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大谷翔平
www.yurahime.com
「蔵の街」喜多方の蔵屋敷を見よう 日本三大ラーメンのひとつとして、あまりにも有名な喜多方ラーメン発祥の喜多方町。 魅力はラーメンのみに止まらず、酒や味噌・醤油の醸造蔵の街としても有名です。 そうした昔ながらの蔵屋敷のいくつかは、見学が可能です。 www.yurahime.com 喜多方町ふれあい通りを歩いた折に、観光案内所で熱心に紹介されたのが 喜多方随一の豪華な黒漆喰の蔵屋敷である「旧甲斐家蔵住宅」でした。 「旧甲斐家蔵住宅」は、ふれあい通りをずっと北のはずれまで行ったところに あります。 重厚な風格の「旧甲斐家蔵屋敷」 旧甲斐家蔵屋敷 ふれあい通りを行くと、国道沿いにひときわ重厚な佇まいの旧甲斐家蔵住宅は姿を現ます。 お屋敷の脇からレンガ造りの塀沿いに、裏手にある無料駐車場が案内されます。 旧甲斐家蔵屋敷の建築 喜多方甲斐家の始まりは、江戸時代の元禄年間に信州より移り住んだことからです
江戸の宿場町の風情そのままに「大内宿」 大内宿 鬼怒川から会津若松を目指して、会津街道を北上の途。 南会津下郷町で「塔のへつり」を見た後、国道121号線に戻り少し走ります。 小さな橋を越えた先に「大内宿」への看板が。 案内に従い左へ進路を取って田舎道をすすむと大内宿の有料駐車場に到着します。 大内宿は、福島県南会津市下郷町の会津西街道(別称:下野街道)沿いに、茅葺き屋根の 民家が立ち並ぶ歴史ある集落です。 約400年前の江戸時代には、重要な運搬路でもあり、参勤交代や江戸に向かう旅人の宿 場町として栄えたところです。 「大内宿」観光マップ 昔は「半農半宿」の宿場だったのが、現在は完全に観光化することによって昔ながらの 雰囲気を維持されているではないかと思います。 住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り、景観の保存と伝統 的な屋根葺きの技術習得・継承に全員で取り組んでいる
<ヨーロッパほっつき歩きの旅> 「アントニオ・ガウディの作品群」という世界遺産 「サグラダファミリア」 マドリードに次ぐスペイン第2の都市であり、芸術と歴史の街であるバルセロナ。 このバルセロナは、天才建築家ガウディ抜きには語れませんよね! しかし、せっかくのバルセロナ観光が、ガウディ一辺倒に終わってしまうのでは面白くない! それならば、あまりにも有名な未完の大聖堂「サグラダファミリア」だけ見てくれば十 分と思っていました。 しかし、ガウディ作の主な建築物は街中にあるのですから、その幾つかは苦も無く観る ことができました。 ブランドショップの並ぶ主要な通りグラシア通り沿いにあり、地中海の波をイメージし て作られた、流線形の外壁が印象的な賃貸住宅「カサ・ミラ」。 ガラクタを再利用して作られたとは思えないオシャレすぎる「カサ・バトリョ」。 賃貸住宅「カサ・ミラ」 ガラクタで作った?「カサ・バト
<ヨーロッパほっつき歩きの旅> 海外は危険がいっぱい・・・⁉ 「海外って危険でしょう⁉ 大丈夫?」旅立つ前に必ず心配されます。 世界では確かに宗教的紛争やテロ、失業率の高さ、移民問題など危険要素がいっぱいです。 日本人は平和ボケと言われるように、危機意識の薄さは否めません。 実際海外の人に驚かれるように、日本国内では荷物を置いたままトイレに行ったり 電車で居眠りなんてことも特別珍しいことではありませんよね。 海外では困った事態を招く行為であったりします。 日頃からボケボケでスキだらけのわたしも さすがに海外ではスリや置き引き等に遭わないように、絶えず持ち物には気を配り 夜間は一人で出歩かない、治安が良くないと言われる地区には近づかないなど 注意を怠らないようにはしています。 ちゃんと気を付けていれば先進国であれば、ほとんど危うさを感じることはありませんでした。 日本では、現金入りの財布を落
初めてのクラウドファンディング プロジェクト成立! わたしの参加したクラウドファンディングのプロジェクトが成立し、約束の観光応援チケットが送られてきました。 プロジェクトタイトルは 「新型コロナウイルスに負けない! 筑波山観光応援プロジェクト」 以下にリンクを貼ります。 readyfor.jp 今さらクラウドファンディングについて語ったりしたら、アホ呼ばわりされそうですが わたしのように新しい情報に疎い人がいないとも限らないのでWikipediaを引用しておき ますね(^^;) クラウドファンディング(英語: crowdfunding)とは、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語であり、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを意味する[1][2]。ソーシャルファンディングとも呼ばれ[3]、日本語では「クラファン」と略
<ヨーロッパほっつき歩きの旅> 夢にまで見たベーカーストリート かのシャーロキアンには及びもつきませんが、小学校時代以来の熱烈なホームズファン を自認するわたし。 ホームズシリーズの1冊を手に取るたびに、あたかもベーカー街に足を踏み入れていく ようなわくわくを感じないではいられません。 ロンドンを訪ねた時、あまたの観光地をしり目にわたしが一目散に向かったのは言うま でもなくホームズの住む(⁉)その「ベーカー・ストリート」です。 「ベーカー街」の一角 ユーロスターでロンドン入りし、到着したセント・パンクラス駅からすぐ近くのユース トンスクエア界隈にホテルを取ったわたし。 地下鉄メトロポリタン線に乗ると、ユーストンスクエア駅からたった2駅でベーカー・ ストリート駅に至ることができます。 ベーカー街に向かう道すがらの、期待にドキドキ、わくわくする感じはこれまで経験し たことがない感覚・・・まじで
秀吉の朝鮮出兵のお土産?~三河内焼 献上唐子絵 16世紀末豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に、26代平戸藩主松浦鎮信(しげのぶ)公が朝鮮から連 れ帰った陶工のひとり巨関(ごせき)に命じ、平戸に窯を築いたのが平戸焼の始まりです。 後に良い陶土を求めて佐世保の三河内(みかわち)に移り「三河内焼」となりました。 代表されるのは、白磁に藍色で絵付けされたもので、Wikipediaによるとデンマークの博 物館長を務めたエミール・ハンノーバーは著書「日本・陶磁器考」の中で 「1750年~1830年内の日本磁気の中では白色に輝く最高の製品」と称賛しているそうです。 三河内焼のトレードマークとも言えるのが「唐子(からこ)絵」です。 唐子(からこ)とは、唐(中国)の子供の意。 この唐子絵、三河内焼でしか作ることを許されなかった伝統の図柄で、もともとは朝廷 や将軍家への献上品として焼かれていた物でした。 庶民の使用は、
<ヨーロッパほっつき歩きの旅> 歴史に翻弄された町~ストラスブール フランス北東部のライン川左岸に位置するストラスブール。 対岸はドイツの都市ケールに接しますが、パリ東駅からTGVで2時間弱で到着です。 コルマールと共にかつてはアルザス圏と呼ばれていた地域の首府でもあります。 かつてはドイツの神聖ローマ帝国に属していましたが、近世初頭フランス王国が侵略併 合し、以降ドイツとフランスが領有権を争った土地として有名です。 その支配の変遷は5回に及ぶと言われ、スウェーデンの支配下にあったことも。 アルザス人は戦争のたびに蹂躙されたという、その凄惨な記憶を持ち続けています。 現在フランス領でありながら、名物プレッツェルや独特な木組みの家に見られるように 言語・文化の上ではドイツ系を継承するかに見えます。 しかし、ドイツとは距離を置きながら、フランスとも同化しない確固としたアイデンテ ィティを持ち続
長崎とゆかり深い坂本龍馬 坂本龍馬 近代日本の夜明けのために奔走した英雄といえば、まず坂本龍馬が挙げられます。 龍馬は地元の土佐をはじめ各地での様子が知られていますが、ここ長崎でも大変な活躍を見せています。 龍馬は元治元年(1864年)に、師である勝海舟に同行して長崎の地を訪れました。 当時は鎖国の時代、唯一世界に開かれていた長崎の町には、諸外国の文化や情緒が溢れ、龍馬に大きな刺激を与えたことでしょう。 十分な時間があれば、その足跡を辿るような旅も面白いかも知れませんね! 龍馬の故郷、高知の桂浜を訪れた時には、遙か太平洋の彼方を見つめる龍馬立像を見ることができました。 長崎にも竜馬像があることを知り、訪ねてみようと思います。 長崎バスで行こう~風頭(かざがしら)公園展望台 風頭展望台から長崎港を望む 長崎市内における最大の龍馬ゆかりの場所と言えば、風頭山に開設された「風頭公園」と、そこから
日本三名湯のひとつ~下呂温泉 岐阜県下呂市にある下呂温泉は、儒学者の林羅山が著書の中で有馬温泉、草津温泉と 共に名湯として挙げたことから「天下三名泉」に数えられるようになったそうです。 下呂温泉の歴史は白鷲伝説に始まったのだとか。 平安時代後期、湯ヶ峰という場所から湧き出していた温泉が突然枯渇してしまい 村人が困り果てていたところ、薬師如来の化身と言われる白鷲が飛騨川に舞い降ります その場所に村人が近ずくと、温泉が湧き出たというのが白鷲の伝説です。 江戸時代には、湯治場として栄えていたそうです。 下呂温泉のお湯は、85度という高い温度で湧いている正真正銘の天然温泉。 泉質は、アルカリ性単純泉で無色透明、ほのかな香りのするまろやかなお湯で 肌に優しく絡んで絹のようにスベスベにしてくれるのだとか。 その効用はリハビリなどの理学的に治療に利用されているそうです。 下呂の温泉街を見下ろす高台のホテ
ウイーンの散策はリング通りから ウイーンの市内をグルっと環状に取り巻くリング通りは かつての帝都の中心を敵から守っていた巨大な城壁の跡です。 城壁は二度にわたりオスマン帝国の襲来から街を守りましたが 時が移ろい街が近代化すると共に取り壊され、現在の大通りが建設されたのです。 ウイーンの観光はこのリング通りを徒歩で・・ あるいはリングに沿って延びるトラムに乗って始めるのが一押しです。 なぜなら、リング通りに沿ってオペラ座、新王宮、美術史博物館、自然史博物館・・ 市庁舎、などなど歴史的な、そしてモダンな建築物が並んでいます。 それでいて、美しい街路樹と建物を彩る庭の植栽が道行く人の憩いとなっています。 音楽の都の象徴~ウイーン歌劇場 わたしの滞在するホテルの最寄のミッテ駅から、U4の地下鉄に乗り 2つ目のカールスプラッツ駅で降りて、エスカレーターで地上へ上がってきます。 そうすると、すぐ目の前
人気はナンバーワン? ~中山道宿場町の妻籠宿 江戸と京を結んだ中山道69次の宿場のうち、江戸から42番目が妻籠(つまご)宿です。 峠を越えて、わずか8kmしか離れていない馬籠の宿は岐阜県中津川市ですが 妻籠宿は長野県木曽郡南木曽町に属し JR南木曽の駅から車で10分ほどで行くことができます。 妻籠のみならず、どこの宿場もおそらく同様であったと想像できますが 明治時代に鉄道の発達や道路の整備などで一時衰退をみました。 昭和になり江戸時代の宿場の街並みを保存しようと言う気運が高まりました。 妻籠宿は歴史的町並み保存の先駆的存在であったようです。 おすすめ度では、その観光化されすぎない静かな佇まいから 近隣の宿場町の中でも一押しする声が多く聞かれます。 静かな佇まいの中に、おもてなしのこころが・・・ 妻籠宿の味わいとも言えるのは、馬籠宿より観光客が少なく静か。 江戸情緒を感じさせる景観の中に普通
木曽路はすべて山の中 「木曽路はすべて山の中である。」 これは、中津川市馬籠生まれの小説家、島崎藤村の小説 「夜明け前」の有名な一節です。 1泊2日の木曽路の旅のあいだ、何度も頭に浮かんできたフレーズです。 それくらい木曽路は本当に山間にあり、今でこそ交通の便も良くなっていますが その険しさは江戸期の旅人には、厳しい難所であったことでしょう。 木曽路とは、京と江戸を結ぶ中山道の一部を成す山道の俗称で 中山道69次のうちの11の宿場が設置されたそうです。 木曽川に添って険しい峠を越え、深い渓谷を縫うように走る一本の道筋。 往時の旅人に思いを馳せつつ、宿場を巡ってみました。 奈良井宿は、その距離1㎞日本最長の宿場 塩尻駅から中津川行のワンマン普通列車に乗り 奈良井駅に到着しました。 千本格子が早くもレトロな雰囲気をかもし出す奈良井駅舎を一歩出ると 周囲を見渡せば深山、そして駐車場の向こうになに
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