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ドラクエ3
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どんなことをここで書けばいいのだろう。誰を想って書けばいいのだろう。幼稚園最後の行事である音楽祭が、この間終わりました。感無量です。 幼稚園関連の記事を先生達に読んでもらったのは、音楽参観の内容が最初でした。音楽講師の先生が、心からの気持ちを乗せて演奏してくれたのが、メロディオン。あの時、自分の中で大きく何かが動くのを感じました。胸の奥深くに届いてくれたもの、その音楽に今まで助けられてきたこと、奏でてくれた先生の表情がとても穏やかで、演奏することを楽しんでいる姿に嬉しくなって。表現するということ、それは音楽であり、言葉であり、もっと沢山のこと。手段は違うけど、何かそこで先生の気持ちと重なったような気がして、私も頑張ろうと励まされたことを覚えています。だから、その先生がまとめ上げてくれた音楽祭が、最後のフェスティバルだと思うと胸がいっぱいでした。どこまでこの想いが伝わるかな。 運動会で演奏し
いつも全てのことに意味があると思っていて、今回も思いがけないことが起きました。それは、今年のドラフト会議当日。 その日は息子の新しい小学校で健診があり、友達と盛り上がっていうことを聞かなかったので、へとへとで帰ってきました。夕方からのドラフトは絶対見逃したらいけないと思いつつ、息子が相変わらずいつも見ている番組を楽しそうに見ていて、終わってからにして~と言われたので、仕方なく夕飯準備と洗濯物を畳んでいました。終わると慌ててチャンネルを変えたら、既に左上には『根尾選手中日が交渉権獲得へ』の文字が。もう終わっていたの?というショックと、与田さんが引き当てたんだという喜びが同時にこみ上げて、呆然としました。 29年前は、野球少女に専念できたので、姉と2人でずっとテレビの前に。でも今は、母親という立場になり、子供のことを常に優先させる毎日で、時の流れと少しぐらい強気になれば良かったという後悔が渦巻
私が子供の頃から大ファンだった与田剛さんが、楽天の投手コーチから、中日の監督に就任しました。本当に夢のようで、何をどう伝えたらいいのか、嬉しい混乱の中にいたのでなかなか書けませんでした。 小学生の頃、姉が、地元愛知の東邦高校をとても応援し、そこの選手が選ばれるのではと、かじりつくようにドラフト会議を見ていたので、私も隣で一緒になって息をひそめていました。その時に中日から1位指名をされたのが、与田投手でした。NTT東京という文字が表示され、社会人である与田さんを初めて知ったのが10歳の時。 まだ、転校で岐阜県の小学校に通っていた私は、不慣れな地域で通学も遠く、毎日帰ってからへとへとに。それでも、中日戦だけは欠かさず見て、いつの間にか与田さんのファンになっていました。活躍した翌日、中日新聞のスポーツ欄の見出しを見て、朝から感極まったことも。“ガッツポーズが似合う男”その大きな見出しと共に、マウ
スマホの調子があまりにも悪く、記事の公開時にも確認ができない時があり、再起動をしないと機能しないことが多くなってきたので、さすがに限界を感じ、プログラマーのMさんに相談。 「パソコンだけでなく、スマホからもできるだけ読者の方達と同じような目線で、このサイトを見てもらいたいから、色々なサイズを見に行って、買い替えることも検討しよう。」と伝えてくれて、はっとなりました。同じ視点になれるサイズのスマホを使う。それが読者の方達と共にあるということ。 その後、週末の渋谷で待ち合わせをし、元々ほしかった白のやや小さめのAQUOSを選択。隣でレクチャーを受けながら、無事に購入できてほっとした帰り道、スクランブル交差点を横切り、ハチ公前を通りかかると、懐かしい記憶が蘇りました。 まだ20代半ばの頃、その当時都内にいた叔父が連絡をくれたので、夜の渋谷で待ち合わせをすることに。夜は初めてだったので、やや緊張し
最近、メジャーリーグの中継をニュースで見ても、「オオタニサ~ン、ビッグオームラン!」ぐらいしか聞き取れず、自分のリスニング能力の低さを痛感。大谷さんって日本語だし。 そういえば、大学時代の英語の時間にも、ヘッドホンを付けてのリスニングの授業があり、早すぎるだけでなくテンション高めのメジャーの実況で、何を言っているかの4択問題が出された時のこと。A~Dのどれかという出題に、”a”と書いていて、通路を歩いていた教授に全く聞き取れていないことがバレて、笑われてしまいました。4択なので25%の確率で当たるのに、適当に書いたのが全ての間違い。学生さんあるあるです。 マーリンズにいたイチロー選手が、メジャー3000本安打の偉業を成し遂げる少し前、ヒットが打てず足踏みをしていた彼がバッターボックスに立った時、対戦相手のキャッチャー、カージナルスのモリーナ選手がさりげなく立ち、観客ができるだけイチロー選手
息子のブロック遊びに付き合っていたら、最近本人だけで流行っている昆虫シリーズを作り始めることに。それっぽいカエルができていたので、「これ名前でもあるの?」とくだらないことを聞いてみると、「だっちゃん」という返事。どこから来たのか、なぜだっちゃんなのか、思いつきにしては可愛い名前だと二人でゲラゲラ笑ってしまい、完全に昼間から壊れてしまいました。何も考えずにポンと言える発想が羨ましい。大人なら一瞬考えるよね。 この間、父が母宅に遊びに来ていて、息子と二人で散歩に行ってもらいました。母の家でリフォーム会社さんとの打ち合わせもあったので、スマホを放ったらかしにしていたら、古すぎたのか電波が届いていない状況で、電源を入れ直してみると、父からの着信を発見。慌ててかけ直すと、「おもちゃを買ってあげてもいいか?」と言われたので、「買わなくていいよ~。もう帰って来て。」と伝えて切りました。その後、玄関から入
息子の夏休み中、全然時間が取れなくて接骨院へ行けず、母の病院に重たい水を運んでいたこともあり、肩回りがゴリゴリに。 これだけの猛暑だったので、外で遊ぶこともなかなかできず、室内遊園地で遊んでいると、マッサージチェアを見つけ、飛びつきました。 「ママはマッサージをしているから、ボールプールで遊んできてね!」「え~、一緒に遊ぼうよ~。」いやいや、この機会を逃すわけにはいかないんだよ。おうちに帰ったら、チョロQで遊ぼうと丸め込み、15分だけ癒しの時間。 なんとなく気持ちがいいのだけど、何かが違う。何だろう。そうか、やっぱり人の手じゃないから。温もりが足りない、先生どうしているかな。 本当なら、夏休み明けに行こうと思っていた接骨院。でも、あまりの辛さに夫に力説し、夏休み後半の週末に行かせてもらいました。 施術がピンポイントなんだよ。そのことがなんでこんなに嬉しいのだろう。「僕、一人暮らしを始めるこ
また、技術営業のFさんが、私が書いた記事を喜んでくださり、「小学生や中学生の頃に朝礼台で表彰してもらったような感覚です。想像に負けそうです。経験からくる温かい言葉の数々をこうしてもらえることは大変光栄なことです。ありがとうございます。」と伝えてくれました。 なんで、朝礼台??と思ったのですが、その記事には“教員”も出てくるので、もしかしたらそれに絡めてくれたのかもしれませんね。第三者に褒められる、しかも、サイトを経由して。なんとも不思議な気持ちが伝わってきて、面白いです。 技術営業というお仕事は、プログラマーの友達と出会わなければ、一生知ることは無かった職業かもしれません。 まさに、“プログラマー”という技術者の方を、必要としている会社に提供していく。それは、形式的ではなく、人材と会社が気持ちよく仕事ができるように、心が繋がっていくように。 友人がサイトを立ち上げてくれている『さるまりんの
この間、幼稚園のプール用品の準備をしていたら、巻きタオルには別のお友達の名前が。2年連続同じクラスだった男の子のもので、1年経って初めて間違いに気づき、大慌て。担任の先生に事情を話し、そのお友達のお母さんに渡してもらい、翌朝たまたまお会いできたので、息子のものを返してもらいひと段落。 お互いに、全然気づかなくてごめんね~と、朝から大爆笑。完全に自分の息子のものだと思い込んでいたので、気付いた時のリアクションは同じだっただろうな。そして、その日の帰り、無事に受け取ったことをY先生に伝えようと思ったら、引き渡しで待ってくれていたのはペアクラスの先生で、交換できたことを説明するはずが、全然うまく伝えられず、K先生困惑。頭の上で??が浮いているのが見えて、説明が下手でごめんなさいと思いつつ、「プールのタオルの件、一件落着しました!とY先生に伝えてもらったらわかるのでお願いします。」と勝手にまとめて
私は、この言葉がとても好き。 運転は下手だけど、マニュアル車でこういったことを学べたのは、大きかったと感じています。『ギアチェンジ』一速から二速、そして三速。このタイミングで加速するんだよと、自分の感覚を掴むことを路上の実習で学びました。 長距離もそう。一定のペースで走り続ける訳ではなく、ここ一番という時には一気に勝負に出る。自分との戦いの中で、今抜け出さないと勝てないという時、ここで限界を超えないと強くなれないという時。 そして、このサイトも、私なりにギアを上げたタイミングがあって。それは、『さくらの季節がすぐそこに』を公開した時期でした。この内容を書くことはとても勇気が必要で、同時にこのことを伝えなければ、本質を分かって頂けないような気がして、桜が咲く前に届けようと思いました。私の中で、ぐっと加速した大きな一歩は、読者の方達に届いてくれました。そこからの閲覧数が、一気に急増。そして、こ
2017年7月1日にこのサイトを立ち上げてから、今日で365日目。とても大切な時間が日々流れたのだと、改めて感じています。 今、何を思うのか。夏休み、どうやって乗り切ろう。って、現実的なことかい!プログラマーの友達に皆勤賞だと褒められたので、できるだけ隙間のないように頑張りたいのですが、わんぱく息子と暑い長期休みをどう過ごすのか、なかなかの悩みどころです。 その友達によく言われるのは、のびのび書いてほしいということ。公開する上で、最大限の配慮をしていることを知ってくれているので、今のペースや感覚を大切にしてほしいといつも言われています。 「停滞期って絶対あるよね。」とこの1年間言い続けていた割には、書き続けられたことにほっとしているのと、開き直る術を教わったからかも。「そんな日もあるし、間隔を空けても、これまで来てくれた読者の方達は、また来てくれるから大丈夫だよ。」そんな言葉に励まされたり
私が記事をいつも書かせてもらっている、サイトオープンの場所にもなった一凛珈琲の店長さんに、今日は思い切って話しかけてみました。 いつもお忙しそうにされているので、オーダーの時に話せる時間があるかどうかを聞くと、「他のスタッフが増える時間帯なら大丈夫です。」と言われて。今、若干緊張しながら待っています。大した話ではないのだけど、どう受け取ってもらえるかな。 格好をつけてプレゼンのような話し方でもできたらいいのだけど、プログラマーの友達がいないので、ここは司書っぽく伝えることにしよう。 それにしても、常連のお客さんから話があると言われたら、店長さんも緊張してしまいますね。 いつも話しかけようと思いつつ、随分時が経ってしまったのは、なんとなく話すタイミングを逃してしまったからということと、伝えると書きづらくなるかなということを懸念して。でも、今日は天気もいいし、頭がすっきりしていて、気持ちが晴れ
長かった!100記事目に到達した時よりも、200記事目に辿り着いた時の方が大変だったと感じるのは、内容が濃くなったことと、閲覧数が増えてくれたからかなと思っています。1日に1000ページビューを超えたあたりで、背筋が伸びることを実感しました。 誰かは分からない、それでも、ネット社会の中で“見られている”という感覚は、なんとも不思議なものですね。 今年の元旦、さすがに公開をお休みしようと思ったのですが、1年目だったので頑張りたい気持ちもあり、年末に書き上げた記事をアップすることに。その日は読者の皆さんがそれぞれのお正月を楽しんでいらっしゃるだろうなと思いながら、公開時間になったら、なんと、オンライン中になっている方がいてくださいました。具体的に誰かは全く分からないのですが、確実にその時間に1人いてくれたということは確認でき、胸がいっぱいの年明けとなりました。 この場を借りて、ありがとう。うま
ホームに出ている写真を、少し前に水彩画のような家族写真から変更しました。私ではありませんと言ったら、じゃあ誰やねん!と一斉にずっこけてもらえるかな。 これは、プログラマーの友達と打ち合わせの時、彼のスマホからちゃちゃっと撮ってもらった私の画像です。 気心が知れているので、本気モードで文庫を読んでいて、これぐらいの角度ならサイトに使えるかもしれないねと、なんとなく撮った一枚を、載せてもらいました。 掲載前、夫に聞いてみると、好感を持ってもらい、なんで出す気になったの?と聞かれました。「もう少し表に出ようと思ったから。」その言葉に、やや驚かれながらも納得してくれました。 この髪の毛の長さは、かなり珍しいので、地元の友達などは全く気付かないだろうなと強気になったことと、もっと身近に感じてもらえたらと思ったこと、そして、妻でも母でもなく、ここに書いている私の姿をイメージしてもらえたらと。 それにし
年中の担任だったH先生には、去年の秋にこのサイトの存在をお話させてもらったので、最初から丁寧に読んで頂き、嬉しくなったことを覚えています。と、同時に忙しい先生の仕事を一つ増やしてしまったかなと心配にもなっていて。 だから、年長に上がってから、担任になってくれたY先生に伝えることを躊躇ってしまい、どうしようか思案中でした。本当に初期の頃は、自宅のデスクトップで書き、繋がっていたプリンタからプリントアウトした幼稚園の記事を先生達に読んでもらったこともありました。その時ペアクラスだったY先生がお迎えの時に、「記事、感動しました!またよろしくお願いしますっ。」と言ってくれて、感激しながら帰ったことがずっと心に残っていて。 でもね、今このサイトの存在を話したら単行本1冊分ぐらいのボリュームがあって、伝えるのもなかなか勇気が必要で。しかも、幼稚園と全然関係ない内容もかなり含まれているし、これは一体どう
息子が、全く文字の練習をしたがらなかったのに、エンジンがかかるきっかけとなったのは、年中から仲良しの友達に手紙を書きたいと言い出したから。幼稚園で『あ』の練習を始めた際、「全然うまく書けなくて、ブルーになっちゃったみたいです~。」とY先生がお迎えの時に話してくれて、大爆笑。悲しい話題も、先生の手にかかると笑いに変わるマジック、親まで癒されますね。 その友達は、息子が一生懸命書いた『いつもありがとう』の手紙を喜び、返事を書いてくれました。『いっぱいあそぼうね。3んじのおやつなにがすき』あかん!めちゃくちゃかわいいじゃないか!“ん”が余分だというケアレスミスまでもがかわいい!!息子はとても嬉しそうに冷蔵庫のマグネットに貼っていました。頑張って良かったね。言葉が届くって嬉しいね。 インド人のママと、最後のお別れランチをした時、「Sはどうして英語を学ぼうと思ったの?」と聞いてくれました。私の中でず
私の記事の中に阪神大震災が出てくるのは、沢山の意味があります。その大きなきっかけとなっているのは、このサイトをサポートしてくれているプログラマーの友達が、神戸出身だから。 まだ、友達として日が浅かった頃に、その話をしてくれたことが心に深く刻まれました。 震災が起こったのは、1995年1月17日。その時私は中学3年生で、高校受験を目前にし、毎晩勉強していた時期でした。愛知県にいても、朝すごい揺れを感じ、ぬいぐるみが上から沢山落ちてきて、地震の揺れで飛び起きました。朝のニュースを見ると、神戸の辺りが大変なことになっているということが分かり、胸が張り裂けそうでした。 何とも言えない気持ちで学校へ行くと、社会科の先生が、いつもとは違うトーンで、授業前に聞いてきました。 「関西方面に親戚はいないか?無理してここで答えなくていいけど、とても心配している。」 その先生の言葉は、そこにいる生徒達に対してだ
今日は、久しぶりに新宿に用事があり、いい天気の中で電車に揺られながらスマホを開くと、『イチロー会見「喪失感ない。野球の研究者でいたい」』の文字が飛び込んできました。 慌てて詳細を読むと、マリナーズの特別アドバイザーに就任するという内容。色々な気持ちがこみ上げて、本気で泣きたくなりました。 目の前の座席で、スマホを持っている4人は、このニュースを読んでいるのかな。違うかな。イチロー選手本人は、喪失感がないと言ってくれているけど、私にはある。あまりにも大きな存在で、マリナーズのユニフォームを着て、打席に立ってくれた時、もう一度夢を見せてくれたような気がしていたから。そして、エイミーさんの『イチメーター』が、やっぱりそこにあってくれたことが嬉しかったから。 チームに合流する前、自主練習を積んでいたとはいえ、調整が遅れていたイチロー選手は、開幕スタメン出場の知らせを監督から聞いた時、大きなギフトを
土壇場に強い人は本当に羨ましくなるのですが、私は常に余裕を持って行動したいタイプ。このサイトは、Wordで下書きをした後に、WordPressという場所に入り、そこでさらに見直しを重ね、予約投稿ができるので、同じ曜日や時間に公開ができるようになっています。 前夜に最終確認を行い、安心して眠っても、翌日になりニュアンスを変えたくなり、公開直前にパソコンを開いて慌てふためいていることも稀にあり。 夜書いたものを朝になって読み返すと、ちょっとした心境の変化があるのは、私だけでなないはず。ラブレターなんて、典型かもしれませんね。 予約投稿ボタンがあるおかげで、余裕を持って書けているので、本当に有難くて。私とプログラマーの友達は、その裏口から入り色々な操作を行っているので、閲覧数には全くカウントされていません。ちなみにその数字は、Googleから取ってきているそう。この辺り、全く私は関与していないの
息子が、年長?!と改めて驚いてみる。 幼稚園からの配布物に、月間スケジュールがあり、年少さんへのプレゼント作りがあって、いつまでも小さいと思っていたことを反省。ずっと年少のイメージなのは、私の勝手な先入観で、息子は日々成長しているようです。当たり前かっ! 一人っ子なので、どうしても手をかけることができてしまい、もっと放任主義になることが今年の目標。”かわいい子には旅をさせよ”の精神は、やっぱり大切ですね。 新学期初めは、持っていく荷物が多く、おかしなところに突っ込むのではないかと心配していたら、懐かしいことを思い出しました。 年少の時、自宅に帰ったリュックの中身を見てみると、給食を食べた後に箸などを入れるケースが、丸ごとないことに気づいて、本人に確認。「え~。知らないよ~。ちゃんと入れたよ。」と主張してくるので、とりあえず変な所に放置されているといけないと思い、担任の先生に連絡。 やっぱり
今書いているのは土曜日。今夜は、このサイトを全面サポートしてくれているプログラマーの友人と、夫二人で飲みに行ってもらいました。 今回で会うのはまだ二回目。私の心に触れてくれる彼らにいつも助けられているので、きっとお酒でも入ったら気が合うだろうという、計画的犯行で、飲みの席を勝手に用意。 なんだかよく分からないけど、男性の友情は、女性の友情とはまた違った何かがあって好きです。女性は、多くを語って解れていったりするけど、男性は自分の中で解決をしようとするところもある気がして、そういった中で腹を割って話せる仲って、きっと大切なのだろうなと。 共通の話題は、私の悪口と、阪神ファン繋がり?ちゃんとしているように見せかけて、結構な甘え上手なので、ここだけの話ということで、盛り上がっていそうです。 そして、兵庫県出身の友人と、神奈川県出身の夫は、同じ阪神ファン。あの時はこうだったとか、好きな選手とか、あ
春休みを無事に終わらせることができて、一安心しています。とにかく息子は寂しがり屋なので、家事をこなす以外はほとんど一緒に遊んでいたような。 私が風邪を引いてしまい、唾を飲み込む時の激痛に耐えられず、耳鼻咽喉科の前まで自転車で行くと、明らかに混んでいるのが駐車場から分かり、あっさり諦めました。 自分の病院に一時間息子に付き合ってもらったら、途中でぐずりだすのは目に見えていたので、そのまま公園へ。 すると、すでに桜が満開に近く、喉の痛みも忘れて、少しだけ春の風を感じられる喜びを噛み締めていて。 去年の桜は、痛い程の家族会議の後だったので、切なさの方が強く、薄いピンクが少しだけいつもよりも白く感じられました。 今年の桜は、とても優しい、いつも目にする桜とはもっと違う柔らかさを味わえていて。 あの時から一年。本当に長かった。去年、桜を見ながら、どうやってここから自分を立て直そうと大変でした。誰かの
久しぶりに接骨院へ行くと、先生が、「イチロー選手、マリナーズ復帰で本当に嬉しいですね!」と笑顔で挨拶。私が大好きなことは、野球少年だった先生もよく知っていて、一緒に喜んでくれました。 「やっぱり、マリナーズのユニフォームが似合いますね。」そんな言葉が、自分のことのように嬉しくて。シアトルに本気で行きたくなりました。 イチロー選手をずっと応援しているアメリカ人のエイミー・フランツさん。私は、この人も大好き。 マリナーズの試合を観戦し、イチロー選手の安打数を、イチ(現地のイチロー選手の愛称)とメーター(はかりを意味する)を組み合わせて作られた、エイミーさん手作りのイチメーターは、メジャーリーグの中継で観られるように。 本拠地のセーフコ・フィールドのライト側で応援するエイミーさん。大きなイチメーターのボードを持ち、明るく応援する姿に、私も何度も元気づけられました。ホームの試合にはいつもいてくれた
以前にも話したように、このサイトを立ち上げるに至ったのは、プログラマーの友人の協力があったから。 そして、それを近くで応援してくれる夫がいて、楽しみにしてくださる多くの読者の方達が、私を支えてくれています。 <私がいてあなたがいる>、書き手と読み手、一対一のようで、でももっと周りには沢山の人達がいてくれるような不思議な感覚になります。 それは多分、読んでくださる方達が、私が今まで出会い、今も出会っている人達を身近に感じてくれているから。そんな気持ちが、インターネットを通して感じられることが驚きであり、大きな喜びになっています。 家族写真を載せることは、最初から考えていて、同時に躊躇していました。一番は、やはり身近にいる人に気付かれることを懸念していたからです。ペンネームだから書ける良さを最近特に感じていたので、不安材料は無くした方がいいのではないかという迷いもあり。 中学生の時、国語の先生
大学4年の卒業間近、父はすでに自宅を出ていて、姉はカナダの留学を終え、名古屋に就職を決めて、4人で少しだけ落ち着きを取り戻した生活を送っていました。 それでも、私の中で、父に卒業を祝ってもらえないことが少しだけ切なく、袴を試着しても心から笑うことはできなくて。 卒業式当日、美容院で髪の毛をセットしてもらい着付けもし、母に大学まで車で送ってもらいました。生憎の雨、袴も髪の毛も濡れるし、全然気持ちがついていきませんでした。 友達や恩師と記念撮影をし、違う大学で仲良くなった男友達が、車で迎えに来てくれていて。理系の大学で、サバサバしたタイプだったのに、小さな花を用意し、待ってくれていた姿を見て、「似合わないよ~。」と2人で笑い合った時に、少しだけ気持ちが解れていました。 他大学だったから、なおさら話しやすいところもあり、父が別の所に住んでいることを彼は知っていて。関西出身でいつもは笑わせてくれる
週に一度、集中する為、スタバで記事を書こうとお店へ。季節限定のさくらドーナツを発見し、これは食べないと後悔すると思い、美味しく頂くことに。 その後、ノートパソコンを開くと一面のニュース欄に、イチロー選手の写真と、『イチロー、マリナーズと合意間近か』の文字が。胸がいっぱいで、お店の中で泣きそうになりました。 イチロー選手の去就は、誰もが気になっていたこと。みんなのヒーローが最後に行く場所は、古巣のシアトルマリナーズであってほしいと願っていました。 出身は同じ愛知県。野球が大好きだった私は、甲子園の予選、愛知県大会がローカルテレビでやっている時から夏は始まっていて。 愛工大名電は、野球で名門の高校で、名電が甲子園に出られたら期待できると、地元の人達は思っているところがありました。春の選抜で、ピッチャーのイチロー選手が、大きな記録を残すことなく敗戦し、がっくりしていた姿を、ぼんやりと覚えていまし
忘れもしない、姉とのグアム旅行は現地集合、現地解散でした。私は仕事を半休取り、成田空港へ。姉も同様、仕事を切り上げ、中部国際空港へ。 秋に女二人旅をふと思い立った姉は、私を誘い、航空券もホテルの予約も全て取ってくれて、深夜のグアム国際空港で待ち合わせしよう!という無茶ぶりに、楽しくなってしまい、乗ってしまいました。変な度胸が付いていしまっていたのは、姉妹共通かも。 仕事後、高速バスに乗り、成田空港へ出発。ジャケットとボストンバッグというちょっと不思議な気分を楽しみながら爆睡。 空港に着いてから、コンビニで軽食を買い、飛行機を眺めながら一人の夕食。 日本を離れ、なんのしこりもなく、姉と現地で会えるのが堪らなく嬉しかった。家族の話ではなく、姉妹だけで、ガールズトークができることに胸を弾ませ、飛行機を見ながら泣きそうでした。 予定通りチェックインし、デルタ航空に乗り込むと、リゾート行きなのに若い
珍しく前回の記事に続く話。 教員免許を取った後は、塾で勤務することになり、いつかチャンスがあったら司書の資格を取ろうとお金を貯めながらタイミングを考えていました。 仲が良くなった国立大学出身のかなり頭のキレる女性の同僚が、とても波長の合う友達で、一浪をして私とは違う苦労をしていたので、なんだか話しやすく、素直に伝えました。自分のこれまでのこと、司書の資格を在学中取れなかったこと、大学の司書講習で資格が取得できること。 午前中は時々大学の聴講生になり、心理学を学び、午後から出勤していることをその友達だけが知っていて、私の体のことを心配してくれていた優しい友達。 だからなのかな、半分怒りながら言ってくれました。 「Sちゃんの人生なんだよ。遠慮していたらダメだよ!!塾のことは他の先生達がいくらでも児童達の事を教えることができるよ。だから心配しなくていい。年齢が進む前に動いた方がいいよ。大学の司書
受験の時、日本古代史が学べる学科、そして、二つの資格が取れる大学を選びました。 それは図書館司書と、教員免許。 私には、二つの夢がありました。どちらが自分に向いているのか手探り状態で、だから在学中に両方を取得し、そこから進路を決めようと思っていました。 資格を取るどころか、中退が目の前に迫っていた時、現実的になって諦めろと先輩に言われたことも。「まずは、卒業が先決だろう。」本当にその通りでした。それでも、せめてどちらかだけでも、一緒にいる仲間と学びたくて、2年生の時に教職のカリキュラムを新たに選びました。 通常の4限の講義が終わり、4時半から6時まで5限目の教職の講義。そして、土曜日も1限から。深夜までバイトをし、日曜日も別のバイトをして、睡眠は削れるだけ削りました。あの当時は、寝ないでも生きていけると思っていた。 夜、日本料理店で働く前に広げていたテキストは、教育基本法のレポート提出の資
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