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大谷翔平
tokugawagaku.hatenablog.com
人は、必ず死にます そして、いつ死ぬのかわかりません 今日かもしれません 明日かもしれません 「今日、死んでも大丈夫か」 と、いつも念じて暮らしていると 平和な生き方ができるようになります。 「今死ぬかもしれない」 と思うと、 ものを集めたり 人と争う気持ちはなくなります
ものを持たない生き方が素晴らしいのです 何もないことを喜べるのが、理想的な人格なのです ブッダが、比丘たちに言いました 「鳥たちはどこに行くにしても、自分の翼だけを持って行く 何も荷物はない しかし、どこにいても完璧である だから、比丘たちも三衣一鉢だけでいいのだよ」と。 何も持たない生き方は、 どこにいても自由で 何もかけるところがないのです
賢い人は 自分の欠点を、しっかり指摘してくれる 聡明な人を歓迎します その人は 隠れた才能を引き出してくれるのですから 「その提案は、ここを見落としている」 「あなたのスキルは、ここが今ひとつだ」 と、欠点を率直に指摘してくれる親しい人を あなたはどう扱いますか? 愚かな人は、腹を立てて、その人を遠くへ追い払います 賢者は、「良い点に気づかせてもらった、これからもずっと そばにいて、適切なアドバイスをしてもらえないか」 と、その人を大切にします なぜ、相手は厳しいことを言うのか 相手の身になって考えてみましょう それは、傷つけてやろうとか、バカにしてやろうと言う 意地悪な気持ちからではない場合がほとんどです 「このままでは、あの人は成長しない、ここでもう一踏ん張りすれば もっと素晴らしい結果が得られるはずだ」 と、その人の成功を親身に考えてくれているからです 期待していな人には、わざわざ欠
【今現在をよくすることから始めましょう】 今の日本は、将来に向かって良くなっていく材料を見つけるのが、 なかなか難しい状況にあるかもしれません 国全体の未来が暗いということですね。 国の将来は、自分一人の力で変えられるものでもありませんから、 将来のことを前向きに考えるのは、なかなか難しいのかもしれません。 しかし、自分の将来に希望を見出せないというのは、その人の「今」が よくないからではないかと思います。 人は将来のことを、今の状況から思い描きます。 もし、今がとても良いのであれば、将来もそれほど暗いイメージにはならない と思います。 仏教では、過去や未来ではなく、「今現在をどう生きるのか」ということを とても大切にしています。 過去はもう過ぎ去ってしまったし、未来はまだやってこない たとえどんなことをしても、どちらも我々には変える事はできません けれど、今この瞬間のことであれば、我々自
じわじわと広がる淡い痛みのような感覚が、心の奥の方にある はっきりとした理由があれば何か対処もできるけど、思い当たることもないから どうすることもできない できることがないから、いつまでも痛みが消えない もうどうしたらいいのかわからない そもそも、心にはびこる不安とはなんなのでしょうか 不安というのは、心の痛みと思うとわかりやすいかもしれません 体に痛みがあるように、心にも痛みがあります。 痛みなんて感じたくないし、ない方がいいと思う人も多いかもしれません でも、痛みがなくなってしまったらどうなるでしょうか 転んで足首を捻っても、痛みを感じることができないとしたらどうでしょう 捻挫をすると、足首が痛くてちゃんと立つことができなくなってしまいます でも、痛みがなかったら、怪我をしたこともわからないので、患部を いたわってあげることもできません いつもと同じように歩いた結果、捻挫が悪化してしま
仏教は 「得る道」 ではなく 「捨てる道」 を教えます 捨てる生き方を歩もうとすると 身も心も軽くなって 楽な気持ちがずっと続きます 「得る道」は、依存を増幅する道です 不自由な道です 「捨てる道」は 自由を獲得する道です
観念的に 「欲しい」 というのではなく、 自分に本当に必要であれば そのものは簡単に手に入るのです 必要なものは 自分で獲得する能力が備わっているからです 必要で無いものを 「欲しい」 と頑張るから うまくいかないのです 具体的に必要であれば しっかりと頑張れるのです あたふたしなくていいのです
ひとたび怒りが起こると 心の中に火が点いて どんどん燃えていきます ある人が 私に対して 何か気にくわないことがあって怒ったとします それに対して私が起これば 相手は 「怒るとは何事か!」 と、怒りを増幅させるでしょう そして 私もまた応酬して怒れば 相手はさらに怒ります このように 一度怒りを起こすと それは二倍になり四倍になり八倍に・・・・ と、どんどんと増えていくのです
スポンサーリンク たとえ悪人に対してでも 怒ったり攻撃したりすれば 自分も余計な罪を犯して 不幸になってしまいます 悪をなすのは相手であって 自分ではありません それに腹を立てて攻撃すると 自分も怒りに汚染されて 悪人になってしまうのです 相手に汚物や炭火を投げつけようとすると 先に汚れたり、火傷をしたりするのは 相手ではなくて自分です 相手がひょいと身体をかわせば汚物は当たりませんが 汚物を投げようとした自分の手は 必ず汚れてしまうのです スポンサーリンク
スポンサーリンク 勝ち負けを争うのではなく 勝ち負けを超越した道を探すことが大切です すぐれた道とは、それぞれが 「自分の能力を発揮する」道です それによって 争うことなく 自分に適した世界が開かれて行くのです 他人と競争して勝ち取る気持ちでいると 自分の能力は劣化するのです 他人と関係なく 自分の能力を思う存分 活かすことです スポンサーリンク
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