焼酎造りを家業としていた本坊家(七兄弟によって基礎が築かれた)。末弟の本坊蔵吉は、大阪帝国大学工学部に在学中、酒類業界でアルコール精製技術の第一人者として知られ講師であった岩井喜一郎に師事。「蒸溜機」をテーマに研究、縁あって蔵吉は岩井の娘婿となり、1945年、岩井は本坊酒造の顧問に就任します。 1949年、岩井の指導のもとで蔵吉がウイスキーの製造を担当。蔵吉は、恩師であり岳父である岩井の指導を仰ぎ、経営の傍ら研究・技術者として、本坊グループ各社の製造技術の確立と品質向上に大きく貢献することになり、後のマルスウイスキー誕生へ繋がることになります。