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yugure-suifuyou.hatenablog.com
久しぶりに自分のブログを開くと、前回の記事から3ヶ月近く経過している。びっくり! その間、何をしていたのかと振り返れば、日中は頑張っていたような気もするし、夜は気力・体力がなくなり、「今日はもう寝よう」・・・の繰り返しだったような気もする。 そう遠い日のことでもなく、忘れようとしてもいないのに 思い出せない日常。危ない私? 備忘録としてブログに書き留めておかねば、その内すっかり脳裏から消え去る。遠い将来に思い起こせば、平凡な、だからこそありがたく幸せな今の日々。時間軸がいささか ずれるけれど書き留めておこう。 ★自宅で仕事をしていると TVから美しい音楽が聞こえてきた。ポルトガル民族音楽のファドだ。 画面に目を移すと、正装した男性が朗々と歌い上げている。よく響く伸びやかな歌声に合わせて 歌詞が翻訳されていた。『♪ 小麦を大切にね。小麦をダメにする人はパンをダメにするんだ ♪ 』(←これが何
★訪れてくださった皆様へ 5 か月ぶりのブログ更新となりました。あんなことや こんなことがありまして、その内の幾つかはいずれブログに書くかもしれませんが、ざっと並べますと、元々予定にあった入院治療の他に、コロナ感染 & 後遺症、更に別の病気、仕事のこと、義父・実家の両親のこと等が重なり「なんじゃこりゃー?!」のカオスの世界で じたばたしておりました。 久し振りに、ブログやツイッターにログインしてみると、記事更新がない間もブログを訪れてコメント (非公開設定ですみません) を残してくださったり、DMをくださったネットのお友達がいらして・・・。温かい言葉の数々に胸がいっぱいになりました。お礼の返信もできないままで申し訳なく思っています。優しいお気持ちをたくさんいただきました。心より感謝しております。ありがとうございました。 もう暫くはパソコンの前に座る時間も限られますが、皆様のブログにも これ
現在 闘病中の私は その日、大学病院での治療・検査などを受けた。2 回目の胃癌手術から約半年過ぎ、食事の内容・量・タイミングなども次第に分かってはきたけれど、それでも思いもかけずにダンピング症候群が現われる時がある。サンドイッチ 1 切れとドリンク少々でも、腹痛・発熱・脂汗・倦怠感などで動けなくなる時も。病院の治療や検査中にそのような状態になると、後の予約の方達にも迷惑がかかる。 そう考えて、病院から指示はなかったけれど、ダンピング症候群を起こさない為に、前夜から 当日帰宅するまでの間は、何も口にせず 自主的絶食状態だった。 長時間・長距離の外出は 極力避けて暮らしているけれど、病院となると出かけない訳にはいかない。手術した後は 今までと同じような生活をされている方達も多いと聞くのに、私はいつまでこのような ダンピング症候群との 生活が続くのだろう。栄養や水分摂取に気を配っていても、果たし
銀行に行った。数台ある ATM には先客があるけれど、どなたも ATMでの操作は短時間で、すぐに順番が回って来る。私のお隣には もう既に、電話をしながら ATM の操作をなさる高齢の女性がいらっしゃる。こういう状況を目の当たりにするのは初めてだ。「ATM → 電話 → 振り込め詐欺」という図式が浮かぶ。 気にかかって、私は自分の ATM を操作しながら 耳はお隣の女性の声を聞き逃すまいと頑張る。高齢の方が 数回に渡り 合計数千万円も騙し取られたというニュースが脳裏をかすめる。ATMでは 振り込める金額は 銀行やその人の設定金額によって異なるらしいので 一度に そこまでの大きな金額にはならないかもしれないけれど (後で調べたら、身体認証だと 1000 万円未満で振り込めるらしい。怖っ)それでも、長い年月をかけてコツコツと積み立ててこられたと思える預金を一瞬で失うなんて あまりに辛すぎる。何
★新聞に 白寿の方の言葉が載っていました。 【目的ができたと白寿の祖母の言う プーチンの死をみるまで生きると】神戸市 米谷 茂さん 99歳にしてこの心意気。凜となさって素晴らしい。そして 人生の大先輩にこうまで言わしめるプーチンが憎い。 ★原爆慰霊祭とお祖父様のことを綴られたpokuchanさんの思いが胸を打ちました。 8月6日は語らないけど - チェロとお昼寝 (o-chancello.net) pokuchanさんのお祖父様のように、深い怒りと悲しみを一生持ち続けて 亡くなられた方達に 手を合わせながら思いを馳せました。 ★のんち (id:nonchi1010)さんのお母様の 忘れがたい辛い思いです。 ひもじいことは、哀しいこと。 - のんちのポケットに入れたい大切なもの (hatenablog.com) 「あの光景は死ぬまで忘れへん」とおっしゃるお母様の言葉。時が解決することは決して
夢の中で泣いたことを覚えている朝。ベッドの中にて ぼんやりした頭で考える。「あの少年は誰だったのだろう?」「私達はどこへ向かおうとしていたのだろう?」 夢の中で 少年は小さな声で言った。「家の物に全部 差し押さえの紙が貼られて もう触ることもできなくなったんだよ」。私は「そっか・・・」と答えて少年の手を握る。この事態になっては最早、小学生の彼には為す術もないだろう。家族でもない私とて同じこと。私達は手を繋ぎ、行き先も定めないまま ゆっくりと歩くしかなかった。 『夢は潜在意識の表れ』と言われてはいるけれど【潜在意識とは、過去の経験などによって無意識のうちに蓄積された価値観、習慣、思い込みから形成された、自覚されていない意識である (Weblio辞書)】とあるように、本人にすら解らないものなのだから、今朝 見た夢を分析するのはやめよう。 と言いつつも、何となく自分でもわかることもある。あの見覚
退院してからというもの、私の頭の中は常に「食べること」でいっぱいになっている。まあ、元々、手術に関係なく「食べ物」が脳の半分を占めていたような気もするけれど、それに「真剣さ」が加わったように思える。 というのも、一度耳にした言葉が頭から離れないのだ。その言葉は ある日 たまたま TV から聞こえてきた。「胃癌の術後生存率はⅠ期なら 95 % と言われています。生存率が 95 %ということは、癌そのものが原因で亡くなる人は 5 %のように思えますが、実は更に 20 %の人が癌の再発ではなく、栄養失調で亡くなっているのです」という内容だったと記憶している。 「癌は再発していないのに、栄養失調で亡くなる」という インパクトのある言葉が 妙に脳裏に残ってしまった。 調べてみると、【主治医からは「癌の転移・再発は見つからない」と繰り返し言われているが、体重がどんどん減り、体力もなくなって動けなくなっ
郵便局へ行った。用事を済ませて帰る時、目の前の歩行者専用道路に通行人がいなければ、駐車場出口を左折すればすぐに大通り (車道) に出られる。出口で左右の確認をしていると、旗を持った女性の姿が見えた。その後ろをランドセルを背負った子ども達が続いている。小学校に入学したばかりの人達のようだ。小さな身体に大きなランドセル姿が微笑ましい。通学に慣れるまでは、地区ごとに決められた場所 (そこで保護者が待っている?) まで先生が引率なさるのだろう。 私の車が停まっているのに気付いた子が、さっと手を上げてお辞儀をしてくれる。次の子も同じように手を上げてお辞儀・・・。挙げた手がまっすぐに伸びている。初々しいなぁ。私も一人ずつにお辞儀を返す。中には手を振ってくれる子もいて、私も手を振り返しながら、自然と笑みがこぼれる。可愛い! 道路の渡り方など、先生や 親御さんや 交通教室で警察官の方から教わったのかな?
手術の数日前、改めて術式の詳しい説明を受けた時に「時間はどのくらいかかりますか?」とお尋ねすると、先生は「普通は 5 時間~ 6 時間ですが、夕暮れさんの場合はもっと長く 8 時間くらいになるかも知れません」とおっしゃる。「8 時間!」と思わず繰り返すと、先生は「朝から晩まで…」と独り言のように言われた。心なしか 先生の目は遠くを見つめられているように思えた。いつも穏やかで落ち着いた口調の先生から出た言葉と様子に、私はギャップ萌えしそうだった。 「そうですね、8 時間といえば会社員が出社して退社するまでの時間ですものね。でも会社員は途中で昼食や休憩がとれるのに、執刀医の先生方は休むこと無く 8 時間ですからお疲れのことでしょう」と言うと「もっと長い手術もありますし、私達は慣れていますから」とのこと。プロって凄い。頼もしい。頭が下がる。 いよいよ手術日となった。入院中の私の担当看護師さんは就
今まで何度も入院・手術をしてきた経験からすると、4 人部屋の各ベッドはカーテンでぐるりと囲まれ、同室の方達が看護師さんやドクターと会話される声が聞こえる以外には 患者同士は顔を合わせることも殆どなかった。 ここ数年間は コロナ禍で仕方ないにしても、遥か昔、母が入院していた頃は 6 人部屋でもカーテンは開けっぱなしで和気藹々と会話が弾んでいたように記憶している。病院とはいえ、換言すれば、お互い、病を抱えている身だからこそ? 個人の空間を大切にしたい時代になっているのだろうか? ところが、今回は入室すると、病室備え付けの洗面台 (4人共有) の前に たまたまいらした方にお会いした。お向かいのベッドの方のようだ。私が「今日からお世話になります夕暮れです。よろしくお願いします」とご挨拶をすると、私の母と同じくらいの年齢のその方 ( Tさん) は にこにこと挨拶を返してくださった。 私の病気の経過な
★訪れてくださった皆様へ 入院中 いろいろありまして、退院が延び延びになってしまいましたが、昨日ようやく帰宅できました。ただいま!です。 再入院・手術にあたり、皆様からお寄せいただいた温かい励ましのコメントを嬉しくありがたく拝読致しました。かけてくださった ひと言ひと言が心に響き、それらはエネルギーとなり心身を守ってくれる思いがしました。 手術後に集中治療室で しんどさと闘っている折には、いただいた数々の言葉を思い浮かべ、力としました。本当にありがとうございました。 「何か起きてます?(その 1 ~その 5 )」にいただいたコメントは、勝手ながら非公開設定にさせて頂いておりまして、お一人ずつにお礼も申し上げられないままで、心苦しく申し訳なく思っております。 これからはまた、ゆっくりとではありますが、皆様のブログにもお邪魔させていただくのを楽しみにしています。 退院日の迎えには、実家の母が運
退院して 2 週間後に外来受診をした。経過報告と検査だと思って気楽に行った。手術後 2 か月間は食品の制限があり、口にできるものが少なかった。はぁ、食いしん坊なのに辛い。体に良いとされている繊維たっぷりの野菜さえも 胃の傷には悪いとのこと。スイーツと揚げ物のない生活は体重をかなり減らした。身も心も パサパサになりそうだった。それでも頑張ったのよ 私。褒めて ! 手術日から数えてまだ 2 か月は経たないけれど、この日の検査で内部の傷がかなり癒えていたら、生クリームたっぷりのスイーツ、肉類 (特にステーキ)、コーヒー、カレーなども少しなら許可になるかな?・・・と楽しみだった。うふふ。うふふ。 ところが・・・主治医の先生が「夕暮れさん、気をしっかり持って聞いてください」と前置きをなさる。えっ! どういうこと? 予想外の展開に言葉が出てこない。 今までも 私がオヤジギャグを言うと「お気を確かに」と
★訪れてくださった皆様へ ご無沙汰のご挨拶だけ・・・と思っていましたのに、ブログでは「その1」~「その4」と続いてしまいました。 おどろおどろしい話で始まり、ネガティブなことをぼそぼそと綴るに至っています。それにもかかわらず、スターマーク・DM、或いは「コメント欄」や「ブックマーク」にメッセージをお寄せくださった皆様に 恐縮しつつも感謝の気持ちでいっぱいです。 今回の「何が起きています?」に頂いたコメントは大変勝手ながら「その1」から今回まで非表示に戻させていただきました。(あくまで「非表示」であって「削除」ではありませんので、私にはいつでも拝読でき、その都度、エネルギーをいただいています)。※ブックマークの方は、未だにシステムが分からず、申し訳ありませんが このままにさせていただいています) お一人ずつにお礼を述べることも叶わず、このような形で失礼とは思いますが、お許しください。皆様のコ
ベッド上で、身動きもままならない状態で迎えた夜は長かった。 「これからどうなるのだろう?」という思いが拭いきれない。不安に苛まれると 思考はネガティブな方向へと向かっていく。 スタッフ ステーションからカーテン越しの灯りが漏れる。隣のベッドの方は、しょっちゅうナースコールをされている。お辛そうだ。対応される看護師さんの声や足音が耳に入る。「どうなさいました?痛みますか?」という声が優しい。夜は看護師さんの人数が少なくなり、それでも しなくてはならない用事は多そうなのに、医療に携わられる方達に頭がさがる。 私のベッドの三方はぐるりとカーテンで囲まれていて、一人の空間の中にいる。そして気が付くと、自分の人生を遡っていた。『何か成し遂げたことがあったかなぁ』と考えても、何もかもが中途半端。幼い頃からいろんなことを試みては失敗した。歳を重ねても、恥の多い人生だった。情けないなぁ。 それから、娘の小
麻酔から目覚めたら、先程ストレッチャーに乗せられて出ていった病室ではなく、別の場所にいた。「ここはどこだろう?」とぼんやりした頭で辺りを見回すと、ベッドの頭側が壁ではなくて、透明ガラスになっていた。透明ガラスのあちら側はスタッフ (ナース) ステーションらしい。カーテンが引かれているが、このカーテンはあちら側からのみ開くようだ。スタッフステーションは、夜中でも看護師さんがいらっしゃるし、明かりがずっと灯っていて心強い気がする。 それから、私の体には いろんなコードやチューブが繋がれていることに気付く。あらら、いつの間に? 前々日に手術が済んだ時はこんな重装備ではなかった。『検査結果が思わしくなかったのかなぁ?』と不安になりつつも、持ち前の好奇心がまたもや頭をもたげる。どんなものが繋がっているのか探ってみよう。 点滴チューブはさすがにすぐに分かる。 鼻には酸素投与のためのチューブ。これは低酸
★訪れてくださった皆様へ。 4か月ぶりのブログ更新となりました。松の内も過ぎ 遅ればせながらですが本年もよろしくお願い致します。 記事更新がないにもかかわらず、訪問してくださった方、過去記事を遡って読んでくださった方、案じてDMをくださった方・・・温かいお気持ちありがとうございました。 ずっと入院していた訳ではないのですが、SNSを繋ぐ気力と体力がなかなか回復せず、今日に至りました。すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆様のブログにもこれから時間はかかるかもしれませんが、ゆっくりと楽しみに訪問させていただきます。 闘病日記はブログには書いておりませんが、実は私、かねてより病院とはなかなか縁が切れない生活をしております。今回も一週間から10日くらいで治療・退院できる予定でしたし、元々ブログは月に2 記事くらいしか書いていませんでしたので、皆様にお知らせもせずに軽い気持ちで入院しました。 とこ
二十四節気のひとつである『白露』。今年は 9月 7日だったらしい。子どもの頃に、『朝の光を受けて、白く輝く露』のことを こう呼ぶのだと知った。そして、草の葉の上で朝日に輝く露 を想像して「綺麗な言葉と情景だなぁ」と感じたことを、この時期になると ふっと思い出す。 「『白露』が過ぎれば、今度は ツバメが去るのよ。」とも聞いた。祖母の生家(今はもう面影が無くなってしまったけれど)の軒下には 毎年ツバメが巣を作っていたとのこと。 今年も春先にやって来て夏を過ごしたツバメ達が、子育てを終えて 暖かい南方へと渡って行く日も間近だろう。コロナ禍もなんのその、「県境を越えてはダメ」というルールもなく数千キロにも及ぶ旅。途中で「疲れたから道の駅で一休み。お土産も買いたいね」とか、「たまには贅沢して豪華な温泉付きホテルにしましょう」ということもなく、目的地まで不眠不休・飲まず食わずの過酷な旅。「がんばれ、が
「まだコロナが収らないので、親戚や夕暮れ達に声をかけるのも憚られるから、おばあちゃんのお盆は お寺様と私達 (実家の両親) でお迎えするね」と早い時期に母からの LINE が届いていた。 お盆にお参りできなかったことが心にかかり、せめて思い出話をして祖母を偲びたいと思った。カメラとネットを繋いで実家の両親と語り合う。祖母のエピソードが 尽きることなく出てくることに驚きつつ、「いろいろなことがあったけれど、こうして祖母は自分の人生を生ききって 天寿を全うしたのだなぁ」と改めて思う。 「おばあちゃんは、無事に三途の川を渡れたかしらねぇ」と母が言う。・・・ ああ、そうだった。・・・祖母のこの世の息が絶える時のことを思い出す。かねてより、祖母は曾孫である小焼けに 言っていた。「ひいおばあちゃんがこの世にさよならをする時は、小焼けちゃんがバイオリンを弾いて送ってね」。 実家の古いアルバムには、祖母が
★先日、PCを開いたら画面が変になっていた。デスクトップに置いてあるWord や Excelの見慣れたアイコンが消えて、代わりに真っ白なアイコンになっている。どちらがWord で どちらがExcelなのか 区別がつかない。試しにその 1 つをクリックしてみると、ガン!という音と共にエラーメッセージが現われ「見当たりません」という意味のことが書かれている。保存しておいたものも呼び出せない。 twitter は「今までと違う動作でログインされました」とエラーメッセージが出て、パスワードを替えるようにとか、ロボットではないことを認証してください、とのこと。(今までと違う動作で・・・ってどういう意味? いつもと同じことをしているのに)。 更にはフリーメールには「第三者による不正ログインの可能性があります」と出て、こちらもログインできなくなっている。第三者ってだぁれ? やめてくれる~? はてなブログ
報道によると、【池袋暴走事故で、検察側は車を運転していた飯塚被告 (90歳) に禁錮 7年を求刑し、弁護側は無罪を求めて結審した。判決は 9 月 2 日】とのこと。 論告に先立ち、遺族の松永さんが意見陳述をされた。松永さんはこの日の陳述に向け、昨年末から仕事を終えて帰宅した後、深夜までパソコンに向かわれたという。「意見陳述の原稿は 1 行書いたら涙が止まらなくなり、パソコンを閉じることを繰り返す、苦しい時間でした」と声を詰まらせながら語られたとのこと。 心が張り裂けそうな思いで書かれた全文(A 4 判 11ページ)を読んだ。奥様の真菜さんとの出会いから始まり、結婚、莉子ちゃんの誕生と名前の由来、穏やかで幸せな日々・・・そして事故の知らせ、被告への憤り、ご自分の心情へと続き、松永さんの胸中察するに余りある。私はあまりの辛さに何度も中断しながら読み終えた。 昨年旅立った私の祖母のことを思い出す
大雨が続いている。ニュースによると、関東・東海地方の太平洋側では、昨晩から記録的な大雨となり、気象庁は河川の氾濫や土砂災害などに厳重な注意を呼びかけているとのこと。大きな被害が出ないことを祈るばかり。 そういえば、かねて住んでいた場所で 洪水が起こった。新婚時代(小焼けが生まれる前)から借りている家だったが、この辺り一帯が大雨に弱いということを知らなかった。初めての体験。 夫は仕事で帰れず、お隣さん達が「早めに避難しましょう」と誘ってくださっていた。時折 外を見ると雨は激しいけれど、庭にはまだ水が溜っていなかった。両親が「実家に避難するように」と言い、車で迎えに来てくれることになっていたので、当時1 歳にならない娘(小焼け)と二人で家の中で待っていた。 携帯電話が鳴る。通話口の向こう側で母が慌てている。「すぐ近くまでは来ているんだけど、夕暮れの家に続く道路に水が溢れて通れなくなってるのよ。
TV をつけると、サバンナの風景の中を動物が2頭走っていた。 速っ!! 画面左から現われて、すぐに右端まで行ってしまった。「あっ、見えなくなる」と思う間もなく 画面が切り替わり、 左側から さっきの2頭が現われる。さすがプロのカメラマンだ。対象を逃さず追い続ける。 娘(小焼け)の運動会を思い出し「我が家の素人カメラマンとは違うなぁ・・・」とプロの技に感心する。プログラムの 娘が出場する種目にラインマーカーで印を付け、「あっ、あそこに小焼けがいるよ~。前から 3 列目の左端」などと私が言い、夫が「おっ、いたいた」と ビデオを構えて待つ。これが種目毎に何度か繰り返される。 そして帰宅後、皆でビデオを観ると・・・、あれっ?! 小焼けはどこ? 最初のシーンだけは映っていたけど、速い動きにカメラが追い付いて行けてない。リレーは もとより、騎馬戦、ダンスなど どれもこれもだ。 望遠レンズだから一旦 見
昨日、娘 (小焼け) の幼稚園時代からの友達の Mちゃんに スーパーで ばったり出会った。 Mちゃんのお父さんもお母さんも、最近は 仕事が一段と忙しくなられたので Mちゃんが夕食やお弁当を作っているのだそうだ。Mちゃんはカッコいいなぁ。勉強に部活に料理・・・。大活躍だ。 「家まで送って行くわよ」と言うと「ううん、だいじょうぶ。夕暮れおばちゃんの帰りが遅くなるよ」と言う。「大雨だし、乗って行って。」と更に誘うと「ありがとう~」と助手席へ。 車の中で、高校生活について 楽しげに 話してくれた後で、「そういえば、小焼けちゃんが『神』と呼ばれていたのに『罪作りな女』に変化したのを 夕暮れおばちゃん知ってる?」と尋ねる。「ううん。どちらも初耳よ」と言うと、次のように語ってくれた。 中間テストの物理の結果は、なんと小焼けがクラスでトップだったとのこと、それで、「こんな複雑な問題が解けるなんて『神』だ」
実家の両親によると『新型コロナワクチン接種のお知らせ』は届いたものの、接種日の予約はなかなか取れなかったらしい。 それぞれに持病を抱えている両親は、副反応がどのように現われるのか心配したと言う。接種後に 痛み・発熱・倦怠感が等があっても、殆どの人は 数日で治まるらしい ことは 経験者の談から理解はしていても、自分と同じ病気を持つ人達にはどういう症状が出るのかまでは分からない。 亡くなられた方達に持病があったことがニュースで伝えられるけれど、結論としては「ワクチン接種との関連性は不明」とのことだし、主治医の先生も そこまでの情報はお持ちではない。 しかし、コロナに感染して重症化するリスクと、接種に伴うリスクを比べて、両親は「やはり接種しておこう」と決めたとのこと。副反応が思いのほか強く出た場合を考慮して、父と母は接種日をずらして予約をし、父の方が一足早く 第 1 回目を受けた、とLINEが届
帰宅した娘 (小焼け ) が話し始める。「今日ねぇ・・・」。 小焼けは、集団生活をするようになった ( 幼稚園に入った ) のを皮切りに、家族と一緒ではない時に自分一人で見聞きしたことを 家に帰ってから話してくれるようになった。それらは、友達や先生とのエピソードであったり、身の回りの自然界のことだったりで、目を輝かせて『大発見』を教えてくれた。 幼児の目線を通して見えたものは、私達には新鮮で、夫 と共に ( 時には電話で、小焼けの祖父母も )「へぇ~、そうなんだぁ」と相槌を打ちながら聞き入った。 小学校・中学校と 学年が進むに連れ、私達が知らなかった ( 或いは、忘れていた ) 世界の範囲は更に広がっていった。理科の分野( 不思議なことがいっぱい )が多かったけれど、社会・国語・技術家庭の時もあれば、外国のことなどもあった。知らなかったことを知ったり、調べたり、考えたりするのって わくわく
最近、家の中を やたら うろうろと無駄な動きをしています。動線が長くなり、しかも、もつれています。その理由は簡単。4月28日に書いたことのひとつ「部屋の模様替え」をしたからなのです。 確かに部屋を見渡せば いささか新鮮で、気分転換になっている気もするけれど、どうも使い勝手が悪いんです。そりゃそうでしょう。使い易いようにと長い間かけて少しずつ配置を変えてきて、この間まで心地良く収っていたものを、GWだからと張り切って がらりと変えてしまったのですから。 あ~あ、家具や細々としたものは動かさずに、カーテンとラグ・カーペットを春らしいものに変えただけで終われば良かったな。 私の頑張った 1 日を返して。 ★前回 (5月5日)、大林三佐子さんへの思いを書いてはみたのですが、実は TV 録画を観ながら湧き上がるものを どう表現したらいいのか纏めることができずに、もやもやと心に留めたままになっていたも
GWも今日でおしまい。 ステイホームだったけれど、一番の楽しみは「アラームをかけずに、自然に目が覚めるまで ( 心置きなく 目が腐るまで) 眠る」というものでした。 ところが、平日の出勤日の起床時間と同じ時刻に 目が覚めるんです。 真面目か ! それとも歳か? なんだか損した思いがするのは、気のせいでしょうか? ★ミャンマーのクーデター発生から 3 ヵ月が経った。混乱の収束の見通しも立っていないそうだ。抗議する市民に対して軍や警察は発砲や暴行を繰り返している。最近では国軍が路上で無差別に人々を襲ったり、住民を自宅で殺すこともあるとの目撃談が出ている。 4月 30日までに 759人が犠牲になり、その中には 40 人を超える子ども達も含まれているとのこと。 【民家を捜索した部隊が7歳の少女を射殺した】 【 1 歳の赤ちゃんの目にゴム弾が命中した】などの報道を見聞きし、暴力と恐怖に怯える子
先日から4都府県が3回目の緊急事態宣言の期間に入った。今年の GW も昨年同様 ステイホーム。まとまった時間があればこそ できること ( 例えば、 部屋の模様替えや片付け、手の込んだ料理に挑戦、庭の手入れなど ) をして過ごそうかな。 こんな のんきなことを言っては、変異ウィルスで 日に日に増大する感染者に ご自分の命を削るようにして対応されている医療従事者の皆様に 申し訳ない思いがする。ただただ頭が下がる。 また、お店の営業時間短縮・休業も 昨年から通算するとかなりの数になり、経営者・従業員の方達に思いを馳せると胸が痛む。 路上にベターと座って大騒ぎしている 20 代の人達のことを、しょうゆだんご (id:syouyudango)さんが、ブログにお書きになっていた。しょうゆだんごさんの語り口は きっぱりとしていて、実に気持ちよく、それでいて、どこかユーモラスで温かい。 しょうゆだんごさん
銀行へ行った。ウィルス感染予防対策として、椅子は 窓口に平行に 縦長に並べられ、隣り合って座れないように 一つおきに紙が貼ってある。 私の窓口の順番は 8 人待ち。長い。仕事に戻らねばならない時間に間に合うだろうかといささか心配しながら待っていると、あら?? 夫の声がする。 声のする方を見ると、ひょろりと背の高い男性が 窓口の人に何やら尋ねている模様。後ろ姿で 顔は見えない。公の場なので本人は抑えて話しているつもりでも よく通る声が夫と同じだ。髪型は違うけれど、頭に手をやって くしゃくしゃとするとこんな感じになるなぁ、と思いながら眺める。髪の長さは同じね。 彼が身につけているのはカジュアルウェア。今までになく暑い日になったとはいえ、早々と初夏の装い。でも、夫はこんな鮮やかな色と柄の洋服は持っていないはず。 なんで~? 平日の昼間よ。いつものスーツとネクタイはどうした?! 失礼とは思ったけれ
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