サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
aki3nak.hatenablog.com
6月生まれの母は今年満80歳になった。 母自身が80歳の誕生日記念にと近所の行きつけの医院で受けた健康診断で「要精密検査」の紹介状が出た。 隣市の総合病院にて検査の結果「肺がんの疑い」との診断を受けた。この時初めて私は母から話を聞いた。本人を前にして「肺がん」とハッキリ言うんだなと思った。 後日担当医師より詳しい説明があるとの事だったので、父と共に同席させてもらった。 レントゲン、CT画像を並べたパソコン画面を示しながら、医師は淡々と説明をする。 PETCTで全身のガンの有無や転移の具合を調べ、 MRIで脳の中に病片が無いか調べ、 今のところ、左肺の中に3cm程度の腺癌が一つだけあり、転移は無い。 1泊2日で検査入院し、詳しい検査がなされた。 大動脈に広く接している為、外科手術で病片を取り除く事は不可能。 化学放射線療法と抗がん剤治療で病片が小さくなって大動脈から離れる事を願い、この方針で
首の付け根辺りにできものがあった。 背中側なので見る事は出来ないが、触ると膨らんでいた。 最近になり、ひどく痛んだ。 体をひねって鏡で見ると、赤く盛り上がっている。 どうしても痛いので皮膚科へ行くことにした。 自宅から1㎞以内くらいの所にあるその皮膚科、数年前に開院内覧会があり、待合ロビーでプチ演奏会も楽しませてもらった。最新機器を導入し、ほくろやシミ対策等の美容にも対応してくれる。 とにかく患者が多くて待ち時間が長いと聞いていたので、8時前に行って入口の列に並び、8時半に入口が解錠されて院内受付で並んだ順に受付をして5番の整理券を貰って、ロビーのソファで問診票を記入した。 9時の診察開始時には31人が受付を済ませていた。 初めて会う女医先生はハッキリ物を言う人で、段取りや手際も良い方だった。 診察で「粉瘤(ふんりゅう)」の説明を受けた後、隣の処置室で早速処置をされた。 患部は2.5㎝位の
今週のお題「上半期ふりかえり」 黄金週間に娘と娘の彼氏が来た。 その目的は、挨拶。 娘から「結婚しようと思う。彼氏から私達夫婦に正式に挨拶をしに来たいが、いつがいいか」と打診があったのは3月末だった。 彼氏は白シャツにネクタイ姿で車を降りるなり上着を着て、前回にも増して緊張の面持ちでリビングへ。 娘さんと結婚しようと思いますので、お父さんとお母さんにもご了解を得たいと思いまして・・という内容だったと思うが、今となってはハッキリ覚えていない。 主人が「よろしくお願いします」と言い、私も続いて言った。 二人分の客布団セットを購入し用意していた。 初めて2人で我が家に泊まった。 それから1ヵ月経つ頃、両親顔合わせの席が設けられた。 娘と彼氏、彼氏の両親が、彼氏の車で来た。 これまで片道7時間かけて娘一人で運転し帰省していた道のりだった。 2人は午前中仕事をしてからの出発で到着は夜だった為、両親を
最近息子が優しい。 ようやく心を開いてくれるようになったと感じる。 社会に出て2年。大人になったのかもしれない。 私がカミングアウトしたせいもあると思う。 「外出や外食があるのは分かる。行っていい。無事でいることが分かればいい。ただ、本当の事を言って欲しい。父さんが息を吐くように嘘やその場しのぎで誤魔化す人だったから、私は心に闇を持ってしまっている。そのこと自体に私自身が気付いたのが最近の事で」と。 息子は驚いた顔をしていた。 そして 「分かった。でも、明らかに母さんが知らん人だったら言わんよ。『中学の友達』とかってだけ言うね」 以来、休日のお出掛けや夜の会食等、聞けば答えてくれる。 こちらから聞かなければ何も言わないのは、これまでと変わらない。 ある日、上着のポケットから名刺入れを取り出して上着を洗濯に出しながら息子が言った。 「名刺入れ、ちゃんとしたのを貰っててよかった。名刺交換する時
今週のお題「卒業したいもの」 息子とは母親にわざと冷たく当たるものなのか? こちらの質問に小声で答えて聞き取れず、聞き返してうるさがられるのは茶飯事。 今日は2人の休みが合うので、エアコンを買いに付き合ってほしいと先週から頼んでいた。そして朝から支度し、10時近くに「そろそろ出かけよう」と言ったとき、 息子「だりぃ(だるい)。行ってらっしゃい」とこたつに寝転んでゲームをしている。 私 「・・・」恨み節は言葉にならなかった。 暫く無言で息子を見ていたが、ひとりで黙って出かけた。 数日前に電器店を2店下見に行き、私の気持ちはその片方に決まっていた。 行ってみると先日より店頭のラインナップが減っている気がした。 あの時に説明してくれた店員さんが今日も居て、話しかけてきた。 私「先日はお世話になりました。今日は心を決めて来ました」 一度話しているので話は早い。 今日の広告の品で店員さんもお勧めだと
地元の斎場に務めて早1年半になる。 当然だが、知っている人に結構出会った。 先日は私が初めて介護に携わった施設で主任をしていたSさんが、お母様が亡くなり遺族として来場された。 S家のお別れの時には私は他家の収骨を担当していてSさんとは会っていなかった。 S家の火葬が終わり収骨を担当することになり、収骨室前でお迎えした。 私「お待たせいたしました」と下げた頭を上げる前だった。 いきなり右腕を掴まれ、 Sさん「えー!? なんで・・」 私の目を正面から見たその顔は「なんで・・こんな所にいるの?・・」と言っていた。 思い起こせば10年以上前、ハローワークの壁に貼ってあった「介護職員基礎研修」の6か月間の基金訓練を終え、初めて居住地隣市のデイサービスセンターに就職をした。数年間1階の一般デイサービスに勤めた後、2階の認知症専門デイサービスに配置換えになった時にその認知デイで主任をしていた女性だった。
今週のお題「元気を出す方法」 元気が無い時、元気を出すために自ら何かに働きかけるのはしんどい。 最近ふっと顔がほころんだり、心が和んだりする出来事を思い出す事があって、この仕事が嫌だとは思わない。 斎場前に霊柩車が到着し、故人の棺と遺族が降車する。 毛糸の帽子をかぶり、両手に毛糸の手袋をはめた小柄な高齢男性が「よいしょ、よいしょ」と降車し、前のめるように両手を前後に振って小刻みに歩いて告別室に入る。椅子に腰かけるまで転倒しないか気になって見ていた。 炉前で棺の蓋を開けて遺族は故人に最後のお別れをする。 故人が90代の女性で、その男性はご主人と思われた。 お別れを促されてその男性は小刻みに歩いて棺に近づき、棺の端に毛糸の手袋をはめた両手をかけて背中を伸ばし、棺の中を覗き込んで言った。 「おかあさん、かわいい!」 その一言で一気に場の空気が和んだ。 「おかあさん、おかあさん、天国で会おうね」
改葬(かいそう)とは、お墓の引っ越しのことで、斎場で行う改葬の内容としては、土葬されていたお骨を遺族が斎場に持ち込み、火葬して持ち帰る事を指す。 昭和初期まで土葬が行われていた。ほんの少し前の世代だ。 現在は人が亡くなると火葬→収骨→納骨の流れになる。墓地や納骨堂に入る為には焼いて焼骨(しょうこつ)となる必要がある。なので土葬された方もその後納骨するのであれば改葬(又は再火葬と言う)の手続きが必要になる。 土葬されて年月が経ちお骨も土にかえっていれば手続きは必要無いが、お骨が残っている場合は役所で改葬の手続きが要る。斎場へは段ボール箱やビニール袋に入れて持ち込んで構わない。 土が付着している場合もある。 改葬後は火葬と同様に納骨をする際の骨壺に収骨をする。 先日の件は、先祖代々の墓を一つにまとめる目的で、4人分の土葬されていたお骨を持って来られた。一人一人別でも良いが、全員分混ざっていても
年末、珍しく娘から帰省すると連絡があった。 何となく、会って話したいんだろうという気がした。 夜、ダイニングテーブルを挟んで娘が座り、私に 「はは、真面目な話。座って。ここに座って」 と両手をテーブルの上に伸ばして向かいの席に私を促した。 私はその両手を取って娘の目を見ながら座った。 娘「分かる?」 私「うん」 娘「ああ、涙が出て来た・・」 ティッシュを渡し、落ち着くのを待った。 娘「あのね、私、結婚しようと思う。ははが苦労してきたのは見てきたから知ってるんだけどね・・」そう言ってまた涙を拭く。 用意してきた言葉があるのだろう。 全部話し終えるのを待った。 9月に5年付き合っている彼氏からプロポーズを受けたこと。 2人で住むのは職場の隣町にしようと話していること。 娘の上司だった方が今は彼氏の部署の上司になっていて、彼氏が業務で成果を上げた様子を教えてくれたこと。 彼氏は年明けの資格試験に
その日私は火葬を担当することになっていた。 その日の予定表に、故人の氏名、生まれ年、性別、霊柩車の到着予定時刻、葬儀社名が記載されている。性別、年齢、時間を勘案して火葬炉を決定する。 一番最後の欄に、りきさんの名前を見つけた。 りきさんは去年私が高齢者介護施設を退職する時に、その施設で生活していた。 私は今の仕事をする当初から、私が介護を通して関わった大切な施設利用者、入居者を、関わった家族と一緒に見送りたい旨を上司に伝えていた。 一日数件~十数件ある受け入れや収骨業務を、数人の職員で割り振って担当する。 これまでは知っている名前を見ると見送りや収骨を志願して担当させて貰ったが、私が火葬担当の日に知っている名前に当たったのはその日が初めてだった。 火葬担当はあまり炉前に出ないのだが、上司は炉前で最後のお別れの為に棺の頭元で蓋を開ける役割を私に与えてくれた。 綺麗に死に化粧をされたりきさんは
私の愛車に15年目の車検の案内状が届いた。 タイヤ2本その他劣化による交換部品を含み18万円位になる。 そうして車検を済ませたとしてもこの車はどこかに不具合が出てくる可能性があるという理由で、車検を受けない選択肢を提示された。 新車、中古車の購入相談をした。 私ではなく息子の車だ。 社会人になって1年半の息子は、ミニクーパーが欲しくてお金を貯めていた。 新車にはとても手が届かない。でもローンは組みたくない。商談会の広告が入った時に店に出向くと店頭にあった8年落ちの中古車を紹介された。外観もだが内装もおしゃれで、前の持ち主が手間もお金もかけて大切に乗っていた事が分かる。試乗をしたらますます気に入り、帰宅後もカタログと見積書を度々開いて見ていた。220万円。納車の頃には9年落ちになっている。これから何年乗れるだろうか。車検の度に15万円かかると聞き、決め兼ねていた。 おしゃれなその中古車はいつ
私って友達いないんだろうかと思う程、ここ数年遊びやドライブ、ランチに行く友人と疎遠になっていた。 私、避けられてる? どうしてこんなに独りぼっち? それが気になり始めたのはきっと自分の心が弱っていたからだと、最近ようやく思えるようになった。 息子の中学の部活友達グループが定期的に集まって遊んでいる。子供達が学生の頃にはその母親も一緒に集ってご飯を食べおしゃべりをしていたが、子供達が大人達になってからは母親抜きで勝手に集まって遊んでいる。 その中の一人の母友にLINEしてみると私が鬱っぽくなっている事に気付いたようで、優しい返信をくれる。 疎遠なのは私だけじゃなくて、みんな何してるかな、忙しいかなと慮った結果、LINEもしそびれているというだけの事だと分かった。 今年はコロナの規制がなくなり、かつて開催されていた祭りや行事が復活する兆しがある。 休みの日の午前中、美容院に居る間に前職一緒だっ
今年2月1日の朝目覚めると右手中指の第一関節だけがカクンと曲がったままだった。 痛みは無かったが、手をグーに握り広げようとする度に中指の第一関節だけが曲がったままになった。力を入れて伸ばすとカクンと伸びる。 3月には2年前に受けた股関節手術後の定期受診の為整形外科を受診する予定があったので暫く様子を見ていたが、状態は変わらずその受診日にもカクンとなった指をそのまま医師に見せた。 股関節手術を受けたその病院は急性期病院で、地元クリニックからの紹介を受けて手術と経過観察はするが、それ以外の診察については地元クリニックでするようにと言われた。私の手を見て、紹介をされた地元クリニックの医師名を出して「□□先生に注射してもらいなさい。治るから」と言われたので、その病院の帰りに予約を取りクリニックに行った。 実はそのクリニックへ行くのはあまり気が進まなかった。 去年秋に右手親指付け根の痛みで受診した際
5月の事前講習会で、前回の乙四試験前期日程の合格率は19%だったと聞いて震え上がった。化学の得点率が低かったらしい。そんなに難しい試験に挑もうとしているの? いや確かに難しい。 法令、物理・化学、性質・消火の3科目に分かれたマークシート方式で、各々60%以上正答すれば合格。1科目でも60%を下回ると不合格となる。 ゴールデンウイークに帰省した娘にテキストを見せ、化学の問題の解き方を習った。まるで知識の無い私に辛抱強く教えてくれた。 試験日まで毎日化学の問題を必ず解く事を自分のノルマにして、3教科5科目のセンター試験さながらに勉強するのだが、いかんせん、覚えられない。カレンダーの裏に公式や性質、覚え方を表にしてキッチンやダイニングの壁に貼り、見ては唱え、追い込みをかける。 毎晩夕食後にダイニングテーブルにテキストや計算用紙等を広げて勉強している私に息子が「上がるよ。ほどほどにね」と言って2階
やってしまった。 公休日の午前中。風呂掃除をしようと排水口のゴミを取ってゴミ箱に入れ、立ち上がろうとしたときだった。 あ、あれ? あああ・・ ギクッと音がしたわけではない。 急に痛みに襲われた。 腰全体を触っても、押しても、どこが根源か分からない。 とにかく動けない。 起き上がる、立ち上がるのに体の力の入れようが分からない。 トイレと食卓だけを行き来してその日は終わり、夜何とか風呂に入って上がったら息子がマッサージをしてくれようとするが要領を得られず効果は無い。 翌日朝、上司に電話してその日と次の日まで休みを貰い、その次の日は斎場が閉館日だったので3日休めた。 ぎっくり腰2日目は伝え歩きし始めた0歳児さながらに、ようやく掴まっても次の一歩が出ず、3日目の夕方に落ち着いてきて「この筋を痛めたんだな」とようやく分かるようになった。 4日目は痛いながらも歩けるようになった。お尻がピリピリする感じ
80代前半の父と70代後半の母は2人暮らし。私は私の家族と市内に住んでフルタイムで働いている。 母から「庭のキュウリとゴーヤが元気です。取りに来ませんか?」とメールを貰い、仕事帰りに寄る。 以前は帰りが遅くなるからとか、次の休みにとか理由を付けてあまり行かなかったのだが、最近はなるべく行くようにしている。 父が庭の畑で尻もちをついて立ち上がれなかったり、母が圧迫骨折で入院を勧められたのに父を一人で家に残しておけずに入院を断り家事をした等の話を後から聞くという事が続き、そろそろ見守りが必要になってきたと感じるからだ。 いつも事後報告で、行かなければ私は知らず終いだったり、随分日数が経って聞かされたりするため「何かあったら知らせてね」ではなく「何もないか確認しに行く」スタイルをとる事にした。 先日母から「旅行に行ったら店先で大々的に転んだ」とメールがあり実家へ行くと肘と膝に大きな湿布を貼ってい
歯科に通っている。 右下の奥歯が痛いと思い受診した。 銀歯が被さっている歯かもしれないので、銀を外す前にレントゲン検査をしてみると、虫歯は無い事が判明した。 歯周病になっているのでそのせいかもと言われ、口腔ケアが施された。0.数ミリの小さな塊が治療台のトレーに置かれた。 「こんなのがたくさん歯と歯茎の間にあって、歯周病が深刻。痛みの原因かも」との事。その日の口腔ケアの後、右下奥歯の痛みが嘘のように無くなった。 口の中を上下左右の4分割にして1ヵ月がかりで4回口腔ケアに通った。 1回目は歯と歯茎の間のプラークが深く歯石も目立つ右下奥から、右下前歯迄の内側と外側の歯石を取り除く。 2回目はその次に目立つ左下奥から左下前歯迄。 3回目に右上をすると言われたのだが、その頃左の顎の関節が痛くて、左側の歯も痛んでいたので診て貰いたい気持ちもあり、左上をお願いした。左顎関節の痛みと、左の上か下か分からな
今週のお題「30万円あったら」 気持ちに余裕が出来るだろうと思う。知り合いでもない人にたかられたり寄付を求められる程の金額でもなく、微妙な金額設定が何とも言えないね。 私なら一旦は給料が入る生活口座とは別の口座に入金するけど、いつ壊れるか分からない冷蔵庫の買い替え費用とか、とっくに寿命が来てる車のタイヤをやっと買える。そしていつの間にか生活の中で消えて、通帳は元の金額に戻ってるんだろうなとも思う。 実際は30万円無くてもタイヤは近々買い替えざるを得ないので痛い出費なのだが。 30万円という金額は、私にとっては月給以上2か月分未満の、有難い金額であり、これを「はした金」と思う人に国を治めて欲しくない。 物価が上昇するばかりで給料は上がらず、子供が小さいわけでもないので子育て支援のような公的支援も無い。信じられるものは自身の収入のみで心は荒む。 毎朝近所のスーパーが8時に開くのを待って昼食を買
斎場で焼香が終わるとお棺を炉へ収め断熱扉を閉めて火葬が始まる。火葬が終わって温度が下がるのを待ち・・と言っても400℃を切った辺りなので熱々だが・・断熱扉をこの時初めて開ける。骨受け皿には木製のお棺に使われていた釘類、排気ファンやボイラーの勢いで炉内で動いたお骨やお棺に入れた物が一緒に燃えて混じっている。一見人の形には見えない。それを収骨の際に説明し理解出来るよう足関連のお骨は足元、顔や頭関連のお骨は頭元の辺りに集めてあらかた整骨する。お棺の中に入れられた眼鏡のフレームや帽子のワイヤー、人工関節等骨受け皿に燃えた状態で残っているものも全てそのまま遺族にお見せする。 「人工関節に助けられたから」とお骨壺に入れる方もいるが 「あちらでは軽々と歩いてほしいから」とお骨だけを入れる方の方が多い。あくまで遺族の意向に沿う。 火葬を担当する者は出来る限りお骨を壊さないよう気を付けながら火葬している。そ
仕事で凹む事があった。 その日帰宅していつものように夕飯を準備し、出来上がる頃息子が帰宅したのだが、 「疲れた。お腹空かないから先に食べてて」と言い、隣の部屋の畳の上であちらを向いて横になっている。 息子も色んな事があるだろう。 私もあれこれ詮索する気力も無く、一人で夕飯を食べ始めた。 そして遠隔地で独り暮らしをしている娘の事が気になった。きっと娘も凹む事があるだろう。一人で受け止め、乗り越えているんだろうか。 「娘ちゃん、元気にしてる? 今日ね・・」と状況をLINEし今日の夕飯メニューを画像で送った瞬間、娘からLINE電話。 「色々あるよねぇ・・」と話し、来月の帰省の事等30分位話して、電話を切る頃には気が楽になり、息子も食卓に来ていた。 たいていはLINEの文字でやりとりするのに、この時電話をかけて来たのは娘の機転だ。直接声で言葉を交わすのは、文字とは違う効果がある。 数週間前に娘とL
遺族が1人とか2人とかいう場合、家族だったり、後見人だったり、市役所職員だったりするのだが、施設職員が一人で見送りをされたケースがあった。 霊柩車でお棺に入った故人様だけが到着した時、運転手が 「今月末には108歳になるんだったって」と言った。 少しして女性が一人来て焼香し、炉前で最後のお別れをした。顔を触り、 「頑張ったね。ありがとうね」と優しく声をかけていた。 その方に少し話を聞きたいと思い、志願して収骨を担当させてもらった。 老人介護施設の中には、本人や家族が希望して入れる老人ホーム等とは別に、身寄りの無い方や様々な事情があって福祉事務所の紹介を受けて入居に至る施設がある。 その方は戸籍上はご家族は居るのだけれども、事情があって独りだった。 その施設で29年過ごし、去年後見人がついた。人生の4分の1をその施設で過ごしたことになる。施設から見える所に施設で管理される墓地があり、そこに入
私の勤める斎場は公共施設でありながら、PFI方式(Preivate Finance Initiative)で民間企業が火葬業務を行っている。 定期的に統括する支店からモニタリングを受け、日々の職員の対応や施設設備管理、環境整備等チェックがある。 モニタリング結果報告に支店管理者が来訪された際に、管理部に採用された新人が同行していた。この業種は初めてらしく、火葬後に職員が整骨をするのを見ても新人の頃の私と同じでお骨の形や位置が分かっていない。その後私が収骨をするのを見学される事になった。「いつも通りで」と言われて収骨を始めるが、緊張する。 その遺族は火葬前に棺の蓋の顔部分を開けてお別れをするとき、故人の顔を擦り、「手はどこ?」と棺の中程まで自分の手を入れて触っていた。お別れの時もだが、火葬された故人の遺骨を見てもまた涙が止まらない様子だった。 骨壺に全身のお骨をあらかた収めてから、手元供養用
朝目覚めると右手中指が曲がったまま伸びない。カクン!と痛みがあり伸びたが、これがばね指かと思った。 1年近く前から右手親指付け根が痛かった。整形外科に掛かり母指CM関節症と診断を受け、専用の装具を購入した。良くはならないと言われている。「こんなの、昔なら放置ですよ」って。医者がそんな言い方ある? そして寒い朝起きたら同じ右手の中指に異常が。 でも整形外科に行く気がしない。 長い待ち時間を経て診察してもらっても、これも放置と言われるのかと考えてしまった。 ネットで調べて治療法、リハビリの仕方を検索し、実践してみる。 こうやって、年と共に悪い所が増えていくんだなぁと実感している。 寒い時期は特に。 早く暖かくなってほしい。
冬のボーナスが出たらしい。 夜仕事から帰って来た息子が、夕食の支度をしている私の横に来て 息子「ボーナス出た」 私 「おぉ、おめでとう!」 息子「何食べたい?」 私 「え?外食で?」 息子「うん」 今春就職した息子にとって、初めて満額支給されたボーナス。 支給日前から考えていたのだろうか? 自分の欲しい物は勿論あるだろうが、私の事も忘れずに貴重なボーナスの中から支出項目に入れてくれている。 焼肉? 中華? 懐石?・・ もったいなくて、決められない。
斎場での出会いは一期一会。 その場での対応がこの斎場職員の態度と捉えられると考えると、かなり気を遣う。 故人を独りでお見送りされた女性がいた。 緊張した面持ちでこちらの進行に従いお見送りをされ、1時間余り経って収骨の案内に従い収骨室に入られた。見送りは職員が複数関わるが、収骨は一人で担当する。故人のお骨を挟んで私と向かい合い、足元から身体、頭へと収骨を進めていく。骨壺の容量に少し余裕があったので、気になる所があれば収めるよう促した時だった。 「それが・・どんな様子だったのか分からないんですよ。最後は病院だったし、結構長く入院してたから・・」とそれまで「はい」しか言葉を発しなかったその方が、収骨が終わろうとする頃になって初めて私に心を開いて下さったようで嬉しかった。内臓を悪くして長く入院加療していたが、お骨がこんなにしっかり残っているんですねと話され、お骨箱をしっかり抱いて穏やかな表情で帰ら
朝7時過ぎに起きて来た息子が何となくぐったりソファに寝転んでいる。 「またあの症状」と言う。夜中に突然の頭痛、吐き気、耳鳴り、腹痛。目をあけているはずなのに目の前真っ暗。これが3回目だと言う。3回とも夜中に症状が出ている。2回目はコロナワクチン接種の4日後だった為、副反応だろうと考えていた。 朝起床後の体温は36.8℃。痛みは無いがだるいと言う。 食欲は無く、バナナジュースとリンゴとコーヒーを朝食にして出勤した。朝はいつも食欲が無くてこんな感じ。 昼にLINEが来た。 「今の所体調も問題なさそう。ご心配おかけしました」 随分他人行儀なLINEだが、連絡をくれて少しほっとした。 夕方帰宅した時にはいつも通りだった。 改めて話してみると、1回目は去年の9月。2回目は今年3月。そして今回。 次は来年3月か? 毎回1時間位苦しんで治まって眠るらしい。前兆があったのかと尋ねると少し考えて「やたら喉が
最後の勤務を終えた。 最終日は日勤で事務だった。業務の引継ぎをし、入居者家族に挨拶の電話をし、関わった職員に挨拶をして、ロッカーを片付けて、残りの時間はフロアで入居者と関わろうと思った。 夕食を終えてゆっくりしている入居者一人一人に 「今日で退職します。お世話になりました」と伝えると、反応は色々だった。 「ああ、はい・・」という感じだったり。 「まあ、どうして? お嫁に行くの?」その発想にはこちらが驚いた。私がどんなふうに見えているんだろう。 「そう。寂しいわねえ。時々遊びにいらっしゃい」と普通に返してくれる入居者にはやっぱりちゃんと挨拶してよかったと思った。 102歳になったりきさんには「よく聞こえない」と言われてメモ紙に「今日で退職します。お世話になりました」と書いて見せた。りきさんは私の方に少し向き直り、 「あらあ、残念ねえ。お嫁にいくの?」と言う。この反応は2人目なので、退職=寿退
90歳目前のすゆさんは息子様にとても大切にされている。 これまでも「面会したいけど窓越しでは余計に悲しいから面会は結構です」と言われた事がある。 最近すゆさんは嚥下が良くない。よくむせる。 今月になって刻み食から極刻み食へ変更になり、食べ物にも飲み物にもとろみをつけて提供している。 お盆を過ぎた日、事務所で仕事をしていると、介護職員が来た。 「すゆさんのSPO2が70台。どうしよう」 急ぎ居室へ行ってみるとすゆさんは静かに寝ていた。声をかけると目を開け返事をする。 朝食後に息をする度ヒューヒュー聞こえるようで気になったので居室で横になって貰った。その時の血圧と体温、血中酸素濃度は正常値だった。30分経って様子を見に行くと小さくヒューヒュー言っている。血圧、体温は正常値だが血中酸素濃度が90台~70台を行き来する。 主治医に連絡すると、救急要請をするよう指示が出た。 搬送時にも酸素マスクをし
退勤時間を過ぎたが前月の勤怠管理を終えようとしていた時だった。 「救急車が来る。グループホームの入居者って」と宿直担当者が伝えに来た。 その日私は本部事務所で事務仕事をしていたのだが、その知らせを受けてグループホームへ様子を見に行った。 ホーム長は「用事がある」と言って退勤時刻に退勤して連絡が付かず、管理者はシフト休み、ユニットリーダーも前日夜勤明けで当日は明け休みだった。 夕方入居者の意識レベルが下がり、主治医に連絡したところ、救急搬送の指示が出た。 遅番が不安そうに救急隊に入居者の様子を話しながら救急車に同乗し、夜勤者はユニットに残った。 見かねた施設長が分からないながらも本人の内服薬や義歯、着替え等の用意を手伝おうとしていた。そこへリーダーが飛んできて介護サマリーを用意する。 金曜日の夕方6時半。 地域の救急指定病院に搬入を拒否され、救急車は30分以上施設前から動けずにいた。 私は社
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『aki3nak.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く