを遠ざけるようになった。 刺激的、ハラハラドキドキ、そう言ったクールなものは昔から苦手だ。 いくじなしねっ 好奇心がない人は伸びないわよ つまらない人 賢く興味の幅の広い姉は歌舞伎からロックまで吸収する。 張り合って方向性の違う頑張りをしてきた。 中学、高校の頃、夕方に、住んでいたビルの屋上の非常階段に腰掛け、ボケーっとするのが好きだった。 下を流れていく車や歩いてゆく学生、背広マン達。それから空を眺める。 ただただぼんやり過ごしていると時間はあっという間に過ぎ、よく叱られた。 母も姉もそれを嫌がった。危ない奴と思われた。 結婚して母となり、危ない要素は押し隠し、今どきの人っぽい服装、行動を心がけ、周囲のイケてるママ達に足並みを揃えようと張り切った。 いつもアンテナを張り巡らしていたような気もする。 あの子のお母さん、なんか変。そうならないよう気をつけた。 次第にそれもうま
母と姉に久しぶりに笑われて、昨日は悲しかった。 一生懸命やっている様を「あの人、いよいよあんな風になってきたって昼ごはん食べながら二人で大笑いしたわ」と、揶揄われるのにはやはり、ガクッとくる。 なぜそれを私に伝える。その絵も音声も頭に浮かぶ。恥ずかしい。 すっかり精神が強くなったつもりでいたから、そんな自分にまた少しガッカリする。 でも、だからといって変えなくていい。 このままでいい。 今のやり方が私らしく安定しているんだから。 なーんてこと思いながら、本を読む。 スルーする技術 こんなの読んでいるのが知れたらもっと笑われるだろうなあ。 人の言葉は自分の腑に落ちるかどうか なんでも耳を傾けるというのは間違い 家族の小さな価値観もしきたりも そんな筆者の言葉にぶつかって いいぞいいぞと思いながらページをめくる。 面白おかしく言われた言葉は頭の上を通過させてしまおう。 受け取り拒否。 じくじく
雨。ラジオ体操。 今日もしれっと、あの幹部メンバーに混ざる。 始まるころ、小屋に向かうと既に七人、いた。 あ、また来た。という視線がくるが、敵意の無い、いい意味での無関心さが心地よい。 傘をコンクリートに引っ掛かけはじっこの壁に近いところに立つと、父親くらいの年齢のおじさんが近寄ってきた。 よく来るね、とか、あんた誰とか言われるのかなと様子を伺う。 すると 「だいぶ元気そうになったね」。 びっくりした。 そうでしょうか 「あぁ、前はもっとこう、大丈夫かなって感じで、だいぶ変わった、変わったって感じるでしょ、自分でも」 初めて会う人だ。 見かけたこともない。町内はもちろん、このラジオ体操での中でも存在すら知らなかった。 そうか、老けて見えるんだ私。きっとお仲間の誰かと間違えているんだ。 ああ、こんなおじさんのお友達と間違えられるほどなのかと軽く落ち込みつつ、笑顔で対応する。 「うん。お宅の前
言葉に振り回されることはナンセンスである。そう書いてある本を読んだ。 感情によって口から出てくるそれは、意外と無責任なことがある。とくに目上や尊敬する人、憧れている人の言葉は絶対正しいといった前提で受け取っている人こそ振り回される。 先生だろうが作家だろうが感情に振り回されながら発言している。真実と責任から遠く離れた不安定で不確かな一言にいつまでも縛られて苦しむ人も多い。 批判や攻撃の発言のその裏には嫉妬や虚栄心が少なからず隠れている。 親だってそうだという。 むしろ家庭内では甘えと油断とで社会から離れてガードを外す。それが家庭の居心地の良さとも言えるが、疲れていたりストレスがある場合、誰か弱いものを攻撃したり馬鹿にすることで自分を保つ人もいる。そしてこれはかなりの数、存在している。 存在しているが当事者、する方もされる方も気がついていない。 仕組みがわかった。 アレはコレだったか。 母自
Amazonプライムのドラマ、「This is us 6]を見終わった。 なんだかしんみりしてしまった。余韻で亡くなった父とのことを思い出す。 立派な人だった。 もっと懐に飛び込んで、いろいろ話したかった。父が亡くなるその年の初夏、庭でまだ2歳だった息子が遊ぶのを二人で眺めていた。 並んで座っていたが二人とも照れ屋で黙っていた。 私はもう時間が少ないことを知っていたのでなんと会話をしたらいいかと空気を探っていたような気がする。 「人生はあっという間だよ」 余命のことは本人には黙っていたのに不意にそんなことを言うのでドキッとした。 「そう?年齢を重ねるとそんな心境になるものですか」 とぼけて明るく返事をすると今度はゆっくり、繰り返した。 「本当。あっという間だよ」 それが今でも耳に残っている。その横顔も。 それから二ヶ月後、亡くなった。 父は私のことをよく見ていた。私が痩せ始めたのに最初に気
急に思い立って気になっていた映画を観にいった。 毎朝聴いているラジオでアナウンサーが「すごくよかった」と紹介したのをきっかけに、それに反応して鑑賞してきたリスナーが口々にすごくよかったと投稿するのが続いた。 私の世代にドンピシャの時代設定で、昭和の小学生が「ああこうだったこうだった」と再現されているらしい。男の子二人のひと夏の友情物語という設定は正直そんなに惹きつけられなかったが、長崎の海が美しい、のと、昭和の小学生に惹かれた。 今朝の放送でまたリスナーが「よかったよかった」と言っているのを聴いて、今日、いっちゃおうかと思いついたのだった。 「週末、用事あるの?」 新聞をとってきたところの夫に聞いた。もし空いてるなら彼も同世代だから、ハマるかもしれない。一緒に行ってもいいかも。私たちはめったに映画の好みは一致しない。これは珍しく二人して満足する作品になるのではと考えた。 「あ、今月はずっと
本日のハイライト。 先日、YouTubeで飛び込んできた動画で風水師が「お台所のシンクの上の棚にお鍋とか置かないように。熱のものは下に、容器や調理器などを上の棚に置いてくださいね」と言っていた。 え・・うち、お鍋が上だ・・。 そのままその動画はスキップしたので、理由はわからない。 上の方がしゃがんで取り出すより使い勝手がいいと思う。 この家に住み始めた時から28年、ずっとそれでやっている。 気にしない気にしない。風水は「迷ったら採用する」スタンスでいい。 もう今更収納し直すなんて大変だ。 しかし、それ以来台所に立つたびにそれが気になって仕方がない。 不吉な台所。。。 ああ、知らなければよかった。 気になったまま使い続ける方がストレスなのでえいやっと思い切った。 ついでに換気扇のベタベタも拭いた。 相変わらず狭いが、半日かけて整理した棚がスッキリして嬉しい。 手の届くところにボールやシリコン
午前中のうちに冷蔵庫の残り物で作り置きをする。 夕方になにか保険があると安心できる。それがないと午後、ドラマを観ながら頭の隅で「今晩なににしよう」と考えてまったりモードに突入できない。 夫も息子も買ってきた餃子や唐揚げがでてきても文句を言ったりしない。むしろ、喜ぶ。 それでも私がせこせこ手料理を用意するのはなんなのか。 家族の健康管理のためか。特別料理が好きなわけでもないし、上手なわけでもない。 ましてや摂食障害に加えて食事制限もある私は、作っても自分ではそれを食べないことも多々ある。 フライやハンバーグなどを男子チームのために作り、自分は鶏胸肉やレバーや魚などの安心できるものを食べるのだ。 もし、ここにカプセルがあって、これさえ飲んでおけば栄養面はバッチリ、というのであれば私はどうするだろう。 自分が作ったものを家族が口に入れて健康管理を保っていると自負したいのか、ダイレクトに「うわ、お
なぜか最近モヤモヤしている。 髪を切りに行ったら美容師さんが前髪を短くした方が似合うと言ったのでその通りにしたら、元気な子供戻ったような感じに仕上がった。気に入ってすっかりいい気分になった。 と思ったのに、家に帰ると庭から息子が昼休憩でテーブルについてテレビを観ながらカレーを食べているのが見えた。 「おかえり」。 窓越しに両手を振ってくれた。 ただいま。瞬間、お母さんになる私。シャキンとする。ウキウキした気分はシュンと消えた。 スーパーに寄って買った食材を冷蔵庫にしまう。 朝、散歩をして体操をする。体をブンブン振り回し、大空を仰ぐ。いい気持ち。 さわやかに家に帰ると夫が新聞を読みながら「おかえり」。 ただいま。主婦になる。 目玉焼きとブロッコリーとウィンナーを炒める。 しかけておいた洗濯物をハンガーにかける。 あれ。なんか私、イライラしてる。 なんでだろ。 自分がわかっているようでわかって
なにを書いているんだろうと時々思う。 私の場合は特に世界に訴えているわけでもない。 具体的なアドバイスもお得な情報があるわけでもない。 訴えたいことがあるわけでもないというのは、ちょっと嘘かな。 誰かに話したくなる小さな幸せ、だけど口にして誰かに話すとその会話によってシュッと消えてしまう程度のささやかなこと。 家族の中で感じた悲しみと悔しさとやりきれなさ。 それを書きながら喜びも悲しみも引っ提げて進んでいく。 書きながら生きている。 ぽんと投げると、ときどき応援や励ましや客観的な視点が返ってくる。 それを受け止めて、頭のなかで転がして、反芻して遠い視点で自分を眺める。 そしてまた進む。 ブログは私のアルバムのようだ。 過去の記事は読み返さない。 恥ずかしくなって叫び出したくなるだろう。 過去の自分が痛々しくもなる気がする。 鼻で笑ってしまうかもしれない。 いつもその瞬間は必死なのだ。 でも
昨日はどうも動けず1日横になって過ごした。 週末、やや法事で体調を崩しつつあったが、日曜の午後をほとんど寝て過ごし復活したが、まだ本調子ではなかったのか。ぶり返したかのように動けない。 開き直って再度、ごろごろ。海外ドラマと読書とうたた寝でやり過ごす。 夕方になってすっきりした頭で思い返してみると、朝の散歩がよくなかったのではと思った。 6時半に家を出て、のんびり歩いて7時20分頃に戻ってきたのだが、その時間帯でも熱中症になっていたのかもしれない。 軽い頭痛、思考力低下、足の筋肉のこわばり、倦怠感だけの症状だったが、早朝とはいえ、すでにモワッと蒸し暑かった。 7時を過ぎると気温も31度、帽子を被って行ったが起き抜けの脱水状態で歩くには危険な気温だったのだろう。家を出る前にたっぷり水を飲んでいたがそれだけでは不十分だったのだ。 おそらくそうだ。 そこで。 今朝は5時起床、ゴミ出しと洗濯機のセ
今日も朝の散歩に行く。 いつもより出るのが遅くてラジオ体操は終わっていた。 代わりに体操が終わった後話し込んでいるおばさま二人が、ベンチに腰掛けていた。 ランニングコースを歩く人と、走る人。 私のようにのたのた歩く人はそういない。みな、私を追い越してゆく。 あきらかに私より年上のおじいさんも、小学生も。 よいよい、ゆくがよい。 私はみんなと違う。いろんなところが。 感じ方も、価値観も、体のつくりも、心の様子も。 ちょっと前までそれがすごく恥ずかしくて劣等感だった。 あれこれ自分の思う「普通」に近づくべく試したけれどやればやるほど苦しくなるか悲しくなるか。 自分を置き去りにするってああいうことをいうんだ。 いろんなことに動揺したりは相変わらずだけれど、近頃少し変化が見られる。 「だから、なに?」。 くだらないことで怒っている自分。 がんばりがきかない自分。 些細なことで悲しくなったりするくせ
早起きをして公園を散歩した。 コロナストレスでパンパンになっていた気持ちにすうっと風が吹く。 抱えた厄介ごとも、感情的に悲しくなったことも孤独感もすべて、きれいに流れていく。 どうでもいいことか。 今、生きてるんだし。 私の頭の中にある宇宙では私の感じることが全て。 でもだれにもその人の宇宙がある。自分が主人公の世界が。 夫からみたら私も脇役。母からも姉からも息子からも。 そう思うとすべてのことは中立だとわかる。 起きてる物事、人とのやりとり、会話。 意味なんてない。意味をつけてるだけなんだ。 相手がどう思うか、どう思われてるかよりも、自分の気持ちがどう感じどうしたいか。 私は。 結局のところ、やっぱり愛に生きたい。 ダサいけど。それしか思いつけない。それ中心の世界にいたい。 公園でラジオ体操をして、木の下に腰掛けぼんやりそんなことを考えた。
今日を乗り切ればと気負いつつ、もう夕方。どうにか逃げ切ったようで気分が緩む。 今朝のラジオで濃厚接触者の警戒期間を5日に変更しようかという案が出ていると言っていた。きっとそうなるのだろう。 とすれば、もうすでにクリアしている。 ホッとしたからか疲れが出てきたのか、午前中から寝ていた。 具合が悪いというのではなく、どうにもだるい。 いや、この怠さは例のあっちか。 寝よう寝よう、とにかく寝ようと椅子に腰掛けたまま目を閉じたら気がついたら眠っていた。 息子は平熱になったと言っても未だ食欲がない。 換気や食事をする場所、会話の距離、機嫌、症状。やはり気を使う。 出社できない夫は3時とか4時とか変な時間に降りてきて「僕何か食べるものある?」と言う。 白飯に塩でも振って食っとけ・・と思うが、遊んでるわけでもないので出す。 こちらもその日によって食欲が違うのでめんどくさい。 そこに加え、母が連日様子を聞
朝のラジオを聴きながらぼんやりした頭で考える。 そうだ。しばらく外出控えないといけないんだ。 昨夜のうちに当面必要な食材やら、ゴミ袋、洗剤などの日用品をネットスーパで注文しておいたから買い物に行く必要はない。しかし、1日家にいなくてはならないと思うと息苦しい。 今日は暑くなるとラジオのアナウンサーが言っている。 今のうちに、散歩してこようか。 起き上がり、家の前の緑道をまっすぐ進む。午前7時。ちょうど出勤通学と、犬の散歩の人達で賑わい始めている。 財布も持たず、マスクと携帯とイヤホンだけでただ、歩く。 これからの数日、朝は自由だ。なにしろ全員家にいるのだから。 息子はきっと9時過ぎまで寝てるだろう。夫にはお盆に朝食をセットしてきた。 急いで帰らなくちゃなんて考えず、のんびりのんびり歩いた。 横道にそれ、野菜の無人販売を見つけた。 なにかいい方向に向かっている。そんな気がする。 しんどくて息
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『okirakubiyori.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く