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yucchirorin.hatenablog.com
「おい、ここ2時間無料なの?!」 無遠慮な大声とともに、おそらく60代半ば(父と同世代)のスーツを着た男性が入ってきたのは、つい2時間ほど前のこと。 自宅から歩いて5分のところにコワーキングスペースがある。月に20時間店番をすると自由に施設が利用できる「スタッフ会員」になったので、最近はよくここにいる。(ちなみにおじさんが言ってたのは間違いでなく、初回は2時間無料で利用できる) ここではみんな、黙々と仕事や勉強に専念している。客同士が交流するようなことはまずないし、スタッフに絡むような人もほとんどいない。それぞれがどんな職業に就いているか、どんな資格を取ろうとしているかは知らないけど、おのおのが自分のやるべきことをしている、その空気のなかに身を置いていると、自分もやるべきことをやろうという気持ちになる。 視線が交わらない場所ならではの心地よさと安全性が保たれた空間に、無遠慮な大声は必要以上
『韓国フェミニズムと私たち』という本のなかに、「個人に対する神格化を警戒しましょう」という一文を見つけた。いまから書くことは、この一文をフックにしてわたしが思い出したことやここ最近考えていることなので、この本に載っている文章の意図するものとはいったん離れてしまうのだけど、離れたのちにどこかでつながるような気もする。 なにを思い出したか、順不同に書いてみる。 ・これはわりと最近の話。地下アイドルとして長年活動したのち卒業された女性とお話しする機会があった。なぜアイドルを辞めたのかという質問に、彼女は「人間に戻りたかったから」と答えていた。 ・これは数年前の話。京都の本屋・誠光社店主の堀部篤史さんが、トークイベント中に司会の方から「誠光社はいろんなメディアに取り上げられているし、堀部さん自身にも数冊著書がある。お店に堀部さんファンの人が来るんじゃないですか?」と聞かれ、「ぼくはファンということ
わたしは性別が女で、いまのところ異性愛者だ。同性愛の人たちへの偏見が薄れつつあるとはいえ、数としては異性愛者のほうが多いだろう。(潜在的な話はひとまず除いて)マジョリティの側にいるにもかかわらず、わたしの傷つきの多くは、異性愛者であることが原因のように感じている。 その人が一見やさしく紳士的(という言葉そのものもかなりあやしい)にふるまう人だとしても、支配/被支配の気配や、見た目を中心とした査定の視線を、ささいなやりとりのなかに見つけてしまう。そして自分自身も、その査定の視線のなかでうまくふるまおうとしてしまう。架空の女性像に自分自身を寄せようとしてしまう。その構造のなかに入り込んでしまうと、お互いを記号としかとらえられないようなしんどさがあり、つい先日もそんなようなことで苦しい目に遭った。それは恋とはいえない何かだった。 昨年からフェミニズムにふれるようになり、世界がひっくりかえったよう
昨日、近くで用事があったので中野駅で乗った電車を御茶ノ水駅で降りた。ここにはわたしが9年間勤めた会社がある。辞めたのは2年前のことで、退社してすぐのころは御茶ノ水駅で降りるどころか、通り過ぎることすらなるべく避けていた。いまでも、何も思わないことはないんだけど、だいぶ波立たないようになったと思う。 前もすこし書いたけど、「すぐに会社をやめる人」と思われるのがわたしには不本意らしく、そういうようなことを言われるたびに、「いやいや、最初の会社は9年勤めてたんでっ!」とやけにムキになって反論してきた。だけどそろそろ「別にいいか」と思いつつある。なぜかというと、自分が自分の変化を受け入れたくないだけなのかも、と思い至ったからだ。 9年間の会社員生活を思い出すとき、「しあわせな村人時代」ということばが浮かぶ。離れてみて気付くことだけど、あの大きな会社は村のようだった。一度用があってビルに足を踏み入れ
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