堺屋メモ 3 経済の東京集中政策 東京一極集中を決めた重要法案団体令が公布される前に、すでに全国団体をつくっていた業界がありました。 典型的なのは繊維業界です。 明治時代から繊維業界には全国団体があり、そのほとんどが大阪にありました。 政府では、「これはけしからん」ということになったのですが、当の団体は大阪から動かない。 1960年代になって大阪の繊維団体を東京へ移すことが通産省の重要テーマになりました。 繊維団体は紡績協会、毛織物協会、化繊協会、アパレル協会など、十数団体、その職員も800人ほどいる。 その上に繊維新聞などのマスコミも大阪にあります。 これら繊維業界と通産省の摩擦が激しくなりました。 そこへ、昭和43(1968)年に日米繊維摩擦が起こります。 これは国際問題だから国が交渉しなければならない。 アメリカは日本の繊維品輸出を自主規制するように主張しましたが、その限界の数量をど