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ドラクエ3
pto6.hatenablog.com
二日間の勤務を挟み、今日から夏休み後半戦だ。 昨夜はそのお祝いも兼ねて、マンシャン前の提供公園で花火をした。家族四人で愉しむには多い量だったが、花火から花火へと出来るだけ火が途切れぬようにとリレーを繋げているうちに、いつのまにか最後まで使い切れていた。 明日から二泊三日の旅行に行くということで、今日はその準備も兼ねてゆっくりと家の中だけで過ごした。子供ふたりが仲良く遊んでくれたので、私も隙間隙間で読書ができた。仕事を離れて読む本は、心から楽しむことができるなと再確認。 小説はもちろんのこと、それがビジネス書であっても純粋な好奇心のもとで伸び伸びと吸収することができる。やはり自分の意思で進んで行う学習に勝るものはないのだろう。 そんなわけで、夏休み後半戦の初日はのんびりと過ごした。久々に心にゆとりを持って子供たちとも接することができ、彼女らの愛おしさに胸をときめかせた。 なにも長期休暇じゃな
今日遅ればせながら病院で検査を行った。 行かずとも状況証拠で感染は明らかだったが、感染証明を正式にもらいたかったのだ。なぜなら、入っている医療保険がコロナ感染時にも補償がおりることを思い出したからだ。 無責任な保護者の判断ミスにより幼稚園でうつされ、そのせいで外出もできず、習い事のレッスンも無駄にし、食糧もネット配送を駆使したことで余計な費用がかさんでいる。もらえる補償くらいもらっておかねば、どうして我慢できよう。 発熱診療で予約を取り、妻と交代で病院に行った。抗体検査で鼻の奥をグリグリされ、涙を流しながら待つこと10秒。すぐに陽性だと診断された。そりゃあんだけキツかったんだから、でしょうねといった感じ。 もちろん妻も同様で、家に帰るとすぐに厚生労働省のシステムに情報登録をし、陽性となった証をスクリーンショットした。妻が事前に保険窓口に確認したところ、それを添付すれば補償を申請できるような
高熱に頭痛、悪寒に鼻詰まりで酷い仕打ちだった。 割れんばかりの頭の痛さに眠ることができなかった。深夜には我慢できなくなり、鎮痛剤を乾いた喉に無理やり押し込んだ。それでもすぐには効かない。 ソファで横になったり、布団に戻ったり。最終的には、大好きなラジオを流して気を紛らわせながら、いつのまにか眠ることができていた。 朝起きると、少しは頭の痛みが引いていたが、それでも38度くらい。さすがに昨夜がピークであろうと思いたいが、それでも症状が引くまでにはもうしばらくかかりそうだ。 不幸中の幸いだが、オーダーをうけていた仕事は、発症する直前に終わらせることができており、昨日時点で報告も済ませていた。ただその成果物について本日上司とディスカッションをする予定だったのだが、さすがにコンディションが悪いので延期を申し入れた。 上司は体調最優先とご配慮をいただき、成果物に対しては確認してフィードバックを送って
ついに我が家の大人ふたりが体調を崩した。 昨夜寝るときから喉と肺に違和感を感じ、これはマズイかもなと思っていたのだが、案の定、朝からお腹を壊し、昼過ぎくらいから段々と辛くなってきた。 頭がぼうっとし、悪寒が走り、腰が猛烈に痛くなった。ついには椅子に座っているのも辛くなり、しばし休憩をとりソファで横になったが、起きて熱を計ると38度5分。検査を受けたわけではないのだが、状況証拠的に、感染したのは火を見るより明らかである。 さらにタイミングを同じくして妻も同様の症状でダウンした。最初に感染した娘はすっかり回復しているのだが、ついに家庭内感染が始まってしまったようだ。一週間もの間粘っていたのに。残念でならない。 これであと家庭内で症状がでていないのは1歳の息子だけだ。ただ彼は生活の中で私たちと接しないわけにはいかないので、感染するのも時間の問題かもしれない。願わくば、感染しても無症状であってほし
先週末に新しい案件のオーダーをもらった。 前の案件での働きぶりが認められたようで、なんだか嬉しかった。今度は自治体に対するコンサル案件で、提案内容も前回のものとは大きく異なっていた。 広い意味での「扱うテーマ」と「上流工程」だということだけが共通項で、ほんとうに色んなことを受け持つんだなあと、ニ案件目にして早くも実感した。 ただ、ちょうど最近興味を持ち始めていた分野だったので、まさに渡りに船といったところで嬉しかった。 なかなか普遍的な題材なので、休憩中には妻とも雑談をしながらいくつか有益な意見をもらった。最初は雲を掴むような話でとっかかりさえ見つからなかったが、仮説をもとに情報を集め、それを整理していくうちに、徐々にだが方向性やイメージが見えてきた。 これまで請け負ったオーダーの中では最大ボリュームであり、進め方や報告手法もだいぶ裁量を与えてもらった。その期待に応えるためにも、自信を持っ
娘がついに平熱まで下がった。 まだ少し喉は痛いらしいが、それ以外は健康時となんら変わらない。それでもまだしばらくは隔離が続く。なるほど、これは待機期間の議論が白熱するわけだなと実感した。 まだ他の家族にもうつっていない。家の中ではマスクをし、定期的に手洗いや消毒を実施する。寂しくて退屈そうだが、娘もなんとか耐えてくれている。 そんな娘が部屋から顔を出すので、廊下を隔てて短い会話を交わす。いずれもささやかな時間だが、それでも孤独の中にいると嬉しい時間であるようだ。こちらが申し訳なくなるほどの満面の笑みを見せてくれる。 ほんとは「もう少しの辛抱だからね」とでも励ましてあげたいのだが、残りの日数はまだまだあるので、口が裂けてもそんな偽りを口にしてはならない。 当然私たちも外には出られない。息子も退屈しているが、できるのはたまにベランダに出すくらいだ。それでもこうして乗り切らねば。我が家の踏ん張り
ついに我が家の順番が回ってきてしまった。 娘が昨日の深夜から発熱し(ピーク時は39度超)、今朝病院で検査をすると陽性だと告げられた。 当然、私たちも濃厚接触者となった。幸いなことにまだ娘以外に症状は出ていないが、買い物などにも行けなくなるし、各方面への連絡も必要となる。 ひとまず会社の上司に一方を入れ、会社コロナ関連の窓口に報告した。5月はずっと在宅勤務をしており、誰とも接触していないので、ひとまず会社には迷惑をかけずに済んだ。 次に週末に家族で遊んだ友人に連絡した。おそらくは週明けの幼稚園でウイルスをもらってきたのだとは思ったが、何かあってからでは申し訳ない。幸い、友人宅では誰も体調不良は出てないとのことだったので、ひとまずは安心することができた。 病院から妻と娘が帰ってきてからは、娘を子供部屋に隔離し、そこで過ごしてもらうようにした。とは言ってもまだ5歳の子供だ。ひとりだと寂しいし、い
中途入社に向けた手続きが本格化してきた。 1週間置きに段階的な対応依頼が届く。今日来たのは3/31〆の対応である。内容は盛りだくさんだが、これで入社までの対応の全貌は把握できた。 前回の依頼で基本情報をシステム経由で登録した後には、給与口座や、現住所、学歴や職歴、資格等の証明書がまず求められた。 諸事情で新たに口座開設の必要があったため、さっそく銀行に行って開設してきた。銀行は相変わらずアナログな対応でデジタル化の歩みの遅さを実感したが、それでも平日の朝に行ったのでスムーズに対応を済ませられた。 その一方で感動を覚えたのが、卒業証明書と住民票の取得である。前者はWEB申請、後者はマイナンバーカードのみで、最寄りのコンビニで簡単に取得できた。これは便利でたいへん有り難かった。 そして今日届いた依頼は、雇用前の健康診断と、社会保障関連の資料提出の内容だった。こちらも段取り良く、早めに済ませられ
朝のランニング中に、後輩から連絡があった。 わからないことがあるので電話してもいいかと。もちろん快諾する。私が仕事を抜けたことで、後輩には皺寄せがいった。3月まではそのフォローはすると約束していた。 端末までは不要だと言うので、そのままランニングをして電話を待った。気持ちのいい広場に出たところで着信があった。ランニングアプリを一時停止して歩きながらに電話に出た。 用件自体はすぐに済んだ。直近で使用した報告ファイルの格納先の質問であった。記憶を辿りフォルダ名を教える。そこは探したんですが…そう言うので再度確認してもらうと、あ、ありましたと、見落としだったことが判明し、万事解決した。 本題は済んだが、どちらももっと話したいと思ったのだろう。そこから30分あまり会話を交わした。 直近の対応で迷っていることについての相談にはアドバイスを返した。作業量も多くててんてこ舞いだが、一番は細かい判断を気軽
残業終わりの夕食時に電話があった。 「おめでとうございます!内定通知きました!」 最終面接の直後から妻には「受かった」と伝えていたくらいに手応えがあったので、正直驚きはしなかったが、それでもやはり嬉しかった。連休を挟み、そろそろソワソワしはじめる時期だったので、今日通知がもらえてホッとした。 内定をもらった会社は第一志望の会社であった。というか、面接を受けたのはそこだけで、そのまま他の企業に浮気する間もなく、結局は最後までいってしまった。転職活動の期間は3ヶ月くらいか。 選考を経るごとに、どんどんその会社が好きになっていった。今の仕事がヒドイということもあるが、仕事内容が何より私にとっては魅力的であった。 職種を変えるので、条件は妥協しなければならないかと半ば覚悟はしていたが、提示年収は今より100万円以上も高かった。職級も未経験なのに今の会社と同等(係長級)にしてくれていたし、至れり尽く
サンタから貰った自転車に娘と乗りに行った。 寒くなって以来、自転車の練習は滞っていたのだが、乗り始めると娘はすぐに勘を取り戻した。 やはりよく言われている「自転車の乗り方は一度覚えると忘れない」というのは事実らしい。初めて乗る新しい自転車でも走れたことに手応えを感じたのか、娘もかなり誇らしそうであった。 走り出しと、カーブと、ブレーキ。まだまだ覚えることは多々あるものの、過去の練習がしっかりと習得されていたことがわかっただけで、今日は満足であった。また天気の良い日に練習をしていこう。 かたや、私は明日から仕事が再開する。 はたして、仕事のやり方は覚えているだろうか。嫌だった気持ちも薄れているくらいなので、もしかしたらすっかり走り方を忘れているかもしれない。 それでも足場は構わず後ろへと高速で流れていくので、必死に走らなければ転んでしまう。水、木、金。3日走ればまた3日休息を取ることができる
ふと顔を上げると、とても綺麗な人がいた。 美人だなあと見惚れていると、それは鏡に映った自分であった。そんな話を「恥ずかしいんだけど」と前置きをした上で語ってくる妻。お茶目なやつだ。 最近新しい髪型にしてすごく似合っている。本人も気に入っているのだろう。オシャレをするのが前よりも楽しそうに見える。 そんな妻のアクセサリーを買いに今日は街まで行った。長らくお預けになっており、先日のクリスマスでも結局買いに行くことができなかったのだ。 妻は前々から欲しかったというパールのネックレスを選び、私の同意を得て購入した。子供たちが退屈してふたりともゴネまくっていたので、プレゼントを買ってあげたような雰囲気にはならなかったのだが、食事の時に律儀にもお礼を言ってくれた。 明日からの帰省にも持っていくそうだ。妻のオシャレの楽しみを、またひとつ増やせたのなら嬉しい。
啜る、という行為自体が気持ちよい。 こんなにも堂々と音を立ててもいい食べ方が他にあるだろうか。汁を絡めて豪快に麺を啜る。そこで立つ音までもなんだか美味しく感じられるのだった。 朝起きたら、蕎麦の口になっていた。 近所にある蕎麦屋の、醤油ベースの鴨南蛮蕎麦が無性に食べたくなったのだ。休みの日だから行列ができているだろう。並ぶのは億劫だ。ただもう引き返せない。なんせ既に蕎麦の口になっているからだ。 起きてきた妻に話すと、蕎麦の口は妻にも伝染した。開店時間まであと30分。そこに間に合えば、列に並ぶのは最小限の時間で済むかもしれない。 急いで身支度をして、ベビーカーに乗せた息子と共に先に家を出た。開店時間ちょうどに店頭に着いたが、既に10組くらいが並んでいた。 しかし30分ほどで席に着くことができた。既に決めていたメニューを頼む。今日はトッピングで揚げ餅もつけてみた。鴨のロース煮は妻と分ける。なん
見知らぬ、天井。 投薬された鎮静剤のせいか、まだ少し頭がぼんやりとしている。だけど今自分がどこにいるかについては流石に見失っていない。ここは病院のベッドだ。 右側の手すりにつけられたリモコンを操作し、上半身をベッドごと起こす。こんなに便利なベッドの上なら、もうしばらくここで生活をしてもいいな、という能天気な考えも浮かんだが、長期入院されている方の前では冗談でもそんなことは口にできない。 私が今夜寝泊まりする病室は四人部屋であった。すべてL字型のカーテンが閉められてあり、それぞれのプライバシーが確保されている。残りの三人の姿は見られないが、看護婦さんとの会話声から推察するに、他の三人はなかなかのご高齢であるようだ。 冷静に考えてみれば私が場違いなのである。こんな若い年齢で入院している人の方が少数派なのは明らかであろう。とはいえ、カーテンの仕切りもあるし、新しい病院ゆえにベッド周りは清潔だしで
明日から入院する。 大腸で発見された大きなポリープの切除手術を受けるのだ。術後に出血の恐れがあるため一泊入院する予定である。 そのため今日はいつもよりは早く仕事を切り上げ、すぐに夕食を済ませ、いましがた前日分の下剤を飲んだところだ。明日、昼過ぎに手術を受けるまでは絶食である。めちゃめちゃお腹すくだろうなあ。 明日も朝から下剤を飲んで大腸の中を空っぽにする。その流れについては、前回の内視鏡検査のときと同様なのでどんなものか把握できている。でもだからこそ、げっそりって感じなのだけれど。 入院、手術に向けた同意書等の書類にも記入した。万が一を想定した「身元引受人」の欄には、妻に署名をしてもらった。また「本人の意思確認書」という書類もあり、末期の癌だったら延命治療は希望するかや、告知の際は自分ひとりだけで聞くか等、なかなか考えさせられる質問にも答えさせられた。 泊まり支度については一泊だけなので、
滴る肉汁、燃え上がる炎。トングを握る手が炙られ、火の粉を浴び顔も火照っている。久々の感覚。 もはや店で食べるのはいつぶりかも思い出せない。少なくとも息子を連れては初だ。今夜は七輪でいただく炭火焼肉店を訪れていた。 近所にありずっと行きたかったお店だが、入店できたのは初だった。何度かチャレンジしたのだが、いつもお客さんが多くて入ることは叶わなかった。 今日も急遽の思いつきだったが、開店前に少し並んでお店に入った。目をつけていたとおり、ファミリー向けの広々とした店内で、案内された席も八人席だった。おかげで子供たちを火から離して座らせられ、私たちも安心して焼肉を楽しむことができた。 目ぼしいものを一通り食べ、美味しかったものはお代わりをした。特にハラミと塩ホルモンが絶品で、他にも桜ユッケや冷麺、焼ニンニクも美味だった。 娘はイカが特に気に入ったようで、ひとりで一皿お代わりをしていた。サラダや野菜
BRUTUS特集:村上春樹を読了した。 上下巻で構成されており、私は上巻が発売され遅れること数日後に、やっとその存在を知った。 Amazonにて好きな作家名で検索をする。定期的にやっている行為だが、最近ではあまりできていなかった。久々に『村上春樹』で検索してみたところ、この雑誌企画の存在を知ることになったのである。 ネットでも売り切れだったので、近所の本屋とコンビニを探し歩いた。3軒目でやっと見つけられ、購入と同時に下巻の方はネット予約をしておいた。 上巻は『読む。編』ということで、村上が手放せない51冊の本についてと、村上自身の作品に関する企画が掲載されていた。どれも読んでいて面白かったが、声をあげるほどに嬉しかったのは冒頭にあった以下のインタビュー内容だ。 今はフィッツジェラルドの『最後の大君』を訳し終えてゲラを見ているところ。あとはカポーティの『遠い声 遠い部屋』を訳しています。 な
今日は大腸カメラで検査をしてきた。 人間ドックで『再検査要』となっていたからだ。医師である父に相談しても検査を勧められ、妻からも受けるように言われた。そんなわけで、しぶしぶだったが一昨日クリニックを予約したのだった。 昨日仕事後に一度クリニックを訪れた。検査の説明を受け、前日の夜、当日の朝に服用する『経口腸管洗浄剤』つまり下剤の飲み方のレッスンを受けた。 人間ドックのバリウム後のように、錠剤を飲めばいいんだろうと思ったが、モビプレップといういかついパッケージを渡された。これに水を入れて、薬を混ざ、2リットルの下剤を作って飲むのであった。 しかもコップ1杯を10分かけてゆっくりと飲む。下剤2杯、水1杯の30分を1ターンとし、それを間髪入れず3ターン繰り返す。その間、排出される便を観察し、透明になるまで続けなければならなかった。 結局、私は標準の3ターンで排出液が透明になった。飲んだ下剤は1リ
今日も遅くまで働いた。 午前中に大きな会議への付議を終え、本当ならひと息つきたいところだったが、直後から会議で出した方針に伴い、ハードな調整作業が始まったのだ。 これがまた、大義名分も見当たらない、筋が悪すぎる作業なのだ。ただただ判断力の乏しい社長の我儘に振り回され、多くの人の莫大な稼働をつかい、協力会社にまで迷惑をかける愚かな行為。 いくら仕事だとはいえ、そんな作業だとモチベーションも上がりようがない。朝から鬱々とした気持ちで、心はすっかり腐りきっていた。 そんな残業時間、部屋に娘が入ってきて、ひとり悶々と作業していた私にこの紙を差し出した。 ものすごく癒された。これまでも同様のお手紙をもらったことはあるのだが、今回のは「あのさ」の入れどころに、思わずニヤけてしまったのだった。 読むだけで娘の声で再生される。おかげで最後まで仕事をやり切ることができた。あのさ、ありがと。
今日は何度「不毛」という言葉を吐いただろう。 今まさに私がやらされている作業は「不毛」としか言いようのない作業だ。しかもその指示が社長から出ているというのだから呆れる他ない。 社長は自分では何も判断しないくせに、どうにかしろと中身の無い指示ばかり。そのせいで社員たちは疲弊しきっている。本質的な業務を差し置いて、ただの数字合わせに多くの時間を使わされている。 本当にウンザリだ。もともとお金お金してないところが好きでうちの会社に入ったのに、気づけばお金の話しかしていない。会社全体も今の社長に代わって以来、すっかり雰囲気が変わってしまった。 不毛な仕事に関わっていると、人生そのものが不毛に感じてしまう。こんなところに愚痴を書き殴ってみたところでそれもまったくの不毛なのだけれど。
10年以上ぶりにパソコンを買い替えた。 寝室にワークデスクを置いたので、据え置き用にワイドディスプレイ型のノートPCを購入したのだ。 必要最小限の性能を備えたDELL端末をAmazonで選んだ。タイムセールもあってわずか5万円で買えた。最小限とはいえ今使っている“10年使用済みPC”からは大幅に性能があがる。今在宅勤務で使っているのは妻が独身時代に買った端末だったのだ。 通知を受け、宅配ボックスを開けてまず驚いた。なんとも質素でスタイリッシュな箱だ。開けると本体と電源コードと紙が数枚入っているのみ。電源をつけると、音声案内ですぐに初期設定が始まった。 ものの5分ほどで設定が終わった。続いてリモートワーク用のアプリ設定を済まし、いくつかの機能を試しに使ってみる。やはり新しい端末を触っているのは楽しい。性能面も申し分なく、ひとつひとつの動作が早くて感動を覚えた。 画面サイズも今より1.5倍ほど
トマス・ハーディの『呪われた腕』を読了した。 読む本に困ったときには未読の『村上柴田翻訳堂シリーズ』を買ってしまう。ただ、この本を読み始めたくらいに、文庫化を待っていた作品たちが5冊もリリースされてしまったわけだが。 それはさておき、やはりこのシリーズにハズレなしで、今作も素晴らしい作品であった。今作は村上と柴田が翻訳したものではないが、ふたりが廃版からの復刻を強く望んでいた作品ということだけあり、内容も折り紙付きといえる。 ハーディの作品を読むのは初めてだったが、村上たちのハーディ評は以前から読んでおり、情景描写に秀でた作者だと認識していた。 さぞ耽美な自然描写が続くのだろうと思って読んだのだが、想像していたものとは違っていた。美文的な描写を長々と連ねるわけではなく、的確な描写を効果的に入れることで、冗長な印象は与えずに、鮮やかに情景を立ち上がらせている。 また短編小説のなかにおける時間
うろこ雲と入道雲が重なり空を漂っている。 まさに今は夏と秋の変わり目なんだよ。そんな会話が妻と娘で交わされ、私は後部座席からフロントガラス越しに空を見つめていた。 明日は娘5歳の誕生日。前日ではあるが休日のうちにお祝いをすることにしていた。レンタカーを借りトイザらスに向かう。母方の実家からお祝い金を頂いていたので娘に好きな物を買いに行かせたのだ。 店に到着すると、娘はプリキュアコーナーに直行した。いくつかを手に取り、これは長考するかと思われたが、案外あっさりと決断した。 何シリーズか前のプリキュアの、しゃべるマスコットキャラクターのぬいぐるみだ。Amazonプライムで過去シリーズも観ている彼女からすれば、過去作品のグッズだなんてのは関係がないのだろう。 オモチャ屋を後にするとランチを食べた。お目当ては娘の大好きな海老フライ。食後は空港近くの伊丹スカイパークを訪れた。滑走路に隣接した縦に長い
今日も遅くまで仕事だった。 ただ日中に予約注文していたCDが届き、それを聴くのを楽しみに、なんとか乗り切ることができた。 最近はダウンロードで音楽を購入していたのでCDを買うのは本当に久しぶりだった。この前でいえば、アーティストの拘りでCDのみで販売をしていた作品を買ったとき以来だ。 今回は配信もあったのだが、特典のライブBlu-rayを観たいがためにCDを購入した。映像作品として販売されたら買おうと思っていたが、新譜の特典となったので購入に迷いはなかった。 仕事が終わると、CDをパソコン経由でインストールし(久しくやっていなかった作業だ)、そのまま特典のライブ映像を鑑賞しはじめた。娘も明日から幼稚園が再開するので、既に寝室で寝ていたのだ。 鑑賞しながらテレビの前でなんども飛び跳ねてしまった。全曲を把握しているアーティストのライブはやっぱり最高に楽しい。どの曲が来てもテンションが上がり、武
娘の夏休み終了まであと2日に迫った。 そんなわけで、最後の夏の思い出づくりにと、妻が『おうちお祭り』を企画してくれた。 お風呂上がりに子供たちを甚平に着替えさせ、夕飯は出店のようなメニュー(焼きそば、おにぎり、えだまめ、ポテト、スイカ、ゼリー、のみもの)をパックに詰めて販売した。 娘はおもちゃのコインを握りしめ、食べたいものを指差しては、購入して楽しそうに食べていた。私は今日も遅くまで残業だったが、仕事が終わってからは遅ればせながら祭りに参加した。 妻はさらにヨーヨー釣りの出店も作っており、食後は皆でそれに興じた。水に浮かべたゴム付きの風船をうまく4つ釣り上げられたら、出店のおじちゃん(べらんめえ調の妻である)から、景品のお菓子袋がもらえるのだ。 これまた娘はとても楽しそうに遊んでおり、甚平を来た息子も、さも参加したそうに、水をぱちゃぱちゃ弾いて騒いでいた。 ささやかながらも素敵な手作り祭
明日で7度目の結婚記念日を迎える。 平日だとゆっくりお祝いができないため、今日前倒しでお祝いをしておいた。とはいえ、近所の海鮮料理屋でささやかなご馳走をいただいたくらいだが。 夕食までは、スタバのテイクアウトでフラペチーノとフードを食べたり、緑地公園を散歩したりして牧歌的な日中を過ごした。 久々に訪れた海鮮料理屋では、定食やコースではなく、とにかく食べたいものを食べたいだけ注文するスタイルをとった。美味しかったものは追加でリピートし、好きなものだけで胃を満たしていった。 娘もエビやサーモン、タコに茶碗蒸し等、好物をたくさんおかわりしていた。刺身でも天ぷらでも食べられるようになり、誰より食い意地を張っていた。普段は少食なのでたくさん食べてくれて嬉しかったが、妙に舌が肥えてきたようなので心配である。 食後は帰り道にあるニトリに寄って家具を注文した。娘はその間ベビーカーで寝入ったので、家に帰ると
飼っていたカブトムシが卵を産んだ。 交尾を目撃した1匹のメスを、少し前から別ケースに移していたのだ。ここ数日地上に現れなかったので、さすがにおかしいなと思い今晩そのケースを掘り返してみた。 丁寧に、慎重に、ゆっくりと土を掘り返していくと、ケース底近くの土の中から米粒のような白い球体がポロリとでてきた。 卵だ!YouTubeで予習をしていたので、すぐにそれだとわかった。やはり産卵していたのだ。その後はより一層慎重になって土を掘り返していった。 結局、合計15個の卵を掘り返すことができた。1匹のメスが産んだと思うと上々の数字ではないだろうか。ただ最後まで土を掘り返してみて、驚いた。 卵を産んだメスがケースの中から姿を消していたのである。正直、数日前から生き物がいる気配がなかったので、死んでしまったのかと思っていたが、なんとケースから脱走していたわけである。 どこからだろうかと不思議に思ったが、
息子一歳の誕生日会を家族でした。 部屋を飾っての写真撮影。凝ったご馳走に手作りケーキ。プレゼントを開封し、餅踏みに選び取り。 あいだに昼寝休憩を挟みながら、ゆったりと一日をかけてお祝いをした。娘もお利口に弟をサポートしてくれて、主役である息子も終始楽しそうだった。 娘のときは実家のじじばばも招いたのだが、こんなご時世なら仕方がない。そもそも私の実家の方でいえば、まだ実際の息子に会ったことさえないのだ。 息子はコロナ以前の世界を知らない。私にしてもあまりに遠い記憶に感じて、いまいち実感をもって思い出せない。はたしてまた元の世界に戻るのだろうか。はっきりいって収束するイメージが湧かない。 タフな時代に生まれた子供たちは、必然的にタフになることが求められるのだろうか。息子たちの無邪気な笑顔をみていると、それが不遇の時代によってかき消されやしないかと一抹の不安を覚える。 本人たちが自身の生まれた時
食いしん坊。イケメン。ちょっとおバカ。 息子を言い表す三大要素だ。彼は1歳になるだいぶ前から二足歩行を始め、今では自由に家中を徘徊している。いやはや発達が早いものだ。 そんな息子は本日が1歳の誕生日だ。とはいえ今日は慌ただしかったので、休みの明日にたっぷりと誕生日会をする予定である。 ただせめてもと思い、日を跨いだ瞬間からたくさんの「おめでとう」を息子に浴びせた。抱き寄せ、笑いかけ、いつもよりも多めに戯れあった。彼は誕生日がなんのこっちゃわかっていないだろうが、なんにせよ、とても楽しそうに笑っていた。 今日妻にも話していたことなのだが、息子は私の愛を受ける上でのアドバンテージがある。なぜなら妻は「女性の大人部門」で一番愛する人だし、娘は「女性の子供部門」で最愛の人だ。一方息子は、但し書きなしの「男性部門」で敵なしの一番なのである。つまり男の中で私が唯一愛する存在なのだ。 そんな特別感を意識
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