街に縦横無尽に走る電線は美的景観を損ねるものと忌み嫌われ、誰しもが地中化されスッキリと見通しのよい青空広がる街並みに憧れを抱くことは否めません。しかし、そうした雑然感は私たちにとっては幼いころから慣れ親しんだ故郷や都市の飾らない、そのままの風景であり、ノスタルジーと共に刻み込まれている景観でありましょう。 この展覧会は明治初期から現代に至るまでの電線、電柱が果たした役割と各時代ごとに絵画化された作品の意図を検証し、読み解いていこうとするものです。 文明開化の誇り高き象徴である電信柱を堂々、画面中央に据える小林清親、東京が拡大していく証として電柱を描いた岸田劉生、モダン都市のシンボルとしてキャンバスに架線を走らせる小絲源太郎、電線と架線の交差に幻想を見出した“ミスター電線風景”朝井閑右衛門。一方で、日本古来よりの陶磁器産業から生まれた碍子(がいし)には造形美を発見することができます。 電線、
日本の家庭に入った第一号ミシンは、ジョン万次郎の母親への土産物だった。そして1920年頃までには、アメリカのシンガーミシンが無敵の存在になる。独特の販売システムを確立し、割賦制度も浸透させた。 太平洋戦争は「もんぺ」をきっかけに、洋装への移行を一気に加速させた。そして戦後になると、「内職」にミシンを「踏む」女たちの意識は、1950-60年代以降の「中流意識」の膨張に連動していく。ミシンはこの多種多様な「近代」という経験を、すべて見ていた。 一つの「モノ」に即して、消費者の側から、経済・社会・文化を語る画期的な歴史。 日本語版への序文 はじめに 序論 第一部 日本におけるシンガー 1 明治期のミシン 2 アメリカ式販売法 3 近代的生活を販売し消費する 4 ヤンキー資本主義に抵抗する 第二部 近代性を縫う——戦時と平和時 5 銃後の兵器(ウォー・マシーン) 6 機械製の不死鳥 7 ドレスメー
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