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アメリカ大統領選
anatema.hatenablog.com
ブリンキー・パレルモはコンセプチュアルな作家というよりは遥かにペインタリーな仕事をした。一見するとミニマル絵画に見えるかもしれない。しかしミニマルの動向にありがちな工業的な手段や機械的なパターンの規則性それ自身を主張させるような使い方は一切しない。 パレルモの作品について書き出すと長くなるので、あのドイツの国旗の色を使った作品について書いてみよう。 あの作品はクネーベル等と共に米国での展覧会に向けて作られた。現在NYのDia:Beaconに所蔵されている。 私は最初、国旗の色彩、赤、黄、黒を使った連作には面白みを感じなかった。 パレルモの使う形と色彩の詩的なバランスの妙からしたら、何か明白すぎるような、理屈っぽいところで作ったものに思えたからだ。 しかし時間がたつにつれて、あの国旗の作品が気になりだした。他の作品より強く見えるのだ。そこからあることに気づいた。 あの色彩はドイツ国旗であり何
2001年頃。或る展覧会で私はインスタレーションを発表した。 その作品は自分なりに日常空間起る現象を考えた結果として、その当時は気に入っていた。 しかし展示期間が終わる頃、ふと気づいて愕然としたことがあった。 それは近代美術館の展示案内に使われたクレーの絵だった。 その絵で得られることは私が作ったインスタレーションと似ていた。 絵画! 絵画空間をなめてはいけない! それは平面の凹凸ではない。 連綿と続いた絵画の歴史によって出来上がった土俵のことだ。 サッカーにしろ野球にしろ、そのゲームの基盤は一夜にしてできないのと同じで、 絵には現実の空間の厚みを押し殺した独自な意味の空間があるのだ。 それは最初から洗練されている。 それに比べたら自分のインスタレーションは惨めだった。 本物の花の前の造花だ。 日常空間で起っているものをわざわざモデルにして、現実空間に干渉させてどうするのか。 インスタレー
肺や心臓を傷めるのは辛い。それは生命の危機に直結する。最近そういうことと少し関わりがあったので気づいたことがある。 私は時々何か人がしゃべってるだけの録音が聞きたくなる。 気に入ってるものは独のEdition BlockがディストリビュートしているArthur KopckeのWAS IST DASという作品。カードボードに収まった簡素な冊子と、その冊子を読み上げる年老いた?作家の声のCD。これが独語で一体何を言ってるのか分からない。よく聞くとテープレコーダのノイズも混ざり音質は決して良いとは言えないが、なぜか安堵感が漂う。大きな声になるとそれが部屋に響くのが聞こえる。どんな部屋に居るのか。どういう人生を送ったのだろうか。時折自動車の音がかすかに聞こえる。声を含めた全体の響きの柔らかさ。その声質から語られる内容は想像できない。どこかに住んでいた知らない人の声。内容が分からなければそこまでだ。
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