現在の三重県の成立経緯。特に、もともと紀伊国であった東牟婁郡が、和歌山県ではなく三重県となった経緯。 過去、聞いた話では、ほかの県と面積を釣り合う形にするために伊勢国に取り込んだという説を聞いたことがあるが、そうした資料はあるのか。 また、かつて東牟婁郡の和歌山県編入運動は存在したのか。 現在の三重県の設立経緯は、『三重県の歴史』(山川出版社 2000)p.2に、「三重県は、伊勢国のうち阿濃郡以北の八郡と伊賀国を管轄する三重県(県庁所在地、当初三重郡四日市、明治6(1873)年、津へ移転)、それに紀伊国牟婁郡の東半分、伊勢国一志郡以南の五郡、志摩国を管轄した度会県が明治9年4月、府県統廃合により合併、成立した。県名は旧三重県名を継承し、県庁所在地も同じく津におかれた。」とありました。 紀伊国牟婁郡の一部が三重県となった経緯については、鵜殿村村史編さん委員会/編集『鵜殿村史 通史編』(鵜殿村