6〜8世紀の飛鳥、奈良時代の寺院や宮殿の築造年代について、発掘調査でしばしば出土する石組みの排水路「雨落溝(あまおちみぞ)」の構造変化から導き出すユニークな推定方法を、奈良文化財研究所研究員が提唱した。年代が新しくなるにつれて雨落溝の石列数が減ることに着目。築造年代が謎とされてきた奈良県明日香村の川原(かわら)寺は、7世紀中ごろと推定されるという。 建物の創建年代については、土器の形の変化や建築様式などをもとに絞り込むのが一般的で、雨落溝による推定はこれまで考えられていなかった。 奈文研の青木敬研究員(35)が、明日香村の石神遺跡の発掘を担当した際、屋根からの雨水を処理する雨落溝の幅が他の遺跡と比べて広いことに気づき、奈良県の古代建造物を中心に雨落溝の形態を比較した。 その結果、雨落溝の底石の列数が、6世紀末の飛鳥寺中金堂(明日香村)で5列▽7世紀中ごろの石神遺跡が4列▽7世紀後半の飛鳥浄