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買ってよかったもの
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ロックで「恋愛」についての歌は数多い。それは様々なヴァリエーションを持っているが、失恋にしろ、得恋にしろ、恋愛そのものは素晴らしいものであるという絶対的な前提は揺るがない。しばしば「愛がすべて」とさえ歌われる。そもそも若い人のための音楽だから、ロックは宿命的に恋愛至上主義なのだ。 恋愛至上主義は、恋愛の暗い、残酷な一面に気づかないかのように、その猛獣を野放しにする。大正十三年に、芥川龍之介は「或恋愛小説」という小品を書いているが、恋愛を讃える者は「万一失恋でもした日には必ず莫迦莫迦しい自己犠牲をするか、さもなければもっと莫迦莫迦しい復讐的精神を発揮しますよ。しかもそれを当事者自身は何か英雄的行為のようにうぬ惚れ切ってするのですからね。」と記している。まさしく、大正時代は恋愛至上主義が嵐のように吹き荒れ、一つの帰結を見た時代だった。有島武郎は人妻との不倫の涯、大正十二年六月に心中する。自由恋
戸川純が女性の生理を作品化して、成功を収めた初めての存在だとしたら、彼女の友人でもあったロリータ順子は、そのさきがけのような存在だ。その名前を記憶している人はごく一部に限られ、メジャーフィールドで活躍した訳では無いけれど、80年代の…いや、80年代だけでなく、AKBが謳歌してる今の日本にとって、素人の少女が日本文化のキーとなっていく、その走りだったのかもしれない。 ロリータ順子こと篠崎順子は1962年生まれ。雑誌『HEAVEN』『月光』にエッセイ等を執筆する他、バンド「だめなあたし」「タコ」で活躍。1987年7月1日、風邪をこじらせ、咽喉に嘔吐物を詰まらせて永眠。 前回で紹介した『ポケットは80年代がいっぱい』で、香山リカが『HEAVEN』編集部に初めて原稿を届けに行く場面が書かれていて、その殺風景なビルの2階の"雑居部屋"とでも言うべき場所に居たのが編集の山崎春美と、彼の怒鳴り声で寝入り
ロックの歌詞は、何よりもまず歌われるべきものであって、通常の詩とは違い、活字だけで提供されることを主目的としていない。もちろん、集められた歌詞が書籍となって流通することはよくある事だが、本となってしまった歌詞の味気無さと言ったら、どうだろう。その味気無さが、あるいはロックの歌詞自体の過小評価に繋がっていると自分には思えるのだが、そもそも全て詩というものは神楽歌・催馬楽の昔から、肉声に乗ることによって完成されるものではなかったか。現代詩の曲芸は嫌いではないし、悪文の戦後思想も結構なことだ。ただ、近代から我が邦の詩人は久しく肉声を持たなかったように、自分には思える。 さて、友川カズキである。このブログの副題は「Jロックの歌詞」などとしているが、大して網羅的にするつもりはなく、単に同時代の日本の歌で、その時々、自分の頭にのぼった人を書いていこうと思っている。しかし、それだとしても友川カズキを「J
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