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2011年5月22日のブックマーク (5件)

  • 東日本大震災:「権利の基」救おう 公文書復元作業 釜石 - 毎日jp(毎日新聞)

    津波で海水に浸かった公文書などを乾燥させて、泥を一つ一つ刷毛で落としていく作業が続く=岩手県釜石市の旧釜石第一中学校で2011年5月13日、三浦博之撮影 津波で海水につかった岩手県釜石市の公文書を元通りにしようと、同市の旧釜石第一中学校の空き教室で、文書についた泥をはけで取り除くなどの作業が行われている。 釜石市役所は地下1階の書庫に保管されていた段ボール1000箱分の文書が水没。歴史資料の保存活動をしている「人間文化研究機構国文学研究資料館」の職員らが地道な復元作業を続けている。06年7月の豪雨で水没した公文書を復元させた経験を持つ熊県天草市も、職員2人を派遣。天草市の多康二・歴史民俗資料館管理係長(51)は「公文書は市民の権利を守り、文化を作り上げる基となる財産。何とか救いたい」と話した。【三浦博之】

  • 神戸新聞|文化|文化財レスキュー、足りぬ人材と費用 宮城

    水損した美術品を石巻文化センターから宮城県美術館に移し、応急処置する文化財レスキューのメンバーら=仙台市青葉区、宮城県美術館(田中千秋さん提供) 東日大震災で損傷した美術品などを保全する文化庁などの「文化財レスキュー事業」が、宮城県内で格的に動き出した。阪神・淡路大震災で始まった事業で、今回も兵庫県から絵画修復の専門家らが参加しているが、被害規模の大きさに対し、人材と予算が圧倒的に不足しているのが現状だ。学芸員らの多くはボランティアで活動しており、「地域の文化を守り、復興に生かすため、長期的に続けたいのだが」との声も上がる。(仲井雅史) 文化財レスキューは1995年2月、阪神・淡路で被災した美術品や古文書、写真などの保全を目的に、文化庁や兵庫県教委、地元の研究者らが結成。国費などを投入し、芦屋市にあった写真家・中山岩太のスタジオからガラス乾板などを搬出、再生し2カ月後に解散した。災害時

  • お知らせ

    歴史学研究会委員会は下記の総会決議案を来る2011年5月20日の歴史学研究会総会に提案します。会員各位には総会討議にふるってご参加ください。ま た、下記のアドレスにてコメント・ご意見を受け付けますのでどうぞふるってお寄せください。 意見集約アドレス:rekiken@mbk.nifty.com 総会決議案:http://rekiken.jp/hssj2011resolution_draftproposal.pdf (以下、PDFファイルと同一内容です) 2011年度歴史学研究会総会決議(案) 3・11後の歴史学関係者の責務 2011年3月11日に発生した東日大震災と大津波、またそれに引き続く東京電力福島第一原子力発電所における事故は、かつてなく深刻な事態を引き起こ している。無数の生命が失われ、生活が破壊された。歴史学研究会は、犠牲者の方々に対して心から深い哀悼の意を表するとと

    shig-i
    shig-i 2011/05/22
    具体的な動きにつながれば
  • 14世紀に東南海・南海地震連動…伊勢神宮史料 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    14世紀に起きた大地震「正平(しょうへい)南海地震」が、東南海地震と連動していたことを裏付ける記述を、三重県地震対策室の奥野真行さん(39)が、三重県・伊勢神宮の史料から発見した。 伊勢神宮の外宮(げくう)正殿で柱が倒れたと被害の状況が記されており、震度6弱以上の揺れが起きたと推定される。 同神宮は東南海地震の想定震源域内にあることから、これまではっきりしていなかった「連動」の根拠として注目されそうだ。研究成果は、22日から千葉市で始まる日地球惑星科学連合大会で発表する。 奥野さんは、伊勢神宮関連の記録文書「神宮文書」で、1361年(正平16年)8月3日付の書状に、「依去六月地震、心御柱(しんのみはしら)傾倚、御束柱(つかばしら)顛倒」とあるのを見つけた。6月の地震で外宮正殿の建物の中心に置かれた「心御柱」という柱が傾き、高床式の床下の柱である「束柱」が倒れたという記述だ。この規模の被害

    shig-i
    shig-i 2011/05/22
    「伊勢神宮の外宮正殿で柱が倒れたと被害の状況が記されており、震度6弱以上の揺れが起きたと推定される。」
  • 長門裕之さん死去…ユーモラスで哀感のある演技 : ニュース : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    今村昌平監督の「豚と軍艦」など、映画テレビ、舞台で幅広く活躍し、故南田洋子さんとのおしどり夫婦で知られた俳優の長門裕之(ながと・ひろゆき名・加藤晃夫=かとう・あきお)さんが21日、亡くなった。 77歳だった。自宅は東京都世田谷区赤堤3の27の17。 父は俳優・沢村国太郎さん、母は女優・マキノ智子さん。6歳の時から子役として活動を始め、1943年に映画「無法松の一生」で人力車夫の松五郎にかわいがられる遺児を演じて注目された。 立命館大学を中退して、格的な俳優活動を開始。58年に今村昌平監督の第1作「盗まれた欲情」に出演して以来、今村作品の「にあんちゃん」で炭坑夫、「豚と軍艦」でやくざ役をそれぞれ主演し、ユーモラスで哀感をたたえた演技が高く評価された。 61年には、映画「太陽の季節」で共演した南田さんと結婚。65年から81年まで、フジテレビ音楽番組「ミュージックフェア」の司会に夫婦で