では、金矢倉の初出はどうでしょう? 同じく大橋宗桂と本因坊算砂の1618年の対局で残存する棋譜では、両者の最後の対局のようです。 後手大橋宗桂の四間飛車に先手の算砂が飛車で3筋の歩交換をしたのに対応して、後手も3筋に飛車を移動して、玉を金矢倉に囲いました。 (2図) ただ、この局面は、戦型としては、後手振り飛車(四間飛車)の対抗形で、戦型としての矢倉(相矢倉、急戦矢倉)ではありません。 矢倉戦法の模索 いよいよ矢倉戦法、戦型としての矢倉へ進んで行きます。 それでは、戦型としての矢倉、矢倉戦法はどんな形、指し方でしょうか? 上でも書いたように、矢倉囲いに組んだからと言って、 上述の大橋宗桂vs本因坊算砂戦は両方とも、普通は矢倉戦とは認識しないと思います。 では、相居飛車で矢倉囲いに組めば良いのでしょうか? 例えば次の図は矢倉戦法でしょうか? (4図) こちらは1993年の谷川先生と羽生先生の