サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
www.bunselfrealization.com
昨日は、息子も風邪を引いて、 保育園を休んだ。 今日は元気に保育園。 ごはんの時、困ったことが起きた。 なんと他の園児のごはんを横取りしたらしい。 うちでは基本一人で食べるし横取りする機会はないから、今までわからなかった。 横取りするなんてショックだ。 ちゃんとしつけをしていかないと。 一人っ子が共同生活に慣れるまでは苦労が絶えない。 さあ、本題に入る。 風邪を引いて、思わぬところで、 ブログを休んでしまった。 人の心は弱いものだ。 特に私はメンタル豆腐だ。 今までは毎日書く事を目標にしていた。 だが、リタイアした今となっては、 ブログを書く目的を見いだせない。 きっと今までは、うつ病になった苦しみ。 それによってもたらされた生活の苦しみ。 それらを一心不乱に書いてきた。 だが、障害者雇用にもなれ、生活は苦しいながらも安定した。 すると心が満たされ、書きたいという衝動が起きなくなってしまっ
今日、うちの息子は、夕方シチューを食べた後、爆睡。 今日は、お昼寝をしていなかったらしい。 私が仕事から帰った時、自分で毛布を寝室から引っ張ってきてたので、相当眠かったのだろう。 シチューはパクパク食べてたが。 やっぱり人間お腹一杯になると眠くなるものだ。 今、すやすやぐうぐう気持ち良さそうだ。 さて、本題。 今週、体調を崩し仕事を1日休んだ。 自分のうつ病はもう良くなってる。 だから、普通の人並みに頑張ろう。 こう考えて、いつの間にか無理をした。 精神的に自分を追い詰めた。 普通の人なみに仕事をしなければならない。 あれもやらなきゃ。 これもやらなきゃ。 余裕のない考え方になっていた。 その蓄積が朝起きれないという結果を生んだ。 最悪? いや、でも良いのだと思う。 会社を休む事で、精神的な負荷の蓄積はリセットされた。 考え方の間違いにも気づいた。 自分がいつの間にか病を越えた無理な考えを
今日は大きな失敗をした。 帰りにコンビニでサラダを買うのを忘れてしまった。 妻からLINEで買って来てくれと頼まれていた。 了解と打っていた。 それなのに忘れてしまった。 一方でお土産の大福はきちんと買ってきた。 妻に買ってきた?と尋ねられるまで、すっかり忘れていた。 最悪だ。 そこから、気分は急激に下降した。 うつ状態になった。 夕飯を食べている間も、後悔と反省で頭の中が一杯だった。 今日のメニューの中にサラダが無いことを考えまた落ち込んだ。 このブログを読んで下さっている皆さんからすると、大した失敗じゃないじゃないかとお思いになるかもしれない。 そうこれこそ、うつ病なのだ。 小さな問題を大きく捉え落ち込んでしまう。 メンタルが豆腐だ。 私はだいぶん症状が良くなっているものの。 まだ、ちょっとしたことで落ち込んでしまう。 なかなか良くならない。 だけれど、自分をあきらめないで進むしかない
うちの息子は今ブロック投げに夢中だ。 ブロックは、繋げて、積み上げて遊ぶものという常識は通用しない。 リビングには、投げられたブロックが散乱している。 よく豚小屋みたいという表現を使うがまさにそれだ。 よくもまあ、毎日散らかせるものだ。 だが、そういう私も慣れてきて、豚小屋の中でも平気になった。 うつ病になって、会社を退職してから、私も時間があるので、少しは子供の世話をするようになったし、子供の成長をみることができた。 なぜ私はうつ病になったのか? 今、理由を述べるとしたら、子供の成長を見守るようにとの神様の思し召しと答えるだろう。 私はうつ病を最近マイナスで捉えていない。 もし、うつ病にならずにシステムエンジニアを続けていたら、確実に仕事に追われ子供との貴重な時間を過ごすことができなかっただろうと思う。 確かに、給料は半分になり家計は苦しくなったが、うつ病になったことが悪いことばかりでは
最近、微妙に気になること。 息子がオモチャをガンガンぶつけること。 液晶テレビのスクリーンに。 おかげで画面に筋が入りました。 テレビをみてると、その筋がすごく気になる。 買い替えるのも、資金難。 買い替えてまた壊されるのも、難。 結局、そのままにしている。 そうそう、 最近、うつ病の調子が良かったのだが、今日久々に調子を悪くした。 気分がガクンと落ち込んだ。 理由は、部長に、今月中にの仕事を指示された事だった。 頭の中が自分には無理だという思いで一杯だった。 崖っぷちに立たされた気分になった。 それとともに気分が落ち込んだ。 やっぱり自分は、うつ病だと改めて自覚した。 理不尽な命令を越えていかないと、 仕事はできていかないのだけれど。 やっぱり自分は、精神障害者。 そう思った。 一歩進んで二歩下がる感じ。 だけどいつか三歩進めたり、一歩しか下がらなかったりして、前に進んで行く日がくるんだ
最近、息子は私の髪の毛を触るのが好きだ。 さっきからずっと触っている。 子供というのは集中すると、そればかりやる。 おかげで私の髪の毛が一本、また一本と抜かれて行く。 私からみると何が面白いのかわからないが、毎日毎日やり続けるところをみると何か面白いのだろう。 子供は無邪気だ。 大人がもつ生きる苦しみとは無縁だ。 反対に、私はうつ病になってずいぶん苦しんだ。 病気の苦しさと、経済的な苦しさ、将来への不安で追い詰められた。 自分が嫌になった。 生まれて初めて、死んだ方が楽だとさえ思った。 だが、家族が苦しむ姿を想像すると、楽に逃げては駄目だと思いなおした。 うつ病の症状が軽い方だったのも、冷静になれた要因だったろうと思う。 私は自分をあきらめなかったのだ。 自分をあきらめずに、流れにしたがった事で、何とかなった。 もし、同じように悩み苦しむ人がいたら、言いたい。 自信がなくなったっていい。
朝起きれない。 突然だが、私はうつ病でダウンしてから 毎日朝起きるのが辛い。 仕事のため、朝、5時45分に起きないといけないのに6時まで起きれない。 たった15分だがその15分が鬼辛い。 起きれてるからいいじゃんと言われるかもしれないが辛いものは辛いのだ。 原因①睡眠障害 うつ病の人は大体、睡眠障害があるらしい。 私は睡眠導入剤を飲んでいるので、最初の眠りは良い。 すぐ眠れる。 しかし、途中覚醒がある。 必ず夜中の3時に目が覚める。 意識がはっきりして、完全に覚醒する。 そこから、『まあ、良い』などのマジックワードを唱え続けると、いつの間にか寝て、朝になる感じだ。 おかげで、3時以降寝た気がしない。 精神科の先生が言うには、私の場合は、日中の眠気がないので、眠れてるから睡眠薬はいらないらしい。 つまり、軽い睡眠障害だ。 だけど、眠れた感じがしないので、朝はやっぱり辛い。 原因②悪い未来を想
定時に帰る罪悪感 今日も、私は定時にソッコー帰った。 私は精神障害者だし、うつ病治ってないし、当たり前だと思う。 そう自分に言い聞かせて毎日帰っている。 しかし、気分はよくない。 罪悪感で一杯だ。 なぜだろう? 日本人の横並び気質 赤信号みんなで渡れば怖くない。 逆に一人で渡ると怖いし、 仲間外れのような気がする。 そういう日本人の心に脈々と流れる血が 罪悪感を生む。 猜疑心 実は、早く帰る自分に対して、周りはよく思ってないんじゃないか? あいつは、早く帰るなんて駄目な奴だと言われているのではないか? という猜疑心があるように思う。 人を性悪説で捉え、疑っている自分がいる。 それが罪悪感の裏に潜んでいる。 残業は必ずやるという考えの癖 私はシステムエンジニアとして、徹夜をしたり、夜遅くまでの残業をやってきた。 かなりのハードワークをこなしてきた。 (そのつけが、うつ病だ。) その結果、残業
子供というのはどんどん成長していく。 最近、うちの息子は、私が絵本の題名を言うと、その絵本を取ってくるようになった。 確実にものと言葉が結びついてきている。 このままどんどん成長し、いつの間にか言葉も話せるようになるだろう。 一方で私はどうだろう。 うつ病になり。 長年働いてきたシステムの仕事から引退。 精神障害者の認定を受け。 障害者として働く。 年収は半分以下に下落。 端からみたら、衰退の一途を辿っている。 毎日、簡単な仕事をし、成長しているとは思えない毎日だ。 だけど、成長して行く息子をみて、なんだか自分も成長できるような気がしてくる。 私は、息子が生まれたと同時期にうつ病になった。 私はそれが神様のサインとしか思えないのだ。 私はうつ病になり、全く新しい人生を歩む。 子供に勇気づけられ、子供と成長する。 もう、四十代のおじさんなのに、息子のおかげで心が若い。 うつ病を乗り越えてまだ
毎日の楽しみ。 一歳半になる息子が夕飯後に髪の毛を触ってくる。 飽きずにずっと触り続ける。 何が一体楽しいんだろうか? とにかく集中して、真面目にやる。 私はゴロリと寝転んで、仕方なく好きにやらせる。 何てことはない日常。 子供の遊び。 だけど、幸せを感じる自分がいる。 私はうつ病になり、仕事も失った。 そして障害者となり。 低い給料で働いている。 病も良くなっているかわからない。 まさに、人生の底。 だけど、息子との日常に幸せを感じる自分がいる。 本当に自分は不幸なんだろうか。 いや、幸せなんじゃないだろうか。 きっと神様は不運な贈り物と同時にこの上ない幸せを与えてくれたんだろう。 人生良いこと半分、悪いこと半分。 だとすれば、悪いことの中からも幸せを見つけることができるかどうかが、幸福を左右する。 単なる子供との戯れに、人生の真理が埋まっている。
私はうつ病なので、メンタルが弱い。 最弱。 特に不安症が強い。 自然に不安を想像してしまう。 そんな私、今日は、病院に行った。 病院に行くまで、もし電車が満員だったら? コロナが怖いと極度に不安になった。 それ以外にも、仕事のことであれこれ不安になった。 不安症は、マジックワード(力のある言葉)を適切に使えばある程度抑えられる。 しかし、全部抑えられるわけではない。 いくつかの自分で生み出した不安は乗り越えていかねばならない。 不安を乗り越えるのは怖い。 だけど、乗り越える勇気も大切。 昨日だめでも、今日。 今日だめでも、明日。 明日だめでも、明後日。 時間を味方につけて一つ一つ。 ステップを踏んでいく。 小さな勇気でいい。 ミジンコ並みの勇気で結構。 うつ病で勇気のステータスがゼロになったんだから、上出来。 どんどんどんどんよくなる。 メンタル弱い私もいいけど、強気な私もみてみたい。
天職に出会う。 きっと素晴らしい人生になるだろう。 だが、大半の人は出会う事なく一生を終える。 私も天職を目指した。 6回も転職した。 転職の度に、天職に出会う事を信じた。 しかし、うつ病になってしまった。 今は、天職とはほど遠い職場で、精神障害者として、働いている。 天職とは、遠いが、仕事ができるだけありがたい。 それに、天職を考えると悲しくなる。 もう、私の身体では天職に就けない。 無理がきかない身体。 ボロボロの精神。 天職は健康なときだけ目指せるもの。 今の私は目指せない。 だから、悲しくなる。 悲しくなるが、悲観はしていない。 天職には、就けないけれど、仕事を通じて、世の中の役に立つ事はできる。 仕事を工夫して楽しむ事もできる。 それに、今の仕事は天から与えられたかけがえのない仕事だと考えるようになった。 楽ではない仕事だが、試練だと捉えるようになった。 そうなると、只の仕事にも
昨日、『好きにせい』と『どんどんやれ』で ネガティブ思考のスパイラルがストップすると書いた。 うつ病の私は今日も当然ネガティブ思考のスパイラルに陥った。 ちなみにやはり仕事の事。 採用をやってるので応募者に電話しないといけないが、それを失敗するイメージがぐるぐる周り出した。 そこで、『好きにせい』と唱えた。 ちゃんと楽になった。 次に『どんどんやれ』とつぶやいた。 なんか気分が悪くなってしまった。 以前、苦手な上司から『どんどんやれ』と言われた事がありそのイメージを思い出したからだ。 つまり、『どんどんやれ』はマジックワードではなかったという事になる。 だが、ネガティブ思考のスパイラルを止めるのに、どんどんネガティブ思考を考えろとつぶやき逆張りする発想は間違ってない。 『もっと考えろ』とか、そういった感じで、良いイメージが湧くものが良い。 しかし、思い浮かんで来ないため、今後の課題だといえ
思考がネガティブスパイラルにあるとき、 『好きにせい』 とつぶやくと、思考をストップさせる効果があると先日書いた。 うつ病の私は今日もネガティブ思考のオンパレードだった。 特にお風呂に浸かっているときが酷かった。 仕事の今後についてのネガティブな想像で溢れた。 例えば、ある求人サイトからの応募者を私は担当しているが、 ひょっとしたら次、もっと応募が多いサイトを担当するのではと、想像し、不安になったりした。 このようなネガティブ思考が風呂に浸かっている間中、止めどなく溢れてきたのだ。 私はもちろん『好きにせい』を何回も使った。 一旦思考は止まるものの。 今後は別の事を考えネガティブ思考に陥るのだった。 今日は、やけくそに近い形で、思い浮かんだ次のワードを使った。 『どんどんやれ』 すると、ネガティブ思考が完全にストップしたのだった。 この言葉は、『好きにせい』を補完するワードだ。 『好きにせ
私は怒りっぽい。 実はすごくそれを気にしている。 私は見た目優しそうな感じだ。 だから、怒りっぽいと人に言うと驚かれる。 だが、実際にキレやすいのだ。 そのせいで、夫婦喧嘩を何回もやった。 だから、今ピンチだ。 精神科の先生に怒りを鎮める薬を処方してもらったほどだ。 私はうつ病になって、病気と生活面の苦しさから、少しの事で、キレやすくなった。 今日も、子供が泣いている時に、妻にテレビの子供向け番組のシナぷしゅをつけてと言われ、『つければいいんやろ(怒)』とキレてしまった。 その後、ヤバいと思い怒りを鎮めようとした。 『怒りよ鎮め』 →ますます怒りが湧いてきた。 『まあ、良い』 →何も起こらなかった。 『何も考えない』 →無理。 その時ある言葉が浮かんだ。 『のほほ~ん』 →!!! →怒りが鎮まった。 怒りを鎮めるマジックワードは『のほほ~ん』かもしれない。 なぜ『のほほ~ん』か? きっと怒
うつ病になって困った症状の一つ。 ネガティブ思考の加速。 (1度考え始めた問題がネガティブを付与しながらどんどん加速し止まらなくなる。) 例をあげる。 私は、明日上司に少々面倒なお願いのメールを書こうと、終業後に考えた。 その瞬間から、ネガティブ思考の加速が始まった。 『上司から悪い印象をもたれるんじゃないか』 『お願いを却下されるんじゃないか』 『キレられて、怒られるんじゃないか』 等々。 次々とネガティブな考えが浮かび。 思考が加速し止められなくなった。 晩御飯を食べた後も悩み。 風呂に入ってる最中も悩み続けた。 その間、どんどん加速する思考を止めるため、次の事をやった。 ▪️天井をじっとみて、深呼吸。 →少しやわらいだ。 ▪️『まあ、良い』を連呼 →ネガティブの加速止まる気配はなかった。 そこでふと思い浮かんだ言葉をつぶやいた。 ▪️『好きにせい』 →なぜかピタリと止んだ。 なぜ『好
今日も検証 『まあ、良い』 と心の中でつぶやいて3日目。 朝、次々と現れてくるネガティブ思考に使用。 少し朝は体調が悪かった。 昨日よりもワードの力が下がったようだ。 その後、仕事。 今日は、朝一で会議があった。 ネガティブ思考炸裂。 『まあ、良い』と何回も唱えた。 しかし、仕事の緊張感が勝り、 頭の中はネガティブ一色に。 しかし、少しは自我が保てた気がする。 この点でワードの力はあるようだ。 午後の仕事。 単純なルーチンワーク。 こんな仕事ばかりしていいのかと、鬱になる。 すかさず、『まあ、良い』を連発。 スーっと気持ちが楽になる。 自分を責める思考の時は、効果てきめん。 やはりこのワードには力がある。 結果として この3日間『まあ、良い』のつぶやきを 続けてきた結果。 罪悪感を感じてしまうような場面では 非常に有効であるといえるが、 万能ではない。 しかし、3日間使い続けても ワードの
昨日に続き、今日も 『まあ、良い』 をつぶやき続けた。 朝、布団の中でネガティブ思考に対して、 『まあ、良い』。 最近ないぐらいスッキリとした目覚めだった。 仕事中も、(いつもは緊張でガチガチだったが) 『まあ、良い』。 リラックスし過ぎて眠くなるほどだった。 実はこの『まあ、良い』というマジックワード。 心理カウンセラーの心屋仁之助(今は引退した?)さんのブログでみて知り、頭に残っていて、今回ふと使ってみた言葉だ。 うつ病の私に、『まあ、良い』がこんなに有用だとは思いもよらなかった。 このワードは確か罪悪感を打破する為のワードだった。(織田信長になったつもりで超上から目線で使うらしい。) なぜうつ病の私に効果があったのだろうか? 恐らくだか、私は罪悪感が強いのだと思う。 変に真面目だから、真剣に物事を考えるが、うつ病で調子が悪いため、思うようにならず、罪悪感を感じる。→心がザワつく→不安
私には、趣味がない。 全くない。 強いていえば、このブログを書くのが、 趣味かもしれない。 最近、趣味はうつ抜けに大事だと考えている。 熱中して、悩みを忘れるからだ。 少しの時間でも、悩みから解放されると、 気分も楽になるし、明日の仕事のことも頭から抜けてリラックスできる。 今日、私は携帯を格安携帯会社へ、家計の節約の為に変更した。 午前中は、業務スーパーに買い物に行って。 午後から、携帯の移行作業をした。 元システムエンジニアの私、熱中した。 明日の仕事のこと、うつ病になってからの様々な悩みごと。 全てきれいさっぱり忘れて熱中した。 移行作業が終わった後、どっと疲れがきた。 しかし、いつもの日曜日に感じる不安感は、皆無だった。 熱中するって大事だなと、心底思った。 だから、最初の話。 熱中する趣味がほしい。 ブログかなあ、熱中に疑問符はつくが。
子供のおもちゃ。 スマホ風の音が出るおもちゃをクリスマスに買ってあげた。 最近、うちの子はそのおもちゃでよく遊ぶ。 なので、毎日何回もあのフレーズが聞こえてくる。 『元気100倍アンパンマン』 ふと思った。 元気100倍って何だ! 普通に元気を出すだけでも、大変なのに。 100倍出せなんて無理。 もし、うつ病の私が今100倍の元気を出したら、その瞬間ダウンしてしまう。 まあ、いい、仮に100倍の元気を出すとしよう。 そもそも元気は、抗うつ剤で出してるわけだから、100倍にするには、一回2錠×100の200錠飲まないといけないわけで、たぶん、薬の過剰摂取で死が待ってるだろう。 洒落にならない。 仮に薬に頼らずに100倍の元気を出したとしよう。 今まで、見たことない、狂った躁状態のぶん流(私)が誕生するだろう。 きっとアイディアを出しまくり、借金して起業し、周りに熱くビジョンを語り続けるに違い
私は、うつ病だ。 やる気に非常に波がある。 抗うつ剤でやる気を毎日上げている。 だけど、それでも、やる気がでない日がある。 それが今日だ。 仕事の疲れと、明日が休みという安堵感。 どっと疲れが出たのかもしれない。 ブログのネタが思い浮かばない。 一行書いてみてもしっくり来ない。 これは休むしかないか。 なので、休むことを書いてみた。 うつ病になって思うことは、 休むって大事だということ。 頑張れば何でもできる。 限界なんて突破できる。 道は自分作って行けるんだ。 うつ病になる前はそう思っていた。 だけど、一度病気になってしまうと、 無理が効かなくなってしまう。 休むことを考えて、自分の限界をしり、 その範囲の中で病気と向き合い、 幸せを拓いていく。 そういう人生になる。 今の仕事も、私は、あれはちょっと、これは無理とかばかり言っている。 端からみれば使えないやつだ。 でも、ある意味あきらめ
私の転職回数は6回を数える。 今日の朝、妻のふとした発言で自分が失ったものに気づいた。 1回~5回と会社を転職するたびに失い。 そして、うつ病になり全く失ったもの。 それは、人を信じること。 信じないから、ものごとが上手くいかず、 人間関係を構築できず。 最後は傷ついて会社を辞める。 その繰り返し。 妻は、朝、『あなたが人を信じないから、なにも、上手くいかない』とズバリ言った。 私は『ああそうか』と府に落ちた。 だから、自分は転職が上手くいかなかったんだ。 そして、そんな人生に絶望しうつ病になったんだと悟った。 でも、人を信じるって難しい。 40代になってもなお、信じきれない。 もうこんなに、おっさんなのに、だ。 人にものを頼むのが嫌だし。 頼んでも、やってもらえないイメージが先行し、疑ってしまう。 人がやると言ったことさえも、どうせ忘れるんだろう思う。 どうしようもない、おっさんだ、本当
今日は、上司が休みで気が楽だった。 最近は、毎日塩対応されてムッとすることが多かったからだ。 私が悪い部分もあっただろう。 上司がやれと言った仕事を難しいと断ったからだ。 それから、塩対応が始まった。 手が空いたので何か仕事ありませんかと聞いても、理由をつけてないと言われる。 おかげで仕事がなくて毎日暇になった。 楽でいいと言われるかもしれないが、うつ病で、考える時間があるとネガティブなことしか考えられないものだ。 つまり、うつになる。 この上司の塩対応からくる空き時間が辛い。 もっと自分から仕事を取りに行けばと言われそうだかうつ病で豆腐のメンタルになった私には勇気が足りない。 つまり、現状耐えるしかないのだ。 だから、こう考えることにした。 この上司の塩対応は、天よりのお導きだ。天は自分を成長させるべく用意された試練だ。 だから、必ず乗り越えられるし、成長できる。 とこう考えてみた。 勇
比べてしまう スキルの差を比べる 頭の回転を比べる 仕事のスピードを比べる 上司からの評価を比べる 同僚からの人気度を比べる 給料の差を比べる なんで比べるんだろう 比べてしまう なんでこんなに人と比べて落ち込むんだろうか? 毎日毎日、周りばかり観察して自分と比較しては思い悩む。 とても仕事に集中できない。 もううんざりだ。 人と比較する癖、やめたいんだよね。 スキルの差を比べる エンジニアだと、とくにスキルを比べたがるJavaが云々、phpがあれこれ。 もうスキルの差を比べるのに疲れた。 勉強して追いつくには老いすぎた。 人には得意、不得意があるものだ。 得意なスキルはプロとして、絶対に負けない。 しかし、それ以外はあんたやってだ。 比べるのではなく、共存共栄だ。 馴れ合いでもいいじゃないか。 素晴らしい成果が出来上がるなら。 頭の回転を比べる とっても頭の回転がいい人がいる。 自慢だが
転職の35歳の壁 35歳転職のリスク 壁があると言うなら転職なんてやめればいい 人生それでいいの 私は挑戦する 伝えたいこと 転職の35歳の壁 転職の求人では、たとえ年齢を記載されてなくても(35歳までとはっきり書かれていなくても)、35歳くらいまでの人を求めていることが多いそうだ。 実際にサイトをみると、確かに35歳で求人は半減していくようである。 そういった事から、転職の35歳の壁という言葉が成立しているのは事実なのだと思う。 年齢による暗黙の制限。 かっては怒りを感じていたものの、最近は当然なのかなと思う。 やっぱり心身の衰えを感じてしまう。 若い時にはなかった衰えが、35歳を越えたあたりからはじまってくる。 健康診断でひっかかることが多いし、風邪などもよく引くようになり、病院のお世話になることも増えてくる。 一方、心の面でも、若いころのあんなにあった気力が、萎えがちになったりする。
人間関係=ネガティブ ”人間関係”と聞くと ①きつい ②辛い ③面倒 ④怖い などなど沢山の否定的なイメージが浮かんできます。 なかなか良いイメージは人間関係という言葉は浮かばないものです。 「人間関係を大事に!」って当たり前のようですが、ずいぶんその言葉に振り回されて、今を大事に生きられない人は多いと思います。 今日は、人間関係の問題とその対処法について考えていきます、 仲間はずれ 人間関係で一番辛いことの一つが、仲間外れです。 仲良し4人組だったのが、ある日を境に、仲間外れにされて、一人学校でさみしい思いをするというのは、学生時代の"あるある"です。 仲間はずれになると、人は、天地がひっくり返ったような衝撃を受け、自信をなくし、なんであの時と、自分を責めます。 特に学生時代は、思春期の時期で、アイデンティティーが確立しておらずに、死んでしまいたいぐらいの傷みを感じます。 親にも、相談で
仕事ではなくルーチンがつまらない 所さんがある番組で、 「仕事がつまらないのではなく、ルーチンがつまらない」 という話をされていて、ギョッとしました。 ずっと仕事がつまらないと思ってました。 なるほど、今の会社を楽しむには、やはり、ルーチンに注目するとよさそうです。 ルーチン業務 ルーチン業務といった場合は、定期的に行う決められた業務を指します。 大体がマニュアル化されています。 そして、その業務の持つ意味が、時間とともに、人が入れ代わりで抜け落ちていきます。 だから、引き継いだ人は、意味が分からない業務を毎日やることになります。 そして、ルーチンは人のモチベーションを奪います。 ルーチン業務は、その意味もない仕事を永遠にやり続けることになると、人を錯覚させます。 あわわ、無限地獄です。歯車です。 ただ、これはその業務を高度にシステム化したり、ロボット化したり、AI化することで、人を無限地
ITエンジニニアの人で不足は良い傾向と考える ITエンジニアは本当に人手不足なのか? ITエンジニアは本当に3Kなのか? ITエンジニアは将来がないのか? 自然淘汰によって業界は良くなるし、ITエンジニアの地位もあがる ITエンジニアは楽しいって、たぶん ITエンジニニアの人で不足は良い傾向と考える テレビの受け売りではありますが、最近人手不足倒産というのが増えているらしいです。 その中でも深刻なのがIT業界だそう。 IT業界といえば、泣く子も黙る新3K「きつい、帰れない、給料が安い」の代名詞。 俗にいうブラック企業に当たる確率も高い業界です。 (ちなみに私も当たりくじを引いた一人です。) たとえブラック企業でなくても、デスマーチと呼ばれる、導入後のシステムダウンやバグ対応で顧客に怒鳴られながらの必死の徹夜作業は、誰でも一度は経験することではあります。 普通では考えられないこのような慣習が
はじめに 転機と言われて、会社員の私が思いつくのは、30代での初めての転職です。 そこそこ出世もしていて、一生同じ会社でと考えていたのに、そんな私がまさか転職するとは…。 転職理由 当時、私がなぜ転職したのか? 直感がそうさせたとしか言いようがありません。 ただ、無理やり転職理由を言うとすれば、 上司との微妙な関係 業績悪化での会社の将来不安 自分の野心 一生同じ会社で外を知らないのではという不安 外でもやれるという慢心 外の世界への冒険心 と言ったものが挙げられます。 ですが、先述したように、理由なんて後から付けたもの。 今、上のの転職理由をみても、なんとも思いません。 もう完全に、自分の中では噛み砕いて、 消化してしまっているものです。 もはや、辞めた理由はどうでもいいのです。 前の会社に教わったもの 今は、感謝しかありません。 マネジメント。 リーダーシップ。 成果の出し方。 強い信
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www.bunselfrealization.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く