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都知事選
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日本将棋連盟の今年の通常総会が5月29日に行われ、会長の佐藤康光九段から指名された議長(佐藤義則九段、畠山鎮七段)の進行で議事が進みました。 最初に新会員(藤井聡太四段、大橋貴洸四段、西田拓也四段、杉本和陽四段)が紹介され、前に並んで挨拶しました。中学生の藤井四段は義務教育中なので欠席し、「まだまだ未熟者ですが、強い棋士になれるように努力します」という内容の挨拶文を師匠の杉本昌隆七段が代読しました。 その後、常務理事からの各部報告と質疑応答、平成28年度決算報告書などの承認、監事からの監査報告などの議事を経て、4月27日の役員予定者予備選挙で選任された7人の常務理事、5人の外部理事、3人の推薦理事、2人の監事が拍手で承認されました。 そして上記の理事たちの互選によって、佐藤九段が会長に再任されました。専務理事には森内俊之九段、常務理事には森下卓九段、井上慶太九段、鈴木大介九段、脇謙二八段、
【追記・4月26日】 現在発売中の『別冊宝島スペシャル』の中で、田丸が「知られざる加藤一二三伝説」という内容の評論記事を掲載。他に今年の春に引退が内定した森雞二九段へのインタビュー記事も掲載。 ※宝島社刊。定価500円。主にコンビニの「セブンイレブン」で販売。 私は夕刊紙『日刊ゲンダイ』の知り合いの記者から要請されて三浦弘行九段への取材を仲立ちし、4月中旬に都内の同社で行われたインタビュー取材の場に同席しました。 写真は、私と三浦九段(右)。昨年9月に将棋会館での会合で見かけたとき以来ですから、半年ぶりの再会でした。三浦九段にとっても私にとっても、激動の半年間でした。 三浦九段は一連の「冤罪問題」について、当時の心境や経緯について淡々と語りました。その取材の数日前に銀河戦の対局で勝ち、今年2月に公式戦に復帰して以来、5局目で初勝利を挙げました。そのせいもあって晴れやかな表情でした。しかし、
私がこのブログで書いた三浦弘行九段の「冤罪問題」については、多くのコメントが寄せられました。その中から、いくつか取り上げて私の見解と実情を述べます。 「将棋連盟の理事は相撲協会のように、理事全員が引退棋士で担うということはできないのでしょうか。現役棋士と役員の兼務は大変だと思います。引退棋士なら人生経験が豊富で、理事の仕事に専任できます」という内容のコメント(1月26日)は《こうめい》さん。 三浦九段の「冤罪問題」では、前常務会の当初の措置や以後の対応について、棋界の内外から批判が相次ぎ、結果的に谷川浩司(九段)会長をはじめ5人の理事が辞める事態となりました。そんな状況を踏まえて、現役棋士が理事を務めるのは大変ではないか、という外部の人たちの声があります。ただ相撲界では大半の力士が30代までに引退しますが、将棋界では大半の棋士が60歳ぐらいまで現役でいます。ですから単純な比較はできません。
2月27日に午後1時から東西の将棋会館において、東西の会場を映像と音声でつないだ「テレビ電話」システムを使って将棋連盟の臨時総会が開かれました。三浦弘行九段の問題に基づいて、専務理事の青野照市九段、常務理事の東和男八段、中川大輔八段、佐藤秀司七段、片上大輔六段らの5人の理事解任を決議することが主要議案です。約90年の連盟の歴史で、前代未聞の事態となりました。 総会の冒頭で、2月6日の臨時総会で連盟会長に就任した佐藤康光九段が「どのような結果になっても、わだかまりが残らないようにしていただきたい」と挨拶した後、議長に佐藤義則九段、副議長に小林健二九段を指名しました。 まず最初に、5人の理事解任を請求した28人の棋士の中で、発起人を務めた3人の1人である西尾明六段が趣旨説明しました。その要件は2月7日のこのブログで紹介したように、「常務会は、①連盟の正会員である棋士の立場を守らず、棋戦運営に支
私は1972年(昭和47年)に四段に昇段して棋士になってから45年間、将棋連盟の総会(通常総会、臨時総会)にほとんど出席してきました。その間、議論がもつれて閉会が明け方の4時に延びたり、将棋会館の建設を巡って理事会(現在の常務会)が総辞職したり、名人戦の契約問題に関する投票で2票差の僅差になったりと、深刻な事態に至ったことが時にありました。しかし今年の2月27日に行われる臨時総会で、5人の理事への解任動議が投票で議決されるようなことは前代未聞です。 そもそも昨年10月に竜王戦のタイトル戦の開幕直前に、保持者の渡辺明竜王が挑戦者の三浦弘行九段に「スマホ不正使用」の疑いがあると告発し、それを受けた常務会が確たる証拠がないのに、わずか2日で三浦九段を出場停止処分にしたこと自体が異常でした。そして連盟から委嘱された「第三者調査委員会」の報告によって、12月に三浦九段の無実が証明され、三浦九段は今年
【追記・2月13日】 2月13日に発売された『週刊ポスト』(2月24日号)が《三浦九段「冤罪騒動」は終わらない! 将棋連盟「紛糾総会」大混乱の現場》というタイトルで、2月6日に行われた将棋連盟の臨時総会の生々しい模様を報じていて、理事解任動議を提出した28人の棋士の中で発起人を務めた3人の棋士の実名を挙げています。『ポスト』誌は今後も三浦九段の問題を取り上げていくそうです。 【2月7日に更新した記事】 2月6日に東西の将棋会館において、東西の会場を映像と音声でつないだ「テレビ電話」システムを使って将棋連盟の臨時総会が開かれました。235人の正会員(現役棋士・引退棋士・女流棋士)のうち、出席者は186人(40人の委任状を含む)でした。 1月18日に連盟会長の谷川浩司九段と常務理事の島朗九段が辞任を表明して欠員が生じたことにともない、総会に先立って正午から理事選挙(定数は東京1人・関西1人
【追記・1月31日】 私が1月26日に公開したこのブログの内容は大きな反響を呼びました。26日のアクセス数は3万にも達し(通常の20倍)、その後も高い数字が続いています。この問題の情報が今までいかに少なかった(隠された)表れでもありました。また、ネット上の「2ch名人」にも取り上げられ、どちらも数多くのコメントが寄せられました。それらの中には、関連する棋士たちへの辛辣な批判が見受けられましたが、多くは将棋界の行く末を心配するものでした。私はそうした将棋ファンの思いに応えるために、今後も情報発信に努めていきます。 三浦弘行九段の師匠の西村一義九段が30日に発売された「週刊ポスト」で、将棋連盟の常務会を痛烈に批判しました。そのほかにもいろいろな動きがあります。私も2月6日に行われる連盟の臨時総会の成り行きを見て、何らかの形で新たに行動するつもりです。 私は2月1日~2日に栃木県大田原市で行われ
【追記・1月10日 日本将棋連盟のホームページの「将棋コラム」の欄に、私こと田丸昇九段のインタビュー記事が載っています。前編のテーマは「兄弟子の米長邦雄永世棋聖との思い出の一局」、後篇は「若手棋士時代のエピソード」。】 私こと田丸昇九段は昨年の10月25日に引退して以降、指導や執筆などの仕事が立て込んで忙しく過ごしてきました。現在も、3月に刊行予定の技術書の執筆で正月返上の日々です。そんなわけでブログの記事の更新が2ヵ月ぶりになってしまいました。 10月12日に発覚した三浦弘行九段の「将棋ソフト不正使用」の問題については、将棋連盟から委嘱された「第三者調査委員会」(元検事総長など3人の法律家で構成)が12月26日に調査報告を発表して一区切りつきました。 その骨子は「対局中に不正行為に及んでいたと認める証拠はない」というもので、三浦九段の無実が証明されました。また、三浦九段の公式戦出場停止処
私こと田丸昇九段は10月25日に竜王戦・6組昇級者決定戦の対局で門倉啓太四段に敗れました。その結果、フリークラス規定によって引退が正式に決定しました。 45年間にわたる現役棋士生活を振り返ると、いろいろなことが思い出されますが、心残りはまったくありません。1965年(昭和40年)の14歳のときにアマ二段の棋力しかないのに師匠の故・佐瀬勇次名誉九段の口利きで奨励会に「裏口入会」した私としては、72年に21歳で四段に昇段して棋士となり、92年に41歳でA級に昇級できたことだけで、十分な実績を挙げたと満足しています。棋士人生の前半は勝負運に割りと恵まれ、順位戦で上位クラスに長く在籍できました。後半は坂道を転げるようにクラスが落ちていきましたが、負けが込んだ時期が前半でなくて良かったです。 門倉四段との対局で、私(後手番)は中飛車に対して以前に公式戦で指した△1三角と端に出る作戦を用いました。序盤
新聞やテレビの報道でご承知のように、将棋界に大激震が起きました。 将棋ソフトの棋力の飛躍的な進化によって、現代では多くのプロ棋士がソフトを使用して将棋の研究に取り組んでいます。最善手や形勢判断、詰みの有無など、棋士でも参考にしているのが実情です。 棋士が対局中にスマートフォンなどの電子機器を使用し、ソフトで前記のことを検索するのはもちろん禁止されています。ところが不正行為が疑われるようなことがあった、という指摘が一部の棋士から出ていたそうです。 将棋連盟の常務会(旧理事会)はその防止策として、「対局中は電子機器をロッカーに預ける」「対局中は外出できない」などの規定を決定し、12月14日から施行すると10月上旬に発表しました。その矢先に浮上したのが三浦弘行九段のスマホ不正使用疑惑でした。 常務会は、三浦九段が今年の夏以降に「対局中にやたらと席を立つことがあり、時には10数分も離席していた」と
私こと田丸昇九段は9月27日に竜王戦・昇級者決定戦で近藤誠也四段と対戦しました。 近藤四段は20歳の若手精鋭です。C級2組順位戦で4連勝していて、王将戦でリーグ入りしました(1989年の屋敷伸之四段以来、新四段として27年ぶり)。今期の勝率は8割を超えています。 一方の私は今年の4月で引退が内定していて、本局に敗れると引退が正式に決まります。誰が見ても、私が勝てる見込みはありません。それは自分自身がよくわかっています。ただ同じ負けるにしても、悔いのない将棋を指そうと心がけました。 私は矢倉模様から急戦調の指し方を採りました。1980年代に兄弟子の米長邦雄永世棋聖が用いて武器にした手法です。現代では「絶滅危惧種」の戦法で、用いる棋士はほとんどいません。私は20年ほど前から、自分なりの工夫を取り入れてよく指しています。引退がかかる本局はその戦法を用いました。 とにかく勝負は二の次です。華々しく
第58回三段リーグ(2015年10月〜16年3月)の17回戦と18回戦の対局が最終日の3月5日に東京の将棋会館で一斉に行われ、私こと田丸昇九段の弟子の井出隼平三段(24歳)が昇段への確率が1%弱という厳しい状況で奇跡的な四段昇段を果たしました。 写真は、井出がいつも研究場所にしている東京・荻窪「将棋サロン荻窪」で、当日の夜に師弟で昇段の喜びを分かち合っているところです。 このブログには多くの方から祝福コメントが寄せられました。厚く御礼を申し上げます。 今年の3月で引退が内定している私としては、現役中に井出が四段に昇段することをずっと願っていました。しかし3年前の第52回三段リーグで昇段のチャンスを逃して以降は成績が低迷していました。 井出は今回の三段リーグでも前半で4勝5敗と負け越しましたが、後半で追い込みました。最終日を迎えた時点で、14勝2敗の都成竜馬三段はすでに四段昇段が決定していて
「電王戦」の主催者のドワンゴが6月18日、新しいプロ公式戦を新設することをを発表しました。その棋戦の名称は公募が実施されました。そして3422件の応募総数の中から9件が最終候補に残り、ニコニコ生放送のユーザー投票によって「叡王戦」に決まりました。命名者(男性・30代)の方は「知恵や叡智を争う将棋の頂点にふさわしい名称」と考えたそうです。 「叡」という単語で連想するのは、天台宗の総本山の延暦寺がある京都の比叡山です。ただあまりなじみがないので漢和辞典で調べてみました。①賢い②深く事理に通じる③天子(天皇の特称)の行為や状態に添える語、という意味です。①は叡哲、②は叡敏、③は叡慮などの熟語があります。最先端のIT企業が主催する新棋戦の名称で、このような深みのある単語が用いられたのは何とも対照的で面白いです。 最終候補に残ったほかの名称は、覇王戦・賢王戦、仁王戦、棋帝戦、棋神戦などです。いずれも
10月5日のブログで、2016年3月で引退が決まる私の思いを率直に書いたところ、それに関して次のようなコメントが寄せられました。 「将棋連盟の定年制は見直してみてはどうでしょうか。ある程度の収入を伴う形で、選手からの転向を図ることを期待したいです」というコメント(10月6日)は《囲碁人》さん。「棋士の終身雇用でいいのではないでしょうか」というコメント(10月7日)は《田舎棋士》さん。「引退制度がある将棋界と、終生現役も可能な囲碁界は、どちらも一長一短で、どちらがいいとはいえないと思います」という内容のコメント(10月8日)は《通行人》さん。「引退棋士が将棋を広めるために得る報酬が予算化されなくてはいけません。また、棋士をやめると年金は出るのでしょうか」という内容のコメント(10月9日)は《東京人》さん。 私を含めて多くの棋士は、棋士が成績の悪化によって順位戦でC級2組から落ちて所定の年齢で
8月上旬に行われた王位戦(羽生善治王位―木村一基八段)第3局は、角換わり腰掛け銀の戦型から羽生の執拗な攻めを木村が懸命に受ける展開となりました。羽生の攻めはやや切れ筋でしたが、木村が王手馬取りの手を見落として苦しくしました。その後、木村は入玉(敵陣に玉が入ること)して「持将棋」(じしょうぎ)をめざしましたが、規定の点数に達するかどうか微妙な状況でした。しかし羽生も入玉した178手目の局面で、両対局者の合意によって持将棋が成立しました。 両者の玉がお互いに敵陣に入って詰まない状態となり、盤上の駒(玉は除く)と持ち駒の合計点数(大駒5点・小駒1点で換算)がともに24点以上ならば、持将棋が成立して引き分けとなります。一方が24点に達しないと負けです。 タイトル戦で同じ引き分けの「千日手」になった場合は、持ち時間を短縮してその場で指し直しをします。手数と時間がかかる持将棋になった場合は、1局分とみ
6月13日のブログで、あるベテラン棋士が将棋連盟総会の席上で「電王戦は棋士の人選に問題がある。最強の布陣で臨んでほしい。負けた棋士には対局料を払わなくていい」と発言したことを紹介したところ、次のような内容のコメントが寄せられました。 「会場の空気はどのようなものだったのでしょうか」《ベナユン》、「ご年配の棋士の方々は、いまだに人間がコンピューター将棋と互角以上の戦いができると思っている方が多いのでしょうか」《Britty》、「エースが打たれて負けた。エース級を5人揃えれば勝てる。そんな言い訳にしか聞こえません」《Shellby》、「電王戦で『勝って当たり前、負けて恥さらし』みたいなファンばかりならば、出場する棋士は出てきません」《通行人》、「35年ほど前に『将棋世界』のプロ・アマ平手戦でプロが初めて敗れたとき、『プロ落城の日』という衝撃的な見出しが載りました。しかし現在ではプロ棋戦にアマ枠
公益社団法人・日本将棋連盟の今年の通常総会が6日6日、東京の将棋会館に隣接する「けんぽプラザ」3階の集会室で、午後1時から行われました。 写真・上は、会場の光景。228人の会員(現役棋士・引退棋士・女流棋士)のうち、約8割の181人(委任状は26人)が出席しました。 冒頭で連盟会長の谷川浩司九段が挨拶した後、私こと田丸昇九段を議長、浦野真彦八段を副議長に指名して承認されました。昨年も同じ組み合わせでした。 写真・下は、前列右から、谷川会長、田丸議長。後列右から、非常勤理事の深浦康市九段、藤井猛九段、杉本昌隆七段。※写真はいずれも『週刊将棋』撮影。 総会の議事は新会員(石井健太郎、三枚堂達也、香川愛生、星野良生、宮本広志)の紹介から始まり、全員が前に出て自己紹介しました。氏名・棋士番号・師匠のほかに、何か一言を語るのが通例です。飯島栄治七段は14年前、四段昇段後に連敗していたので、「早く1勝
タイトル戦の対局では、棋士が立合人(原則として2人)を必ず務めます。東西の将棋会館で行われる通常の対局では、以前は立合人が付きませんでしたが、2年前からは棋士が交代で立合人を務めることになりました。私は5月27日にその「対局立合人」という仕事を務めました。 写真・上は、対局室の入口に設置されている部屋割りボード。右下に田丸の札がかかっています。 写真・中は、大広間の対局光景。手前の対局は、森下卓九段(中)―塚田泰明九段。 写真・下は、特別対局室の感想戦の光景(午後11時半頃)。竜王戦のランキング戦4組決勝の中村太地六段(右)―横山泰明六段で、中村が勝って決勝トーナメントに進みました。後列の右から、遠山雄亮五段、八代弥四段、飯島栄治七段、記録係の佐々木大地三段、元女流棋士で観戦記者の藤田麻衣子さん。 対局立合人の私は東京の将棋会館に早めに行き、午前10時の対局開始時刻に対局者が揃っていること
私は4月12日に東京の将棋会館で行われた第3回「電王戦」第5局(屋敷伸之段―『Ponanza(ポナンザ)』)で立合人を務めました。 写真・上は、将棋ソフトの指し手を盤上で操作するロボットアーム「電王手くん」。対局前の光景です。 私は初めて目の前で見ましたが、駒を盤面に置く動きはじつに滑らかでした。相手の駒を取って駒台に置いたり、成って駒を裏返しする動きも難なくこなしました。着手するたびに光を放ったり、「ウィーン、プシュ」といった電子音を出しますが、対局者はそれほど気にならなかったと思います。対局開始の際は軽く頭を下げ、とても可愛らしい姿でした。私はつい笑みがこぼれてしまいました。 第3回電王戦のMVPは、第1局で菅井竜也五段を見事に破った『習甦(しゅうそ)』が選ばれました。しかし陰のMVPは、プロ棋士対将棋ソフトの勝負を演出面で盛り上げた電王手くんではなかったかと、私は思っています。自動車
5人のプロ棋士と5つのコンピューター将棋ソフトが団体戦形式で対戦した第3回「電王戦」の第5局(屋敷伸之九段―『Ponanza』)が4月12日に東京の将棋会館で行われました。 写真は、対局光景。右から屋敷九段、記録係の貞升南女流初段、立合人の私こと田丸昇九段、将棋連盟理事の片上大輔六段、将棋ソフトの指し手を盤上で操作するロボットアーム「電王手くん」。※写真は「週刊将棋」提供。 昨年の第2回電王戦は、プロ棋士が将棋ソフトに対して1勝3敗1持将棋と負け越しました。今年の出場棋士は、菅井竜也五段、佐藤紳哉六段、豊島将之七段、森下卓九段、屋敷九段(対局順)。若手精鋭、名人戦挑戦経験者、元タイトル保持者などで、昨年より戦力が増強された感じでした。私はプロ棋士の4勝1敗と予想しました。 電王戦第1局では、通算勝率が7割台の菅井五段が得意とする中飛車を用いました。しかし『習甦』(しゅうそ)の手厚い指し方に
昨年の竜王戦で挑戦者の森内俊之名人が渡辺明竜王を4勝1敗で破り、森内は渡辺の竜王戦10連覇を阻むとともに、10年ぶり2期目の竜王位を獲得しました。 写真・上は、1月20日に東京・日比谷の帝国ホテルで行われた森内竜王の就位式。 森内竜王は「開幕前は苦戦を覚悟していたので、第1局に勝てたのが大きかったです。竜王という大きなタイトルを預かることになり、今まで以上に責任をしっかり務めていきたい」と挨拶しました。 森内が竜王と名人を同時に獲得したのは2004年以来です。ほかの棋士では、羽生善治(1994〜95年・2003年)と谷川浩司(1997年)しかいません。 写真・中は、森内竜王が以前から指導している将棋教室の生徒たち。 写真・下の右は、森内竜王の唯一の弟子である竹俣紅女流2級。左は、仲のいい竹部さゆり女流三段。2人とも艷やかな和服姿でした。 竹俣女流2級は15歳の中学生。小学校に上がる前から漢
今週発売の『週刊文春』(10月3日号)に、「羽生善治三冠 タイトル戦の真っ最中に10分間熟睡」という見出しの記事が載りました。 9月18日に行われた王座戦(羽生善治王座―中村太地六段)第2局で、対局開始の9時から30分ほどたったとき、胡坐になった羽生が右手で前傾した頭を支えながら、「すう…すう…」と軽い寝息を立てて「居眠り」を10分ほどしたというのです。 当日は『ニコニコ動画』が王座戦の対局を生放送していました。視聴者たちは羽生の思わぬ姿を見ると、「疲れがたまっているのか」「相手を惑わす神経戦で、これぞ羽生マジック」などのコメントを寄せて、盤外で大いに盛り上がったそうです。 その局面は、矢倉模様の序盤戦で後手の中村が△5三銀右と上げて急戦策を見せたところでした。最近流行している指し方で、先手の羽生は作戦の岐路でした。羽生はその19手目に、23分を使って▲5七銀右と上げて中央を厚くしました。
私のパソコンに不具合が生じたために、このブログの更新を休止していましたが、新しいパソコンを立ち上げましたので1ヶ月ぶりに再開します。 公益社団法人・日本将棋連盟の今年の通常総会が6月7日、東京の将棋会館に隣接する「けんぽプラザ」で開かれました。東京将棋記者会の要請によって、昨年から総会の模様を開会から閉会まで報道陣にすべて公開しています。 写真・上は、会場の光景。224人の会員(現役棋士・引退棋士・女流棋士)のうち、約7割の棋士が出席しました。 冒頭で連盟会長の谷川浩司九段が挨拶した後、私こと田丸昇九段を議長、浦野真彦八段を副議長に指名して承認されました。 写真・下は、前列の右から、専務理事の田中寅彦九段、谷川会長、田丸議長、浦野副議長など。後列は、ほかの理事と監事。※写真はいずれも「週刊将棋」撮影。 総会で議長の指名は会長の専権事項です。年輩棋士と中堅棋士、関東棋士と関西棋士、という組み
前回のブログで、第2回電王戦第5局でコンピューター将棋ソフト『GPS将棋』がA級棋士の三浦弘行八段に勝ち、コンピューター将棋がプロ棋士に団体戦で3勝1敗1分と勝ち越したことを書いたところ、数多くのコメントが寄せられました。 それらの内容は、「勇気をもって対戦したプロ棋士の方々に心から敬意を表します」「コンピューター将棋がいかに進化して強くなろうとも、将棋ファンにとってプロ棋士は特別能力者です」「ウサイン・ボルトが100メートル走でオートバイに負けても、人間が弱いとは誰も思わないでしょう」「コンピューターが人間に勝つなんて、誰もがわかっていたこと」「次は羽生さん、森内さん、渡辺さんなどの最強の棋士を出すべきです。将棋連盟はもう逃げ回るのはやめなさい」など、負けてもプロ棋士の強さを評価したものや、連盟や棋士に対して辛口の批判をしたものまで様々でした。 「次の電王戦では、プロ棋士が最大限に力を発
第2回電王戦が3月下旬から東京の将棋会館で行われ、5人のプロ棋士と5つのコンピューター将棋ソフトが団体戦の形式で対局しました(持ち時間は各4時間)。 第1局は阿部光瑠四段が「習甦」(しゅうそ)に順当に勝ちました。しかし第2局は佐藤慎一四段が「ponanza」(ポナンザ)に敗れ、コンピューター将棋が公式の場でプロ棋士に初めて勝った歴史的な対局となりました。第3局も船江恒平五段が「ツツカナ」に逆転負けを喫しました。第4局は塚田泰明九段が「Puella α」(プエラアルファ)に対して敗勢でしたが、持将棋(双方の玉が敵陣に入って詰まない状態)で引き分けとなりました。この結果、プロ棋士側は1勝2敗1分となり、勝ち越すことができませんでした。 4月20日に行われた第5局は、前期のA級順位戦で名人戦挑戦者となった羽生善治三冠に唯一の黒星をつけた三浦弘行八段と、昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝した「
1952年(昭和27年)2月17日。第1期王将戦(木村義雄王将・名人―升田幸三八段)第6局の前日の夜に、対局場の神奈川県秦野市鶴巻温泉「陣屋」旅館で前代未聞の事態が起きました。升田が旅館に独りで着いたとき、玄関のベルを何回も押しても旅館側が出迎えない非礼に腹を立て、隣の旅館に引きこもったのです。そして升田は王将戦の関係者に対して、対局を拒否することを伝えました。 将棋連盟と棋戦を主催する毎日新聞社の関係者は驚愕し、翌日の対局開始直前まで升田を懸命に説得し続けました。しかし升田の気持ちは変わらず、ついに対局放棄して不戦敗となったのです。この61年前の出来事が世にいう「陣屋事件」でした。 その後、連盟の理事会は升田の行為を不当とし、1年間の公式戦出場停止の処分を下しました。しかし、ほかの棋士たちから「処分が重すぎる。升田を救え」という声が巻き起こりました。また、将棋を愛好した著名人たちが新聞や
「石橋幸緒女流四段の対局放棄(1月30日のマイナビ女子オープン準決勝・里見香奈女流四冠戦で対局場に現れず不戦敗)によって、日本将棋連盟とLPSA(日本女子プロ将棋協会)の関係が再び注目を集めていますが、LPSA設立までの経緯はお互いの説明に食い違いがあって、将棋ファンとしてはわかりにくいところです」という内容のコメント(3月2日)は《香落ち》さん。 LPSA代表理事の石橋女流四段が里見女流四冠との対局で、前日に対局放棄を発表して不戦敗した問題は、連盟とLPSAとの関係が悪くなるだけでなく、棋戦主催者も巻き込んで複雑な事態となっています。その後、当事者と関係者とで何度か話し合いがされましたが、まだ決着していません。連盟は2月22日に記者会見を開き、これまでの経過を説明するとともに、LPSAと所属する女流棋士たちへの処遇を発表しました(具体的な事項は連盟のホームページに載っています)。 私を含
昨年7月のブログ(7月16日・23日・29日)で、公式戦の記録係が不足する現状について書いたところ、多くの方から提言や感想などが寄せられ、私は関心の高さに驚いたものです。まだ紹介していないコメントを元に、その後の状況についてお伝えします。 「記録係不足の主な原因として、記録係の待遇が現代の社会が許容しないものであると思います」というコメント(7月30日)で、労働基準法の観点から記録料の改善を求めたのは《Bitty》さん。 タイトル戦以外で持ち時間が最も長い順位戦(各6時間)の対局の場合、記録料は段位者が10000円、級位者が9000円です。通常のアルバイト日給なら決して安くありませんが、終局が深夜になると労働時間は15時間(休憩時間を含む)に達し、確かに労働基準法に抵触しそうです。そこで夜の12時を過ぎたら割増料金を払うことも一策です。ただ記録係不足の根本的な問題は、記録料の問題ではないと
米長邦雄永世棋聖(前・将棋連盟会長)が12月18日に69歳で死去し、23日・24日に東京都目黒区碑文谷の円融寺で葬儀が営まれました。 写真・上は、白菊であしらわれた祭壇。米長が青色を好きだったので、遺影の周囲には青のデルフィニウムの花が囲みました。 祭壇の遺影は、米長が7回目の挑戦をした1993年(平成5年)の名人戦第4局での終局後の光景のようです。米長はその対局で中原誠名人に4連勝し、49歳11ヶ月という最年長記録で念願の名人位を獲得しました。写真はまさに日本一の笑顔となりました。 写真・下は、告別式での光景。右端は、参列者を迎える連盟の専務理事(現・会長)で葬儀委員長を務めた谷川浩司九段。その隣は、米長の弟弟子の丸山忠久九段。 葬儀には、羽生善治三冠、森内俊之名人、渡辺明竜王、佐藤康光王将をはじめ棋士や将棋関係者、生前の幅広い交際を象徴するように政治・経済・メディア・芸能など各界の人た
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