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3月になりました。 悲喜こもごもの季節ですが、新しい年度へのよい準備のときとなりますように。 さて、前回と同様、樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか』(光文社新書、2007年)の第四章「共同性を維持する現代の社会現象」から、今日は、企業的共同性を取り上げる。 著者は、マクドナルドで働いた経験を分析したフランス人社会学者ヴェベールの研究を紹介する。 「従業員の60%は学生であり平均年齢は22歳未満のマクドナルドの仕事は、単純作業が中心できつい仕事である。にもかかわらず、フランスで社会学の博士号をもつ心理学者であるヴェベールは、グランゼコール(フランスのエリート校)の受験時代、この仕事に魅せられてしまった。彼はこの体験を自己分析して修士論文と博士論文を書いた。」(213頁) ヴェベールはマクドナルドの従業員の期間を、(1)「参加の期間」、(2)「融合の期間」、(
昨日に引き続き、今度は大学院段階における専攻分野別構成をみてみよう。資料は引き続き、「教育指標の国際比較」(平成25年)による。なお、大学院段階については、独の数字はないので、露の例を引く。 日本 英国 仏国 露国 韓国 人文・芸術 9.2 11.4 28.4 14.2 13.4 法経等 15.7 35.8 26.5 28.3 26.2 理学 7.4 18.6 15.7 工学 32.2 12.9 20.0 24.6 23.9 農学 5.0 0.8 3.2 医歯薬保険 14.2 7.8 23.7 7.3 10.1 教育 5.5 10.0 m 6.5 19.0 家政 0.5 m m m a その他
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学 改訂第2版』(佐藤良明訳)新思索社,2000年 9月30日,10月1日に取り上げた教育学者・矢野智司氏の考え方や方法の背後には,グレゴリー・ベイトソンがいる。 ベイトソンとは誰か。手元にある『人間学命題集』(新曜社)のなかで矢野智司氏は次のように説明している。 「ベイトソン(Gregory Bateson, 1904-80)は,生物学・文化人類学・情報理論・精神医学の諸領域を踏破しながら,生命の創造性と病理を,コミュニケーションの事象として問い続けた「精神の生態学者」である。学習,遊び,ユーモア,芸術,そして進化,またアルコール依存症,分裂病と多岐にわたる彼の研究を支えた理論の中心は,パラドックスのコミュニケーション論であり,これは,サイバネティックスと論理階型論の2つの理論によって構成されている。」(『人間学命題集』80頁) サイバネティックスと論理
彌永信美『歴史という牢獄 ものたちの空間へ』青土社,1988年 前回(2月8日)少しふれたように,研究室の引っ越し準備のために,何かしら生活が落ち着かず,この日記も放置してしまいました。 少し期間をおいてしまうと,なかなか本の紹介モードになることができず,どのように書いたものかと,思いあぐねる始末。 この日記のコンセプトは,良いと思う本の中の言葉を紹介すること。ともかく,読んで啓発された言葉,ものを考えていくために心にとめておきたい言葉を,引き続き引用していきたいと思います。 さて,冒頭の彌永信美(いやなが・のぶみ)氏の著作。引っ越し作業の中で,本棚に埋もれていたのを再発見した。 彌永氏は,1948年生まれの仏教学者,評論家。パリ高等研究院歴史・文献学科を中退。仏教神話の伝承史的研究,ヨーロッパ文化史,宗教史,神秘思想などの,広範な知見をもとにした評論活動を展開している(渋沢・クローデル賞
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学 改訂第2版』(佐藤良明訳)新思索社,2000年 ベイトソンの理論において,サイバネティックスと並んでパラドックスのコミュニケーションを支える論理階型論について見ていきたい。 論理階型論は,そもそも数学者ラッセルの理論である。(以下は,「学習とコミュニケーションの階型論」から。) 「<論理階型論>が,どんな事柄を問題にするのか,示しておこう。この理論は次のことを主張する。─正式な論理的・数学的言説において,クラスはそれ自体のメンバーに決してなりえないこと。クラスのクラスはそれがメンバーとするクラスのメンバーには決してなりえないこと。ものの名前は名づけられたものとは違うこと。」(383頁) 最後の「ものの名前は名づけられたものとは違うこと」というのは,一昨日(10月13日)のサイバネティックスのところでも出てきた。そこでは,この違いを破ってしまう「信ずべき
グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学 改訂第2版』(佐藤良明訳)新思索社,2000年 昨日,たまたまアンジェラ・アキの「手紙」という歌を聴いた。そのなかに「人生のすべてに意味がある」という歌詞があった。 こうした歌詞を,「説教臭い」と感じる人もいるかもしれないが,歌詞のもつそうした「教育的な」意味とは別に,「人生のすべてに意味がある」という命題の意味をそれとして考えることは,それはそれで可能なことだし,おもしろいことではないかと思う。 じつは,一昨日(10月11日)取り上げたベイトソンの理論は,このような命題の意味を考えるためのヒントも提供してくれているように感じる。 矢野智司氏の紹介によると,ベイトソンの基本的な考え方のひとつは,サイバネティックスである。 本書に収められた「サイバネティックスの説明法」(1967年)でベイトソンは,サイバネティックスでは,「出来事の行方はさまざまな拘束の
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