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やる気の出し方
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【昭和44年頃の国土地理院地形図】 かつて西中国山地に存在した虫ヶ谷集落は、 昭和38年の豪雪、いわゆる「三八(サンパチ)豪雪」を契機に 自治体側が挙家離村(集団移転) を勧め、昭和45年無人となった。 【昭和49年の国土地理院の航写】 昭和31年、虫ヶ谷集落に電力が導入され 長年のランプ生活から開放されたという。 (おそらく、超マイクロな水力発電所設置による自家発電と考えられる) 【昭和49年の国土地理院の航写の拡大図】 匹見町史によれば三世帯19人であったという。 野生のツキノワグマが棲息する西中国山地のど真ん中の、 かつては歴(レッキ) とした国道であったが、 新道開通にて今では行き交う車も稀な寂しき道を 虫ヶ谷集落入口を探しひた走る。 インセクトバレー入口 いくら山奥の少数集落といえども そこそこ車で行けるだろうと思っていたが、まさかの、 最初からシングルトラックであった。 少し登
数少ない自治会運営の現行火葬場。 昭和40年ごろ、地元の人々が山林や材木を売ったお金を出しあい 建設費を捻出したという。 従って建設に係わらなかった人や、のちに移り住んで来た全く無関係の 人の火葬はできないので広島市営施設を利用する。 ちなみにこの辺りでは、意外にも隣町の可部火葬場に行くことは稀で、 多くは広島市東区の「永安館」(通称:天原)に行かれるらしい。 空中煙道 残骨灰置場。つい二日前に火葬が執り行われたという。 件数は多い年で 3,4件くらいだという。 旧火葬場への道 地元の方の案内で、現火葬場より少し離れた丘の上にある 旧火葬場跡へ向かう。 露天の野焼場跡。 溝掘り式ではなく、地上に四方を石垣で囲った火葬炉であった。 次に、案内人の情報で近隣の秋山地区の火葬場へ1人で向かう。 が、建物はすでに解体撤去されていた。 案内人は高齢女性の方だが、そもそも「焼場」に関心の高い人らしく
この白い台地はすべて塩(約40万トン!)である 島の面積は165,289㎡、戦時中には海軍火薬庫があった。 1956年(昭和31年) 65世帯の開拓民が離島し無人島となる。 1966年(昭和41年)に国内最大の工業塩積替埠頭が完成。 塩(岩塩)はメキシコから輸入され、日本工業塩の75%を担っている。 塩化ビニルなどの成分になる塩素と水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)の 製造に用いられる。 以前、この島へ機械修繕業務で渡ったことのある方の話では、 たくさんの野うさぎが棲息していたという。 あつかましく図々しい野うさぎどもにうっかり弁当をかっさわれてしまい 空腹に絶えながら業務を遂行されたという。(笑) あの有名な大久野島(竹原市)の野うさぎと同様、戦前戦中に 食用として飼育されていたものがいつしか野生化したらしい。 タグ : 音戸&倉橋
※2012.01.04 更新 「安芸の国・広島」 のあまり知られていない所を 自転車で見物して回る簡単なレポート(画像紹介)です。 (安物のコンデジを使用、撮影方法とか構図とかまるで無知無頓着) (がさつな神経の持主ゆえ手ぶれ写真大量掲載中) なお、忌避施設の画像満載につき閲覧にはご注意ください。 ブログ管理者:中国痴呆建設局 安芸の国 (安藝國・藝州) は、広島県の西半部にあたります。 ■カテゴリー (項目ごとにページ内リンクをかけてあります) ・ 墓地/火葬場 ・ トンネル ・ 水力発電所 ・ ダム/堰堤/湖沼 ・ 水紀行 (河川/渓谷/滝 /霊泉、湧水 /用水路) ・ 橋 ・ 盟友寄稿 Ventura氏 (広島市安佐北区安佐町筒瀬地区のお話) ・ 廃墟/廃屋 (廃墟専門サイトのような「凄いの」はありません) ・ 街・町・村・集落 (あの町あの村散策) ・ 未分類 (旧家/道/寺社等宗
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