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GPT-4o
senzan.hatenadiary.org
はじめに 最近つづけて論文の英文タイトルを考える手伝いを求められたので、この機会に日本語論と英語論文のタイトルの付け方の違いについて考えてみたい。 どんな文章でもそうだが、基本的には論文のタイトルも、明確である(specific)ことと簡潔である(brief)ことがとにかく重要であって、それが満足できれば後述するような修辞にこらなくダメというわけではない。ただし、実際にはこの二つの条件を満足させるだけでも、頭を悩ませることになる。この二条件はしばしばトレード・オフ関係にあって、明確にしようと言葉を重ねると冗長になるし、簡潔にしようと言葉を削ずると曖昧になる。 そこで、論文から頻出のキーワードを選び出して、その中の上位5単語を組み合わせてタイトルにするという方法で、このディレンマを解決する手もある。たしかにこれなら論文の主題や趣旨は明確になるだろうし、5単語前後に限定すれば簡潔さが失われるこ
朝日新聞の読書欄で柄谷行人が『資本主義に徳はあるか』という新書本について書評していたのを読んで,ちょっと雑感(以下に言及する著作はすべて今手元にない状況なので,記憶に頼って書いています.確認すれば避けられるような勘違いや誤解がありうることを予めお断りしておきます). この書評で柄谷は本書における道徳と経済,政治などの異なる分野の混同に対する批判に着目している. …最も危険なのは、経済や政治の秩序と道徳の秩序の混同である。たとえば、ひとびとが平等であるべきだという考えは、道徳の秩序に属するが、それを経済的に実現しようとすると、経済を破壊することになる。その結果、平等そのものが実現されなくなるだけでなく、道徳的な理念が嘲笑(ちょうしょう)的に否定されるようになる。それは旧ソ連の社会主義経済とその崩壊がもたらした事態である。 しかし、経済や政治の秩序と道徳の秩序の混同は、今日でも別の形で生じてい
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