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こんな話がございます。 遠きいにしえより、我が朝におきましては。 辻占(つじうら)だの、橋占(はしうら)だの。 そういったものをよく行います。 夜明け前や黄昏時ナド、薄暗く寂しい頃合いに。 四ツ辻や橋のたもとにひとり立ちまして。 行き交う人々の言葉にじっと耳を傾ける。 そうして事の吉兆を占うものでございます。 かの平清盛の娘が身籠ったときも。 母の時子が一条戻橋へ出かけまして。 橋占を行ったトもうします。 そのとき通りかかった童たちの言葉の中に。 「国王」トあったのを耳にいたしますト。 生まれてくる子は天子様になるに違いないト。 大いに安堵いたしたそうでございますが。 これが後の安徳帝なのだから、占いも侮れませんナ。 ところで、どうしてそんなところで占うのかト申しますト。 人通りの繁しい場所は、霊力も強かろうト考えたからで。 人ならぬ霊異が人の口を借りて。 神の意を語り示すトいうのでござい
KATSUSHIKA HOKUSAI 転居93回、改号30回。北斎は本当に奇人だったのか 欧米での信仰的とも言える評価に反して、日本での北斎評はまず「奇人」である。 そのイメージは、飯島虚心の著した明治期の評伝「葛飾北斎伝」によるところが大きい。 序文にはっきりと「画工北斎畸人也」とあり、また家の中はごみまみれで、ために93回も転居したとある。 どうやら、絵を描くこと以外はまるで無関心だったようだ。 無愛想で人付き合いが悪く、金には無頓着だった。 掛取りが来ると、机の上に置きっ放しだった画工料を、包みのままどんと投げてよこしたという。 それでも食っていかないといけないから、一説では己の画号を弟子に譲って金に変えた。 それが30回という異常な改号の多さにつながったともいう。 (※クリックで拡大します) 晩年の弟子露木為一による「北斎仮宅之図」 虚心が露木から提供されたもの (左の女性は娘のお
こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 在原業平(ありわらのなりひら)ト申しますト。 ご承知の通り、色男の総元締めみたいな嫌な奴で。 生まれは高貴にして、容姿は眉目秀麗であるばかりか。 美女に目がなく、狙った獲物は必ず手に入れるトいう。 天照大神に仕える伊勢斎宮でさえも。 神前にて潔斎中の身でありながら。 コロッと落ちてしまったトカ申します。 なんとも罰当たりな男でございますナ。 さて、この色男の業平にも。 肝をつぶす出来事がございまして。 ようやく我々も溜飲を下げられる。 これこそバチがあたったのだトモ申せます。 なにせ、このときモノにしようとした相手と申しますのが。 伊勢斎宮に勝るとも劣らぬお方でございまして――。 あるとき、右近の中将在原業平朝臣は。 ある人の娘が絶世の美女であると耳にした。 そうなるト、居ても立ってもいられないのが色男。 さっそく、あれやこれやト言い寄り
こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 京の都のさる公卿のお屋敷に。 名を岩手の局ト申す女がおりましたが。 この者は姫君の乳母でございまして。 我が仕える姫君を、それはそれは大事に育てておりました。 ところが、この姫君ト申しますのが。 生まれつき病に冒されておりまして。 五歳になっても一向にものを話しません。 岩手は姫君が不憫で不憫で仕方がない。 そこである時、易者にこれを打ち明けますト。 いつの世も易者ト申しますものは。 無責任な輩ばかりでございますので。 「まだ女の腹の中におるままの、赤子の生き肝を食わせるより他にない」 ナドと吹き込んだ。 岩手は姫君が可愛くてなりませんので。 どうしても赤子の生き肝を手に入れたい。 その思いにすっかり取り憑かれてしまいまして。 生まれたばかりの娘を人に預け。 首には赤いお守り袋を掛けてやる。 「母岩手」ト書かれた形見の品。 「かかさまがお
こんな話がございます。 伊豆国熱海を、南東の海上へ去ること三里。 名を初島ト申す小島が、沖に浮かんでおりますが。 この島の開闢は、さる姫君の漂着から始まったトカ申します。 その昔、日向国に初木姫ト申す美しい姫がおり。 何の因果かこの島へ流されてまいりまして。 毎晩、無人の島から寂しく対岸を眺めましては。 焚き火を焚いて人の気配を求めておりました。 やがてこれに気づきましたのが。 伊豆山の伊豆山彦ト申す一柱の神。 さっそく姫は萩で筏を組みますト。 いとしい男神に相まみゆるべく。 どんぶらこ、どんぶらこ。 海を渡っていったトいう。 その育てた子らの末裔が。 今の伊豆山権現であるト申します。 さて、この初島の船着き場に。 遠く伊豆山を望むように立つ大きな松がある。 名を「お初の松」ト申しますが。 その由来にはこんな秘話がございます。 初島にまだ人家が六戸しかなかったころ。 そのうちの一軒に娘がひ
こんな話がございます。 越後国は新潟湊に、若い医者がおりまして。 名を長尾杏生(ながおきょうせい)ト申しましたが。 これが目鼻立ちの整った好男子でございます。 年は二十歳を過ぎたばかりながら。 洒落っ気もあれば、品性も良い。 女たちの注目を一身に集めておりました。 ある時、トある妓楼に呼ばれて参りますト。 芸者がひとり床に臥せっている。 名をお貞(てい)ト申しまして。 長らく気鬱を患っているトいう。 「お医者さん」 「どうしました」 布団からだらりと飛び出した白い手を。 軽く掴んで脈をとっておりますト。 虚ろな眼差しをそむけたまま。 恥じらうように女がそっと言いました。 「私、もう長くないんでしょう」 「馬鹿を言いなさい。気鬱くらいで死ぬ人はいませんよ」 女は年の頃、二十二、三。 結い髪はとうに崩れており。 後れ毛が鬢から力なく垂れている。 病身の隠微な美しさ。 「それでも、他のお医者さん
こんな話がございます。 都が奈良にあった頃の話でございます。 大安寺に弁西ト申す僧がございまして。 この者は白堂(びゃくどう)を生業トしておりましたが。 白堂トハなにかト申しますト。 欲深き民百姓どもがお寺にやってまいりまして。 あれやこれやト願い事を口にいたしますが。 その願いを仏に取り次いでやる者のことを申すそうで。 「子宝に恵まれとうございます」 「病身の母がどうか回復いたしますよう」 「縁結びをどうかひとつ」 ナドと、好き勝手なことを口々に申しますが。 弁西は嫌がる気色は微塵も見せず。 そのすべてを漏らさず書き留めてやり。 一つ一つを民に代わって丁寧に。 御仏(みほとけ)へ奏上いたします。 中には己のかつて犯した罪業の。 お目こぼしを求めに来る輩もある。 「実はむかし、朋輩を手に掛けたことがございます」 「隣の家の倅を人買いに売り渡しました」 「米蔵に盗みに入ったのは私でございます
TSUKIOKA YOSHITOSHI 「血みどろ」の時代 月岡芳年(つきおか よしとし)は「血みどろ」の絵師である。 妖と奇の巨人、歌川国芳に師事し、兄弟子に落合芳幾、河鍋暁斎らがいた。 一魁斎、玉桜楼などと号したが、最後は大蘇芳年と名乗っている。 出世作は、慶応二年刊行の「英名二十八衆句」、同四年すなわち明治元年の「魁題百撰相」。 両作の成功により、「血まみれ芳年」の異名をとった。 (※クリックで拡大します) 痴情のもつれによる殺人を報じた郵便報知新聞の記事より。 芳年の挿絵が今で言う報道写真の役割を果たした。 めくるめく生首、血しぶき、死に顔、鮮血のオンパレード。 残虐とグロテスク、怪奇、猟奇に満ちている。 「無惨絵」「残酷絵」「血みどろ絵」などと称される新ジャンルを切り拓いた。 同じく郵便報知新聞に提供した挿絵。 追い剥ぎに遭った女二人が、狼に食われた事件を描いたもの。 だが、その
こんな話がございます。 清国の話でございます。 太原に王某ト申す士大夫がおりまして。 朝の散歩に出ておりましたが。 まだ霧深い森の中。 その靄へ吸い込まれてゆくが如く。 女がひとり歩いているのが見えました。 小さな体に大きな包みを抱えている。 まるで旅でもしているかのような格好で。 王は不審に思い、後を追う。 「もし、お嬢さん」 ト、声を掛けましたが。 女は振り返りもしない。 黙って歩いていくばかり。 王はますます不審に思い。 歩みを早めて追いつきますト。 並んで歩きながら、女を見た。 見れば、顔つきはまだ幼げで。 年の頃は十六、七でございましょう。 みずみずしい若さの中に。 凛とした美しさがございます。 「こんな朝早くにひとりでどこへ行くのです」 娘は伏し目がちな憂い顔を。 さらに深く沈ませまして。 「所詮は互いに行きずりの仲。憂愁を分かちあえるものではございません」 ト、顔立ちに似合わ
こんな話がございます。 ご承知の通り、法華の総本山ト申しますト。 身延山(みのぶさん)久遠寺でございまして。 これは山がちで知られる甲斐の国の。 さらに深い山の奥でございます。 ときは冬。 吹雪の激しい日のことで。 振り分け荷物の旅人が。 参詣道を急いでいる。 法論石から小室山。 毒消しの護符を授かりまして。 富士川を下って身延へ参るべく。 これから鰍沢(かじかざわ)へ出ようという。 駿府まで急流が下る富士川の。 大きな河岸(かし)のひとつが鰍沢。 折からの大雪に足を取られ。 日暮れまでに抜けられそうにもない。 とはいえ、野宿もしようにない。 行けども行けども雪景色。 このままでは凍え死んでしまう。 そう心細く思っておりますト。 遠くに人家がポツンと見えてきた。 「御免ください」 あばら家の板戸をドンドン叩く。 ガラリと出てきましたのはひとりの女。 どうかト一夜の宿を乞うト。 どうぞト中へ
こんな話がございます。 ある山奥の貧しい村に。 竹林に囲まれたぼろ屋がございまして。 老婆と孫娘が二人で暮らしておりましたが。 夜空に月が白く冴えた。 ある秋のことでございます。 高く伸びた竹がゆらゆら揺れる。 竹の葉がさらさら音を立てる。 風がかたかた板戸を鳴らす。 「おばば。寒くて眠られない」 「よしよし。おばばの布団へおいで」 おばばは齢六十で。 孫娘の志乃は十六で。 おばばには倅が三人おりましたが。 この数年で次々と亡くなってしまい。 残されたのはこの志乃ひとりでございます。 ほかに身寄りのないおばばは。 志乃を心底可愛がっておりました。 トハいえ、まだまだ子供と思っておりましても。 世間では十六といえばもはや年頃でございます。 現に、ひとつ夜着の中で身を寄せ合っておりましても。 志乃の体つきが小娘から娘に変わりつつあるのがよく分かる。 「志乃にもそろそろ婿を探してやらねばならんの
こんな話がございます。 三代家光公の御世のこと。 豊前国小倉藩は細川殿の領国でございましたが。 その隷下に高橋甚太夫ト申す弓足軽の大将がおりました。 この者は曲がりなりにも大将トハいいながら。 武士の風上にも置けぬ小人物で。 いま、足軽トハいえ大将の職責にありますのも。 実は同僚の手柄を盗んで奏上したためであるという。 ところが、この者がそれでもなんとかやっておりますのは。 一にも二にも、この者には惜しいほどのよくできた妻があったためで。 妻は名を千鶴ト申しまして。 近在の百姓の娘でございましたが。 容姿は地味ながら美しく。 人となりはしとやかで慎み深く。 まさにその名が示す通り。 掃き溜めに鶴といった趣で。 さて、この頃は諸国大名の国替えが頻繁に行われておりましたが。 細川殿もかの肥後国熊本藩へ転封と相成りました。 夫婦は初めて生まれ故郷を離れましたが。 亭主は異国暮らしに浮かれたものか
こんな話がございます。 唐土(もろこし)の話でございます。 越の紹興に沈某という若者がございまして。 この者の住処は東岳廟の参詣の途次にございました。 東岳廟トハ何ぞやト申しますト。 これは泰山府君を祀るもので。 では泰山府君トハ何ぞやト申しますト。 これは寿命を司る神でございます。 それ故、泰山府君は非常に篤い信仰を集めている。 参道は人出も多く賑やかでございます。 沈は参詣客たちに自宅で酒食を振る舞っておりました。 我が朝で申さば、さしづめ伊勢の御師みたいなものでしょうナ。 さて、三月二十八日は泰山府君の誕辰。 つまり生誕日でございます。 参道はひときわ賑やかとなりまして。 沈家の門内も押すな押すなの大盛況。 沈も客たちの世話に馳せまわっておりましたが。 その喧騒という泥中に。 咲く蓮の花のごとき女の姿。 高貴な身なりの若い女人が。 外から門内を覗く姿がちらりト見えた。 その身は人形の
こんな話がございます。 都が奈良にあったころの話でございます。 陽は山の端に傾き入り。 群青の闇が押し寄せる中。 墨を引いたように続く一本道を。 ぽつぽつ歩く人影がひとつ。 これは名を寂林(じゃくりん)ト申す旅の僧。 まだ三十路にも手の届かぬ若い聖でございます。 十六年前に故郷を出て以来。 諸国行脚の修行の最中で。 僧にもかつて愛しい母がおりましたが。 その母が不慮の死を遂げましたのを機に。 母への、土地への、根深い執着を断たんがため。 一念発起、国を捨てたのでございます。 さて、ここは大和国は斑鳩の。 寂林法師のその生まれ故郷。 長年の修行は心を堅固にし。 もはや、母へも国へも何ら想いはございません。 里外れの一本道に。 風がひゅうひゅう吹きすさぶ。 草木がさらさらトなびきます。 ト、その時、行く手の藪の中に。 怪しき人影が見えました。 前かがみに両手を膝へ突き。 ムチムチと肉付きの良い
こんな話がございます。 江戸四宿の一、奥州街道は千住の宿。 ここは小塚原(こづかっぱら)の刑場に近いためか。 はてまた、掘れば罪人の骨(こつ)が出るためか。 一名を「コツ」ト申しますナ。 さて、このコツに立ち並ぶ女郎屋を。 一軒一軒拝んで歩く坊主がひとり。 名を西念ト申す願人坊主(がんにんぼうず)。 千住いろは長屋、への九番に住むトいう。 良く言えば坊主でございますが。 有り体に申せば乞食も同然で。 念仏の真似事をして、人様から施しを受けている。 朝は一番に観音様へお参りをし。 それから日暮れまで江戸中をもらって回る。 実に熱心なおもらいでございます。 そして、軒下に立つ西念のその姿を。 二階の手摺から見下ろしている。 美しくも、はかなげな人影がひとつ。 これは女郎屋若松の板頭(いたがしら)。 つまりこの店一番の人気女郎で。 年の頃なら二十二、三。 名をお熊ト申す、稀代の美人でございます。
こんな話がございます。 甲斐国は身延のあたりの山あいに。 母ひとり娘ふたりの女所帯がございました。 父は五年前に亡くなりまして。 母は元々その後添えでございました。 妹娘のお君は今の母の子でございますが。 姉娘のお雪はト申しますト。 これは死んだ前の母が産んだ子でございまして。 世の中に継母と継子の仲ほど面倒なものはございません。 誰しも腹を痛めて産んだ子が可愛いものでございましょう。 前の女が産んだ子など、まるで仇も同然で。 しかも、その父親はもうこの世におりませんので。 「お雪。お前はどうしてそんなにのろいんだよッ。一体、誰に似たんだろうね」 ト、おっかあは何かにつけて姉のお雪を責めますが。 実のところ、真にのろいのは妹のお君のほうでございます。 「おっかあ」 「何だい。お君」 「あたい、苺が食べたい」 時は十二月。 外は一面の雪景色。 苺は六月に実をつける。 夏の水菓子でございます。
こんな話がございます。 さる国の城の奥御殿に。 侍女が二人おりまして。 名を金弥(きんや)に銀弥(ぎんや)ト申しましたが。 容姿は世にも愛らしく。 仲はト言えば睦まじく。 起き伏し常にともにあり。 いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)で。 「銀弥さん」 「はい、金弥さん」 ふっくらト白いもち肌に。 緑の髪を肩まで下げ。 紅い唇をすぼませながら。 「お花が咲いておりますねえ」 「本当。きれいに咲いておりますねえ」 ナドト微笑み合う様は。 まるでメジロの姉妹のようで。 十六の娘盛りではございますが。 あどけなさはほんの童女のよう。 二人の零れんばかりの愛嬌に。 主君も深く慈しんでおりましたが。 ある時のことでございます。 金弥がふとした風邪心地から。 ひどく患いつきまして。 遠く離れた父母の家に。 しばし里帰りトなりました。 ところが、それから待てど暮らせど。 一向に金弥の消息がございませ
こんな話がございます。 天竺の話でございます。 舎衛国(しゃえいこく)に、さる高名な婆羅門(バラモン)がおりました。 婆羅門ト申すは、かの国古来の祭祀者でございまして。 かの国では人は生まれながらに四つの階層に分かれておりますが。 その最上位が、この婆羅門と呼ばれる者たちでございます。 王侯貴族でさえ、その下位に甘んじているトいう。 もっとも、釈尊は婆羅門ナドどこ吹く風でございましたので。 仏家ではこれを外道(げどう)ト称します。 この高名な婆羅門は、三経に通じ五典を究めた人物で。 国の政事から種々様々な学問に至るまで。 この者に学ぶ者は実に五百人を数えておりました。 さて、この婆羅門には寵愛する優れた弟子がおりまして。 一名を鴦掘摩(おうくつま)ト申しましたが。 かの国の言葉では「アングリマーラ」ト発します。 何だか、ボンヤリと間の抜けたような名前でございますが。 その意味するところは「
こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 只今では節分の日になりますト。 豆を撒いて鬼を追い払ったりナド致します。 ところで、この風俗の大元はト申しますト。 「追儺(ついな)」ト申す新年の宮中儀礼で。 古くに唐土から伝わったのだそうでございます。 この時、鬼を追い払う役を「方相氏(ほうそうし)」トカ申します。 熊の毛皮を頭から被り。 四つの目玉のある仮面を着け。 黒い衣に、朱い裳を履き。 手には矛と盾とを握りしめている。 威容を持って鬼を追い払おうト申すのでしょうが。 ――これでは、どちらが鬼だか分かりませんナ。 事実、我々が今日思い浮かべる鬼の姿は。 この方相氏が元になっているトカ申します。 さて、お話は唐の開成年間のこと。 洛陽に盧涵(ろかん)ト申す者がございまして。 この者は年は若く、見目麗しく。 おまけに財力にも恵まれている。 実にイヤらしい男でございます。 金と暇とを持て
ところが、この与兵衛ト言うのが只者ではございません。 廻り髪結いト申せば聞こえは良いが。 呼ばれなければ廻りもしない。 時には呼ばれても行かない始末。 髪結いなんぞは博打の合間の余興程度に考えている。 江戸を離れ、かような在に住まっておりますのも。 そもそもが江戸に住まっておられなくなったからで。 引き窓の与兵衛ト呼ばれておりますのも。 金に困るト、引き窓――つまり、台所の上の天窓ですナ。 そこから忍び入って、盗みを働くトいう悪癖からで。 初めからお早を良い金づるくらいに思っている。 さっそく、好きな博打に金を使い込む。 博打で蔵を建てた人など聞いたことが無い。 大抵は取られるものト決まっておりますので。 半年も経たぬうちに新所帯は没落する。 荷車で運び入れた着物の山ナド見る影もない。 亭主は継ぎを当てた半纏を着て。 女房は簪ならぬ木の枝を髪に挿している。 そんなある日の暮れ方のことでござ
こんな話がございます。 武蔵国の国分寺のほど近くに。 恋ヶ窪ト申す地がございます。 かの源頼朝公が、鎌倉に本拠を構えておりましたころ。 ここに上州と鎌倉を結ぶ街道が通っておりました。 その頃ここはその鎌倉上道の宿場町でございまして。 往時は騎馬の武者や旅の商人などで賑わっており。 茶屋や遊女屋が軒を連ねておりました。 この地には、池がひとつございまして。 付近の湧き水を集めて、深々と湛えておりました。 水は清く、その表は鏡のようにぴんと張り詰めている。 青い空と白い雲が、さながら地を這うように見えたトいう。 その頃は手鏡なんぞあまり身近ではございませんが。 この宿場町には明鏡止水トモ讃えるべき池がある。 畔にはいつでも水を覗き込む遊女たちの姿があり。 このことから、姿見の池ト名がついたのだト申します。 さて、この宿場町の賑わいに。 華を添えた傾城たちのその中に。 名を夙妻太夫(あさづまだゆ
こんな話がございます。 大和国のトある商家に。 尼僧がひとり立ち寄りまして。 一夜の宿を求めました。 そればかりなら何の事はない。 誰も妙には思いますまいが。 この尼がただならぬト申しますのは。 あまりに若く美しかったからで。 白い頭巾から覗くその美貌。 年の頃なら十八、九。 餅のような頬にうっすらト紅が差し。 墨衣に包まれた姿態も妙にしなやかで。 「それはもちろん構いませんがな」 ト、主人が舐めるようにその容姿を見下ろす脇から。 「お前様のような別嬪がどうして尼に」 ト、お内儀(かみ)が割って入りました。 「それでは、お話いたしましょうから、家の方々を集めてくださいませ」 尼僧がこう申し出ましたので。 家内は無論、隣近所からも人が詰めかける。 にわかに法話の席が設けられました――。 尼は俗名をお雪ト申します。 まだあどけない童女であった時に。 二親に立て続けに死なれまして。 幼いながら天
こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 河内国のトある在に。 田夫がひとりございまして。 名を「石別(いそわけ)」ト申しましたが。 この男は瓜売りでございます。 育てた瓜をみずから売り歩いている。 その相棒を務めるのが一頭の馬。 牝馬でございますが、働き者で。 もっとも、好きで働いているのかどうかは分かりません。 トいうのも、主人の石別がこれが酷い男でございます。 欲の皮が突っ張ったとは、この者を言うのではないかトいう。 瓜を一つずつ縄でくくって繋ぎまして。 数珠つなぎにしたものをいくつもこしらえる。 それを山のように高々と馬の背に積んで運ばせます。 その重さたるや、馬の蹄が土にめり込んでしまうほどで。 あまりの重さになかなか馬の脚が前へ進みません。 するト、前を行く石別がキッと目を剥いて振り返りまして。 手にした木の細枝を鞭にして、馬の腹を力いっぱい叩きます。 ピシッ、ピシッ
こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 唐の咸通年間のこと。 トある城下の、トある巷間に。 幻術使いが一人現れまして。 童子一人の手を引いておりましたが。 どうして、これが幻術使いと知れたかト申しますト。 「さあ、お立ち会い、お立ち会い。これから世にも不思議な幻術をお目にかけましょう。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい――」 ト、みずから吹聴して歩いておりますから。 ナルホド、こいつは幻術使いだなト。 巷の人々にも知れたので。 まるで西域人みたような。 栗色の巻き毛に獣皮の帽子。 見るからに胡乱な男でございます。 ただし漢語は何故だか流暢で。 子どもたちは、二人の後をはしゃいでついていく。 大人たちも冷やかしに、後を追っていきますト。 トある広場に差し掛かるや、幻術使いは立ち止まった。 手を引かれてきた童子もまた、立ち止まる。 年の頃なら十歳ばかり。 まだあどけない童子でございます
こんな話がございます。 木曽の山中、人里離れた静かな森に。 木こりが一人住まっておりまして。 枝木を伐って暮らしを立てているトいう。 貧しい山男でございましたが。 与市ト申すこの者は、三十路を過ぎてなお独り身で。 ト申しますのも、早くに二親に死なれてしまい。 父親の商いを、見よう見まねでやってまいりましたので。 もう十幾年も、今日食うのに精一杯で。 嫁取りはおろか、人付き合いもろくにしたことがない。 今日も今日とて、形見のナタを腰にぶら下げまして。 通い慣れた獣道を、奥へ奥へト歩み進んで行きますト。 突然、目の前にぱっと広がりますのは。 深い谷ト遠くの山々まで一望する。 崖の上からの景色でございます。 近頃、与市は毎日ここまでやってまいり。 日暮れまでずっと木を伐っておりました。 ここでナタをふるいますト。 カーンカーントいう甲高い音が。 谷底に大きく響きます。 するト、寂しく暮らす与市に
こんな話がございます。 河内国は暗峠(くらがりとうげ)。 峠を越えたその麓の村。 平岡の里ト申す地に。 娘が一人おりまして。 山家の花じゃ、今小町じゃト。 土地の小唄に謡われるほどに。 器量良しで知られておりましたが。 山の神は女だト。 山国ではよく申します。 娘のあまりの美しさト。 男たちからの評判に。 神も妬みましたかどうか。 乃至は「二物を与えず」か。 この美しい娘の生涯は。 それは哀れなものでございました。 年十六の娘盛り。 数多の男が娘を巡り。 互いに争い合う中で。 村のトある若い衆が。 娘をついに射止めました。 新郎新婦が盃を交わす。 袖にされた男たちは口惜しさに。 横目でやけ酒をあおっては。 慰めあっておりましたが。 ナント、この幸せ者の新郎が。 ひと月ト待たずに死んでしまった。 するト、慰めあっていた男たちが。 再び仇同士ト相成りまして。 娘を巡って争い合う。 そうして、ま
こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 陸奥国の介(すけ。次官)を務める者がございまして。 通称を大夫の介と呼ばれておりましたが。 この者は年を取ってから後妻を娶りました。 十五の娘を連れ子にした、いわく有りげな女でございます。 古今東西、地位ある年寄りに擦り寄る女に、 ろくな者がいたためしはございませんナ。 この者の後妻もまた、ご多分に漏れませんでして。 ハナから目的は金、金、金でございます。 常日頃から気弱そうな家来を物で釣って手懐けている。 そうして、ひたすらに時機を待っているのでございました。 ある時、大夫の介が長らく屋敷を留守にすることになった。 後妻はさっそく、この石麿ト申す家来を呼び寄せまして。 「お前のために前々から良い子がいないものか探していたのだが、とうとう見つけたよ。お前さえ気に入れば、今夜夫婦にさせてやるつもりだが、どうだえ」 ふと見やるト、その陰でもじ
「なに、誰も聞いてなどおらぬ。お前のお陰で邪魔者を消して、首尾よく跡を継ぐことが出来た」 「わ、わしはただ――」 「いいのだ。そのことを蒸し返そうと言うのではない。実は、おきせがとうとう我が胤を宿してな」 「ご新造が」 「そうだ。そこで、お前に折り入って頼みがある」 「な、なんだね」 身を乗り出してくる浪江の顔を、正介は息を呑んで見返した。 「どうも真与太郎の目つきが気に食わない。あの目はいつか俺を親の仇だなどとつけ狙う目だ」 「ば、馬鹿を言っちゃあいけねえ。二つやそこらの乳飲み子に、目つきも何もありましねえ」 「お前、あれを殺せるだろう」 途端に正介の胸がドッと高鳴った。 「お、お前様。いけましねえ。いけましねえ。あんな頑是ない坊ちゃまを――」 「なんだ。嫌なのか。ははあ、なるほど。お前、去年の落合の件では余儀なく加担したが、心ではまだ元の主人への忠義があるものと見える。さては、いつか俺
こんな話がございます。 馬場で知られます高田の砂利場村に。 大鏡山南蔵院なる寺院がございまして。 これはその天井に墨絵で雌龍雄龍(めりゅうおりゅう)を描いたという、 絵師菱川重信の話でございます。 重信は年三十七、元は秋元越中守の御家中で。 名を間与島伊惣次(まよじま いそうじ)ト申す武士でございましたが。 生来、絵が好きなものですから、じきに堅苦しい勤めが嫌になる。 みずから暇を申し出まして、柳島の新宅に引き籠もりますト。 爾後、絵ばかり描いて暮らすようになったト申します。 妻は年二十四、名をおきせト申しまして。 これが大変な美人でございます。 役者の瀬川路考演ずる美女に似ているト。 誰言うとなく「柳島路考」ト呼ばれるほどで。 さて、この重信に、ある時お弟子が一人できました。 名を磯貝浪江(いそがい なみえ)ト申す、年の頃二十八、九の浪人で。 鼻筋が通って色は浅黒く、苦みばしった佳い男で
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