平安京跡から出土した、救済施設「施薬院」と記された木簡。武蔵からサンショウの一種「蜀椒」が1斗届けられたと書かれている。右は文字を見えやすくするため、赤外線を照射して撮影されたもの(京都市埋蔵文化財研究所提供) 京都市南区の平安京跡から、救済施設「施薬院」や「悲田院」と記した9世紀(平安時代)の木簡が見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が2日、発表した。死者の年齢や地方から送られた薬品の原料名などが書かれていた。施設の詳しい実態が分かる木簡の出土は初めてで、平安京研究の一級史料となりそうだ。 施薬院は、聖武天皇の妻・光明皇后が730年、平城京に創設した施設で、病人を治療し貧しい人に薬を配った。現在の病院に近い性格で、平安京にも設置された。 出土した木簡は平安時代前期の17点。うち6点(長さ約9~26センチ)に詳しい記載があった。