鳥取県埋蔵文化財センターは30日、8世紀後半の山陰道と条里制遺構が見つかっている国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町青谷)で、標識として使う■(片の右に傍のツクリ)示(ぼうじ)木簡が出土したと発表した。条里区割りが計画的に施工されていたことを示し、官道周辺の土地利用を考える上で貴重で珍しい発見という。 木簡は長さ18・5センチ、幅2・1センチ、厚さ0・8センチで樹種は不明。■(片の右に傍のツクリ)示木簡としては小ぶりで、杭(くい)に結びつけて使ったらしい。 赤外線撮影の結果、「自此西方十二…不可取之(これより西方十二…これを取るべからず)」と墨書してあった。判読不能の文字は地名か人名、作物の名前らしく、立ち入りを規制するための標識として掲示したとみられる。数字は、区割りの基準があったことを示すという。 木簡は、条里制の畦(あぜ)(幅約2メートル、高さ0・5メートル)から出土した。同遺
中国地方最古の文書木簡 鳥取、役所の連絡用 鳥取市の良田平田遺跡から出土した、中国地方で最古の「文書木簡」。右が表(鳥取県教育文化財団提供) 鳥取市の良田平田遺跡で昨年10月に出土した木簡が、7世紀末~8世紀初め(飛鳥時代末)に役所間の行政連絡に使われた「文書木簡」で、中国地方では最古のものと分かり、4日、鳥取県教育文化財団が発表した。 木簡は途中で折れていたが、長さ約19センチ、幅2・5センチ。表に「御前□白寵命」(□は不明)、裏に「使孔王部直万呂午時」と記されていた。 「御前に謹みて白す」の書式は、大宝律令(701年)によって公文書の様式が整えられる前の7世紀末~8世紀初めに多用されたもので、口頭伝達を文書化したものという。
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