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10cに関するshig-iのブックマーク (33)

  • 横手・陣館遺跡 記号が墨書 土器出土 : 秋田 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    出土した二つの須恵器(手前)と土師器。左の須恵器には凡の字を横にしたような墨書があり、右の須恵器にも同じ墨書が残っている(横手市の陣館遺跡で) 横手市金沢中野の金沢柵推定地「陣館遺跡」から、後三年合戦(1083~87年)から150年以上前の10世紀前半のものとみられる土器が出土し、県内では前例のない記号が墨書されていたと、横手市教育委員会が発表した。発掘担当者は「10世紀頃には有力者がいる重要な場所だったことが証明された」として、清原氏の軍事拠点だった金沢柵の特定につながる発見とみている。 同市教委は、昨年10月に内耳鉄器が見つかった場所から約100メートル離れた山すそで、今年10月初旬から発掘調査を開始。同下旬、地表から3層目の地層で土器を見つけた。 灰色の須恵器の中に、割れた肌色の土師器(はじき)が重ねられた状態で二つ並んであり、須恵器の側面に、「凡」の字を横にしたような墨書が施されて

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    shig-i 2011/12/08
    「灰色の須恵器の中に、割れた肌色の土師器(はじき)が重ねられた状態で二つ並んであり、須恵器の側面に、「凡」の字を横にしたような墨書が施されていた」
  • 契丹文字:ロシアとモンゴルで冊子と石碑発見 解読に期待 - 毎日jp(毎日新聞)

    中国北方に10世紀にできた遼王朝で使われた「契丹(きったん)文字」の冊子と石碑がロシアとモンゴルで相次いで見つかったと中国や大谷大(京都市)の研究者が30日、東京都内で発表した。契丹文字は多くが未解明。「冊子が見つかったのは初めて」としており、解読への期待が高まっている。 発表した松川節大谷大教授らによると、契丹文字は漢字を参考にしたとされる「大字」と、これとは別の「小字」があり、今回の史料はいずれも大字で書かれていた。 冊子は、ロシア科学アカデミーの研究所の図書館に保管されていたが、中国社会科学院の孫伯君研究員が契丹文字だと指摘した。麻紙に記され、全部で80ページほど。1ページに6行、1行20字程度あった。 松川教授らのグループは、モンゴルのゴビ砂漠に立つ石碑(高さ約180センチ)が契丹文字で記されているのを昨年、発見した。文字は縦書きで7行、150字ほどあった。墓誌以外の碑文に記されて

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    shig-i 2011/10/01
    「「契丹(きったん)文字」の冊子と石碑がロシアとモンゴルで相次いで見つかったと中国や大谷大(京都市)の研究者が30日、東京都内で発表」
  • asahi.com : 平安時代の銅印出土、氏族の認め印か 草津・中畑遺跡 - マイタウン滋賀

    草津市教委は9日、同市西矢倉2丁目の中畑遺跡で、平安時代(10世紀)のものとみられる銅印が出土したと発表した。銅印はこれまで県内で6点見つかっているが、草津市内での出土は初めて。集落にかかわりがある氏族の私印とみられ、矢倉から追分地域に広がる古代の集落の様子を知るうえで貴重な資料になるという。 中畑遺跡は市の東南部にある古墳時代(5世紀末)〜鎌倉時代(13世紀)の集落跡。宅地開発に伴い今年5月から6千平方メートルを対象に調査していた。 見つかった銅印は縦3.4センチ、横3.3センチの方形で、高さ3.9センチ、重さ44グラム。深さ1メートルほどの穴から見つかった。印台の形状などから平安時代のものと推定。印面には漢字1文字が刻まれており、「永」の文字の可能性が高いという。持ち主の氏族の姓名から1字を取ったとみられる。 市教委文化財保護課の谷口智樹課長は「周辺で役所だったとみられる大規模な遺構が

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    shig-i 2010/11/12
    同市西矢倉2丁目の中畑遺跡で、平安時代(10世紀)のものとみられる銅印が出土したと発表した
  • 信太入子ノ台遺跡:土器に「志太」の文字 平安時代の2点出土--美浦村 /茨城 - 毎日jp(毎日新聞)

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    shig-i 2010/04/25
    「信太入子ノ台(しだいりこのだい)遺跡」
  • 河北新報 東北のニュース/漆紙文書に墨で「戸頭」 多賀城・山王遺跡から出土

    宮城県多賀城市教委は28日、国特別史跡多賀城跡の南西に広がる同市の山王遺跡から、城外の幹線道路「東西大路」に平行する平安時代の道路跡や、同時代の漆紙文書などが見つかったと発表した。漆紙文書からは戸籍の筆頭者に当たる「戸頭」の文字も確認され、市教委は「国府として数多くの行政文書を扱った多賀城の性格を知る上で重要な発見」としている。  調査区は、同市山王毛上の約700平方メートル。山王地区公民館の体育館建て替え工事に伴う昨年10月からの調査で、東西大路の北120―130メートルに位置する「北1東西道路跡」(道幅約2.5メートル)を発掘した。漆紙文書は、道路跡北側のごみ捨て用の穴から7点が見つかった。  市教委によると、漆紙文書は10世紀の前半から中ごろのものとみられる。墨の跡が確認できた文書は「丈部田主(はせつかべのたぬし)」といった人名と、その人物の戸籍の筆頭者を表す「戸頭」の字が見られ、何

    shig-i
    shig-i 2009/05/30
    「墨の跡が確認できた文書は「丈部田主(はせつかべのたぬし)」といった人名と、その人物の戸籍の筆頭者を表す「戸頭」の字が見られ、何らかの行政文書だった可能性を」
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

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    shig-i 2009/03/01
    「立命館大の学生でつくる考古学研究会の調査で分かった。仏堂や僧坊などが立ち並ぶ大規模な山林寺院だった可能性があるという」
  • 吉川弘文館 歴史と古典 第10冊

    歴史を知れば、古典が見えてくる! 古典を知れば、歴史が見えてくる! 豊かな世界を知るための、水先案内人、登場。 歴史と古典 全10冊  大好評刊行中! 【企画編集委員】 小峯和明・古橋信孝・川合 康 四六判・上製・カバー装・平均280頁予定 予価=各巻2940円(税込) 毎月1冊刊行中 『内容案内』送呈 時代を超えて読みつがれ、いまなお輝きを放つ数多くの「古典」。 その歴史的背景や言葉の意味などを理解するための格好のガイドブック。 歴史・美術史、文学など多彩な視点から、その魅力と時代を読み解き、 後の時代に与えた影響と文化の連鎖を明らかにする。 古典を歴史の実像の中に正確に位置づけ、豊かな古典の世界に新しい可能性を切り拓く。 万葉集を読む 古橋信孝編  四六判・304頁・原色口絵4頁 定価2940円(税込) 978-4-642-07153-6 日に現存する最古の

    shig-i
    shig-i 2009/02/12
    「将門記を読む」
  • asahi.com(朝日新聞社):極楽往生の願いくっきり 平等院の仏後壁画、詳細判明 - 社会

    仏後壁画には、高貴な人が身につける赤い「冕冠(べんかん)」をかぶった男性らが描かれていた。釈迦の元へ供養に訪れた様子という=平等院提供近赤外線カメラの撮影で、釈迦の元を訪れる人々の行列(左向きの男性ら)の周囲から下書きの線が浮かんだ=平等院提供平等院鳳凰堂の尊・阿弥陀如来坐像の背後にあるのが仏後壁画=京都府宇治市の平等院  平等院鳳凰(ほうおう)堂(京都府宇治市)の尊・阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)の背後にある仏後壁画に、成仏を主題にしたインドの仏教説話が描かれていたと、平等院が23日発表した。表面は劣化が激しく、近赤外線カメラなどを使用して詳細な図柄がわかったことから判断した。極楽往生を願い、1053年に鳳凰堂を建てた藤原頼通の指示で制作された可能性があるという。  鳳凰堂にある扉絵や壁画計14面は1972年に一括して国宝指定されたが、仏後壁画(縦3.4メートル、横3.7メー

  • 木簡:国内最古 地名示す「字」 岩手で発見 - 毎日jp(毎日新聞)

    地名を示す「字(あざ)」を記した国内最古の木簡が岩手県奥州市前沢区の道上(どうのうえ)遺跡で見つかった。20日発表した県埋蔵文化財センターによると、木簡は平安時代中期の10世紀のものとみられる。「字」は、古代の土地制度である条里制から生まれた土地の区画を表すもので、これまでに確認されたのは紙への記述で近畿地方が大半。この時代に東北でも課税などの土地支配が行われていた可能性があるという。 木簡は長さ約46センチ、直径約4センチの棒状。墨で縦書きに6列、「禁制田参段之事 字垂楊池」(3段=30アール=の田に関する禁止事項。田は字垂楊<たれやなぎ>池の)などと記されていた。文面から、地元の農民とみられる「公子廣守丸(きみこのひろもりまろ)」が平安京の貴族に寄進した田んぼだとして、部外者が勝手に耕すことを禁じ、掲示していたとみられる。 禁止事項を記した「禁制木簡」は、兵庫県豊岡市の袴狭(はかざ)遺

    shig-i
    shig-i 2009/01/21
    禁制木簡
  • 筑前宝塔院跡?含む山林を天台宗が買い取り、保全へ : 地域版 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    太宰府市と筑紫野市にまたがる宝満山(標高約830メートル)にある「筑前宝塔院跡」とみられる遺構を含む山林を、天台宗(総山=滋賀県大津市)が買い取り、保全計画を進めていることが9日、分かった。遺構は太宰府市の調査で出土し、天台宗の開祖・最澄が建てようとした「六所宝塔」の一つの可能性が出ていた。六所宝塔のうち、所在地とみられる場所が分かっているのは全国でも宝満山だけで、関係者は「山の価値が一層、高まる」と歓迎している。 筑前宝塔院は「西の宝塔院」とも呼ばれ、最澄が国家の平穏を願い、比叡山と全国の東西南北の計6か所に建てようとした六所宝塔の一つ。 遺構は登山道の入り口付近から直線距離で約650メートルの所にある。同市の発掘調査で昨年3月、約8メートル四方の建物跡の礎石や、10世紀前後の金銅製の仏像(高さ12センチ)が出土。「宝満山では933年に(宝塔が)建てられた」と書かれた文献も残っているこ

  • asahi.com(朝日新聞社):最古の三間社流造か 平安前期の神社本殿跡、滋賀で出土 - 文化

    最古の三間社流造か 平安前期の神社殿跡、滋賀で出土2008年10月2日6時33分印刷ソーシャルブックマーク 三間社流造の神社殿跡とみられる建物跡。奥が殿、手前が庇部分の柱穴=滋賀県東近江市発見された三間社流造の神社殿跡の想像図=大上直樹・大阪人間科学大准教授作製 滋賀県東近江市の金貝(かなかい)遺跡で、平安時代前期(9〜10世紀)に建てられた三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の神社殿とみられる建物跡が見つかった。滋賀県文化財保護協会が1日発表した。正面の庇(ひさし)部分が長い流造の殿は全国で見られる一般的な神社建築の様式で、今回の殿跡はこれまで確認された中で最古という。 直径約50〜95センチの柱穴が計16カ所見つかった。柱穴の出土状況から約3メートルの庇を持ち、正面に4の柱が並ぶ三間社流造と判断した。幅約6メートル、奥行き約7メートルの掘っ立て柱の建物で、階段とみ

  • 古代の「郡総合中核施設」か 奈文研が木簡再解読 浜松・伊場遺跡群 - 産経関西

    shig-i
    shig-i 2008/07/12
    「遺跡群を「郡の総合中核施設」と総括。」
  • http://mainichi.jp/area/tokushima/news/20080419ddlk36040505000c.html