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世界禁煙デー
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バイク用品店のセールが2月一杯までと思っていたら昨日で終わっていました(これ書いてるのは28日)。頭きたので今日はちょっと熱く語ります。 先日書いた無縁社会問題ですが、それについて、無縁でいいじゃないか、と、介護などの問題を地縁・血縁で解決させてきた今までの社会に問題があるのだから、みたいに言う人がいます。 気持ちや結論は分かるんですが、え、と思うところがあって。 というのは、介護をほんとうに地縁血縁で解決させてきたのか、と。 田舎に両親を置いて都会に就職するというパターンは、高度成長期にはすでに当たり前になっている話です。昭和三十年代後半からの話です。しかし実はその頃にはまだ介護なんて問題は生じてないんですよね。介護という言葉は1970年以降に介護用品の会社の社長が広めたって話は有名です。また、有吉佐和子が恍惚の人を書いたのもその頃ではなかったか。つまり「ボケ」がこのころやっと知られたの
えーと、生きてました。(と、書いても定期的に読んでいる人は最近いるのかわかりませんが) とりあえず、昨日発売の文芸誌をパラパラ各誌眺めて居たのですが、単刀直入にいって、『文學界』の新人小説月評が酷すぎます。余りにひどいので、番外編として今日は書かせて頂く次第。 問題は右側の黒瀬某氏のもの。 純文学をもはやマイナーなジャンルと切って捨てるのは別に構わないし(現実として実際そうでしょうし)、マイナーなジャンルとしておきながら、同時代に向き合えとか今それが書かれる必然性を問うのも、読んでいてクエスチョンマークが駆け巡るというかなんか矛盾を感じますが、物凄く好意的に解釈すれば、黒瀬氏は純文学をマイナーとしつつもマイナーであってはならないと思っているので必然性など云々するんだ、と、きっとそういう事で、これくらいは看過できます。 しかし島本理生の作品に対する評は、これは、どう考えてもおかしいでしょう。
しょうもない言葉遊びはなくなったのだけは良かったが、前作で書いた事以外に書くことは殆どない。ようするに、何の区切りもなく視点を切り替えたり時空を行き来するような、読者を自由にするというよりは結果として混乱に縛りつけるような「技術」以外に、いったいこの作家に書く事があるのか、ということだ。 (ところで、いつもこの作家のことを悪く書いているが、それでも私は読んではいるのだ、ということは念のためここで書いておきたい。以前とは異なり、文芸誌に載っていても全部は読んでいない。それらの読んでない作品の評価よりは、まだこれはマシということなのだ。) 地方の工場労働者の話。というと暗い何かを予感させるが、東海地方といえば北陸の一部とならんでじつは世界有数の技術集積地帯でもあるし、実態以上に深刻方面に傾き加減になるのも文学の陥りやすいところで、この作者と同年代かそれ以上の年代の者にとっては、それなりに俺らは
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