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大谷翔平
seiko-udoku.hatenadiary.jp
客観的である、論理的である、そうありたいものだと自分では思っている。 しかし、人間というものは、なかなかそうはいかないものである。 自分にあまり関係のないものであれば、けっこう客観的論理的な判断ができる。 ところが、現実にはそういう訳にはいかない。 好き嫌いや、利害やプライドやさまざまなものが、絡んできてしまう。 世の中を見ていると、これは私だけのことではなく、多くの人にあてはまる 聞きたい話を聞き、信じたいものを信じる。 すでに、結論があったりする。 これは、会社、団体などの組織や、国家も同じだろう。 むしろ、これらの方が利害関係で成立していると、言えるかも知れないので、もっとはっきりしている。 この数週間、メディアを騒がせているのが、「福島第一原発」の処理水排出の問題である。 これについては、原子力についての元締めと言える「国際原子力機関」(IAEA)が、ALPS処理水の海洋放出につい
今朝、団地に咲いていた紫陽花 これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしています。 息子が、小学校で使う郷土学習の副教材を見たときに思った。 自分も、こういう教材を使った勉強をしたかった。 私の小学校中学校時代は、こんなものはなかった。 副教材どころか、郷土学習の時間もなかった。 それが昭和30年代から40年という時代的なものだったのか、秋田県や田代町という地域的なものだったのだろうか。 だから、自分が育った秋田県というところが日本の地理や歴史の中でどんな位置付けにあるのかを、学んでいない。 まして、育った田代町という地域が、どのような所なのかも、知ることはなかった。 今、自分で勉強していると、驚くことが多い。 私は、昭和28年に秋田県北秋田郡山瀬村で生まれた。 秋田県北秋田郡は、明治11年(
天気予報では、全国的に暑くなるようなことを言ってたが、ちょっと遠出をすることにした。 緑の中を歩きたくなった。 それで、思い出したのが、市川市の大町公園である。 3週間ほど前に、孫娘を預かったときに、その公園の中にあるバラ園に行った。 その時は、まだちらほら咲き始めた感じで、さびしい感じだった。 もしかすると、バラはもう終わりかもしれないが、公園の半分くらいを占めている自然鑑賞園は、いつ行っても人出少なく、一面の緑を楽しむことができる。 www.travel.co.jp garden-vision.net 距離を調べてみると、7キロほどで、歩いて2時間弱となっている。 昨年、鎌ヶ谷市立図書館まで歩いたことがあるが、そこより少し近いくらいである。 鎌ヶ谷市に向かう県道を同じように行き、途中で市川方面に右折すればいい。 自宅を出発したのは、10時半を過ぎていた。 到着は、正午を過ぎるだろう。
「地表面を上空から斜めに見下ろしたようすを図に描いたもの。俯瞰図(ふかんず)ともいう。起伏のある土地に用いることが多い。立体感や遠近感がよく表され、土地の状況を把握しやすい。しかし、地図のように、距離、方向や面積を正しく読み取ることはむずかしい。また、遠方ほど省略されたり、山や丘の向こう側が表現されないという欠点もある。建物や樹木なども実物に近い形に絵画的に描かれることが多く、観光案内図などに用いられる[五條英司]」 (百科事典マイペディア) 人間は、鳥のように飛ぶことはできないので、自分の住む街を上空から見下ろすことはできない。 地上で描いたスケッチをもとに、上空から見た風景を想像して、再構築するのだろう。 人間の視点からは、絶対に見ることができない光景を人間は描いてきた。 「鳥瞰図」ということばから、私が思い出したのは、日本史の教科書に載っていた「洛中洛外屏風」というものである。 京都
今年はなかなか桜が咲かないな、と思っていたらいっきに咲いた。 あっという間に、満開だ。 サイクリングで、江戸川を走って柴又まで行くことにした。 この2年ほど、柴又の桜を見ている。 昨年は、帝釈天にお参りして、京成金町駅前の寅さんにもあいさつした。 いつものように、麗澤大学の通りを旧水戸街道に向かって走り出す。 至るところ、桜が満開である。 地面には、まだほとんど花びらが落ちていない。 旧水戸街道に合流する中新宿は台地上になるので、登り坂を登る必要がある。 それを避けるために、上富士川の支流である小さな流れ沿いに方向を変えて、まわり路する。 根木内城址公園の手前あたりで、旧水戸街道街道に合流する。 さらに進むと、新水戸街道である国道6号を横断して、旧小金宿に向かう。 この道は、かなりの登り坂が続く。 小金宿の手前の交差点で街道をはずれて右折して、しばらく行くとJR常磐線を越える跨線橋である。
一年前に、このタイトルで、 ハーバート・G・ポンティングの「英国写真家の見た明治日本」について、取り上げた。 ポンティングは、南極体験隊にも同行した職業写真家であり、日露戦争に従軍したことが縁で来日して、その後3年間日本に住んでいた。 原著は、全20章からなる大部であるが、訳本は半分の10章に削られていた。 私は、削られた章の中に、「日本の家と子ども」というのがあったことを知って、それが読みたくてしょうがなかった。 それで、ネットで原著を探して、archive.orgというサイトで見つけた。 とりあえず、必要な章をデスプレィに表示して、スマホで撮影した。 16ページほどだったので、あとで読もうと思って、そのままにしていた。 テキストファイルだったら、翻訳アプリでも使えるだろうが、それもできない。 最近になって、それを思い出して、また図書館サイトを見ていた。 そうしていて、ファイルをダウンロ
久しぶりに、県立の西部図書館まで歩いた。 このブログでも何回か書いた「フランス式彩色地図」が、蔵書として所蔵されてないかなと思ったのだ。 これは、関東地方について2万分の1の縮尺で、明治初期に921枚が日本陸軍によって作成された。 明治19年(1886年)に完成しているので、130年以上前の状況を知ることができる。 すべてが、測量者の手描きで彩色されているのが、特徴である。 地図によっては、地図の欄外に樹木、神社、寺院などがスケッチされている。 この地図が、平成8年に復刻されたので、私の住んでる近隣の図書館では地域についての復刻地図は所蔵しているようである。 柏市立図書館と我孫子市立図書館では、「フランス式彩色地図」が閲覧できるようになっていたので、何回か閲覧したことがある。 地図の収納引き出しにあって、誰でも自由に見ることができる。 鎌ヶ谷市立図書館にも行ったことがあるが、ここで所蔵して
このブログの冒頭に、「趣味は、山、本、音楽、PC、その他。」と書いた。 これは、20代の頃からほとんど変わっていない。 まあ、その頃PCはまだ無かったので、代わりに「酒」が入るかもしれない。 そういうものに、小遣いのほとんどを使っていた。 最近は見かけることがないが、「独身貴族」ということばがあった。 扶養家族がなくて、自分の趣味にいくらでもお金を使える若者のことを、言ってたような気がする。 「貴族」というほど上等なものではなかったが、好きなようにできるという点では、たしかにそれに近かったかもしれない。 「独身貴族」という言葉を、調べてみた。 「コトバンク」の「精選版 日本国語大辞典」では、次のようになっている。 「金銭や時間にゆとりがある独身者を羨んで、家族持ちの側からいった語。」 なるほど、と思った。 金銭面しか考えてなかったけど、時間面もあるんだな。 「家族持ちの側から」ってところが
いろんな風景を見ながら、散歩するのが好きである。 樹木は、とても気になる。 自分が、山に囲まれた所で育ったせいかもしれない。 近所に、山と言えるようなものは、ほとんどないが、林や森はけっこうある。 樹木は、果実のなるのがいい。 今は、柑橘系の果実をつけた樹木をよく見かける。 よその庭の木を見ながら、こんな木が一本欲しいものだと思ったりする。 家族の送りで、朝方車で出かけることが多い。 すると、空が気になる。 青空に、ぽっかり白い雲が浮かんでいると、それだけでうれしくなる。 帰ったら、さっそく写真を撮ろうと、帰ってくる。 そうすると、空の雲はもうまったく変わってしまっている。 空の雲は、ゆったりと優雅に浮かんでいるように見える。 でも、じっと空を見ていると、そうではないことがわかる。 雲は、とんでもない速さで流れていて、どんどん形を変えている。 何分か経っただけで、もう同じ雲は見ることができ
久目路乃橋より 秋田県立図書館デジタルアーカイブ かくて、此寺に近き家に宿つきぬ。 女の童雨ふれ/\といふに、いろはにやあらん、かまけるな、こよひはふりなん、雲のたたずまゐいとよし。 ことかたは、をり/\ふりけれど、此山は水無月十日斗にふりたるまま、小雨だにそぼふらで、ものみなかれうせなんとと(外)に立ていへば、わらは、わがうへたる山桜草、玉すだれもかれ行ぬとて、ちいさき岩のあはひにあるに、水もてそそぎありく。 いく世々といはねに生る玉簾かけて久しき根さしなるらむ くれ行ば、あるじの翁、くろ木のをまくらとり持ち投出して、そべれといへば、ふしたり。 廿七日 つとめておき出れば、高根のしら雲ふかうかかりて、ひま/\に、岩群のもりあらはれたるは風情こと也。 日の光四方に見づらし明らけくあけ初にけり戸隠の山 けふは御射山祭のいはひとて、紅豆の飯を家ごとにたきて、青箸とて薄、あるは、かやの折はしにて
昨年の2月ごろに、「銭形平次捕物控 野村胡堂」という記事を書いた。 青空文庫には、「銭形平次捕物控」が第1話から第376話まで、収録されている。 作品リストを見ると、第320話以降は番号が欠番になっているのが多い。 記事を書いた頃は、第50話くらいを読んでいたと思うが、現在読んでいるのは第227話「名画紛失」である。 いいペースで読むこともあれば、途中で何週間か遠ざかってしまうこともあるが、最近また読み始めている。 一年とちょっとで、200話以上読んだことになる。 テレビで毎週放送するとすれば、4年くらいの内容になる。 父親がテレビの時代劇が好きだったので、私はよく一緒に見ていた。 「銭形平次」は、映画やテレビでいろいろな俳優が演じているらしいが、私にとっては大川橋蔵である。 大川橋蔵主演の「銭形平次」は、フジテレビが1966年から1984年まで、なんと888回放送されたという。 私が父親
大晦日に、「紅白歌合戦」を見ていた。 昔ほどではないが、すこし楽しみにしていた。 知ってる曲もあるし、知らない曲もある。 まあ、それはしかたない。 30分くらいで、見ている元気がなくなってしまった。 なぜだろうか。 1時間しないうちに、脱落した。 布団に入って、タブレットを眺めていた。 私は、音楽はけっこう好きなほうだと思う。 紅白歌合戦は、楽しみにしている。 それなのに、見る意欲が持続しない。 まあ、しょうがないか。 先日、ラジオはどのように変わっていくのだろう、ということを書いた。 テレビの世界も、Netflixのようなスクリーミングサービスの企業が存在感を増している。 これがテレビの世界となるかどうかは、微妙である。 DVDレンタルからスタートしたというこの会社は、今や映像コンテンツの制作と配信を行なっている。 言ってみれば、映画会社とテレビ会社を兼ねたような存在である。 配信に、電
「海外旅行」ということばがある。 日本やイギリスのような、国土のすべてを海で囲まれている島国で、「外国旅行」と同じ意味のことばとして使われているそうだ。 でも、「外国旅行」というのは、なにかしっくりしない。 「海外旅行」の方が、日本人にとっては使いやすいかもしれない。 英語では、海外旅行が”overseas travel"で、外国旅行は“travelinng abroad"ということになるらしい。 子どもの頃に、「海を越える」のが、「海外旅行」なら、本州から北海道や九州へ行くのも、「海外旅行」だろう、などと言っていた。 高校生の時に、小澤征爾さんの「ボクの音楽武者修行」という本を読んだ。 その本は、高校の図書館にあった。 お昼は、校舎の外で、腰を下ろして外の景色を眺めながら弁当を食べて、それから図書室に行くのが日課だった。 その頃、小澤征爾という指揮者のことは知らなかったはずなので、たまた
柏の葉公園を車で、走っていたら、東大柏キャンパス前の並木が、色づいていた。 紅葉の色づき方が、変わっている。 樹木によって、まだ緑だったり、黄色かったり、真っ赤だったりする。 なかには、もう落ち葉になっていて、ほとんど葉を残していないのもある。 同じ一本の木でも、葉っぱによって進行具合が違ったりして、緑、黄、赤、茶、なんとも自由である。 東大柏キャンパスは、都内に散在していたいろんな学部の研究所を集中させたものらしい。 見ていて、この並木は「プラタナス」なんじゃないかと思いあたった。 プラタナスといったら、北大キャンパスという記憶がある。 名前だけで、どんな木かはよく知らなかった。 北大はポプラ並木も有名だけど、ポプラは巨木だった気がするから、それほど大きくはないこれがプラタナスなのか。 私にとっての、プラタナスは好きだったランチャーズの「真冬の帰り道」の歌詞にあった。 「あなたの肩先に
何ヶ月か前に、「AM放送の団体がAM電波による放送を停止することを申請した。」というような記事を見た。 その時は、あまり詳細は知らず、見出しを見ただけだった。 きっと、音質の良いFM電波に切り替えるのかな、と思っていた。 後日、車で走っていてTBSラジオの「伊集院光とラジオと」という番組を、聞いていた。 自宅に帰ったのだが、番組の続きが聴きたくなった。 我が家には、AMラジオが聴けるラジオというものはない。 AVアンプで、FMなら聴けるかもしれないが、AMも聴けたかな。 インターネットラジオで、radikoというアプリがあったことを、思い出した。 探したら、他にもAMを聴けるアプリはあった。 さっそく、スマホにダウンロードしてみた。 ラジオ番組の続きを、聞くことができた。 放送の初めに、FM電波とAM電波の案内をしているようだった。 どうも、すでにFM電波でも、AM電波と同じ放送をしている
天気予報では、気温は上がらず雨も降る可能性が低いらしい。 久しぶりに、ランニングに出かけようと思う。 手賀沼は、ここのところけっこう行っている。 江戸川は、サイクリングは行ってるが、ランニングはしてない。 ランニングだと帰りがきついので、自転車ではなく車にする。 車を停めて、江戸川の土手に向かう。 一茶双樹記念館 歩き始めると、広い敷地の邸宅があって、「一茶双樹記念館」という看板があった。 江戸時代の俳人小林一茶は、この東葛飾に俳句を通じた友人があり、流山もゆかりの土地であるらしい。 この建物の前は、よく歩くがまだ記念館には行ったことはない。 真言宗豊山派 光明院 さらに歩くと、光明院という真言宗の寺院があった。 入り口の案内板を見ると、元の名称は長福寺で、菩薩形坐像という仏像があるらしいが、今日は先を急ぐので、通り過ぎる。 このお寺の隣は、赤城神社である。 背後に広い森があるので、お参り
「人間は二度死ぬ」ということばがある。 ある方が、これは古代ローマとか中世ヨーロッパとかの思想家のことばかと思って、引用しようと出典を調べると、近代の俳優のことばだった、と書いていた。 俳優が誰かは、書かれていなかったので、調べてみた。 調べた結果わかったのは、俳優は松田優作さんだった。 ほんとに、これが正確なのかわからない。 「人間は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、みんなに忘れ去られた時だ。」 松田優作さんは、このように言ったらしい。 人間にとって、最初の死は肉体的な死である。 そして、その人を知る人の記憶から消えた時に、ほんとの死が訪れる。 そういうことだとすると、もっと以前に同じようなことを言った人がいても、おかしくはないような気がする。 記憶から消えた時がほんとの死、なるほどと思った。 そして、亡くなった父と母、それから姉のことを思った。 父は、もう30年も前に亡くなっている。 三男が
インターネット上にあるサイトは、永遠に存在するものではない。 久しぶりに、サイトを訪ねようとするともうリンクが切れていることがある。 今は、ネットにつながっていることは、身近なものである。 だから、クラウドなどというものができている。 自分のPCやスマホなどのデータをクラウドに保存すれば、PCやスマホなどに関係なく、アクセスしてデータを使うことができる。 でもクラウドも、企業のサービスだからいつまでもあるという保証はない。 突然使えなくなるということも、あり得る。 これは、貴重だ思えるものは、やっぱり手元に保存した方がよさそうだ。 そういえば、昔ウェブ上に無くなったデータを保存しておくことをボランティアとしてやってるウェブアーカイブというものがあったような気がする。 調べてみたら、現在は世界中の図書館などがそういう事業をやってるようだ。 日本の国立国会図書館も、やってるようだ。 2010年
地図が好きなので、このブログにも地図のことは何回も書いている。 特に、昨年に「フランス式彩色地図」というものを知ってからは、市立図書館にそれを見るために通っていた。 この地図は、明治初期に日本陸軍が作成した手書きの地図で、古地図といってもいい趣のあるものである。 関東近辺を921面の二万分一の地図で整備したものである。 この地図について、いろいろと調べているうちに、農研機構という組織の歴史的農業環境閲覧システムというサイトで、このフランス式彩色地図を見ることができることを知った。 しかも、「比較地図」を使えば、国土地理院の現在の地図にと比べることができる。 同一画面の左右に半分づつ表示されて、拡大縮小が自在で、片方を移動させると、連動してもう一方も移動するようになっている。 関東の中心部は網羅しているので、普段の移動範囲なら、これで充分である。 この地図のためだけに、図書館へ行く必要はなく
これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしている。 平安初期には、「蝦夷」を、出羽側は「蝦狄」と陸奥側は「蝦夷」と分けて記録されているという。 東北を、奥羽山脈を挟んで、西側が出羽国、東側が陸奥国とそれぞれに北上して、出先の柵や城を建設して行ったようである。 そのせいか、出羽国と陸奥国の境は、不明瞭だったようだ。 のちに、陸奥国となる紫波郡が出羽国紫波村になっていたり、出羽国になる比内郡は陸奥国比内郡とされていたようである。 比内郡というのは、現在の秋田県大館市、北秋田郡、北秋田市である。 私の郷里である大館は、この時点では陸奥国だった。 比内郡が、出羽国秋田郡に編入されるのは、天正10年(1590年)の豊臣秀吉朱印状によってである。 比内郡の隣には、鹿角郡があるが、鹿角郡は郡が成立して以来、
先日、「私の日本酒コレクション①」を書いた時に、純米酒の種類として、純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒をあげたが、正確には特別純米酒を加えた4種類だった。 純米吟醸酒と純米大吟醸酒は、「吟醸造り」という製法が、用いられています。 「吟醸造り」というのは、国税庁が公開している情報では、次のとおりだ。 吟味して醸造することをいい、伝統的に、よりよく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、粕(かす)の割合を高くして、特有な芳香(吟香)を有するように醸造すること もっと詳しくいうと、10度前後の低温で1ヶ月近い時間をかけて発酵させる製法で、低温で発酵することで、香り成分がもろみに閉じ込められる。 しかし、温度が低すぎると蒸米が溶けにくくなり、麹や酵母の活動がおさえられ、味成分が少なくなってしまうので、工程を厳しく管理することが必要である。 時間と手間を充分にかけた結果、「吟醸香」と呼ばれるフルーティな
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