元木 泰雄さん(もとき・やすお=京都大名誉教授、日本中世史)9日午前8時4分、京都府内の病院で死去した。69歳。兵庫県西宮市出身。自宅は非…
元木 泰雄さん(もとき・やすお=京都大名誉教授、日本中世史)9日午前8時4分、京都府内の病院で死去した。69歳。兵庫県西宮市出身。自宅は非…
坂田さとこさん(63)は、美術工芸品を修理する「装潢師(そうこうし)」として250件以上の修理に携わってきた。夫と開いた大津市小野の文化財修理工房は今年で創業34年を迎え、工房の社長を務める。 大津市の園城寺(三井寺)が所蔵し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録された智証大師円珍関係文書典籍の修理を昨年から手がける。「文化財に宿る先人の息吹を消さず、伝統的な素材で100年先へ受け継いでいく」と仕事への覚悟を語る。 岐阜県中津川市出身。高校では油絵に熱中した。絵に関わる仕事に就きたかったが「女が絵で食べるのは難しい」と父の反対を受け、2年間の条件つきで、芸術系の短大に進学。卒業後は京表具の工房に就職した。 女性がいない世界で、肌着で働く男性に混じり、懸命に働いた。掃除の時には床に落ちた紙を拾い、先輩がどんな時にどの厚さの紙を使うのか、家で研究した。 1989年、工房の先輩
平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった
国際日本文化研究センター(京都市西京区)の助教だった呉座勇一氏が会員制交流サイト(SNS)上で不適切な発言を繰り返していた問題で、人事権を持つ人間文化研究機構(東京)が停職1カ月の懲戒処分を行っていたことが、20日までにわかった。処分は9月13日付。 呉座氏は、ベストセラー「応仁の乱」などで知られる若手研究者。公開範囲を限定した個人のツイッターアカウントで、別機関に所属するフェミニズム研究者の女性をおとしめるような投稿を長期にわたって続けていたことが3月に発覚し、来年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代考証担当を降板していた。10月から日文研の非常勤の機関研究員となっている。 日文研の井上章一所長は「被害を受けられた方々、また不快な思いを抱かれた方々に対し、改めて心よりお詫び申し上げます」などとするコメントをホームページ上に掲載した。
経典の中の差別語問題 真宗大谷派が謝罪 書き換えられない文言、問われる解決のかたち 2021年9月18日 19:20 真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の僧侶、門徒でつくる議決機関・宗会が、約100年前から差別語であると批判されてきた経典の文言「是旃陀羅(ぜせんだら)」について、改善を誓う決議を全会一致で行った。文言を解説する際、日本で差別を受けてきた人たちに例えてきた歴史についても謝罪した。だが釈迦(しゃか)の言葉である経典は書き換えられず、時代とともに人権意識が変わる中、難しい決断を迫られている。 是旃陀羅は、仏教の経典の一つ「観無量寿経(観経)」にある一節。観無量寿経は浄土真宗などで重要な経典とされてきた。旃陀羅は古代インドの被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本の被差別身分に例えて説明されていたとみられる。1922年の全国水平社結成以来、差別を助長すると指摘さ
清水寺(京都市東山区)は7日、中近世の天皇や足利尊氏、豊臣秀吉の関連文書が古文書の整理調査で見つかったと発表した。新出資料となる天皇の綸旨15点は、中興の祖・願阿弥ら勧進僧が戦乱で荒れた伽藍復興に寄与し、寺院に定着してゆくさまを示す。 200点近くあった文書群には、京における鉄砲の使用時期を示す三好長慶の禁制のほか、厚い観音信仰で知られた尊氏による土地の寄進状、秀吉が母の病気回復への返礼をつづった書状といった多数の原本が含まれていた。
平安時代の貴族邸宅の庭池跡で見つかった人面墨書土器。鬼門除け遺物の最古例の可能性もある(京都市中京区) 平安時代中期ごろ、貴族邸宅の寝殿造(しんでんづくり)があった京都市中京区の発掘調査で、「鬼門除(よ)け」のためとみられる人面墨書土器が見つかった。 鬼門は、陰陽(おんみょう)道で鬼が出入りするとされる北東の方角で、古来、家を造る時などはこの方角に魔除(まよ)けを配してきた。今回見つかったのは、人の顔を描いた平皿で、作庭の禁忌を避ける祭祀(さいし)遺物の可能性がある。専門家は「現代の京都のまちに伝わる鬼門除けの最も古い考古的実例ではないか」と指摘している。 調査した民間会社によると、太政大臣・藤原実頼(さねより)が「小野宮」を再開発した際、敷地北東側に当たる庭池の景石そばに埋めたとみられる。
無数のお札が貼られている「縁切り縁結び碑」。中には、東京五輪中止を願うお札もあった(京都市東山区・安井金比羅宮) 悪縁を切り、良縁を結ぶ神様として知られる安井金比羅宮(京都市東山区)の境内の碑に、「『オリンピックやめろ』と書かれた形代(かたしろ)(※お札)が貼られている」と、インターネット上で話題になっている。 安井金比羅宮の境内には、幅3メートル、高さ1・5メートルほどの「縁切り縁結び碑(いし)」があり、さまざまな願いが書かれたお札がびっしりと貼られている。話題に火をつけたのは、今月15日にツイッターに投稿された「『JOC解体』『オリンピックやめろ』の形代が貼られており、崇徳天皇がどう出るかかなり注目している」との書き込みとみられ、投稿から2日でリツイート数は1万7千件、「いいね」は2万9千件を超えている。 記者が17日正午ごろに訪ねると、「今回のオリンピックやっぱり中止でお願いします」
7日午前7時ごろ、京都市上京区七本松通仁和寺街道上ルの日蓮宗本山・立本(りゅうほん)寺で、刹堂(せつどう)に安置されていた仏像「月天子(がってんじ)」がなくなっているのを参拝者が見つけた。京都府警上京署が窃盗事件として捜査している。 同署によると、盗まれた仏像は木造で高さ50センチ、数百年前から同寺にあるとされる。同寺に住む貫首の男性(80)らが毎日、刹堂でお勤めしており、6日午前7時ごろには安置されているのを確認していた。閉門した後も、敷地内への出入りは可能だったという。 貫首の男性によると、刹堂には、月天子像以外にも複数の仏像があったが無事だった。「盗難にショックを受けている。あってはならないことだ」と話した。
震災2カ月後にシンガー・ソングライターの七尾旅人さん(中央)らと被災地の福島県南相馬市を訪れたレイ・ハラカミさん(左端)=撮影・梅原渉 東日本大震災・東京電力福島第1原発事故から約4カ月後に40歳で急逝した京都の電子音楽家、レイ・ハラカミさんは「被爆2世」だった。「宿命」を背負う者として被災地に特別な思いを寄せていた。「震災が起きてから、彼の気持ちがかなり疲弊していく様子が感じられたので、これは何とかしなくちゃいけないと、京都まで会いに行ったんですよ」。米ニューヨークに住むシンガー・ソングライターの矢野顕子さんは取材に対し、ハラカミさんと最後に会った時のことを明かした。(THE KYOTO 樺山聡) ■「yanokami」で制作のさなか ハラカミさんの音楽を「世界遺産」と高く評価する矢野さんは、ハラカミさんと2人組のユニット「yanokami」(やのかみ)を結成していた。京都とニューヨーク
醍醐寺(真言宗醍醐派総本山・京都市伏見区)は1日、京都市内の人工衛星開発企業と協力して宇宙に寺院を開くための実行委員会を発足した、と発表した。2023年に打ち上げ予定の人工衛星に寺の機能を持たせることを目指す。 醍醐寺によると、地域や国の枠を超えた目線で平和や安全を祈る寺院の必要性を感じていたといい、寺の名称は「浄天院劫蘊(ごううん)寺」と名付けた。「劫」「蘊」ともに仏教上の言葉。大きな時間の流れや、人間の存在を形成する要素を意味するという。 2年後に打ち上げ予定の衛星には本尊や曼荼羅(まんだら)など仏教の教えを象徴するものを搭載し、地球から祈る人たちの心のよりどころとする。8日に宇宙の平和と安全を祈る「宇宙法要」を初めて行い、今後も定期的に実施予定。醍醐寺の仲田順英総務部長は「打ち上げ後は宇宙からの画像を見ながら法要を執り行うなど、人工衛星を活用した祈りの世界を具現化したい」と話している
京都の文化遺産の保護、継承を通じて新しい文化の創造に取り組む「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」は20日、平安京の正面玄関だった「羅城門」の再建を目指す「よみがえる羅城門」プロジェクトの基本構想を公表した。 同団体の松浦晃一郎会長(元ユネスコ事務局長)や呼びかけ人の千玄室・茶道裏千家前家元らが東京都内で記者会見して説明した。 原寸大の木造伝統工法で再建し、合わせて平安京文化の学習施設も整備すべき、としている。再建する場所や建設費用・期間など具体的な事業内容を決めるには、実行組織を新たに必要とするといい、個人や企業、団体に協力を呼びかける。 同団体は2010年から「歴史的建造物の復元」として羅城門の再建を研究。10分の1模型をJR京都駅前に展示するなどしてきた。 松浦氏らは「羅城門は人々を疫病や戦火から守るために建立され、大風で倒れた後も能や謡曲、浮世絵や小説などに描かれ、人々の心の中に
滋賀県近江八幡市の長命寺など滋賀県内3寺院が所有し、県立安土城考古博物館が収蔵する掛け軸や経典など160点に白カビが発生していたことが26日までに分かった。同市指定文化財の絵画も3点あった。昨年7月にカビが見つかったが、同館と県、市は「所有者が非公表を希望しているため」として公表していなかった。 160点は約10~20年前に3寺院から寄託され、収蔵庫で保管し、多くは木箱に入れていた。昨年、市職員が収蔵品の写真撮影に訪れた際に、カビの発生が分かった。市指定文化財のうち2点の絵画は小さなカビが点状に付着し、1点は菌糸が確認された。このほか画面の7割がカビに覆われ、かすんだような絵もあった。 同館は業者に委託して月に1回、収蔵庫内の菌の量を確認するモニタリング作業を行っていたが、数値上は問題がなかった。ただ約3万点の収蔵品があり、目視による点検はできていなかったという。同館は3寺院に謝罪した。
椿井文書を模写したとされる「笠置山之城元弘戦全図」。椿井文書が山城地域に波紋を広げている(京田辺市田辺・中央公民館) 京都府山城地域の自治体史に数多く引用されてきた史料「椿井文書(つばいもんじょ)」を偽文書と指摘する新書が先頃出版され、地元の歴史関係者らに波紋を広げている。たった1人の男が質の高い偽文書を大量に作り出した手法などを明らかにしており、特に関わりの深い山城地域では定説が覆りかねないためだ。郷土史が再検証を迫られるだけでなく、「日本最大級の偽文書」の作者かもしれない男の人物像にも注目が集まる可能性がある。 椿井文書は、山城国相楽郡椿井村(現木津川市)の有力農民、椿井政隆(1770~1837年)が制作した文書の総称。椿井は山城や近江、河内、大和などで、武家につながる家系だと示したい豪農や山の支配権争いなどに関わり、歴史的な正当性を与えるために多くの文書を創作したとされる。 以前から
京大、教授会議事録を閲覧制限 学部史編集委員の教授に 「隠蔽体質が背景」と教授 2020年3月15日 10:00 京都大教育学研究科の教授らが教育学部70年史を編纂(へんさん)する際、教授会議事録の閲覧を大幅に制限されていたことが14日、京都新聞社の取材で分かった。編集委員の教授らは議事録の保管場所に入れず、事前に必要な資料を指定した上で事務方から公開を受けた。編集に当たった教授は「事実上、閲覧できなかった。教授がなぜ教授会議事録を自由に見られないのか」と困惑する。事務担当者は「必要に応じ適切に教員へ議事録を開示した」とする。 「資料に見る京都大学教育学部の70年」は、教育学部の創設70年に合わせて2019年5月に発行。編集開始時は、同研究科の駒込武教授や南部広孝教授ら4人でつくる編集委員会が作業に当たった。 両教授によると当初は議事録の保管場所へ入れたが18年7月になって、事務担当者らか
第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通…
ブライアン・メイさんが天文台訪問 ロックバンド「クイーン」ギタリスト、望遠鏡架台にサイン 2020年1月27日 19:59 サインをした45センチ屈折望遠鏡の前で記念撮影するブライアン・メイさん(中央)=27日午後7時4分、京都市山科区・京都大理学研究科付属花山天文台 英ロックバンド「クイーン」のギタリストで天体物理学者のブライアン・メイさんが27日、京都市山科区の京都大理学研究科付属花山天文台を訪問した。90年の歴史がありながら資金難で存続が危ぶまれる同天文台。メイさんは応援を約束し、本館の45センチ屈折望遠鏡の架台にサインと共に「FOREVER(永久に)」とメッセージを寄せた。 同天文台の存続に取り組む前台長の柴田一成教授が昨年9月ごろから来訪を打診。メイさんはライブツアーのため来日中で、この日はプライベートで訪れ、本館や別館を見て回った。 見学後、取材に応じたメイさんは自身の研究分野
202人が1世紀前に共同登記したままの空き家。大正期の選挙権獲得運動との関わりが浮上する(京都市北区紫野) 京都市北区紫野に、1919(大正8)年の202人が登記簿上、今も所有者になったままの空き家がある。子孫の一部は処分を検討するが、202人の子どもや配偶者ら法定相続人は千人単位に膨らんでいるとみられ、「全員の同意を得るのは不可能」と途方に暮れる。1世紀前の共同登記の背景には、大正デモクラシー期の選挙権獲得運動との関わりが浮かぶ。 空き家は「青年会館」と呼ばれ、土地とともに地元の青年団員らが資金を出し合って取得したとされる。土地と建物で計22枚の登記簿によると、土地約100平方メートルに延べ床約100平方メートルの木造2階建て。相続登記はこれまで行われておらず、現在の相続人の正確な人数や住所は不明だ。 会館は、大正~昭和前期に、青年団員らによって弁論やボランティアの活動拠点として使われた
みかわ・けい 1957年生まれ。専門は日本中世史。摂南大教授などを経て現職。冷泉家時雨亭文庫の調査に携わる。主な著書に「公卿会議」(中公新書)「後三条天皇」(山川出版社)など。 つい最近新聞の一面を飾った「定家本・源氏物語『若紫』の発見」。所蔵者から冷泉家に持ち込まれ、長く定家本系統の源氏物語を追い求めてこられた藤本孝一氏(冷泉家時雨亭文庫調査主任)の鑑定がなされたことも感慨深い。というのも、私は大学院生時代、藤本氏のもとで、調査員として冷泉家に出入りをさせていただいていたからである。 今回、最初に目に飛び込んできた『若紫』写本の特徴ある字体は、私が冷泉家でなじんできた定家自筆本『明月記』(藤原定家日記原本、国宝)の字体とうり二つであった。 定家の字体は、後世「定家様」と呼ばれ、書道の世界で尊ばれるようになった。それは、従来の平安時代の流麗な文字とは違う、ごつごつした独特なものである。定家
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