はじめに 端的にいえば、この特集の意図は、建築設計における思索の過程、すなわち「スタディ」の方法論の現在形を、「他者性」というキーワードを用いて定位するとともに、その行方についての議論を始めることにある。大仰なテーマを掲げたものだ、と思う。しかし、そのテーマの大仰さに反して、筆者はこの特集のための序論を、自身の個人的な経験から引き起こしてみたいと思っている。スタディの方法論は、いうまでもなく、何らかの主体を伴った「つくること」にしか奉仕しえないのであり、したがって、この論自体もまた、主体を欠いて始めることが、ふさわしくは思えなかったからである。 筆者が大学で建築を学びはじめた1990年代後半、建築を設計するという行為は、大きな混迷のなかにあった。ポストモダンの空気をわずかに残しながら、しかし1995年に起こった阪神・淡路大震災や一連のオウム真理教事件によって、それまで承認を得られていたかの