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大谷翔平
salsa.hatenablog.jp
さまざまな手帳に関する肩書でぶいぶい言わせる教祖様が跳梁跋扈する昨今、いかがお過ごしでしょうか。 僕は一周回って解脱し、むしろえんぴつみたいな様相を呈しております。 あいも変わらず、システム手帳ダイレクトマーケターです。 システム手帳はなんでもかんでも詰め込めるのが魅力です。アドレス帳から誕生日一覧、メモ、ノート、ジッパーケース、はたまたいざというときの貞操を守るための避妊具などなどなんでも突っ込めます。 ところが、システム手帳だけでなく周りのガジェットも揃えると、システム手帳は恐ろしい火力を叩き出すツールへと変貌します。 まず簡単なところでノート、もしくはメモ。 私たちは日々、猥褻非猥褻を問わずさまざまな情報に翻弄されながら生きています。 何でもかんでも無防備に突っ込まれるのは、世間体ではあばずれとか尻軽とかのそしりを免れません。僕は尻軽というか、むしろ足軽みたいな感じで、さまざまな情報
さて、数回に分けてお送りしてきたシステム手帳論考、いかがでしたでしょうか?システム手帳というとっつきにくいものについて、ひたすら書き殴ってきました。書き殴り過ぎてもはや原形をとどめておらず、ボカシ処理でもしなきゃ公開できないのではないか、と悩んだ時もありました。頭隠して性器隠さず。むしろ隠さないどころか、全面に押し出す姿勢を崩さないまま、このシリーズもクライマックスを迎えつつあります。 今回は予定を変更して、私の今の、メインシステム手帳の使い方を紹介したいと思います。 あくまで一例ってこと 何度も何度もリトマス試験紙が激しく変色しそうなくらい口を酸っぱくして言ってきましたが、手帳の使い方に「正解」はありません。日本人は教育からの影響なのか、形ある固有の正解を求める傾向にあります。しかし、実際には形のない、または正解が存在するのかどうかすら分からない問題がたくさんあります。 行きつけのコンビ
Facebookを久々に覗いた。ほとんどの友人は飽きてきたのか、目新しい情報はない。 大学を卒業し、社会人となって意識が高まり、高まり過ぎた結果、途方も無い高みに上り詰めてもはや他界といって差し支えない様相を呈しながらビジネスマンっぷりを発揮している数人だけが元気に更新していた。 そんな中、異彩を放つ投稿がある。周りの人たちが結婚し、家庭を築き、世間で言う一般的な幸せを着実に実現させていくなかで。世間体の目を一切介さない豪の者が、ありのまま、等身大の自分をSNSで叫んでいた。凡人たる我々はSNSにおいて周りの目をはばかり、「インスタ映え」に象徴されるような他人向けへの情報になりがちだ。そんな中、彼は己の魂をSNSで叫んでいた。 なにかの悪さをするアプリでも踏んだかと心配したが、「余計な心配は無用」とばかりに同じような記事に、絶えず「いいね!」を連呼することで卑猥記事拡散アカウントと化してい
「TENGAの持ち腐れ」ということわざがまことしやかにささやかれていますが、すでに記事の書き出しから滑り出しが絶好調と言わざるを得ません。いい加減、もっとインテリジェンス溢れてかっこいいことを書きたい。そしてあわよくば手帳やノートが大好きな黒髪乙女からアプローチされたい! 下心100%というのが純粋と言えるのかそうではないのか、自問自答していたら貴重な年末の仕事の一日も、半分が過ぎちゃっていました。 何が言いたいのかというと、すっごくいい管理術のメソッドを知っていても、その使いこなしにこそ価値があるのであって、それのメソッド自身に重大な価値はないということです。 フォロワーさんのとある方が「システム手帳は大人のおもちゃだと思う」とつぶやきました。まるで生まれた直後に七歩歩いて、右手で天、左手で地を示しながら言ってそうな深淵なことばがいまも胸に突き刺さっています。 TENGAもその本来の力を
深夜のテンションという、謎のモチベーションによって記事の更新に踏み切った僕。このブログをシステム手帳の牙城とすべく、空の飛び方とか頭のおかしい記事だけでなく、真面目な考察も書いておかなければならない。 なぜ、いまアナログへの回帰が起こっているのか。その現状を考察してみた。 いろんなビジネス雑誌で、手帳やノートの特集を目にすることが多くなった。なぜ、いまアナログへの回帰が起こっているのだろうか。このアナログ回帰の背景を紐解くことは、これからの手帳運用に大きく貢献するという意味でも決して無駄ではないだろう。 デジタル進化という土壌 アナログへの回帰という現状は、裏返せばデジタルが台頭していたことになる。たしかにiphoneを皮切りにスマホが普及し、タブレット端末を持っている人も珍しくない。 スマホの普及によって、気軽にいつでもどこでもアプリケーションが利用できる環境が構築された。 メモやノート
考具の場合、それがビジネス的な使い方であれ趣味的な使い方であれ、一つの心がけていることがある。それは、自分への投資を止めないことだ。 いわば手帳も万年筆も、己の中に湧いた発想やアイデアを、紙の上に具現化するための媒体でしかない。もちろんそれらの質によって、具現化されたものの質も多少左右されるだろう。けれど、本質は別にある。 創作、例えば絵ならば。美術館を巡ればいろんな構図に出会い、色の重ね方に刺激され、ものを切り取る眼の精度があがるだろう。 仕事ならば、効率的な情報の整理、業界の最新の知識、ビジネススキルなどの情報を蓄えれば、自分に湧くアイデアや、閃く発想の質もおのずと異なってくる。 くみ取るものがなにもなければ、干上がった湖のほとりでポリタンクをもって構えたまま、時が無為に過ぎるだけだ。手帳という知識のタンクをせっかく手にとったなら、綺麗な泉がコンコンと湧くような場所でくみ取りたい。その
「すべてをシステム手帳1冊に集積する」 ワンピースの読み過ぎなんじゃないの?と思われそうなこのフレーズを信念に、システム手帳を使い続けてきましたが、何も欠点がないわけではありません。 システム手帳も使い方によって大きく2つにわけられ、全てを集約しようとする人と、高級ミニルーズリーフのように使う人といます。 僕の場合、たぶん頭の中はオランダ村みたいにチューリップ畑が広がっているタイプの人間ですので、集約しようとするシステム手帳と、ルーズリーフのような扱いの手帳と常に双方をはべらせています。はべらせているのが女性ではなく手帳というのが哀愁を感じずにはいられません。 複数冊使ってるけど1冊主義 「この1冊を見れば全てが分かる」 その意味でのシステム手帳は1冊しか使っていません。その他のものはルーズリーフであり、システム手帳型名刺入れであったり。バインダーがついてるものを使っているに過ぎません。
11月も中盤を過ぎ年末が近づくにつれ、経団連発表の冬賞与平均額を目にする度に、アウシュビッツな我が職場に、燃え盛るの鉄槌をお見舞いしたくなります。 律儀に毎日早起きして通ってやっているのだから、たまには会社の方がうちへ来てもよいのに。容赦なく、まったくそんな素振りも見せません。ほんと許し難い。 冬の賞与ということで師走も近づいてきているのですが、もう師匠どころか老若男女入り乱れて大混戦のチキンレースみたいになっていまして、混迷を極めたままクリスマスとかに突入していきます。 クリスマスといえば、一大商戦となっていてカップル産業、レジャー産業、お菓子産業などが鬼神と化して現金獲得に乗り出します。正義のヒーローはクリスマスに照準を定めて、数か月まえから念入りに新ウェポンを駆使しして威力を見せ付けます。そして、クリスマス準備期間にお披露目とともに盛大に発売するのです。たぶん。 僕個人としてはクリス
11月11日は、ポッキーの日ということですが、週末の華金ということもありポッキーなのかボッキーなのか判断に迷うところです。 この日になると必ずといっていいほど、お隣の「北の不思議の国」の南部から、「ペペロ」の日だ!という主張がほのかに聞こえてまいります。 向こうさまのマーケット事情は分からないのですが、少なくとも日本においては「ポッキーの日」だからといってコンビニでは、安く売り出すわけではありません。スーパーとかだとどうなんでしょう。 「ポッキーの日だから買えよ!別に安くしないけど?」というあまりのふてぶてしさに往復ビンタでもお見舞いしたくなる心境に至ります。 さらにポッキーだけでなく「チンアナゴの日」でもあるらしいですね。要するにゾロ目で棒がそろっているので、それにちなんだ棒が群がってくるわけです。チンアナゴまで来ているのですから、もう肉棒の日であってもなんら違和感がないわけです。棒なら
ブログの記事を書く際、テーマだけ決めてとにかくキーボードを一心不乱に打ち続けます。一心不乱はやがて意識腐乱へと変化していき、打ち込むテキストは異性を遠ざけてドン引きさせるに十分な内容へと昇華されていきます。そろそろ軍事技術とかに転用できるんじゃないだろうか。同性の男性をドン引きさせる文章の磨き方が求められるところです。 ポメラ ツボを突くキングジム 最新機種ポメラDM200 ポメラDM200の欠点 キングジムさんの神キャンペーン さっそく応募してみた ただでさえ電子界の藻屑みたいなテキストを量産しており、加えて当サイトは文章を主軸としたテキストサイトと銘打っています。正確さをきたすならば成人テキストサイトという、それはもうフランス書院なフィールドに飛び込んで無双しているのです。競合相手が全くいない無双状態。 むしろこのような土俵ならば、通常の健全な人は競合しないことが人間として幸せであろう
スケッチブックを見つめててふいに思いました。「そろそろまともな文具系の記事も書き上げなければ」 だいたいこのブログから手帳やペンなどの文具系の情報を取り除いたら、はっきりいってコンビニでビニールに包まれて本棚の端っこに鎮座している雑誌です。それは私の目指すところではありません。今回は、手帳ユーザーみんなが大好きな「ノート」についての考察を。 ノートとは 第3世代にある手帳 第2世代 ノート 思考するノート ノートはカオスそのものでいい ノートの目的と使い方 最後に ノートとは ノートとは罫線等以外、何も書かれていない紙の集合体(冊子)です。紙の帳面とでもいいましょうか。ノートといえばまず思い浮かぶのは、やはりコクヨの『Campusノート』でしょう。文具界のSoft On Demandと言っても過言ではありません。 小学校の高学年のときに初めて背伸びして使った記憶があります。それから中学校で
広告学研究会のような、モザイクを要する記事を上げ続けて参りました。唯一違う点は、あちらは女性の色気が絶えず立ち込めており、こちらはどこまでいっても私の妄想に過ぎないという点でしょうか。実にささいな違いで無視していいレベルです。しかし、頬を伝う熱い何かは否定できません。 日々、いろんな知識や気付きを手帳にしまっています。しまったときは何もない単なる素材、しかし時を経ることで初めて素材は熟成します。しかし、熟成と腐敗は紙一重であるということを私たちは強く認識すべきでしょう。 さもなければ、どんなにいいアイデアも手帳を経て出てくるときには残念なものになってしまうのです。私の場合は、記事をご覧いただければ分かる通り。残念なものは出てきませんが、モザイクばかりが出てきます。まるで大人のドラえもんがもっている、大人の四次元ポケットです。 このようなとっかかりとなるテキストを書いてしまうと、先へ先へとイ
まだ僕たちが世間の荒波をしらない社会童貞のころ。「単位を落とす」という堅実策によって、モラトリアム延長に果敢に挑みました。親元離れた一人暮らしです。18歳で監視の目がなくなった途端、性技万博というかはやい話がレンタルアダルトビデオ賢者タワーみたいなのが表れるわけで、卒業を危うくするには容易い環境でした。 今でこそAKB48がアイドルの頂点に君臨していますが、同じ48なら「ひとり四十八手」という苛烈を極める修行に明け暮れていた私を評価してもらいたいところです。さるさ48(ティッシュ付き)。 しかしながら、モラトリアム延長も将来を見据えた有意義な過ごし方と、四十八手の研究に明け暮れる無益なものとに分かれます。中にはピュア過ぎて無益なことにしか目的を見いだせない人もいます。それが私です。 けれど多額のお金を出資している親からすれば当然たまったものではありません。日本昔話なら山とかに捨てにいかれて
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