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2014年7月25日のブックマーク (5件)

  • ネスレ「もはやインスタントではない」 業界団体を脱退へ

    インスタントコーヒー大手のネスレは7月23日、全日コーヒー公正取引協議会など4つの業界団体を脱退すると発表した。ネスレの主力製品の表記を、業界が認めないとしたことが理由とされる。 問題となっていたのは、ネスレ社が使っていた「レギュラーソリュブルコーヒー」という表記。“ソリュブル”とは英語(soluble)で「溶ける」の意味。ネスレがこの表記を使って発売している『ネスカフェ ゴールドブレンド』などのシリーズは、コーヒーの作り方はインスタントコーヒーと同じで、カップに粉とお湯を注ぐだけ。 しかし、インスタントコーヒーコーヒー抽出液を乾燥させて粉状にする製法をとっているのに対し、ネスレの「レギュラーソリュブルコーヒー」は粉砕した焙煎コーヒー豆をネスレ独自のコーヒー抽出液と混ぜ合わせて乾燥させる新製法で作られていたため、「もはやインスタントコーヒーではない」とネスレは宣言。表記からも「インスタ

    ネスレ「もはやインスタントではない」 業界団体を脱退へ
    nebokegao
    nebokegao 2014/07/25
    「「レギュラーソリュブルコーヒーは『インスタントコーヒー』の定義に該当しない新しいジャンルのコーヒー」「企業活動を阻害する」と反発」
  • 自尊心の耐えられない軽さ ジェンダー規範・トラブル - messy|メッシー

    シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」と、女らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを主張した。 つまりこれは、生物学的に女として生まれた人間に、「女という規範や美徳」という文化的な女性性を後天的に学習させることで「女」はつくられる――という、永きにわたり混同されてきた(そして今もされている)「セックス」と「ジェンダー」の相違の暴露であった。 「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」 この言葉は、女性だけの問題ではなく、男性もまた、生物学的に男として生まれた人間に、「男という規範や美徳」という文化的な男性性を学習させることで後天的につくられてきたものであることを示している。 私たちに後天的に女性ジェンダー/男性ジェンダーの規範を学ばせること自体が、多くの問題をはらんでいるのだけれど、中でももっとも厄介なのが、女性ジェンダー/男性ジェンダーの規範

    自尊心の耐えられない軽さ ジェンダー規範・トラブル - messy|メッシー
    nebokegao
    nebokegao 2014/07/25
    「「女性らしさ」を学習させることが、「自尊心を低くさせる」ことと無関係ではない/現在の私たちをとりまく世界は、慢性的な自己愛と自尊心の欠如に苛まれている」
  • 【速報】国連・自由権規約委員会がヘイトデモの禁止等を勧告(2014・7・24)

    まとめ 【メモ】国連・自由権規約委員会による日の第6回報告審査の様子(とくにヘイトスピーチ関連) 7月15日午後3時~/16日午前10時~/同午後3時~(ジュネーブ時間) このまとめでは基的に、ヘイトスピーチを中心とする差別関連の問題を取り上げています。委員会の勧告は、7月24日(木)の夜(日時間)には公開される予定とされています。 *追記:勧告が公開されました。 【速報】国連・自由権規約委員会がヘイトデモの禁止等を勧告(2014・7・24) http://togetter.com/li/697307 22431 pv 430 78 users 90 原文(ADVANCE UNEDITED VERSION) Hate speech and racial discrimination 12. The Committee expresses concern at the widespre

    【速報】国連・自由権規約委員会がヘイトデモの禁止等を勧告(2014・7・24)
    nebokegao
    nebokegao 2014/07/25
    「締約国は、すべての事由による差別を禁止する包括的な反差別法を採択するべきであり、また差別の被害者に対して効果的・適切な救済を提供するべきである」
  • 千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』 | つぶやきコミューン

    通常の批評や論文を線のエクリチュールとするならば、140字以内という制約を持つツイッターの文章は、いわば点のエクリチュールである。一般に、日付を持った断章としてのツイッターでの発言をまとめる時、二つの誘惑が存在する。一つは、茂木健一郎の連続ツイートのまとめ『考える脳』がそうであるように、主題によって整理しまとめてしまうこと。もう一つは、twilogのように時系列でまとめてしまうことである。前者はいわば、点のエクリチュールを線的なエクリチュールへと近づけることであろう。隣接するテーマを接続することによって、どこかで首尾一貫した何かを想定させ、著者の文脈へと従属させてしまう。そこで失われるのは、ツイッタ-の持つ軽やかさ、自由な連想のポテンシャルである。後者は、TLが刻印された公的な歴史的文脈と、私的な出来事の文脈へと従属させてしまう。千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』(河出書房新社)は

    nebokegao
    nebokegao 2014/07/25
    「ツイッターは、生成変化の中間において仮固定された思索がとびとびに並ぶ、非連続性のメディアである。」
  • REALKYOTO – CULTURAL SEARCH ENGINE » 浅田 彰×黒瀬陽平「ポストモダン・ジャパンの行方――意見交換」[第3ラウンド]1

    僕の思いつきの疑問に対する丁寧な返答に感謝します。黒瀬さんがきちんとものを考えてアート活動を展開していることがこれで一般の読者に伝わるとすれば、それだけでも意味があるでしょう。 黒瀬さんの返答に対し、さらに疑問を重ねる必要はないようにも思うのですが、いくつかの点だけ再確認しておきます。 1.クールベ 久松知子が、クールベの《オルナンの埋葬》に基づく作品に続き、《画家のアトリエ》に基づく作品を制作中だと知って、期待を抱かされました。黒瀬さんがそれを論じるかどうかは別として、期待して待ちたいと思います(ひとつだけ言っておけば、クールベについては、マイケル・フリードのフォーマリスティックな分析のみならず、T.J.クラークの歴史的研究も押さえておくべきでしょう。両者がきちんと読まれるべきだというのが『批評空間 別冊特集 モダニズムのハード・コア』のメッセージの一つだったのですが、クラークの主要著書