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文章を書くとき、私は必ず「修行」とかいているのだが、漢字になったものをみると「修業」にあらためられていることが一度や二度ではない。 編集者が用語の慣例に従って親切に訂正してくれるのだろうが、実は有難迷惑なことである。 なぜなら「修行」と「修業」では肝心の意味が違うからである。 「修業」とは一定の業を修めることで、基準に達すれば「卒業」となり資格がつくのだが、「修行」には「卒行」がない。終わりのない行を修めるのが修行である。 終わりのない行とはなにか。 それは仏祖の践み行われた大道のことであり、それを修め護持するのが修行である。 換言すれば「修業」とは自分のため、自分の利益のために業を習いおさめるもの。「修行」はなにも求めず、利害損失を離れて、昔の悟りを開いた人々の道と行ずることである。 唐の時代、馬祖道一(ばそどういつ)が座禅修行に励んでいるところへ師匠の南獄懐譲(なんがくえじょう)がやっ
法話図書館所蔵 ちょっといい話シリーズ 法話図書館 ちょっといい話では、ためになる話や朝会・朝礼でのスピーチに使えるお話、500話を掲載しています。 佐藤俊明のちょっといい話 長谷川正徳のちょっといい話 菅野秀浩のちょっといい話 名取芳彦のちょっといい話(1~100話) 名取芳彦のちょっといい話2(101~200話) 携帯からも閲覧できます! 法話図書館ブログ 佐藤俊明のちょっといい話 ブログ版 長谷川正徳のちょっといい話 ブログ版 菅野秀浩のちょっといい話 ブログ版 名取芳彦のちょっといい話 ブログ版
偽善の偽である。“いつわり”だ。人の為というこの漢字を作った人も、その使用を認めた人も、世の中の「人のためと言いながら、自分の利益ばかり考えているニセモノ」をずいぶん見聞き、そして体験したんだろうなあと思う。私にはそんな洞察力がないので、この造語能力に、ただただ感心するばかりである。 20代の頃に『おかげさん』(相田みつを著・ダイヤモンド社)に収録されている言葉“人の為と書いていつわりと読むんだねえ”に出合って、我が意を得たりとばかりに、何度か得意になって受け売りしたことがあった。小さい頃から母に注意されるたびに、母が「あなたのために言っているのよ」とつけ加え、そのたびに心の中で「そうじゃない。お母さんは事あるごとに、あなたがそんなことをすればお母さんが笑われるのよと、言ってるじゃないか。つまり自分のために僕を叱っているんだ」という思いを口に出さずにいたからかもしれない。 しかし、30歳を
日本人は昔からきれい好きな、清潔を愛する国民で、その清潔感は道義感覚と表裏一体になっていた。 品位の高い人を「人格高潔」「きれいな人」「清潔な人」といい、その反対の人を「不潔」「きたない」「よごれている奴」などといった。かつての政治家は井戸と塀しか残さないほど清廉だったが、今日は全く逆で不浄の金に汚れた人が少なくない。 昔のひとは山登りの時など「六根清浄」(ろっこんしょうじょう)を口々に唱えた。 六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の働きのことで、眼は不浄を見ない、耳は不浄を聞かない、鼻は不浄を嗅がない、舌は不浄を味あわない、身は不浄に触れない、意(心)は不浄を思わない、つまり身も心も無垢清浄になろうという祈りの言葉が「六根清浄」であり、それが「六根浄」となり、「どっこいしょ」となった。 祈りの言葉がかけ声にまでなった。それほどまでに身心の清浄を念願として生活してきたのである。 さて、私たちは
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