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中山成彬国土交通相が成田空港反対派住民のことを「ゴネ得」と決めつけたことは軽率であり、徹底批判されるべきだろう。なぜなら、はるか半世紀も前から、成田=三里塚問題は「ゴネ得」などというレベルにはないからだ。たとえばカルト信者たちの聖地に空港をつくろうとしたらどうなるか、想像してみてほしい。カネでは動かぬ狂信者たちはそもそも交渉に応じないだろうし、交渉すること自体を裏切りとみなし、「対話派」の粛清を始めるだろう。そして粛清を逃れた信者たちはいっそう強硬な姿勢を取り・・・実際、このような過程を経て成田=三里塚は一部の狂信的新左翼の聖地と化したのである。今でも結構な社会的地位にあるいい大人が、かつて参加した成田闘争へのノスタルジアから「成田は出来るだけ使わない」などと公言するのはこのような事情による。かく、成田の場合、「ゴネ得」というようなカネの問題ではもはやない。だからこそ深刻なのだ。 そもそ
大分の親戚に教員が多かったせいもあって、大分での教員採用を巡る不祥事など、何を今さら騒いでいるのかと逆に不思議な感じさえしてしまう。 多分、大分の元教員たち(現役の教員は反省して自制していると思います)は、今晩あたり、飲み屋で次のようなくだを巻いているはずである。 「だいたい、東京モンは騒ぎすぎバイ、もっと地方の実情を見ちから言え」 「そうそう。口利きとかなんとか言うバッテン、それなら受験ジプシーやらをどうやって排除するつか。どこでんいいき教員になりてえち言うごたる、大分と何の関係もねえ人間を教員に出来るわけがなかろう。大分と何の縁もねぇよそモンが大分に入ってきて、大分の人間を育てらるるわけがなかろうが。教員はどっかの社員とは違うつバイ」 「東京なら日本人を育てます、で良いかも分からんバッテン、大分じゃ、大分県民を育てにゃならんつぞ。大分県民を育てらるるつは、大分県民だけバイ。点数
ミュージカルの脚本を書いています。 主著: 『家・愛・姓 近代日本の家族思想』(評論 1994年 勁草書房) 現在品切れですが、著者の所にはまだ在庫があります。諌山までお問い合わせ下さい。 『〈別姓〉から問う〈家族〉』(評論 1997年 勁草書房) 『天涯の子ら』(小説 2000年 鳥影社) 『マンガ・特撮ヒーローの倫理学』(評論 2006年 鳥影社) 平成20年9月16日記
「慰安婦」騒ぎを見ていると我々がまだ「脱亜論」の世界の住人であることを再認識させられる。もちろん「脱亜論」が諭吉の筆によるものかどうかは疑わしいという説の説得力も認めた上で、それでもこの一編の先見性は認めざるを得ない。 以下、「脱亜論」の拙訳に小論を添えて再再録する。 1 isa訳『福澤諭吉の「脱亜論」』 現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急激な進歩が起こったわけではない。したがって、西洋列強の東洋侵略に対してこれを防ごうと思えば、まずは精神的な覚悟を固めるだけで充分である。西洋人も同じ人間なのだ。とはいえ西洋に起こった科学技術革命という現実を忘れてはならない。国家の独立のためには、科学技術革命の波に進んで身を投じ、その利益だけでなく不利益までも受け入れる他はない。こ
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