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衆院選
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<平塚5遺体>岡本容疑者、刃物で裁判所執行官にけがも | Excite エキサイト : ニュース なんかねえ、このニュース、飽きたというか、ワイドショーがこの件ばっかり時間さいて取り上げてるのってどうなのよ?と思う。殺された女の子のmixi日記だのハンドルで書いてた日記だのが晒されてますが、これ以上なにをつついても「下衆のかんぐり」でしかないわけだし。しかしああいう風に情報が流れてしまうのだとしたら、mixiにもあんまり書けないよねえ。 容疑者として取り調べを受けている母親の過去の行状についても、ワイドショー的な観点ではネタが豊富で番組作りに苦労しないってことなんだろうけど、あまりにも下世話な取り上げ方で安易すぎないか?
少女時代のある時期、クラシック音楽ばかりを聞いていた。家には河出書房かどこかから出ていたクラシック音楽全集があって、いわゆる名曲といわれているものはたいていあった。そんな中で、自分がはじめて買ったクラシックのレコードは、バレンボイム指揮のホルスト「惑星」だった。オケがどこだったか、フィラデルフィア管弦楽団だと記憶しているんだけど、現物はアナログプレーヤーが家になくなってからどこかへしまいこんでしまったし検索してもそれらしいのがないので、あやふやなんですが。 でだ。平原綾香のジュピター。これを聞くと気分の悪さが胸の奥というか腹の奥というかとにかく奥のほうから沸き上がってきて、抹殺したくなるのだ。 原曲を聞いたことのある人ならわかるとおり、「木星」という曲は、テンポの緩急とリズムの歯切れの良さが際立つ曲だ。そのメリハリの効いた緩急と歯切れが、太陽系最大の惑星である木星のスケール感とかダイナミッ
というわけで、糸井重里氏の例のあれについてのお話。 私は昨日、以下のようなTweetをしました。 @phoquesan: 私も何度でも書きますが、この糸井さんの基準は、今まさに踏みにじられつつあるマイノリティの抗議に対して厳しすぎるというか、もっと言えば踏みにじっている側を利するものとなりうるというかなっていることに無自覚だと思う。故に賛同できない。 http://t.co/Boi7lP2php 正直に言えば、糸井さんがこれを言った文脈に限定するならば、私の意見は糸井さんとそれほど異なるわけではないのです。福一の事故における放射能汚染の被害をないことないことヒステリックに言い募る側に与したいとは微塵も思わないし。 (病気抱えてるから普通の人より頻繁にX線撮影とかCTとか撮ってるので、多分被曝量もかなり多い方だと思うけど、鼻血出たことなんてありませんよ。ヘパリンとか使ってるので普通より出血し
これもうずいぶん前から何回も言い続けているので、私と親しい人には耳にタコかもしれないけど。 いわゆる「赤ちゃんポスト」と呼ばれるものについて。 すくなくとも日本国内では、そういう呼称で呼ばれるものは、ただひとつしかないわけですよ。 そしてそれには、「こうのとりのゆりかご」という正式な名前が付けられている。 この名前は、ポストという「お手軽に投函する」イメージからくる、安易な子捨てであるとか、いらない子供であるとかの印象を避けるための配慮がされている、と誰でも思うはずです。 にもかかわらず、毎度毎度、これに関連する話題がマスコミに出るときは、あたかも一般名詞であるかのように「赤ちゃんポスト」という呼称がまず使われ、申し訳程度に正式名称の「こうのとりのゆりかご」に言及されることがある(されないこともある)。 これ、おかしくないですか? ただひとつ、それしかないものであり、類似のものがなく、正式
ずいぶんと長い間、その人の名前を思い浮かべるだけで涙が出てくるというくらいに想っていた人がいて、で、全然縁がなくなってしまってから20年くらいの時間が流れて、去年ふとfacebookで再開したわけなのですが。 もともとマッチョな考え方の部分が見え隠れする人ではあったのだけど、その縁がなくなっていた長い長い間に、私の中での彼の人間像は美化されていて、そして現実の彼はマッチョな部分が大きくなっていったようだった。(なんかいわゆる九州男児の悪い面みたいなのが典型的に出ているというか) まあ彼も家庭を持って、昔と同じではないのはわかるのだけれど。というか、昔の私が彼をどのくらい知っていたのかもこうなってくると疑問なんだけど。 某テレビでの竹田某の発言に対する抗議の文章をシェアしたところ、そこについた彼のコメントが、なんというかすごく読んでいてつらくなった。 在日が抗議活動を起こすのは藪蛇になってい
ええと、8月某日、あと1月以内には新しいiPhoneが出るのがわかっていたのにあえてiPhone5を買ったわけですが、その理由は、愛用の4Sが充電できなくなったからでした。 一応アップルストアに持ち込んで確認したところ、バッテリーも基盤も大丈夫だけどドックコネクタが死んでいる、ただしドックコネクタの交換は中身全交換になるので17800円、とか言われたので、ならいっそ新しいのにしようかと思ったわけですね。 で、iPhone5(5Sでも5Cでもない)とPocket Wifi併用で、つまりモバイルデータ通信を完全オフにした状態で使っているわけですが、お金けちって16Gにしたので、アプリたくさん入れるとアップデートができなくてそのたびになにかを消さなければならない、という…。 で、たまたま探してたら、ドックコネクタの交換方法を説明しているサイトを発見し、コネクタとか工具とかはアマゾンさんでそんなに
ここに書くことは基本的には素人の戯言ですから突っ込みどころは多々あるでしょうがご容赦ください。 バブルの頃って私の印象ではものすごくエネルギーとか無駄遣いというか、大量に消費することが正義!みたいな時代だったと思っていたし、その後の20年くらいで省エネ技術もすごく進んだし、デフレで消費は低迷していて社会全体が活気がない、というのが一般的な常識みたいなものだから、 *バブル時代=現状の発電量から原発依存の30%を除いた発電量でまかなえていた時代 というのは、相当びっくりする話だったわけです。厳密な分析は不明だけどとりあえず数字としてはそれらしいものが出てるみたいです。 まあ、これ以前にも、「そもそもオール電化とかやってなけば計画停電なんか必要なかったんじゃないの?」とか、「そもそも計画停電自体が、『原発ないとこんなに困りますよ』的なおどし」だという声もちらほらと聞こえてはいたのではありますが
伊達直人現象とか言われていたのがタイガーマスク運動とか呼ばれるようになった。 朝日新聞のBeに載っていたマンガで、一度に六個もランドセル買おうとするオジサンを店員が「孫が六つ子」「いや双子が三組」とか言ってるんだけど、あーそうだよなー一度にランドセルを二つ以上買うって相当珍しいことだろうから店員は覚えているだろうなとか考えて、でもってその視点はなかった漫画家ってすごい、とか思ったんだけどそんなことはどうでもいいんですが。 ここしばらくずっと考え込んでしまっていること。 アメリカで、社会保障制度が不十分であることを寄付とかチャリティとかが補っている状態を、(それに比べれば)制度が整っている国である日本に住みその恩恵を受けている自分は、「政治がサボってるツケを個人の善意に頼るような社会は不健全」っていう風に考えてきたわけですよ。でもってまあこれは、私が「政治(少なくとも内政)とはイコール再分配
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