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shinrangakuto09.hatenadiary.org
富山県射水市の親鸞会館が擁する二千畳の大講堂で、 今日、座談会が行われましたよ。 高森顕徹先生は、ご著書の『歎異抄をひらく』を通して、 『歎異抄』の〝扇の要〟「ただ信心を要とす」(第1章) の「信心」とはどんなことか、詳しく教えてくださいました。 「信心」というと、心で何かを信じること。神や仏を 信じることだと思っている人が多いでしょうが、 明日もあると命を信じ、健康を信じ、家族を信じ、 金や財産、地位、名誉を信じるのも、信心です。 何かを信じなければ、私たちは生きていけません。 それらはすべて、自分の心で信じるから、 「自力の信心」といわれます。命も健康も、家族も、 この世の幸せは何一つ、永遠なるものはありません。 たとえ、80年か100年続いても、死んでいく時には、 心の明かりにならないではありませんか。 信じていたものに裏切られたら、私たちは苦しみます。 病気で苦しむのは、健康に裏切
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