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衆院選
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アナキズムは21世紀を救う! アナキズムは、日本語では無政府主義と訳されているが、これは本質を言い表した翻訳ではない。アナキズムの理想とする社会は、完全に自由で平等な共産社会であって、江戸時代の思想家、安藤昌益はそれを自然世と呼び、直耕という自給農によって、そのような文明以前の理想的社会が実現できると考えた。アナキズムを一言で言えば、反権威主義、反中央集権(反ヒエラルキー)である。アナキズムは、議会制民主主義ではなく直接民主制を志向し、順法闘争ではなく直接行動を好む。法律は権威であって、権威に従がって権威を倒すことなど矛盾しているからである。その点、律法(旧約聖書)を引用して律法を否定しようとしたパウロは、論理的に破綻している。 アナーキストは、決して無秩序や暴力を肯定するものではない。そのような不届き者もいたが、それはキリスト教徒にも過激な原理主義者がいるのと同じで、決してアナキズムの本
危険な原理主義の台頭~なぜ日蓮系と福音派が伸張しているのか 仏教における日蓮宗とそこから派生した新宗教、キリスト教におけるルターに始まる福音主義プロテスタントとその派生(ルーテル派→カルヴァン=長老・改革派→バプテスト=浸礼派→メソジスト派→ホーリネス派→ペンテコステ=異言派→アドベンチスト=再臨派、右に行くほど新しく原理主義的)、この両者は次々に分裂を繰り返しながら不気味に増殖している。日蓮宗系の宗派、新興宗教は数十を下らないし、キリスト教福音派(プロテスタントのうちの右翼・保守派)の宗派に至っては、日本の人口の1%ほどを占めるに過ぎないのに、海外ミッションとの関連もあり100ではきかない宗派がひしめいている。 この両者は、なぜこうも似通っているのか。それは、日蓮とルターが原理主義者であったということに尽きるだろう。日蓮宗と福音主義プロテスタントは、元々既成教団を徹底的に批判することから
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月刊「えこふぁーむ・にゅーす」の主な見出し(巻頭言、特集記事など)について、掲載しました。(青色のタイトルは、クリックすれば内容をご覧いただけます。)他に、農産物などの紹介、演奏活動の予定、えこふぁーむでの出来事、農作業ダイアリーなどを、毎月掲載しています。購読料1500円を、郵便振替口座 02700-0-27139(加入者名:牧野時夫)にお振込みいただければ、毎月郵送いたします。また、お手数ですが、振替用紙の通信覧には「にゅーす」購読料と、必ずご記入ください。なお、windows-word環境の方のみ、E-mail添付発送(バックナンバーも第106号以降可能)も承ります。添付ファイルのみでよい場合には、購読料不要ですが、いくらかのカンパをいただければ幸いです。
えこふぁーむ 農民芸術学校 〒046-0002 北海道余市郡余市町登町1178 牧野時夫Web start: Jan. 15, 2003 / Last update: Aug. 1, 2013 このホームページでは、有機農園「えこふぁーむ」と、北海道農民管弦楽団の紹介をしています。 「えこふぁーむ」では、ブドウを中心に数百種類の果物と野菜を無農薬で栽培し、消費者に直接販売しています。 北海道農民管弦楽団は、全道の音楽好きな農家を中心に、約70名で活動するオーケストラです。
史的イエスに関する推薦図書(2004/06/08更新) イエスという人間が、いかにラディカルであったかを示す推薦図書を、参考までに挙げておこう。下線のあるものは私の蔵書で、ラディカル度を☆の数(私の偏見に基づく)で示している。いわゆるキリスト教が、いかにイエスの生き方から遠ざかってしまっているかが、よくご理解いただけるのではないだろうか。 ☆☆☆☆☆ A.ノーラン『キリスト教以前のイエス』 篠崎榮訳 新世社'94(原著'74) (ドミニコ会に属し、南アでアパルトヘイトに反対し闘った神父。イエスを絶対視し過ぎているきらいはあるが、カトリックには珍しく護教的立場を排し、一切の権威を否定したイエスが、なぜ十字架で死んだのかという真実に迫っている。ラディカルだが、お行儀はよい。) ☆☆☆☆ 田川建三『イエスという男~逆説的反抗者の生と死』 三一書房‘80 (私はこの本で、キリスト教信仰ががらりと変
宮澤賢治と宗教 私は宮澤賢治の宗教観に、かなり危険なものを感じている。彼は若い時に、熱心な門徒(浄土真宗)であった父の下で妙法蓮華経(法華経)に触れ、深い感銘を受ける。その後、一時はキリスト教会に出入りしたりもするが、最終的には父親の反対をよそに、法華経をより重視する日蓮宗系の、それも田中智学の国柱会という、当時の日本の対外侵略政策を思想的に支えた国粋主義的な宗教の熱心な信者となった。しかし、彼の作品から読み取れる宗教観は、全く国粋主義的ではない。それでもなお、全体主義(トータリズム)的な感じはぬぐえない。例えば、彼の『農民芸術概論綱要』に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という有名なフレーズがある。これが、「世界がぜんたい幸福にならなければ」となっていたら、全体主義そのもので個人は否定されてしまうわけであるが、少なくとも賢治にとって個人は、全体(彼にとっては皇
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