2022年の9月に新潟の上越市に住む大西旬氏から啞蟬坊のラッパ節についての問い合わせがあった。啞蟬坊の演歌、とりわけラッパ節は、北海道や九州の炭鉱夫や労働者の間でうたわれたり、各地の民謡に変化したり、さらには海を超えてブラジル移民の間でも隆盛を極めていたりと、レコードもラジオをも市民の手には持てなかった明治から大正時代に、これほどまでに庶民の間に拡散していった歌の力にはただただ驚かされるばかりであった。そのラッパ節が新潟でも替え歌として歌われてきており、私がラッパ節を歌っていることを知った大西氏から旋律や節について教えてほしいということで、その歌の詳細を送っていただいた。 新潟のラッパ節は「スキー歌」という題名で、明治45年に高田日報という新聞社が広く一般から替え歌としての歌詞を募集して作ってもいた。同新聞には高田日報の記者であった磯野霊山の詞が掲載されており、替え歌として歌われた経緯など