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猫
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仕事はとても楽しいけれど、確定申告は憂鬱だ。 友達付き合いは楽しいけれど、恋とか愛とか嫉妬とかは憂鬱だ。 どれもこれも、合っている自信を持てるものは楽しくて、持てないものは憂鬱だ。不安に打ち勝つことはできても、楽しむことはできないし、それに他者が加われば途端に戦意がなくなってしまう。怖くなる。憂鬱だ。「太田胃散と救心が手放せない」と笑い話で言ったつもりが、割と本気で心配されてしまった。大丈夫、良い薬です。 文章を売ることを生業にして本当に良かったと思う。仕事をすればするほど自信が持ててしまって、傲慢になりやしないかと不安になることもある。適切な自信と傲慢の見極めは、きっと他者しかできない。そしてその判断は、人によって異なる。私を傲慢だという人もいるだろうし、能力相応だと言う人もいるだろうし。誰を信じるかとなると、自分が好きだと思える人を信じる訳だけれども、「自分が好きだと思う人を信じる」と
ふと、「はるかぜちゃん」こと春名風花さんのツイートが目に留まった。 どちらにせよ、「加害者が男性だった」と言うことで、「男性は悪人、女性は善人」という決めつけをすることは、ぼくはまったく意味の無いことだと考えています。もちろんイヤな目にあった後はぼくも男性が怖かったですし、気持ちは分かりますが、人を「個人」で判断することをあきらめないでほしいな。 — 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018 「レイプにあえば同じことは言えない」と仰いますが、もしぼくがそういう被害にあっても、あの時と同じように怒ってくれる男性はたくさんいると思うし、二度と被害に合わないように守ってくれる男性もいると思います。 — 🍁春名風花🍁 (@harukazechan) November 14, 2018 私も、そう思います。 私は、被害届を出して事件化したこと以外にも、
アロマティカスと、カランコエの株を買った。 昔は、土いじりなんて嫌いだった。家に花を飾ったり、草を育てたりする人の気が知れなかった。喋りもしなければ寄り添ってくれもしないし食えもしない、そんな植物に愛を注いで何になるのだと思っていた。花は造花が好きだった。鉢植えよりも切り花が好きだった。もし枯れたとしても、切り花だったら、枯れて当然で私に何の責任もないから。 今は、造花よりも切り花が、切り花よりも鉢植えの花が好きだ。鉢植えに咲いた花を切り花にして、飾るのが好きだ。植物の力を借りて、何かを成し遂げたような思いを味わえるから。何も成し遂げていなくても。 カランコエは、以前の家で、投げ売りになっていた赤い花を咲かせる株を買って育てたことがあった。 好きな花びらの形ではなかった。好きな色でもなかった。ただ、何か花を育ててみたいと思っている時に投げ売られていた。一年草は何だか寂しいので、多年草か宿根
今、右手の一部が麻痺していてうまく動かない。 文章仕事の休憩に趣味の文章を書く、ということをしていたら、指の神経がやられた。文章を愛し過ぎたゆえの損傷に、私は心から喜んだ。そうそう努力が認められない世の中で、物質が私の努力を認めたのだから、これはとても素晴らしいことなのだと。毎週2、3回の通院を余儀なくされたとしても。愛は痛いものだと聞いたことがあるから、もしかすると、私は文章から愛を返してもらっているのかもしれない。 だなんて空想を繰り広げて喜んでいる最中、事件は起こった。 「普通に生きていたらそんな大層な事件にそうそう遭わない」と言われるけれど、面倒なので「ですよね~」と返事するけれど、私はなぜかトラブルが向こうからやってくる。 「そんなこと言って、何かしらトラブルに見舞われる原因があるんだって」と言われるけれど、「ですよね~」と返事するけれど、本当に一方的に向こうからトラブルがやって
私が「ライターを雇おう」と思ったのは、コンスタントに適正単価な記事の受注をいただけることになったからだった。 ライターとして登録(という言い方で正しいのだろうか。便宜上、雇用と言っているけれど、何だか違う気もしている。やはり言葉は難しい。)してもらったところで、仕事が渡せないのでは意味がない。 ずっと記事の仕事を渡して『副業』として成立させてもらうことができる。 そして私も一緒に書いているので、アドバイスもフォローもできる。 自分でこれまで気付かなかったけれど、私は文章うんぬんではなく、記事構成とか、テーマからの大喜利的発想とか、そういうのに長けているらしい。ライターが悩んだ時にそこを提供すれば、記事の質が担保できる。 逆に、私の苦手分野を得意分野としているライターに渡せばそれで解決する。 そうして私たちはどんどん成長している。 三人寄れば文殊の知恵とは、まさしくこのことかと実感している。
以前、記事の質について少しだけブログを書きました。 www.teihen-writer.net ここに書いていることに加えて、最近思ったことがあります。 記事の全体像が誰も見えていない記事は質が低くなる 何を言っているのかと思われるかもしれません。 「文章が書ける」と「書けない」の差について考えた時、この答えに辿り着きました。 義務教育を卒業していれば、文章は書けます。なのに書けないというのは、記事としてどうまとめればいいのかがわからないということなのです。 喋っていることをそのまま列挙しても「記事」としてまとまりがないので、「記事として成立していない=書けない」という判定になるのだと思います。 ということは、記事の全体像(記事構成)を考えることができるようになれば『記事の質』とやらは格段にアップするのではないでしょうか。 記事全体像の考え方(ライター編) 私流ですので、これが完璧でも絶対
仕事がさばき切れない。なんて贅沢な言葉なんだろう。 せっかく書き始めた小説が、仕事に押されてなかなか進まない。ようやく、半分ぐらい。今月末までに全部書きたいのに、悔しい。 けれど、書いていてとても楽しい。ライター記事も、小説も。一昨年ぐらいに書いた小説は、自分でもごみだと思った。今書いている小説は、人に見て貰いたくて、友人にモニターのようなことをお願いしたりしている。骨のある意見を貰えるということは、それなりにできているということなのだと思えて、嬉しい。 こんなにもクリアな気持ちでもう一度文章と対峙できる日が来るとは、去年の私は、露ほども思っていなかった。 去年の自分に聞かせてやりたいと思いつつ、こんなことを聞いたらさぼってしまうだろうから、絶対に聞かせてやりたくない。 立ち位置としては、ライティングディレクターという形になる。人に言われて「そうなのか」ということで、名付けた。名刺も丁度切
去年から世間的にも色々ありましたし、個人的に大きな生活の変化を受けましたし、色んな方々と接する機会もありましたし、「ライターとは」ということをよく考えるようになりました。 「ライター」という職業はなんだかんだと「自称」だなと感じています。私自身、ライティングの仕事を今でこそしっかりと引き受けてやっていっているものの、最初は「自称」だったし、それを自覚していましたし、そういう世界なんだと思います。 ライターと言っても色んなライターがいます。 コンテンツ更新のためにSEOの文章を書くWEBライターだったり、本や新聞の記事を書く紙面ライターだったり、ゴーストライターだったりと、本当にさまざまです。 その中で昨年はWEBライターが取沙汰されました。もう問題視ブームは過ぎた頃かと思いますが、「1円ライター」という言葉は燃えましたね。 ベテランライターの方と知り合い、1円ライターの話をすると衝撃を受け
そう思われることが怖かったんだと思う。 だから私は現実世界でも非現実世界でも肯定を求めて言い訳をして、優しい人が悟って与えてくれるそれらを有難くいただいて満足して、すぐにおなかが空いてもう一度それを求めて。魚の釣り方を求めているつもりで餌を与えられて回遊するだけの魚になっていたように思う。 今は、理解されなくて当たり前なのだと思っている。 だって私は恐らく一般的ではない。人として、人生として、あらゆる意味で一般的ではない。わかっていたつもりで、腑に落ちていなかった。だからそれを否定して一般的だと思われたかった。だから私は必死になって肯定を求めた。 けれど今は、一般的でなくていい。一般的でない私を受け入れてくれる世界と社会と人が私を取り巻いてくれているから。 私は私の腑に落ちた「理解できない」と言われるだろうことをこれからも書き散らし続けようと思う。 去年の今頃、私は底辺ネットライターだった
今回の騒動について、発端はこの記事に集約されている ここまでが今回の問題の概要となる。 ここからは、私の思うことを書く。 諸悪と責任の所在地と、それらのこれから 「記事を読むだけの人」インターネットライト層の今回の騒動への反応 今回の問題すら知らない「読むだけの人」スーパーライト層は反応すらしない 信念に基づいて「記事を書く人」「記事を書かせている人」の反応 真面目に書いても評価されない「記事を書く人」の記事 記事量産仕事には需要がある。現代社会に適したアルバイト もう1つの見えないモラルハザード。アフィリエイターを利用して商品名の検索結果を自浄するアフィリエイト案件 アフィリエイト案件のモラルハザードで困るのはアフィリエイター 1つの商売分野が死にゆくのは珍しい話ではない 読む人の意識も変わり始めている 昔のあらゆる事件から学んで5年後を考えてみてほしい DeNAのキュレーションメディア
Netflix×はてなブログのキャンペーンで「年末年始に観るべき海外ドラマ」というお題が出ていた。 一時期、海外ドラマにハマって、気が狂いそうなほどずっと海外ドラマを観ていたことがある。なので、それなりに海外ドラマは観てきている。ただし、フリークと呼ばれる人ほどではない。 はっきり言おう。SONYの最新ヘッドホンが欲しい。しかも私が書けるお題。物欲に駆られるままにキャンペーンに参加する。 私が推す海外ドラマを、どんな人におすすめかという理由を挙げて推していく。 【デスパレートな妻たち】「今年はやらかしてしまった…忘れたい」人へ。 www.dlife.jp 「忘れてしまいたいやらかしをしてしまった」 そんな人にはぜひ、デスパレートな妻たちを推したい。 公式サイトがなかったので、Dlifeのリンクを参考に貼っておく。 ものすごくざっくりとあらすじを言ってしまうと、ある住宅街に住む奇矯な4人の「
私は原爆三世だ。 原爆が落とされた時、祖母は爆心地のすぐ近くにいた。本当に奇跡的な状況のおかげで助かったようだ。祖母は一瞬にして多くを失い、踏みつけたくないモノを踏みつけながら生活をするための場所に帰ったという。 祖母は多くを語らない。祖母が原爆の被害者であることや、その時の話や後の生活の凄惨さは母から伝え聞いたものだ。 なぜ祖母が語らないのか。 「辛いことを思い出したくない」からだ。 娘である母もそれらに関する話は少ししか聞いたことがないと言っていた。娘に話すことすら躊躇われるほど、辛く苦しい出来事だったからなのだろう。 私もそれなりに紆余曲折のある波乱万丈な人生を歩んできている自覚があるが、祖母には敵わない。ほんの少しだけ母から伝え聞いた原爆投下時とその後の話は、ここに書くのも躊躇われるほど恐ろしいものだった。 原爆投下という大事件は「辛く悲しい出来事だった」から、「忘れてはならない、
先日、夫と2人で居酒屋に行った。 私はいつもより早いペースでビールを煽った。夫は驚きながらも、「今日は何だか元気で調子が良さそうだね」と笑ってくれた。 言われて、私は泣き始めた。ぎょっとする夫に、私はぽつぽつと泣いている理由を話し始めた。 menhera.jp 電通で働いていて、過労死をされた高橋まつりさん。 私は彼女の死をニュースを知り、言いようもない悲しさと憤りを感じている。 私自身がパワハラを受けた経験もあるし、私の知人が過労で自殺した経験もあるからだ。 高橋まつりさんが亡くなったニュースを見て、私はその過労死した知人のことを思い出した。 明るく朗らかで、だけど仕事に対してはとても情熱を持っている人で、私と同じように業界に憧れて入ってきた人だった。彼とは途中で違う会社に勤めることとなり、連絡は取り合っていなかった。 彼は偶然、私の誕生日に遺体となって発見された。友人からの電話で知らさ
結論から書きますと、検査の結果「何もありません」でした。 ご心配くださった方、本当にありがとうございました。ただの取り越し苦労でした。笑ってください。ありもしない病気の幻に踊らされたこの数日間。私はまさしくピエロでございました。 ただ、今回の検査で不健康、不健康と思っていた自分の体が 「実はそんなに不健康ではない」 ということが判明しました。 精密検査に裏付けされた健康というものにはとても安心感があり、なぜか健康になったような気がします。笑ってください。言葉に踊らされるピエロだと。 私は今日も元気に、明日も元気に、ブログを書いていきます。言葉に踊らされるよりも踊らせる側でいたい。そんな気持ちを胸に。 ---検査当日の話。 検査機器の整った大病院に朝から検査へ行き、CTスキャンなどを受けた。 CTスキャンの機械はもっと未来を彷彿とさせる光り方やフォルムをしているだろうと勝手に期待を寄せていて
私はこれまで被害に関してのあらゆること文章にしたため、最後を「加害者を許すことで心を解放した」という形で結んだ。 www.teihen-writer.net 「良い話」にしたかったわけでも何でもなく、それが事実だからそう語った。もしまだ許せていなかったら、真実そのものを書いてもっとおどろおどろしい形で話を結んでいただろう。 けれど、たくさんメールをいただいた中でひとつ、とても気になるメールがあった。 それはとても酷い犯罪被害を受けてからまだ日が浅い方からのメールで、その方からのメールにはこう書かれていた。 「加害者と、そして自分を恨む気持ちを乗り越えられません。いつか許すことができるのでしょうか」 文面から、加害者への怒り、不安、私への優しさが伝わってきた。私は彼女と何度かメールのやり取りをした。 彼女に「無理に許さなくてもいい」ということを知ってもらいたかった。 彼女は一歩踏み出せたよう
こんばんは。其処當です。 先日書いた記事がハフィントンポスト日本版にて掲載されました。 www.huffingtonpost.jp 私が綴った「被害者の苦悩」を読んでいただき、たくさんの人に色んなことを考えていただきました。 それがどのような意見であれ、こういう人間がいる、こういう事実が存在しているということを踏まえて何かを考えて感じていただけたことは、とても喜ばしいことだと感じております。 そして何よりも、これまで被害を受けたことのある方々の怒りや悲しみを代弁したことによって、感謝の言葉をたくさん寄せていただきました。こんなにも心を押し込めていた方がたくさんいらっしゃったのかと悲しく思うのと同時に、感謝の言葉に対して感謝する思いでいっぱいです。 私自身、今まで「どうせ誰にもわかってもらえない」という理由で押し込めていた気持ちをこうして表に出し、多くの理解を示していただくことができ、あの頃
こんにちは。其処當です。 ここ数日は勢いに任せてあらぶってブログを書いておりました。 たくさんの共感、同情、アドバイスのコメントやメールをいただきました。本当に本当に感謝申し上げます。 勢いに任せて、いつも心の中に抱いている「自死」への憧れを言葉にしてしまったことで、たくさんの方にご心配をおかけしました。 本当に本当に申し訳ありませんでした。 一度、奈落の底に落ちたような経験をしてしまうと、またあの暗闇を見ることがただひたすら怖くて、幸せの渦中でも死に憧れを抱いてしまうことがあるのです。 入眠剤を飲んで眠っている私の眠りはとても浅く、よく夢を見ます。眠りが浅ければ浅いほど、夢は現実とシンクロした物となり、とてつもない精神的な恐怖を感じます。 少しでも眠りが深ければ、恐竜に追いかけられ食い千切られるというような、起きれば夢だったとわかるような夢になります。それでも充分に怖いのですが、夢だとす
私の裁判においては、加害者はとっくの昔に裁判という『客観的な場』で有罪判決を下されている。 執行猶予5年、懲役2年ぐらいだったと思う。(年数に関してはうろ覚え) 「執行猶予期間中、加害者が事件ではなく事故を起こした場合でも、この実刑が下されます」と弁護士に説明された。とっとと自損事故を起こせ、誰にも迷惑をかけないタイプの事故を起こせと願っていた。過激だろうか。 そして世の中で「性犯罪加害者」とレッテルを貼られている人は客観的にその罪は許されない物だとして罰を受ける判断が下されている人だ。 これらについては決して主観ではない。主観に客観を加えた上での最終的判断だ。 そして私のブログは主観的だ。当たり前だ。私が書いているんだから。なぜ加害者側の気持ちを加味する必要があるのか。 そんなもん、加害者が何か言いたければ加害者が主観的なブログを書けばいい。 「被害者」と呼ばれている人、名乗っている人は
「書いてくださってありがとうございます」 「被害者の気持ちを初めて知ることができました」 このようなお言葉をいくつかいただいた。 性犯罪被害は後を絶たないが、被害の声を表に出す人はとても少ない。早く忘れたいし、話したところで「お前だって悪いんじゃない?」とセカンドレイプ甚だしい言葉を投げかけられるのが怖いからだろう。 私がこうやってこうしてここに書けているのは、ライターネームという隠れ蓑と、夫と友人のおかげだと思う。 夫も友人も、本当に私を支え続けてくれた。くれている。未だに。どんな酷いことを言われようと、酷い目に遭おうと、心が限界突破をして迷惑をかけようと、「あなたは悪くない」「あなたが生きていてくれてよかった」と言い続けてくれている。そのおかげで、私は今立てている。書けている。息ができている。 どうせ話そうが話すまいが忘れられないものは忘れられない。苦しいものは苦しい。だから、私は文章
俳優・高畑裕太が「容疑者」となり早数日。私の心はざわざわとざわついている。 私もそうした性犯罪の被害者に1人だからだ。便宜上、ブログ上や人に話す時はセクハラという言葉を使っているけれど、実際に私が遭った被害、裁判を起こした内容は「準強制わいせつ罪」だ。 あらゆる憶測が飛び交う。容疑者本人でない母親の高畑淳子さんに対して下世話な質問が投げかけられる。恐らく、被害者の女性も今頃たっぷりとセカンドレイプを味わっているだろう。吐き気がする。 正直、気分が悪いのでニュースはあまり見ないようにしている。けれど、この方のブログだけ拝見した。 mudani.seesaa.net 共感することが多すぎて、心が震えた。 実は、このブログを始めてから一度、裁判関係の記録を文章にまとめて公開しようと思ったことがある。もう何年も前のことだし、ふと思い出してもそんなに苦しいと思わなくなってきたし、もう大丈夫だろうと思
私には尊敬している有名人がいる。 文章を書くのが好きだというと、文豪や流行りの小説家ではないかと思われるだろう。しかし、私はどちらかというと、自分と真逆のことをしている、できる人を尊敬する傾向がある。昔は志村けんさんを尊敬する人の欄に書いていた。 私が今一番尊敬している人は、手越祐也さんだ。 こう言うと、大体「は?」と言われる。好きな異性のタイプとか、追っかけをしているアイドルが手越さんではなく、尊敬している人が手越さん?と、なる。 「かっこいいから好き」というわけではない。容姿だけの話をすると別に好みではない。どちらかというと、同じNEWSのメンバーなら小山さんの方がクワズイモに似ていて好きだ。(クワズイモは私が大好きな観葉植物) ジャニーズのことなんて普段話題にしないし、実際にジャニーズそのものが好きというわけではない。最近のSMAP解散報道を見ていても、「一生に一回ぐらいSMAP生で
以前書いた記事の通り、最近はオレンジ色のものを摂取するように心がけている。 teihen-writer.hatenablog.com おかげさまで、本当にありがたいことに収入が少しばかり増えたので、自分の健康のためにもいくばくかの投資しようという気持ちになってきた。元気になってもっとたくさん仕事がしたい。依頼されている分を全部引き受けてこなしたい。が、今の目標。 そんな折に、近所のコンビニでスムージーが発売される。グリーンとオレンジ。 スムージーは流行り始めた当初、頑張って専用ミキサーを買って作ってみたけれど、手間がかかる、お金がかかる、そんなに効果は感じない、スムージー用のミキサーが大きくて邪魔、ということで続かなかった。粉末スムージーも味にすぐ飽きた上に、そんなに効果を感じなかったし、冷たいミルクで混ぜた時にだまが残るのがすごくイライラしたのですぐにやめた。せめて効果が体感できていれば
2016 - 08 - 16 私が毒嫁とかそういう言葉に敏感な理由と夫の良いところを何も考えずに書く 日記 「毒嫁」やら「離婚」やら「いじめ」「 モラハラ 」などなど、私の夫婦生活にこれらの言葉をぶつけられると私は辛くなる。 私が良い嫁でない自覚がある上に、夫が良い夫過ぎる自信があるからだ。 うちの夫は良い夫だ。働き者で無駄遣いもせず、私のことを溺愛していて浮気の影も見えない。趣味も合う。食も合う。楽しいと思うことが一致している。正反対の性格をしているのに気が合う。性格が合う。生活が合う。凸と凹の間柄だ。 対して私は割とろくでもないエキセントリックアラサー女子だ。 正直、私となんか離婚して若くてかわいい性格の穏やかな嫁をもらった方が絶対幸せなのにといつも思っている。 はっきり言って見た目は全くかっこよくない。寝顔なんかは面白すぎて初めて見た時は驚きのあまりに笑い声も出なかったほどだ。しかし
昨日、夫婦喧嘩の話をブログに書いたら炎上しかけた。 (詳細を書くとまた炎上しかねないので書かないけれど、ゲームの話。腹いせにゲーム内の消耗アイテム(無料で簡単に手に入る上に、課金で買うこともできる)を捨てて仲直りするのが我が家ブーム、という話です) 夫婦にしかわからないコミュニケーションや許せること、許せないことってあると思う。 私も他人夫婦の話を聞いていて、「それは何で離婚しないんだろう?」と思ったことがある。その夫婦は「周りにそう言われるけど自分たちがそれでうまく回ってるから」と話していた。確かにそういうのあるなぁ、と思って話を聞いていた。 それと同じことがネット上で起こると数がすごいし、歯に衣着せず、それは大袈裟すぎやしませんかというようなことをずばずばっと言われる。 ここ最近はブックマークなんてほとんど付いていなかった。それが、一瞬で複数のブックマークが付き、批判コメントが並んだ。
2016 - 08 - 08 ブログで(仕事をもらって)稼げている現状 現在のライター業務に関する話 驚くなかれ、8月になった今でも私のライター業務は順調そのものだ。 あまりにも順調すぎて、この順調さを失ってしまうことが怖くなり、スピリチュアルなことに詳しい友人に縋って パワーストーン を買いに行き、薦められるがままにプラチナルチルやギベオンなどの高級 パワーストーン を買ってしまったほどだ。 ギベオンとは、なんと隕石である。隕石が普通に販売されているのである。今回、購入しに行って初めて知った。6mmの玉で1,980円。べらぼうに金持ちではないので高いと思う。 私はブログを始めた当初、「ブログで稼ぎたい」と言っていたが、「ブログで( アフィリエイト を使って)稼ぎたい」というよりも、「ブログで(ライターの仕事をもらって)稼ぎたい」ということの方が理想としていた。あの時はテンパっていてかなり
私は書院ワープロを捨てずに大事に持っている。 teihen-writer.hatenablog.com それと共に、書院ワープロ、その後に購入したWindows Meで利用していたフロッピーディスクも大事に大事に保管してきた。 今日(もうすでに昨日だけれど)、とあるドラマのCMを見た。 そのドラマのあらすじが、私が昔考えた物と酷似していた。 もちろん、テレビドラマとして公開されるものは私の考えたシナリオよりもきっと抜群に良いのだろう。走り出しが酷似していたって、そこから展開される内容が違えば物語は全く違う物になる。私がそのお話を考えた時とは時代背景も変わっているし、今の時代の方がとても活きる題材だと思うし、私の考えた物語の方がずっとずっと陳腐だ。 しかし、そのドラマは見ていない。昔のシナリオを思い出したことがきっかけで、昔の作品を少し、読んでみようと思い立ってパソコンに噛り付いていた。 い
2016 - 07 - 10 復讐心だけで邁進するリスク 話題の話 「就活に失敗したから フリーランス になります」という方のブログが話題になっている。 www.iwata09.com 私も読んだ。 彼の選択に対する不安や否定、悲観に関しては多くの方がコメントやブログに書かれている。それらに関して、私はほぼ同意だ。彼の将来を案じてしまうし、できることならギリギリまで就活を続けた方がいいのでは、とも思う。このことに関しては、私は言及しない。否定的、悲観的なコメントにも、好きなようにすればいいんじゃないだろうかというコメントに対しても「ほぼ同意」だから。 ただ、私が気になるのはこのくだりだ。 結局内定がゼロで就職活動を終えたぼくとしては今後しばらく 「ぼくを落とした全ての会社を後悔させる」 ことが生きていく上でモチベーションになるんです。 彼はこの選択を、自分を否定した相手に対する復讐心によ
「底辺ネットライター」が生まれて、一ヶ月経った。 teihen-writer.hatenablog.com あの、泣いて泣いて泣きながら、キーボードを叩いていた時の気持ちを、今でも覚えている。 悲しくて、虚しくて、悔しくて、だけれどどことなく爽快で、体の芯を風が通り抜けていくようだった。 私には地を這うようなブラックな記事書きの仕事が似合いで、世界中の誰もがそれを認めていて、私を嘲っていて、私も私を底辺だと罵り、そうしながらも自分より下の人間を見つけては底辺の私よりも下だと罵り、そんなことをしている自分を嫌悪して落ち込み鬱になり何もかもが嫌になり泣きじゃくりどうでも良くなり躁になり破滅するように遊びにふけり鬱になり そういうことを延々と続けていくと思っていた。 私のような「ただの人」でしかない者の叫びなんて、どんな場所を選んで叫ぼうと、誰にも届かないし届いたところで汲み取られない。そう思っ
▼追記 「癌 サプリ」などの検索でこちらの記事をご覧になられている方へ。 サプリメントで癌は多分治りません。 「癌を治すサプリメント」として販売されているものは、確実に商品販売ページに「個人差があります」などの記載があります。 効かなくてもクレームは受け付けませんよ、ということです。 私の父が癌になった時も、あらゆるサプリメントや食事療法を試しました。が、何の意味もありませんでした。 この記事は元々そうした闘病の経験を思い出して日記に書いた物です。 なので、個人の判断でサプリメントにお金をかけるのはやめておいた方がいいと、私は考えております。 しかし、こちらの記事をアップしたことで、分子整合医学という「栄養治療」を用いて癌が回復した例はあるということを読者様からお話しいただきました。 www.teihen-writer.net こちらの記事にて、読者様からいただきました栄養治療による癌治療
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